彼女の行方
お題「『ハリセンボンは膨らんだ。』で始まり、『彼女の行方は、誰も知らない。』で終わる短編小説または詩」
ハリセンボンは膨らんだ。
「ちょっと、なにやってんだハリセンボン」
タツノオトシゴは言う。「丁重にお世話しなくちゃならないお客様なんだぞ」
「すまんすまん」
ハリセンボンは答える。「おいら臆病者だから、陸の人間がやってくると、つい……」
ぱしんと、タツノオトシゴはハリセンボンをはたいて言った。
「あのお客様はな、ウミガメ兄さんの恩人なんだぞ。わかってるのかよ」
「すまんすまん」
ハリセンボンは答える。「やっぱり陸の人間にも、いいやつってのはいるんだよなあ」
「いつまでそんな話を信じている」
「ややっ、これは、ウミガメ兄さん。ほらハリセンボン、挨拶しろっ」
「すまんすまん」
「やめろ、私は兄さんでもなんでもない」
「ややっ、こりゃまたご冗談をっ。ほらハリセンボン、なんとか言えっ」
「すまんすまん」
「あやまらんでもいいが……。この男が浜で私を助けたという話はウソだ。それから、そのお礼に私たちの主人が、男をここへ招待したというのもウソだ。それから、その肝心の主人……あの乙姫と名乗るお嬢さんが私たちの主人であることに間違いはないが、ここが海の底で、お嬢さんが何世紀も昔から魚たちとともに暮らしている竜宮の姫だという話はウソだ。ここは陸のうえで、あのお嬢さんは毎日大学へ通っている。つまり、すべてが空想好きのお嬢さんの、魚相手のお遊びだったというわけだ」
「え……」
「……」
「じゃあ、この男は? 乙姫さま……ウミガメ兄さんのいうところのお嬢さんは、僕とハリセンボンにこう言ったんですぞ。『私がいなくなったら、ウラシマのお世話を頼むわね。彼は陸で生まれた人間だけれど、とても優しい人間よ。なんたって……、えっとね、ちょうどいまお昼寝中のあなたたちのお兄さん、ウミガメお兄さんが浜辺で他の人間たちにいじめられていたときに、助けてくださったのよ。……そう、ウラシマはお兄さんの恩人だから、丁重にお世話してあげなくちゃならないのよ』……って、あれは真っ赤なウソだったっていうんですかい」
「ウソだ」
「そ、そんな……」
「お嬢さんがウラシマと言ったあの男は、この家の新しい執事らしい。お嬢さんが家出したというのでパニックを起こして、なにを血迷ったか、一部始終を私に話して聞かせた。お嬢さんは書き置きをしていったそうだが、それには餌やりと水槽の掃除の指示しか書かれておらず、なぜ家を出たか、どこへ行ったかということはまったく書かれていなかったらしい。つまるところ、お嬢さんは私たちの世話を執事に託し、行き先も告げずに出ていってしまったということだ」
「そんな……、おいハリセンボン、お前もなんとか……」
「すまん。……ってことはウミガメ兄さん、兄さんがあの男に助けられたって話はなかったとしても、おいらたちはこれからあの男のお世話になるわけで、やっぱりおいらは膨らんじゃ失礼にあたるから気をつけなくちゃならんってことですねえ」
「そういうことだ」
「ひええ、ウミガメ兄さん、僕はもう、何が何だか……」
ひょっとこ顔をくるくるまわして、はりこのようになってしまったタツノオトシゴ。
「そうそう、言い忘れてたが……」ただでさえパニック状態の彼に、追い打ちをかけるように"兄さん"は言う。
「私がウミガメだというのもウソだ。お前たちはウミガメを見たことがないから知らんだろうが、ウミガメってのは魚じゃない。甲羅があって……、なんだかにゅうっとした生き物だ」
さすがのハリセンボンも少しばかり身体をしぼませて、「あれ、じゃあ兄さんは?」
「私の名はクマノミ。ちなみにそこにある私専用のベッドは、イソギンチャクって名前の生き物だ」
「あ、どうも。イソギンチャクともうします……」
ぽこぽこぽこと、泡ののぼる水槽をなかば放心した状態でながめている執事には、魚たちのおかしな会話など聞こえるはずもなく、ただひとつわかることは、彼らもふくめてここにいる誰もが、自分を助ける手立てのないことだった。
そう。彼女の行方は、誰も知らない。
活動報告にてお題に挑戦してくださったみなさんへのお礼に代えて。
檸檬 絵郎