3.アデルの初デート
それから6年が経過した。私は16歳になった。もう学校は卒業する年だ。
相変わらずマグナスには嫌味を言われつつも、勉強のほうは負けず劣らず、ほぼ同じ成績で拮抗している。
私の嬉しい誤算。
アデルは痩せて清潔にすることで随分綺麗になった。ぐるぐるうねうねの海藻のような天然パーマは、艶々の黒髪の緩やかなくるくるに変化したし、吹き出物ばかりの肌はつるつるになった。何より体型。衝撃の三段腹はやっとスリムになった。元の私の身体くらいになった。
私はアデルの、私自身の努力に満足した。
オリバーが最近真剣に体を鍛え始めたので、それに付き合う形で筋トレを始めている。ただ細いよりも体力のある筋肉質なほうが良い。
オリバーは頼り甲斐のある筋肉質な兄貴系に成長し、ジョンは線は細いが女性受けする甘い顔立ちに成長した。2人とも孤児院では色んな意味で抜きん出た存在だ。
学校に行くことで洗練され、他よりも圧倒的に垢抜けている。顔立ちも2人とも綺麗で、こうしてみているととても孤児には見えない。どこかのお坊ちゃんのようだ。
女の子達はもう孤児院から巣立ってしまった。15歳を過ぎると住み込みで働けるような場所を探してみんな行ってしまう。私は16歳だが、女の子では孤児院では1番年上になる。男の子も16歳で追い出されるから、私たち3人は最年長だ。
孤児院では、小さな子供の世話や、学校の勉強をして日々を過ごしていた。ピアノを弾いて子供達の機嫌を取り、一緒に走り回る。孤児院は楽しい。キャロラインとして貴族ばかりの学院に入るのも楽しみにしていたけれど、今となってはこの生活の方が気楽で楽しい。
「卒業試験?」
学校で、オリバーが大きな本を持ってカフェテリアにやって来た。私とジョンは、オリバーを待ちながら持って来たパンを広げていたところだった。
オリバーは本を机に置いて、また卒業試験、と一言言った。
「ジョン知ってる?」
「今年はまだ発表されていないけど、毎年最終学年は学力試験があるんだ。内容と科目は様々。規定以下の点数なら卒業できない。この試験をもって、最終順位が付けられる。商会のスカウトはそれを見て決められるんだよ」
「そうなの?今までの順位は関係ないの?」
「関係ないね。だから歴代では最下位の人が最上位になって商会からスカウトを受けたこともあるよ」
ここまで良い成績をキープしているのに残念…だけども、アデルの不登校期間と成績最下位の実績を加味されるのも困るから、私にもメリットはある。
「今年は何かしら」
「何だろうね。数学は毎年あるけど」
「…うーん、そのわりには三年に一回くらいしか科学はないのね」
オリバーが持って来た資料をぱらぱらと捲る。私の得意科目は軒並み毎年出るようなものではないらしい。残念だ。数学、勉強しないと…
「何だろうとお前達に勝ち目はないさ」
誰も呼んでいないどっかりと私の隣にマグナスが座った。
マグナスはこの6年ですっかり大人っぽくなった。意地悪そうな顔は大人びて、知的さを感じさせるようになっている。そしてとてもお洒落。癖毛の黒髪も綺麗にまとめられている。学校の女の子たちはみんなマグナスに夢中だ。
私は資料を閉じて、マグナスに差し出す。
「はい」
「なんだ?」
「目的はこれでしょう?図書室に一冊しかないものね。あげるからとっとと消えていただけないかしら」
マグナスと話すのは正直疲れる。それほど忍耐力のない私には彼の相手は不可能だ。マグナスは資料と私を、目を見開いたまま交互に眺めて口をぱくぱくさせた。私が今までこんなにはっきりと拒絶したことがないから驚いたのだろう。私だって我慢の限界がある。
「なっ、ちが、」
「別に先生にでも院長先生にでも好きに告げ口すれば良いわよ。私たちだってもう卒業だから、もうそんなに気にならないわ。貴方とも卒業したらもう2度と会わないし」
