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8.アデルの試練 4




「心の準備はいいか?」

「いいわ」

「できてる」


早朝。

配達員のおじさんがポストに乱雑に郵便をぶち込んだのを窓から確認して、私とジョンとオリバーは孤児院の門のポストの前に集合した。

私とジョンはどきどきしながら一歩下がっていて、ポストにはオリバーが手をかけている。オリバーは関係ないから、オリバーが見てくれるのだ。


私は祈るように指を組んで、神様神様神様と口の中で小さく呟いた。


オリバーがポストを開けて、手紙の宛先を一つずつ確認していく。


「…結果発表」


オリバーが低い声で言った。私とジョンは唾をごくりと飲み込む。


オリバーは手紙の中から2通抜き取って、私とジョンに差し出した。


「2人ともおめでとう!スカウトだ!」

「うそ!やったあ!!」

「っしゃ!」


私とジョンに、1通ずつ同じ封筒が届いている。差出人はもちろんキャンベル商会。私が飛び上がって喜び、ジョンはガッツポーズで答えた。


「あと一応俺にも来てる。受けないけど」

「勿体無いわね」

「これだとマグナスにも来てるだろうな。すぐ馬車で駆けつけてくるに決まってるぜ」


オリバーはそう言って、オリバーに届いた封筒をポケットに突っ込んだ。

どきどきしながら孤児院の食堂に戻り、私とジョンは揃って封を開けた。


「アデル・ホームズ様。貴殿を我が商会へとご招待したく…つきましては、下記指定の日時に会長との面談を…会長と面談、ですって」

「つまり最終面接ってことだね」


私が手紙を読み上げると、同じ文面を読んでいたジョンが答えた。


お父様と会えるんだわ。


私はそれだけで大喜びした。前に会ったのは…お別れになった6年前。とても久しぶり。お父様、私を見てなんて言うかしら。キャロラインだと気付いてくれたり…しないか。


面談の日は、手紙が届いた日の僅か2日後だった。勿論予定のない私たちは了承の返事を出し、面談の日をどきどきして待った。

私とジョンは想定される質問の答えを何度も確認しあう。


「面談?俺は無かったぞ」


やはりマグナスにもスカウトは届いていたが、私たちとは明らかに違っていた。孤児院にやってきたマグナスも食堂に入り、私たちの手紙を見せると眉を寄せた。


「俺はもう内定だ。そういう内容だった」

「ということはマグナスが正式なスカウトで、僕たちは特別選考枠ってことかな」


ジョンがそう分析すると、マグナスは唸りながら頷いた。


「そっか…でも、十分可能性があるってことだわ!それで十分よ」

「そうだね」


スカウトじゃないのは残念だけど、…お父様に会えるんだもの、大丈夫。私はきっと気に入ってもらえるはずだ。





面談の日、私とジョンはなんとマグナスに馬車で商会まで送ってもらった。私とジョンはマグナスに、絶対に受かる、大丈夫、と何度も何度も勇気付けてもらって送り出された。マグナスは終わるまで外で待っていてくれる。


