7.アデルの試練 3
勉強仲間が1人増えました。
「ねえーオリバー、ここがわかんないの」
ケイティがオリバーの横に必ず座ってあれこれ質問しているのを横目に、私も教科書を読む。ケイティはオリバーに乱暴に迫られた(本人談)ことによって目が覚めて(本人談)マグナスを辞めて、オリバーに夢中になったらしい。
「俺に聞くなよ、ここじゃ俺が一番頭悪ぃんだから」
オリバーはしっしと手でケイティを追い払い、ノートを片手に教科書にかじりついていた。ちらとオリバーの縋るような目が私に向けられる。
「…ケイティ、本気で勉強したほうが良いよ?看護婦の試験受けるんでしょう?」
「受けるわよ」
ケイティは卒業後はマグナスの妻になると勝手に決めていたようだが、オリバーに夢中になって進路を変更した。看護婦に。
というのも、オリバーが従軍するなら、側にいるには従軍看護婦になるしかないと思い至ったらしい。間違ってはいないんだけど、いないんだけど…
「倍率高いんだから…」
「大丈夫よ!私、頭良いから!」
「どこから湧いてくるのその自信」
25点と書かれた答案を見ながら、私は嘆息した。…いや、人のこと見ている暇はない。私だって1番を取らなきゃならないんだもの。
卒業試験は明日。
私たちの運命が決まる。
……眠れなかった。
翌朝、真っ青なクマを作って教科書を読みながら登校する。ジョンとオリバーも同じだった。オリバーは卒業さえできれば良いから、そこまで根を詰めていたようには見えないが、ジョンは私と同じくらいげっそりしている。
マグナスは相変わらず余裕そうだった。ケイティと一緒に私たちの席まで来て教科書を広げ、最後の確認を終わらせる。
それぞれ指定の教室に移り、試験用紙が配られた。問題を眺め、ほっと一息。
大丈夫、解ける。たくさん勉強したもの。自分を信じるしかない。
試験科目が全部終わると、深く息を吐き出した。
そこそこできた、と思う。手応えはあった。
試験が終わると今度は音楽だ。
音楽室には試験官が4人いた。学校の先生が3人と、あと1人はかっちりした服を着た、若い男だった。
「こちらはキャンベル商会のベイルさん。ロジャー・ベイルさんだ」
「どうぞよろしく」
私とジョンの背筋が伸びた。もしかしなくても彼がスカウトマンだ。彼の目に止まらないと、キャンベル商会には入れないかもしれない。
「それじゃ、好きなタイミングで初めて」
先生にそう言われて、私はピアノの鍵盤に指を乗せた。息を深く吸う。大丈夫、私はやれる。
トライアングルの可憐な音と静かなピアノのメロディが始まり、追いかけるようにカスタネットが陽気に鳴り始める。足音を立てて、ジョンとオリバーが歌い始める。2人とも孤児院ではずっと歌っていたおかけで歌は得意だ。ジョンが太陽神役で、オリバーが勇者役。1番は勇者が加護を授けてくれた太陽神にお礼を述べ、太陽神が勇者をもてなす宴を始めるシーンだ。2人は緊張を滲ませながらも綺麗なハーモニーを保って第一の出番を終えた。マグナスのバイオリンが合流し、私は息を吸って、高い声で2番を歌い始める。
2番は妖精が太陽神の宴に鉢合わせ、朝になれば石になること呪われた体を嘆きながらも、切々と陽の光への憧れと太陽神へ近付くことを許して欲しいと歌い上げるシーンである。
アデルは声がとても綺麗だ。澄んだ声をしている。だから歌うのが大好きになった。音感もあるし、リズム感も良い。もし商会で父や母と再会するという目標がなければ、舞台女優を目指しただろう。アデルは運動やダンスも得意だ。
アデルの独唱が終わると、また足を踏みならしてジョンとオリバーが歌い始める。太陽神に誘われまた妖精は歌い、大きな宴になる。大サビを全員で歌い終えると、バイオリンが鳴り止み、カスタネットと足踏みが消える。ピアノが鳴り止み、妖精も石に戻る。勇者だけが残される。トライアングルの音が止まる。
ぴたり、と完璧なタイミングで演奏を終え、立ち上がって一礼。
先生たちとベイルさんからは惜しみない拍手が送られた。
「素晴らしい!みんなそれぞれとても良くやった!」
ベイルさんが手放しで褒めてくれた。私とジョンは目を合わせて微笑み合う。
「我が商会の会長が仰るに、音楽の素養のある人は繊細で器用だから仕事ができるとね。それが真実なら君たちをうちに一揃い欲しいよ。君たち名前は?」
ベイルさんが上機嫌に私たちに問いかけた。レディ・ファーストとばかりに私に視線が向けられ、淑女らしいお辞儀をしながら答える。