冷めた口調でそう言って、資料をマグナスに押し付ける。ジョンとオリバーがにやにやしながらマグナスの様子を見ていた。マグナスは青くなったり赤くなったりを繰り返し、最終的に資料をひったくるようにして私から奪い取った。
「……もういいっ!」
マグナスは怒ったまま、資料を持って仲間達の元へ帰って行った。
「ふう、すっきり。ごめんね、せっかく借りてきてくれたのに」
私が安堵のため息を零すと、にやにやしていたジョンとオリバーが楽しそうに笑った。
「鈍いな」
「何が?」
オリバーがまたにやにやした。
「あいつアデルが好きなんだよ」
「マグナスが?どうして?」
「そりゃだって、アデルは可愛いからな」
「あんな奴に好かれたって嬉しくないわ」
冷たく言うと、2人はハイタッチした。
「マグナスも商会狙いらしいぜ」
「実家を継ぐんじゃなかった?」
マグナスの家は比較的儲かっている果樹園だ。広大な敷地でたくさんの果物を育て、売っている。マグナスはそこの管理を任されるのだと私に自慢していたが…
「果樹園にいたらアデルに会えなくなるからね」
ジョンが優しく微笑んでそう言った。あ、寒気が。
「嫌ね、ライバルが増えただけじゃない」
嘆息し、味の薄いパンを齧る。薄い味の食事には完全に慣れた。喉を通らないくらい苦手だったけれど、生きるには食べるしかない。どちらかというと…今更貴族用の美味しい食事を食べたらリバウンドしそうで怖い。
「それに元の私を知っていて好きになるなんて、変よ」
今でこそ痩せたけれど、アデルに成り立ての頃は酷かった。あれを見ていて私を好きだと言えるなんてどうかしてる。
「試験科目が貼り出されたって!」
カフェテリアに走って入って来た同学年の男の子が大声で報告した。最終学年の生徒が一斉に席を立ち、我先に掲示板へ向かっていく。私たちもゆっくりその後ろをついていった。
掲示板に近付き、目を凝らす。科目は5つだった。
「数学、地理、歴史、哲学に…音楽ね」
「音楽?」
私が読み上げると、オリバーが絶望の顔で言った。
「音楽は実技と書いてあるわ」
「ええ…僕たち音楽はさっぱりなのに」
ジョンも悲壮感を漂わせながらぼやく。
「安心して?4人で1組と書いてあるから、私と組みましょう。私がピアノを弾くから、2人はカスタネットでも持ちながら歌ってくれれば良いわ」
「ああ、アデル。僕たちの女神」
ジョンが大袈裟にそう言って、私の手にキスした。私がくすくす笑うとジョンも楽しそうに笑う。オリバーは私の肩に腕を回した。
「でも、4人だろ?あと1人はどうする?」
「困ったわね。同学年の子はほとんどマグナスの傘下だから、私たちとは組みたくないでしょうし…」
孤児の私たちは学校では浮いた存在だ。
ジョンとオリバーは恵まれた容姿をしているから、街に出ると女の子達に声をかけられるようだが、学校の数少ない女の子達からは無視されている。勿論マグナスがそう仕向けているのもあるけれど、それ以上に孤児というマイナスポイントは大きい。私たちがどんな理由で孤児になったのか知りもしないで勝手に『ろくでもない』と決めつけるのだ。
私もアデルが何故孤児なのかは知る由も無いけれど…
答えが決まらないまま、放課後になった。
「アデル」
帰ろうとする私の肩を、背後からマグナスが叩いた。珍しく1人だった。ジョンとオリバーが嫌な顔をする。私は振り返って、にこりと笑った。
「もう渡すものはないわよ」
「違う!」
マグナスが首を振って叫んだ。用事のない私は首を傾げる。マグナスは黒い瞳に私を映して言った。
「音楽、一緒に組もう」
「却下」
考える余地もなかった。一緒に、と言われた瞬間に答えが決まっていた。ジョンとオリバーがぷっと吹き出す。
「お前達3人しかいないだろ!」
「いないけど、何?」
「だから俺が入ってやるって」
「だから却下」
素気無くそう言うと、マグナスは地団駄を踏んだ。
