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2.新生アデル




孤児院に帰るととてつもなく怒られた。人生でこんなに怒られたことが無くて、私はぼろぼろ泣いて謝った。アデルがこんな風に反省するのを見たことがないらしい院長は気味悪がってすぐに解放してくれた。


「苦労のくの字も知らないようなお貴族様が嫌いなのはわかるさ。あたしゃも嫌いだよ」


と、院長は私に温かいミルクを入れて続ける。


「特にあのお嬢様。もう帰りたいだなんて!こんなところでもあたしたちは必死で生きてるっていうのにね!」


私は無言で甘くないミルクを啜った。


「あんな奴らでもヘコヘコしてないとお金が貰えないのさ。世の中全く不平等なもんだよ」


全く以ってそう。世の中は平等ではない。理不尽なところだ。


「…お風呂に入りたいです」

「へええっ?!」


私がそう言うと、院長は驚いて仰け反った。何年ぶりというレベルらしい。アデルは耐えられたのだろうけれど、私にこの汚い体は耐えられない。なんだか全身が痒い。それに臭い。重い。耳が詰まっているし不快。


院長は共同の風呂場まで私を連れて行って、今日だけは好きなだけお湯を使っていいからね、と行って真新しい石鹸をくれた。暫く誰もこないから、とも言われた。

服を脱いで、自分の体を観察する。アデルは見事な三段腹だった。身体中にまとわりついた余計な肉が重い。そして垢だらけ。湯に浸かると、身体がぬめついた。擦ると黒ずんだ垢がごっそりとれた。石鹸を使ったけれど、最初何回かは泡立ちもしなかった。髪と体で丸々一個石鹸を使い切ってようやくすっきりした。全身くまなく洗うと、アデルの健康状態がわかってきた。

アデルはとてつもなく健康。栄養足りすぎて艶々している。髪も油を落とせばそれなりに見れるようになった。


そして、背中に隠しようのない大きな傷跡がある。


「アデルから石鹸の匂いがする…」


浴室から出て、清潔な服に着替えてから歩いていると通りすがりにそう言われた。院長に、1人じゃ怖いから部屋まで付いてきてほしいとお願いして自分の部屋の場所を確認した。アデルの部屋は4人部屋だった。みんな隅っこに集まって、アデルだけ広いスペースを占有していた。


「ね、ねえ。少しお話ししましょう?」


私が声をかけると、3人はびくりと肩を跳ね上げた。私の寝床は臭かったので、洗ってほしいと院長にお願いすると新しい布団を一式貰えたので先に交換する。その様子を見ていた3人はこそこそと話し合いを始めた。


「ね、何の話をしていたの?」


話の輪に加わろうとどすんと座り込むと隣に座った女の子が飛び上がった。手には絵本が握られている。


「私そのお話大好きよ!」


キャロラインも部屋に置いている有名な絵本だった。王道の勇者と王女のお話で、邪悪なドラゴンに連れ去られた姫を救いに勇者が旅に出るお話だ。途中で美しい妖精や、太陽の神が現れ勇者をサポートする。私がキャロラインだった頃は妖精になったつもりでヒラヒラの薄布を纏って踊ったりしていた。言うまでもなくステファンに太陽の神のフリをしてもらって、だ。だから私の太陽。私は妖精。


「アデル、字が読めたの…?」


と、痩せた女の子が恐る恐る聞いてきた。…ああ、アデル、そこからか。でもアデルのことはきっとみんな知らない。だから誤魔化せる。


「読めるわよ」


胸を張ってそう言うと、彼女は目を輝かせた。


「すごい!これ、絵がとても綺麗なのに、私たちには読めないから…お話が分からないから、きっとこういう話ねって」

「読んであげるわ!読むのは得意よ」


本を受け取り、絵を見せながらゆっくり読み始める。『むかしむかしあるところに…』から始まる古典的な物語をアデルの声で読み上げると思うと変な気持ちになった。


最初は半信半疑だった3人も、話を終える頃には聞き入り、うっとりした顔をしていた。


「なんて素敵なの!」

「こんなお話だったのね」

「アデルありがとう!」


感想を言い合いながら、このシーンが良かった、ここをもう一度、とせがまれて何度も何度も物語を読んだ。アデルはこんなに話すことがなかったのか、すぐに喉が痛くなった。


「アデル、学校すぐに辞めたのに…ちゃんと勉強してたんだね」

「…ねえ、また学校に行くことってできないかな」

「デボラ先生に頼んでみたら?アデルのお願いなら聞いてくれると思う!」


目をキラキラさせて少女は私に言った。確かにあの院長は何故かアデルを特別に思っている節がある。何故かは分からないけれど…


「そうね、頼んでみるわ」


私は薄く微笑んだ。しかしアデルの顔で微笑むと邪悪に見えたらしく、少女たちは仰け反って逃げ出した。



それからみんなで食事に行った。

食堂は広くて、みんな並んで食前の祈りを捧げてから色の薄いスープを口に入れた。そしてスプーンを手から落とした。


味がしない。


水のようなスープだった。味付けがあまりにも薄い。屋敷で美味しい料理をお腹いっぱい食べていた昨日までと落差がありすぎた。完全に食欲を無くしてぼうっとスープに映るデブを見つめる。水面のデブが私を見つめ返した。

