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4.アデルの初デート2




「あれ、あのアデルか…?」


孤児院に帰ると小さな女の子達に服を褒めてもらった。きれい、お嬢様みたい、とちやほやされて楽しかった。マグナスへのお礼を兼ねて、夜のうちにこっそりマドレーヌを焼いた。バターも砂糖も貴重だからあまり使えないので、普段マグナスが食べるような美味しいものにはなっていないだろうけれど。


学校に行くと、あちこちからひそひそ声が聞こえた。私がいつもの粗末な繕いだらけの服の代わりに、上等な青いワンピースを着ているからだろう。

仲間と戯れていたマグナスは、私を見ると仲間を置いて一目散にこちらへやってきた。


「アデル、おはよう」

「おはよう、マグナス。昨日は本当にありがとう。これ、お礼なのだけれど…普段マグナスが食べているものよりずっと味が薄いだろうから、口に合わなければ捨ててね」

「ありがとう。大切に食べる。…よく似合ってるよ」


マグナスがにこっと笑った。マグナスの背後で、マグナスの友達が口笛を吹いたり、マグナスの名前を呼んでいた。私の脇を固めるジョンとオリバーは詰まらなさそうな顔をしている。

ジョンはいつものように私の手を取り、オリバーは私の肩に腕を回した。


「行こうか、アデル。マグナスはお友達がいるようだから」

「そうね。それじゃまた」


手を振ると、マグナスは悔しそうな顔をして、ゆっくり手を振り返した。



「ねえ」


授業で無理やりチームを組まされた時にしか話しかけて来ない女の子達が私の前に立ちふさがった。ジョンとオリバーがさっと前に出るが、私は2人を押しのけてさらに前に出る。

女の子のボスはマグナスの側にずっといる子だ。マグナスと釣り合う、そこそこ金持ちの女の子だ。名前は…そう、たしか。


「ケンドラさん」

「ケイティよ」

「失礼しました、ケイティさん」


普段話すことがないからすっかり忘れていた。憤慨したケイティに頭を下げて謝る。彼女は女版マグナスだから、逆らうとうるさい。


「昨日マグナスと出かけたって本当?その服、マグナスに買わせたって、本当?」


ケイティは訝しげに私を見た。私はこくりと頷く。語弊はあるが、本当のことだ。


「本当よ」

「最低!」


途端にケイティの手が上がり、私の頬に平手打ちしようとした。即座にオリバーがケイティの腕を掴み、私の頬に当たる前に手は止められる。ケイティは目にいっぱい涙を溜めながらオリバーと私を交互に睨んだ。


「酷いわ!孤児のくせに、私のマグナスを奪おうとするなんて!」

「そんなつもりはないわ」

「あんたなんて、デブのブスのくせに!」


ケイティはオリバーの手を振り払い、周りの女の子達にわっと泣きついた。取り巻きの女の子たちは口々にケイティを慰め、私達をこそこそと罵倒した。


「最低よね…可哀想なケイティ、マグナスだってなんであんな子とデートするの?」

「ブスでいいところなんて何もないくせに。きっと騙されているのよ。ケイティのほうが可愛いし良い子なのに」

「ずうっと孤児3人で固まっているのよ、なんだか不潔だわ」

「気持ち悪い…」


これには流石に気分を害した。ケイティがマグナスのことを好きで、私に手を出すなとお願いしたなら理解できるけれど、私は何も言われてない。これまで存在を無視し続けていたくせに、何を今更。


「謝りなさいよ!」


取り巻きの女の子が私を指差して叫んだ。ジョンがまた一歩進み出ようとしたのを制止し、私はケイティ達に近寄っていく。


たしかに私は孤児だ。

親はいない。だからなんだっていうんだ。


「私が謝ってどうなるの?」


一瞬、彼女達が怯んだ。私はゆっくり、静かに話す。


「もし私がマグナスなら、数の暴力に訴える汚い女より、1人で懸命に立ち向かう人を選ぶけど」

「なによ!」

「お取り巻きを置いてきたら、お話ししてあげるわ。さよなら」


どういうつもりなの、頭オカシイんじゃない?と聞こえたけれど、私はもう気にもしなかった。ジョンとオリバーの手を取って歩き出す。オリバーが背後の女の子達に睨みを利かせると、女の子達はびくりと身体を震えさせ、黙った。オリバーは威圧感がある。