「言っておくが、3人だったら落第だからな」
「ほんとう?」
「さっき先生に確認した」
「じゃあ早くあと1人探さないと」
「言っておくが俺以外はみんな組んでるからな!」
「……マグナス、貴方仲間に入れてもらえなかったの?」
正直驚いた。この速さで組が決まっていることにもだし、人気者のマグナスがあぶれてしまったことが。選び放題だと思ったのだけど、逆にそれが理由で遠慮されてしまったのだろうか。
「な、ちが…」
「そういうことにしとけよ」
言い募るマグナスの肩を、半笑いのオリバーがどかっと殴った。殴られたマグナスはイタッ!と声を上げてよろめく。肩を押さえながらマグナスは何度も頷いた。
「そう、俺、ひとり」
「ぼっち」
ジョンがぼそりと付け足す。マグナスはジョンを睨んだが、ジョンは涼しい顔でマグナスから目を逸らした。
「ひとりぼっちなのね。可哀想に。マグナスも歌う?」
「…もうそれでいい。俺はバイオリンが弾ける。専門の家庭教師に何年も見てもらってるから、腕は確かだ」
「まあ、そうだったのね」
流石は良いところのお坊っちゃん。楽器の1つくらいならお手の物のようだ。
「お前達は何ができるんだ?まあどうせ歌うだけだろうから俺のバイオリンで」
「アデルがピアノを弾くよ。オリバーと僕はお察しの通り何もできないけど」
マグナスが腰に手を当てて自慢気に言うのをジョンが遮った。マグナスは悔しそうにジョンを睨む。ジョンはやはり涼しい顔をしていた。
「私、ピアノは得意よ」
「歌いながらピアノ弾けるか?」
「ええ、もちろん」
「じゃあ男女混合で豪華に聞こえる演奏ができるな」
マグナスはてきぱきと鞄に入れていたリストを出した。
「さっき考えていたんだ。アデルがピアノを弾くならもっと色々考えられる。流行りの舞台の音楽なんかも良いな」
「流行りの舞台って?私たち、そういうのには疎いから」
「最近なら『白詰草の約束』かな」
びくり、と肩が震えた。
「それって絵本じゃないの?」
「最近舞台になって大流行りしてる。王都でもみんな口遊んでるよ。特に月の妖精と太陽神の宴の歌とか、勇者と姫の邂逅とか」
(私の太陽……)
脳裏に眩しい笑顔のステファンが過った。
白詰草の約束は私が大好きだった絵本だ。それが舞台になっているなら、ぜひみてみたい。…でもアデルには難しい。
「ね、歌ってみて。聞いてみたいわ。私、その絵本大好きだったの」
マグナスに強請ると、マグナスは困ったように視線を泳がせた。
「譜面があるから…それじゃ駄目か?」
「聞いてみたいんだもの」
「…じゃあ、明後日舞台を観に行こう」
マグナスは急に目を輝かせて言った。
「ここでやっているの?」
「明後日が千秋楽なんだ。チケット、絶対にとるから!一緒に行こう!」
「嬉しいわ!…でも、無理よ」
行けるものなら行きたい。でも…チケットは、高い。舞台に行くには孤児院の貧しい子供らしいこの服ではいけない。しかし私には他に服もない。
「予定があるのか?」
「予定は…ないけれど、お金がないの」
「出す、俺が出す」
「それに服も」
「今から買いに行こう!」
マグナスが必死に私の手を取った。
「でも」
「お金は俺が全部出すから!アデルは何も心配しなくて良い」
正直、揺れた。相手が意地悪なマグナスでも、魅力的すぎる申し出だった。
返事に困る私とマグナスを、ジョンとオリバーが引き離す。
「どういうつもりだ?孤児への施しのつもりか?」
「違う」
「ここで金を出して、後で返せないアデルを強請るつもりだろう」
「そんなことはしない!」
ジョンとオリバーの問いかけに、マグナスは真面目な顔で怒鳴りかえした。
「俺は、アデルをデートに誘ってるんだ!デートなら男が金をだしても普通だろう」
「デート?」
私が聞き返すと、マグナスはまたぎゅっと私の手を握った。
「デートだ!男と女、一対一!曲決めも兼ねて出かけたい!」