私の様子を見て、周りの子供達がさっと自分の碗を差し出し始めた。


「ご、ごめんなさい…今日は何も言わないから要らないのかと…」

「…………あげるわ」

「………………………………………へっ?」


私は席を立って、自分の部屋に直行した。

全員の視線が去っていく私に向けられているのを感じながら、逃げるように去っていった。


部屋に戻り、寝床を漁ると食べかけのお菓子がたくさん出てきた。あのスープや食事でこれだけ太れるのは不思議だったが、これで納得。アデルは色々溜め込んでいる。全部見つけ出して、食べかけのものはゴミ箱に突っ込んだ。まだ手をつけていないものは、全部ひとまとめにして同じ部屋の子達にあげた。アデルのものと思うと食べづらいだろうけれど。


そして一晩寝ずに考えた。

これから私がどうしたいか。アデルとしてどう生きていくか。


私は、形は変われど、やはり家族を取り戻したい。もう子供とは思ってもらえなくても、父や母のそばにいたい。ステファンとも、友達に戻りたい。

孤児の身分でキャンベル家とお近づきになるなら道は2つ。


まず1つは、私が貴族になること。

だがこれはかなり難しい。他の貴族の養子として引き取られるか、あるいは何かしら手柄を立てて貴族にしてもらうしかない。どちらも現状ではあり得ないことだ。どちらかというと養子になるのは現実味があるが、アデルのこの容姿で選ばれる筈がない。


残りの道は、キャンベル家が抱える商会に入り、有能だと証明することだ。認められればキャンベル家の人間と直接話すことも可能だ。できれば秘書。お父様の秘書になれば家族離れずにすむ。目指すはその座だ。


商会に入るなら、勉強をする必要がある。

学校に入り、優秀な成績を修める。そこで勧誘を受け、商会に入るのが一番手っ取り早い方法だ。勧誘を受けたなら出世コースに乗れる。そうすればお父様に近付くのも難しくはない。


「学校に通いたいです」


そう決めて、私は院長を捕まえて直訴した。院長は面食らった顔をしていたけれど、私の真剣な顔を見て頷く。やはり院長はアデルに甘い。一度勉強を投げ出したアデルにチャンスを再び与えるなんて。


商会に勧誘されるなら、最低限身嗜みを整える必要もある。こんなに太った身体では自己管理が出来ていないと見做されるだろう。早急に痩せねばならない。


「それからダイエットします。たとえ私が欲しいと言っても、決して甘いものは与えないでください。必要以上の食事も」


と言うと、院長は目を剥いた。


「あ、あのアデルが?」


口をぱくぱくさせながら院長が言った。


「アデルがダイエット、学校…明日は大嵐が来るわね」


しみじみと院長は言って、私の頭を撫でた。

アデルの背中の傷のことを聞きたかったけれど、そんな空気にならなくて諦めた。でも院長はアデルのことが好きなようだった。可愛がっていることは分かる。だったらアデルとして利用しない手はない。




学校に通うのは新学期からとなった。

それまで遅れている分の勉強を、同い年の学校に通っている男の子たちに教えてもらうことになった。基本的に女の子は学校に行かず、行儀作法や家事能力を身につけるとどこかの屋敷の下女などの職につくらしい。女の子で学校に行くのは稀だと聞いた。特別でありたいアデルはそれを聞いて学校に行くことを望んだのだろうけれど、努力ができなかったのか、勉強についていけなかったそうだ。

孤児院で同い年の男の子は2人。ジョンとオリバーだ。2人もキャンベル商会の就職を志し、真面目に勉学に励んでいた。学校から帰ってきた2人に勉強を見てもらい、少しずつ遅れを取り戻して行く。私はキャロラインだった頃に既に基本的な学習は終えていたので、学校で学んでいる範囲は既に履修済みだった。これなら付いていけるだろう。



孤児院の片隅にピアノが置かれていた。

キャロラインの頃は毎日ピアノを弾いていた。先生に教えて貰って、お父様とお母様に弾けるようになった曲を披露して褒めてもらうのが大好きだった。

ピアノの鍵盤に指を乗せて、得意だった曲のメロディを右手で叩こうとしたけれど、できなかった。指が動かない。頭は覚えているのに、身体が覚えていない。

悲しくて、またアデルを実感させてられて、私は1人ひっそり泣き崩れた。こうしているうちにキャロラインだった名残は消えて行く。お父様とお母様の子供だった証は、愛されていた事実は少しずつ薄れて行く。ピアノの弾き方を忘れ、貴族としての行儀作法を忘れれば私は完璧に孤児になるだろう。それが堪らなく悲しい。

少しでも忘れないように、孤児院でも貴族の作法を意識し、ピアノには時間が許す限り触れることにした。しかしアデルの太い指では上手く鍵盤を押すことすらできない。枯れるほど泣いて、絶対に痩せることを誓った。ピアノの楽譜をぶくぶくの指で握りしめて泣いた。周りの子供達はみんなそんな私を怖がった。