会長室の外で待つように言われ、ジョンが先に呼ばれた。ジョンは緊張した顔で、はい、と返事をして部屋に入っていく。


1人になると余計に緊張する。

お父様にあうのに、何を緊張しているのかしら。お父様よ、私の。でも今の私は…アデル。キャロラインじゃない。


15分ほど経ったところでジョンが出てきた。ジョンは私に片目を閉じて、そのまま通り過ぎていく。ジョンはうまくできたようだった。


「アデル・ホームズ」

「はい」


中から名前を呼ばれて、私は立ち上がる。

扉が開かれて、私は緊張したまま中に入った。


言われるまま椅子に座り、前を向く。その先には記憶より少し歳を取ったお父様が座っていた。昔はなかった白髪が生えて、口元には皴がある。眉間にも深い皴が刻まれていた。

お父様は難しい顔のまま、私の資料と私を見比べていた。思わずお父様、と声をかけそうになるのを堪える。


「アデル…聞いたことある名前だな」

「め、珍しい名前ではありませんから」


お父様の、独り言のようなつぶやきに私は返事をした。


「先ほどのジョン君といい、君といい…孤児院の出身にしては随分品がある。マグナス君の友人と聞いたよ。彼のおかげかな」

「そうかもしれません」


今日の私はマグナスに買ってもらった上等な服を着ているし、ジョンもマグナスの服を借りた。だから今日は品があるように見えて当然だ。


「昔、君の孤児院を何度も慰問していたんだよ。覚えているかな」

「ええ、勿論です。感謝しています」

「…ジョン君のことはよく覚えていたんだが、君は記憶にないな」

「私はこの6年でとても痩せたので、そのせいかもしれませんね」

「痩せた…?」


じっ、と訝しげな目を向けられる。私は微笑みながら、何か変なことを言ったかと、1人悩んだ。


「アデル…アデル」


お父様は何度か口に出して私の名前を呼び、ぴたりと止めた。


「思い出した」

「…何でしょう?」


お父様は書類が挟まれたファイルをパタンと閉じて、ゆっくり立ち上がった。


「ステファンに付きまとっていたあのアデルだろう。うちの娘を突き飛ばした、あのアデル」

「…む、昔の、ことですから」


あの入れ替わりの日の記憶だろうか。私は掘り返されたくなくて、誤魔化すように笑った。しかし父の顔色はどんどん冷たくなっていく。


「あれ以来娘がおかしくなってしまってね。…孤児院を潰してやろうかと思うほど君を恨んだよ」

「わ、わたしの、せい…?」

「君に突き飛ばされたのがトラウマになって屋敷からも出たがらなくなってね」


嘘だ。

突き飛ばしたのはアデルで、突き飛ばされたのは私。それに突き飛ばされたわけじゃない。あれは…アデルが転んで倒れてきたのだ。


「正直に言って、君を雇うことはできない。早くここから消えてくれ」

「そんな、そんな…!」

「頼むよ。…もう二度と見たくない」


喉がカラカラに乾く。言葉が続かない。僅かに息が漏れた。口をぱくぱくと動かして、思わずおとうさま、と言いそうになる。アデルの身体でそんなことを言うのは…悪手だと分かっていても、縋らずにはいられなかった。


「わ、わたし、努力、しますから。お嬢様にも、…謝ります。もう、そんなことは、しませんから…」

「くどいな。私は君の顔をもう二度と見たくないと言ったんだ。君は言葉が通じるね?」

「つ、通じますわ、もちろん。でも、わたし…」

「出て行ってくれ。面談は終わりだ」


お父様は、私の資料を真っ二つに割いて、私の目の前でゴミ箱に突っ込んだ。


目の前が真っ暗になる。


私はお父様の側に、家族のそばに戻りたくてここまで努力してきた。アデルの肉を削ぎ落として、勉強もした。…でも、私がアデルだから拒否された。ただアデルであるというだけで。私がしていない罪を押し付けられて、拒絶された。愛するお父様に、これ以上ないほどの嫌悪感を見せられて。


「し、つれい、しました…さよなら」


立ち上がって、ゆっくりお辞儀をして、踵を返す。革靴の踵を鳴らしながら、部屋から退出する。お父様は私に目線をくれることなく、ただ次の書類を見つめていた。


「さよなら、お父様…」


消え入りそうな声でそう言って、扉を閉める。はらはらと涙が溢れて、止まらない。止められない。



ぼろぼろ泣きながら廊下を歩く。途中で何度も立ち止まって、涙を拭う。視界が歪んで道がわからない。


「大丈夫?」


前から歩いてきた若い紳士に声を掛けられて、私は笑顔を作ろうとした。でも全然笑えなくて、逆にしゃくりあげてしまった。止めようと息を止めても、ひっひっ、と嗚咽が漏れるのは止められない。