ジョンとオリバーもマグナスの勢いにきょとんとしていた。マグナスはみるみるうちに真っ赤になる。意地悪な目が、珍しく弱気に見えた。
「お前!図々しいぞ!今まで散々アデルのこと馬鹿にしておいて!」
「オリバー、そのくらいにしておきなよ」
吠えるオリバーをジョンが止めた。ジョンはにこっと笑う。
「アデル。マグナスとデートに行けば綺麗な服を買ってくれるし、舞台も観れるよ。マグナスが嫌いでも一度出掛けてみたら良いんじゃないかな」
「…そうおもう?」
「うん。でも、次は僕やオリバーとも2人きりで遊んでくれる?きっとアデルを楽しませてみせるから」
「もちろん!」
深く考えずに私は頷いた。ジョンは私を納得させるのがとにかく上手い。私はマグナスに手を差し出した。
「じゃあ、宜しくお願いします。…本当にお金、大丈夫?」
「俺を舐めるなよ」
マグナスは私が差し出した手をがしっと握った。私は本当にお金がないから返せないけれど。万が一返せと言われたら困るな…
「…俺は弱みに付け込むような汚い真似はしない」
「その言葉絶対に忘れないようにね」
ジョンが強く言うと、マグナスがこくりと頷いた。ジョンは私のお母さんが何かだろうか。
「じゃ…じゃあ、い、いい、行こうか、アデル」
「あ、うん」
顔を赤くしてがちがちに緊張しているマグナスが私から人一人分スペースを空けて歩きだした。オリバーが私の荷物をさっと奪い取る。
「持って帰っとく。邪魔だろ?院長先生にも言っとくし」
「本当?ありがとう、オリバー」
「早く帰ってこいよ」
くしゃくしゃと私の髪を撫でて、オリバーとジョンは先に歩いて帰ってしまった。残された私と緊張でがちがちのマグナスは、気まずい笑顔を浮かべて歩き始める。変な感じ…
マグナスのことは大嫌いだけど、面と向かって「デートしよう」と言われると、照れちゃう。
「えっとその、今日は服だ。そんなに格式高い舞台じゃないけど、綺麗めな格好はしなきゃならない」
「うん」
「だから、その、俺の姉がよく行く店に連れて行く」
「お姉さんがいるの?知らなかった」
「ああ、まあ…」
マグナスははにかんだ。そのまま街の中心部まで歩き、孤児の私の身分では絶対に入れないような小綺麗な仕立て屋に入る。
店の中には所狭しと煌びやかなドレスや、日常的に着ることのできる服が並んでいた。
「ここはローズヒルズと提携しているから、腕は確かだし、流行りにも敏感だ」
「だったらお高いでしょう?」
「値段は気にするな」
ローズヒルズという一大ブランドに加盟しているなら、ここは相当格式高い。それこそ大金持ちか、貴族しか入れないようなところだ。
「まあまあ坊っちゃま。綺麗なお嬢さんをお連れしてどうされました?」
「マダム、久しぶりです。彼女に似合う服を見繕っていただきたいのですが。普段着より少し綺麗なものを」
マグナスが真っ当に、丁寧に話をしているのを聞いてびっくりした。私が思わずマグナスを見上げると、マグナスは気恥ずかしそうに目を逸らす。
「す、好きな色は?」
「好き…ピンクかな。でも、似合わないから」
妖精らしさのある淡いピンク色が大好きだった。アデルには似合わないけれど、キャロラインにはよく似合っていたのだ。
「最近よく着るのは緑かな」
「ああ、確かに緑は似合う。目の色と合ってる」
マグナスがじっと私の目を見つめた。なんだか恥ずかしい。
「お嬢さんならこちらの緑が良いかしら。黄緑はお好き?」
「うわあ、素敵!」
膝より少し長いくらいの、黄緑色のワンピースだった。良家のお嬢様のような、繊細で可憐なものだった。裾から白のレースが覗いている。袖口にはシュガーピンクの刺繍が入っていた。
「うん、これなら良いな。アデル、着てみて」
「いいの?こんな綺麗なものを」
「はやくはやく」