「アデルです。アデル・ホームズ」
「ホームズ?孤児院の出身かね」
「ええ、そうです」
「これは驚いた。孤児院出身にしては品がある。舞台女優のオリヴィエによく似ているね!あの人も笑顔がチャーミングで、透き通るような声の持ち主だ」
品定めするように、ベイルさんの視線が私を隅々まで眺めていく。居心地の悪さを感じながらも微笑んだ。
「そちらは」
「ジョン・ホームズです」
「こちらも孤児院出身か!ではそちらも」
「…オリバー・ホームズ」
「そうかいそうかい」
ベイルさんは明らかに残念そうな顔をした。
「マグナス・コネリーです」
「おお、あのコネリー家の!…察するに、心優しい君は孤児のお友達に手を差し伸べてやったのだろう。高潔なコネリー家らしい気遣いだ。練習を見てやったのだろうね」
「いえ、自分は」
「謙遜なさらず!上にはきちんと報告しておくよ」
急に上機嫌になったベイルさんは、大袈裟にマグナスの書類に二重丸を書いた。マグナスは迷惑そうに首を振る。
「いいえ!自分はアデル達に頼み込んで仲間に入れてもらったのです。この演奏の主役は自分以外の仲間達です」
「…君がそういうなら、そういうことにしておこう。君が素晴らしく謙虚だということも付け加えてね」
片目を閉じてベイルさんは書類に文字を付け加えた。マグナスは不機嫌そうに頭を下げる。ジョンとオリバーの書類に小さく丸を書き、私の書類には丸と文字が書かれていた。
「この組はぶっちぎりの一位で間違いないね。…それじゃみんな、結果を楽しみにしておいで!」
ベイルさんにそう言われ、先生からも退出を許されると、オリバーを筆頭に私たちは教室から出て行った。私とマグナスは教室から出る前に先生とベイルさんにお辞儀をして出て行く。
カフェテリアに集合して、みんなでため息を吐き出した。
「上手く出来たのに、なんだか不完全燃焼だわ」
「差別されたからだろ」
オリバーが忌々しげに言った。
そう、私たちは差別された。孤児だから、と。
「…申し訳ないな」
「マグナスありがとう。あそこで反論してくれて」
マグナスが申し訳なさそうに言った。私が逆に感謝を示すと、マグナスは驚いたように目を瞬く。
「そうだよ。あれで肯定してたらマジでぶっ飛ばしてたけどな」
「そうそう。ちょっとすっきりした。本当にありがとう」
オリバーとジョンもマグナスの反論に感謝していた。
「試験結果が出るまで1週間か」
「もしスカウトなら明日か明後日に手紙がくる」
毎日ポストを確認しなきゃ。マグナスが深いため息を吐き出して椅子の背もたれに体を凭れさせる。
「オリバー!」
「うっわ!耳元でデカイ声出すなよ!」
こっそり近付いてきたケイティがオリバーに飛びついた。オリバーが椅子から転げ落ちると、ケイティはオリバーの椅子に座った。オリバーは1つ隣にずれる。ケイティは明るく取り巻き達に手を振って別れていた。
「試験どうだった?私は山が当たったわよ」
「山当てに行くなよ」
オリバーは軽い調子で返答する。
「音楽詰まんなかったわね。あの商会から来たおっさん、超反応鈍いんだもの」
「そうなの?」
私が反応すると、ケイティは頬杖をつきながらため息を吐き出した。
「終わった後に『光るものがないね』って言われたわ。しょうがないじゃない?だって私たち庶民にご大層な楽器が出来るわけでもないし。歌うくらいしかできないんだもの」
「その点うちは恵まれてたな。アデルとマグナスがいるし」
オリバーがにやっと笑った。
「マグナスはともかく、アデル?」
「私、ピアノが弾けるの」
「へえ!どうして?孤児院ではピアノを教えてくれるの?」
「独学よ」
…厳密には違うけど。私は笑顔で誤魔化す。ケイティは訝しげな顔をしたが、それだけだった。
「オリバー、今から一緒に遊びましょうよ。最近できたカフェがね…」
「パス」
ケイティが熱心に誘うのを、オリバーは一言でばっさりと切り捨てた。
「俺暫く忙しいんだ。勉強しなきゃならないから」
「試験が終わったところなのに」
「…俺は入隊試験があるんだよ」
オリバーは両手を組みながら答える。私とジョンは顔を見合わせた。
「試験結果によって待遇が変わるんだ。貴族の子息達並みの待遇…つまり、佐官になるためには試験でそれなりの成績を取らなきゃならない」
オリバーの言葉は本気の重さが滲み出ていた。オリバーは真剣だ。私はケイティ越しにオリバーに言った。