「び、びっくりした…」


廊下の端で、ふっと息を吐き出す。ジョンとオリバーに寄りかかると、2人は私の頭を撫でた。


「偉いね。アデル、怒らなかったでしょう?」

「怒っていたわよ、とっても」

「でも怒鳴ったり、やり返したりしなかった」

「だって…大騒ぎになるわ。…騒ぎを起こしてまず問題なるのは私たちよ。上から物を言ったから後で怒られるかもしれないわね」


孤児は立場が弱い。守ってくれる大人がいないから。デボラ院長先生だって大人だけれど、マグナスやケイティのお父さんには太刀打ちできない。世の中そういうものだ。良くしてくれる院長先生に迷惑をかけたくない。


その日は一日ケイティと、それからマグナスも避けて過ごした。




翌日、マグナスは孤児院まで馬車で迎えに来てくれた。


馬車には荷物が沢山積んであった。私には、あの仕立て屋で買い揃えてくれたものを渡し、部屋で着替えてきてほしいと言った。それから孤児院の子ども達のためにおもちゃや洋服、繕い用の布などを次々箱から出していく。デボラ院長はにこにこしていた。


「流石はアデル。あの坊ちゃんを捕まえるなんて。あんた昔から男の趣味は良かったからねえ」

「そんなんじゃないです」


部屋で院長先生が着替えるのを手伝ってくれた。服を全部脱ぎながら、首を振る。院長先生は、アデルの背中を指でそっとなぞった。


「でも、この傷を受け入れてくれる男じゃなきゃ、だめだよ」

「……はい」


背中を埋め尽くすような大きな傷は、6年経っても消えない。結局何故こんな傷があるのかは聞けずにいた。院長先生はこの傷を見るたびに悲しそうな顔をするし、孤児院の子ども達は一緒にお風呂に入ってこの傷を見ると怯える。

どう考えたって普通じゃないのだ。

女の価値は身体に物理的な傷がないことも含まれる。この傷は減点対象というより一発で不合格となるものだ。そんな私を受け入れてくれる人はそうそういないだろう。


「はい、できたよ。今日は楽しんでおいで」


背中のリボンを綺麗に結び、髪の毛を結い上げる。今日のために院長は取って置きの髪飾りを貸してくれた。金色に光る、花の形をした飾りを髪に差し込む。綺麗に用意ができた。院長先生に背中を押され、私はマグナスのところへ戻る。


マグナスはジョンとオリバーと難しい顔で話をしていた。3人は私に気がつくと、ぽかんと口を開けた。


「変?」


と聞くと、一斉に首を振る。


「とっても綺麗だよ、アデル!」


真っ先に褒めてくれたのはジョンだった。


「本当にどこかの令嬢みたいだ」


ぽつりとオリバーがそう言った。


「俺の見立て通りだな」


やはり偉そうなマグナスが嬉しそうに私に近寄る。


「みんな、気を使ってくれてありがとう。それじゃ、行ってくるわ。またね」


マグナスの手を取り、ジョンとオリバーに手を振る。ジョンとオリバーは手を振り返しながら、楽しんでね!と言った。


馬車に乗り込み、劇場まで送ってもらった。

座席は前から2列目のど真ん中だった。こんなに良い席だとは夢にも思わなかった。開演を待つ間に、マグナスは私にパンフレットを買ってくれた。パンフレットを読みながら期待に胸を高鳴らせる。