マグナスに急かされて、私とマダムは2人で試着室に入った。マダムは私のサラシのような下着を見て首を振り、真新しいものを用意してきた。試すだけなら、と付けてもらい、ワンピースも着せてもらう。着付けた姿を鏡に移すと、そこには孤児のアデルはいなかった。
お金持ちの令嬢のようなアデルがそこにいた。
試着室から出ると、真新しい靴が用意してあった。サイズはぴったり、綺麗な革の靴だ。上等な靴の踵を鳴らし、マグナスの前まで戻る。マグナスは私を見ると、また顔を真っ赤にした。
「き、綺麗だ…!とっても」
「ありがとう」
手放しで褒めてくれたのが嬉しくてにっこり笑って答える。
マグナスにあれも、これも、と色々手渡され、沢山試着をした。どれもこれもとても着心地が良い。孤児院では古い服を分解して、自分で服を縫っていたからこんなに縫製が綺麗な服にはお目にかかることがない。最後に着たのは流行色の青いワンピースだった。動きやすい、普段でも着やすい服だ。サイズもぴったり。
「坊っちゃま、ご用意はこのくらいでよろしいでしょうか」
「ああ、うん」
マグナスはマダムが抱えた大荷物をちらりと見て頷いた。
「ご用意って?」
「アデルのだよ」
「わ、私の!?黄緑色のワンピース以外にも、ってこと?だ、だめよ!返せないわ!」
「返さなくていいんだ。俺がしたくてしてることだから」
マダムはこうしている間にも店の片隅に山のように箱を積み上げていく。
「サイズのお直しがありますから、お渡しは明日でよろしいでしょうか」
「ええ、それでお願いします。彼女が今着ているものはそのまま持ち帰っても構いませんか」
「勿論ですよ」
着ているもの、って。
この薄水色のワンピースに、下着に、靴下に、靴まで?
「アデル、今日は付き合ってくれてありがとう。ほんの些細なお礼だから、遠慮なく受け取って」
「でも、」
「学校で着てくれたら俺は嬉しい」
「こんな良い服、学校でなんて着れないわ…」
マグナスはつり目の眦を下げて微笑んだ。
「あらまあ。坊っちゃまが色気付いちゃって」
マダムがくすくす笑った。
「どこぞの令嬢とは大違いの可愛らしいお方で、私は嬉しいのですよ?」
「令嬢?」
私が聞き返すと、マグナスは私には囁いた。
「この辺りで令嬢と言うと、キャンベル伯爵令嬢しかいない。マダムはキャンベル家にも出入りしていたから、彼女を知っているんだ。…ま、もうクビになったけど」
「…キャロラインを」
昔、私がまだキャロラインだった頃に私のドレスを選んでくれていたのは別の人だったと思う。この話しぶりなら、町中の仕立て屋を取っ替え引っ替えしているのだろう。
「ドレスの価値も分からないのにあれやこれや…ドレスが入らないのは仕立てが悪いからじゃないってのに」
マダムがぐちぐちとつぶやき、さっと口を閉じた。
「あら、ごめんあそばせ」
一応領民だから、領主であるキャンベル家の令嬢の悪口なんて大っぴらには言えないのだろう。
「私…マダムの縫製には感激しました。こんなに綺麗に縫えるなんて…素晴らしいと思います。着心地もとても良くて」
「あらまあ!伯爵令嬢よりずっとモノの価値がわかるようね!」
マダムは上機嫌になった。マダムはにっこり笑って、私に薄青い帽子をプレゼントしてくれた。帽子を被って、店を出る。大きく手を振るマダムに手を振り返し、店を後にした。
「今日はありがとう」
歩くと言ったのに、マグナスは馬車を止めてくれた。馬車に乗り込んでお礼を言うと、マグナスは照れ臭そうに首を振った。
「こちらこそ、付き合ってくれてありがとう。本当なら夕食もご馳走したいが…ジョンとオリバーに怒られそうだから今日は遠慮しとく」
「ふふ、そうね」
夕食までに帰るのが孤児院のルールだし、仕方ない。
孤児院の前で馬車から降ろしてもらう。マグナスは名残惜しそうに私を見つめた。
「また明日ね。今日は本当にありがとう」
「それじゃ…学校で」
マグナスを乗せて、馬車が走っていく。馬車が見えなくなるまで見送って、私は孤児院へ帰って行った。