私の様子を見かねた紳士が、私の肩を抱いて中庭にエスコートしてくれた。


綺麗な中庭。本当なら私もここに来るはずだった。卒業したらここで働くつもりだった。お父様と、働きたかった。そばにいたかった。それだけなのに。


2人でベンチに座る。ハンカチを差し出されて、私は受け取って涙を拭いた。気がすむまでわんわん泣いて、目を真っ赤に腫らしたところでやっと落ち着く。


「ごめんなさい。恥ずかしいところを、お見せしました」


まだ呼吸するたびにひっ、ひっ、としゃくりあげてしまうけれど、話はできる。涙も止まった。ずず、と鼻水を啜る。


「泣いてる女性を放っておくなんて男が廃るからね」

「ありがとうございます。私、アデル・ホームズと申します。このお礼は必ず…ハンカチも綺麗に洗ってお返しします」

「僕はサミュエル・サン・マドック。ハンカチはいいよ。君に差し上げましょう」

「ご親切にどうも…って、も、もしかして侯爵様ですか?」


サミュエル・サン・マドック、といえば。隣の領の領主で、サン・マドック商会の会長で、そして侯爵だ。大金持ちの大貴族。


「まあね」


彼はなんでもないように言った。恐縮して距離を取り始める私に困ったように微笑む。


「まだ学生かな」

「はい。今月卒業します」

「じゃあ今日は面接?…ってこれは聞いちゃまずいか」


私の目がまた潤み始めたのを見て、気まずそうに侯爵様は目を逸らした。


「落ちちゃいました」

「そっか、それは…残念だったね」


精一杯明るく言って、また鼻をすする。


「それじゃ…うちを受けてみる?女の子で商会を志す子なんて少ないから、うちでよければ是非来てほしいな」

「ほ、本当に…?」

「少し考えてみて。もしその気があるなら…ええっと、ここに手紙を出して。僕は今月中はここに滞在するつもりだから」

「はい…!ありがとうございます」


侯爵様はポケットから紙を引っ張り出して、住所をペンで書く。それを私に手渡して、立ち上がった。


「あれはお友達?君を探しているんじゃないかな」


廊下をウロウロと、マグナスとジョンが歩いていた。明らかに若くて、道に慣れていない様子だ。侯爵様は薄く笑って、私を立ち上がらせた。


「色々ありがとうございました」

「また会おう」


握手をして、ぺこりとお辞儀する。侯爵様は振り返ることなく歩いて行った。


「アデル!迷ってるんじゃないかって」


中庭の入り口まで戻ると、ちょうど扉を開けたマグナスが私に駆け寄って手を握って心配そうに言った。


「どうしたの?」


マグナスの後ろからジョンも中庭に入って来た。ジョンが私の顔を覗き込んで心配そうに言う。


「面接、落ちちゃったの。私がアデルだから…この商会には入れられないって」

「そんな…!」


2人はショックを受けたように口を開いた。私はなるべく明るく続ける。


「でも、サン・マドック商会から勧誘されたわ。…だから、そっちを受けるつもり」

「アデル…そんな」


本当のことを言えば、私はキャンベル商会に入りたかった。そのためだけに努力してきた。…なのに、こんな結果になるなんて。


「アデルを落とすなんて見る目がないよ」


ジョンが真剣な顔で私に言ってくれた。


「ありがとう。でも…仕方ないもの」

「僕もサン・マドック商会を受けるよ」

「ジョン…」

「僕も本命はサン・マドック商会だったから…絶対に受かるから、待ってて」


ジョンが私の手を握る。私も手を握り返して、ほっと微笑んだ。


「ありがとう。私も、受かるように頑張るわ」

「うん」


ジョンはにこりと微笑んだ。


マグナスが大きなため息を吐き出して、ジョンに取られた私の手を奪い返す。


「アデル…離れ離れになるなんて」

「…マグナス」

「もし…本当にサン・マドック商会に入ることになったら…引っ越す前にもう一度デートさせて」

「いいわ」


私は頷く。返事を迫られたりするのかしら。…まだちゃんとした返事は考えられていないのだけれど。



行きと同じようにマグナスに馬車で送ってもらって孤児院に帰った。


泣きはらした私を見て、オリバーが心配してくれた。院長先生にも。みんなに優しく声をかけてもらって…少し気が晴れた。


私はキャロラインに戻れないと分かっていても、キャロラインに近付こうと必死だった。アデルでありながら、アデルであることを受け入れていたのにどこかで拒んでいた。アデルであることにも、キャロラインでなくなることも。


父に拒絶されてやっと目が覚めた。


私はアデル。

伯爵令嬢のキャロラインではない。キャロラインには戻れない。近付くこともできない。


アデルは寂しい孤児。でも今は血の繋がらない家族も友達も、沢山いる。寂しいなんて言わない。お父様とはもう家族に戻れないけれど…もう会うこともないけれど、それが正しいのだ。私は孤児で、アデルなのだから。アデルの罪は…今では私の罪。理不尽だろうともうそれは変えられない。


寂しいけれど、これもまたひとつの現実だった。





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