「マグナス、みんなに色々買ってくれてありがとう。本当に嬉しい。孤児院は…貧しいから」

「気を悪くしないで欲しいんだが、…弱きを助けるのは、富を持つものの義務だと思っている」

「施しってこと?」

「…言い方は悪いが」

「良いのよ、よく分かるもの」


キャロラインだった頃は私もそう思って生きていた。キャンベル家がその考え方だったのだ。父も母も、孤児院や病気の人には施しを、と私に教えた。孤児になると…施しという言葉の受け取り方が変わる。憐れまれているということに人間としての尊厳がなくなるようで抵抗を覚える。私たちは強く生きているのに、と。


「君は…本当に、とても孤児とは思えない。考え方が高潔で、どちらかというと貴族のようだ」

「ちゃんと勉強して、己を知れば見えることよ」


一瞬どきりとした。自分が貴族の令嬢だった頃の知識や感じ方が残っている。普通の孤児らしく振舞うのは…ちょっと難しい。


「…アデル、今まで意地悪して本当に済まなかった。俺は子供だった。よく言うだろ、好きな子ほど虐めたくな」

「あっ!」


マグナスの言葉は謝罪までしか聞いていなかった。


私は見つけてしまった。

貴賓席に本物の貴族の令嬢がいることに。


16歳になったキャロライン・キャンベル伯爵令嬢がそこに座っていた。太い身体を桃色の豪華なドレスに押し込み、濃い化粧をして金色の髪を適当に流しただけのキャロラインを。貴族の令嬢として、体の清潔さは保たれているように見え…あ、今鼻ほじった!…とにかく、私の身体を見間違うはずがなかった。


そしてキャロラインの隣にはステファンがいた。あれほど眩しい笑顔を浮かべていたはずのステファンは、大人びて気難しい顔をしてキャロラインの隣に座っていた。気難しいけれど、相変わらず綺麗な顔をしている。私の太陽だった人は、月のようになっていたけれど、変わらず美しい。

キャロラインとステファンの間には会話はなかった。お互いに余所余所しく、そっぽを向いている。


「アデル?」

「…あ、ごめん。ちょっと…気になってて」

「ああ、キャンベル家の?」


私の視線の行方をマグナスが悟る。私がこくりと頷くと、マグナスはキャロラインに生ぬるい視線を送った。


「令嬢がいるのは失敗だったな」

「どうして?」

「どんな演目でもすぐ寝ちゃうし、いびきがうるさいんだ」


アデルめ…!私の体で何をしてくれているんだ。悔しげに眉を寄せると、マグナスは不思議そうに首を傾げた。


「お、始まるな」


開演のブザーが鳴り響き、幕が上がった。



始まるとすぐに夢中になり、キャロラインのことはすぐに忘れた。

妖精や太陽の神が出てきた時にはどきりと心臓が高鳴り、ステファンをちらりと見た。ステファンは気難しい顔のまま食い入るように見ていた。ステファンを見つめるとキャロラインが目の端に入る。彼女はいびきをかきながら白目で眠っていた。一瞬で現実に引き戻された。…あれは私じゃない。あれはキャロライン。私はアデル。もうキャロラインじゃないし戻れないし戻りたくない。私はアデル私はアデル私はアデル…



最後の歌が終わり、演者のカーテンコールが始まる頃に、キャロラインはステファンに肘で突かれて目を覚ましていた。キャロラインが席から立ち、ステファンが後ろに着く。

舞台の袖から2人が出てきて、花束を演者へ手渡していた。ヒロインである姫を演じていた美しい女優を、キャロラインは射殺さんばかりの目で見つめていた。

その女優と私は一瞬目が合った。女優はふわりと、私に微笑みかけた。手を振ると、彼女も振り返してきた。とても嬉しそうに私を見つめていた。


「こっち見てるな」


マグナスが不思議そうにそう言った。拍手を送りながら、女優ににこりと笑顔を見せる。とても良かった、と伝えるためにさらに拍手した。

キャロラインは素っ気なく花束を渡すと、女優を睨みつけながら舞台から退場した。


「とっても良かった!本当に素敵で、夢のような時間だったわ…特に姫の、あの透き通るような歌声…」

「待って、アデル。感想は夕食を食べながらゆっくり話そう」


マグナスは礼儀正しく腕を差し出した。私はその腕に掴まり、良いところのご令嬢のように背筋を伸ばして歩き始める。


また馬車に乗って、レストランに移動した。格式高そうなレストランはとても久しぶりで緊張したけれど、マグナスのスムーズなエスコートのおかげで戸惑わずに済んだ。椅子に座り、ナプキンを膝に掛ける。必死でマナーを思い出しながら、運ばれてくる料理を捌いていく。