「そうだったのね!オリバーならきっと大丈夫よ。私に何かできることはない?何でも手伝うから言ってね」
「ああ!ずるいわアデル!私だってなんでもするんだから!」
ケイティがオリバーの手を握る。オリバーは迷惑そうに手を振り払った。
「ケイティこそ勉強しなきゃ駄目だろ。看護婦の試験が」
「じゃあ一緒に勉強しましょうよ!ね、いいでしょう?」
ケイティは引かなかった。しつこく詰め寄るケイティにオリバーは眉を寄せて口を閉ざす。私は助け舟を出すことにした。
「私たちも商会に入るにはもっと勉強しなきゃならないの。みんなで勉強しましょう?それなら構わないわよね」
オリバーが頷き、ケイティは嬉しそうに笑った。
結局いつもの通りになっただけだった。
マグナスは家の人が迎えに来た。ケイティを家まで送り、オリバーがトレーニングをするといって走り去った後。
珍しく私とジョンが2人きりで取り残された。
「2人きりなんて珍しいわよね」
私がそう言うと、ジョンは微笑んで頷いた。
「そうだね。いつもオリバーがいるから」
「オリバーがいなくなると…寂しくなるわね。みんないなくなっちゃうんだわ。私たちも…もう少しで孤児院から出て行かないとならないんだもの」
「僕とアデルはずっと一緒だよ」
「ふふ、ありがとう」
それぞれの道に進むなら、もう少しでオリバーとは毎日は会えなくなる。たまらなく寂しい。
「ところで」
「なに?」
ジョンは足を止めた。私もつられて立ち止まる。
「マグナスとオリバー、どっちを選ぶの?」
「どっちを、って」
「2人ともアデルのことが好きだって言ったんだから。どちらも選ばないって選択も有りだと思うけど」
ジョンの言葉に私は戸惑った。
好きだと言われたけど、だからどうしてほしいなんて言われてない。…という言い訳は苦しい。
でも選べない。
幼馴染で家族で、悪戯も悪ふざけもずっと一緒にやってきた、楽しいオリバー。
意地悪だったけれど、今はとびきり優しくて、紳士的で素敵なマグナス。
「え、選べないわ。だって2人とも大切で、大好きな…友達、だもの」
「ぷっ」
真剣に悩んで答えたのに、ジョンは吹き出した。
「安心した。アデルは相変わらず人が良いよね。そういう時は興味ないって断ればいいんだよ」
「私もっとちゃんと悩んで返事を考えたいわ…だって、そうじゃないと失礼じゃない」
「それじゃ点数でもつけていく?オリバーは確かに面白いから10点加点。だけど、強引だから5点減点…」
「そんなのもっと失礼だわ」
点数で決めるなんて。私がむっとしたのに、ジョンはなおさら可笑しそうに笑った。
「じゃあもし今ステファンが告白してきたらどうする?」
「ステファン?…私昔こっぴどく振られてるのよ?絶対無いわ」
「キャンベル商会に入れば必ず彼に会う。…今の君を見て、好きにならないとは思えないから」
「それって家族の欲目よ?」
ジョンは真剣な顔で私を見つめた。ここでステファンが出てくるのはよく分からないけれど、オリバーといい彼らはステファンを目の敵にしたいらしい。
「それに私、ほんの6年前は豚だったのよ。みんなそのことを都合よく忘れすぎだと思うわ」
あの容姿、あの性格だったアデルのこと、忘れていないだろうか。
「人は成長に従って変わっていくものだから。…アデルは、心を入れ替えた。僕はそんなアデルを尊敬してるよ」
「ありがとう、ジョン。私もいつも優しくしてくれるジョンを尊敬しているし…あの時仲間に加えてくれた貴方に本当に感謝しているわ」
「オリバーは拒否してたしね」
「最初から受け入れてくれたのはジョンだけよ」
本当に感謝している。ジョンがいなければ私は…アデルはひとりぼっちのままだったかもしれない。
「アデル、僕たちこれからもずっと一緒だよね」
「そうよ。大切な家族なんだもの。もちろんオリバーもね」
「……そうだね」
ジョンは寂しげに微笑んで、私の手を握った。ジョンはよく手を繋いでくるし、昔からだから特に気にすることなく手を握り返す。寂しいんだろうな、なんて。環境が変わることに不安を覚えるのは当然だ。
「卒業するまで、みんなでいっぱい遊びましょうね」
「たまには2人きりで遊んでくれる?」
「もちろん!」
ジョンに笑顔を見せると、ジョンも顔を綻ばせた。甘くて優しい顔立ちのジョンが微笑むと、すごく綺麗で見惚れる。
それからは他愛のない話をして、孤児院まで2人で歩いて帰った。