一口食べると、懐かしい味がした。ああ、キャロラインの頃はこういうものが大好きだった。今でもその感覚は残っている。お父様、お母様と一緒に食べた食事。ステファンとマナーを学びながら食べた食事。…あのキャロラインの身体には戻りたくないけれど、懐かしい。


「やはり妖精と太陽神の宴は間違いがないな」

「本当にそうね。打楽器が必要だけれど…」

「それはあの2人に任せれば良いだろう。アデルが沢山歌わなきゃならないが」

「それは大歓迎よ!姫と勇者の再会も良かったわね」

「姫の歌唱力が素晴らしいからな。オリヴィアさんだったかな」

「とても綺麗な方だったわ。声がとても綺麗で」

「アデルに似てたよ」

「そう?お世辞でも嬉しいわ」


食事を中断して話し、すっかり夜が更けるまで話し込んでいた。デザートを食べ終わり、ウェイターにチップを握らせ、会計を済ませる。

マグナスはここでもスマートに私をエスコートした。


正直マグナスへの評価は完全に変わった。

音楽の趣味も、舞台の感想も、とても気があう。私がキャロラインだったならば、こんな上流階級の遊びを難なくこなせ、さぞ楽しかったことだろう。だけど私は孤児のアデルで、お金を持っていないことに罪悪感を覚えていた。文句の付け所がないほど楽しかったけれど、だからこそ申し訳なく思う。私に返せるものは何もない。


「アデル、今日は来てくれてありがとう」


マグナスは孤児院まで馬車で送り届けてくれた。私は恐縮しながら頭を下げる。


「こちらこそ、とても良くしてもらって…言葉だけじゃ足りないけれど、本当にありがとう。本当に楽しかったわ。…何か返せると良いのだけれど」

「だったらまた俺とデートして。それから、またアデルの手料理を食べさせて」

「そんなことで良いの?」

「俺はそれが一番嬉しい」


マグナスは私の手の甲に口付けた。急に恥ずかしくなって顔が熱くなる。マグナスも意地悪そうな顔を真っ赤にした。


「曲の件はジョンとオリバーにはアデルから伝えて。これ、譜面。渡しておくよ。俺は明日一日練習して、週明けにアデルに聴かせられるようにしておく」

「わ、私も負けないわよ。…週明けに披露できるようにするわ」

「無理するなよ」


マグナスはくすっと笑って、名残惜しそうに私を見つめた。心臓がどくっと跳ねる。…1日贅沢な経験をさせてもらえて、靡いちゃったんだろうか。


「それじゃ、またな」


マグナスは馬車に乗り込んで、帰って行った。私は前と同じように、馬車が見えなくなるまで見送った。


「アデルおかえり」


馬車の音を聞きつけたジョンとオリバーが孤児院から出てきて、私を出迎えてくれた。


「楽しかった?」

「うん、とっても!とっても楽しかったわ」


嘘偽りない笑顔で答えると、ジョンは寂しそうに微笑んだ。オリバーはふくれっ面でいつものように私の肩に腕を回した。


「でもアデルはうちの子だからな。アデル・ホームズなんだからな」

「勿論よ!」


孤児院の子どもたちは、姓を持たない。孤児院だけではなく貧しい庶民は姓なんてものを持てない。ただのアデルだ。暫定的に孤児院出身者としてホームズと名乗るだけ。


「みんなに追い出されない限りはずっとアデル・ホームズよ。ずっとここにいるんだから」


そう、私はもうキャロラインじゃない。あの体に戻りたいとも思わない。アデルとして、アデル・ホームズとして生きていく。






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