新学期が始まるまでに、私は毎日勉強とピアノの練習、それからジョギングを休まず続けた。髪も綺麗に自分で結う方法を練習し、習得した。孤児院の子どもたちへの接し方も徹底的に変えた。優しく話しかけ、みんなの友達になろうと努力した。

努力は身を結び、身体のサイズはふた回りは小さくなり、勉強は予習まで完了、ピアノは簡単な練習曲を何曲か弾けるようになった。髪も綺麗に結えるようになり清潔感が増した。孤児院の子供達は……前とは違う感じで私をボスと認識した。


平たく言えば私は孤児院で大人気になった。

絵本の読み聞かせで小さな子供達から慕われ、同年代の子供達へは一緒に外を走り回っているうちに仲良く、年上の子供達へは貴族のように礼儀正しく接することで信頼された。アデルでもやればできる。なんだってできる。



新学期が始まり、私は学校に通い始めた。


「ジョン、オリバー、1人にしないで」


流石の私も緊張していた。随分痩せたとはいえ、まだ他の子供に比べると随分、いやかなりふくよかだ。人と違うことは、嫌われるかもしれないとびくびくしていた。同じ孤児院のジョンとオリバーを両脇に固めて学校の門を潜った。


「大丈夫だよ。普段通りにしてれば馴染めるさ」

「そうそう、ここにはお淑やかな女の子はいないし。素のアデルで大丈夫」


くっ…年上の子供達には令嬢らしく礼儀正しくお淑やかに振舞ってきたけれど、同年代の彼らには外で一緒に走り回って遊んでいたから、お淑やかとは認めてもらえないらしい。


「おい、孤児ども」


グラウンドの真ん中でボールを蹴って遊んでいた、真っ黒い髪の意地が悪そうな少年が私たちに大きな声で呼びかけた。嫌な言い方をする、とむっとすると、ジョンとオリバーも面倒臭そうに足を止めた。


「あれは?」

「覚えてない?マグナスだよ。僕らの学年を牛耳ってる、裕福な家の子さ。アデルも大嫌いだっただろ」

「嫌なやつね」

「でも誰も勝てないんだ。頭も良いし、人付き合いも上手い。僕らは孤児だから言い返せないんだよ」


そんなの間違ってるわ、と言いかけたが、そこにマグナスが仲間を何人も引き連れてやってきた。私がじとっと見つめると、マグナスは唇を歪めて嗤った。


「また来たのか、アデル。今回もそいつらを家来にしてるのか」

「こんにちはマグナス」


私はにこりと笑って手を差し出した。


「今日からまたよろしくね」

「触るなよ穢らわしい。孤児と不潔の病気が移るだろ」


差し出した手をマグナスの手でべちんと叩かれ払いのけられた。私は手を摩りながら、マグナスをじっと見つめる。こういう時こそ、ただ喧嘩するのではなく賢くやり返さねば。もう面倒は起こさないと決めている。


「ならこれ以上お話する必要もないわね。失礼したわ。さあ行きましょう、ジョン、オリバー」


ジョンとオリバーは忍び笑いをしながら私の後ろを歩き始める。私は道がわからないまま、つんと前を向いて唖然とするマグナスを視界から追い出した。


「アデル、こっちだよ」


私の後ろにいたジョンが優しく私の右手を取り、前に進み出た。

ジョンは優しい。焦げ茶色の髪に、優しい糖蜜色の垂れ目の少年だ。背はアデルより随分高い。心を入れ替えたと称して仲良くしてほしいとお願いすると、真っ先に受け入れてくれた。とにかく優しい。いつだってこんな私でもお姫様扱いしてくれる。


「あとでマグナスの頭に卵でも投げる?」


私の左手を取りながらオリバーが悪戯っぽく笑って言った。

オリバーは悪戯好きだ。とにかくお調子者で、一緒にいると楽しい。外を走り回って遊んでくれるのは大抵オリバーだ。オリバーは赤毛にそばかすが散る、緑の目の少年で、アデルと身長は同じくらい。一緒に走り回っているうちに大の仲良しになった。


「先に先生に挨拶しておきたいわ。それに、卵を投げるなんてことはしてはいけないのよ。問題を起こしたくないもの」


私は真面目くさって2人にそう言った。2人はお行儀よくにこりと笑って、私をエスコートし始める。まだぷくぷくの腕を2人に預け、私は歩き始めた。



職員室で先生に礼儀正しく挨拶をし、今度は逃げないことを誓った。

教室に連れて行ってもらい、ジョンとオリバーと席に着く。嫌味なマグナスは私たちの右斜め後ろに座っていた。カラスのような黒髪と意地悪そうなつり目が私を睨んでいた。嫌なやつ。結局1日の授業が終わるまでずっとマグナスは私を睨んでいた。


課題や小テストはうまく出来たと思う。ジョンやオリバーとお互いに答え合わせしても満足できる内容だった。予習の成果は出ている。先生にも帰り際に褒められた。褒められている私にわざわざマグナスはぶつかってから帰って行った。去り際に一言、


「デブでブスでも女は女だな。色目使って成績を上げてもらうつもりかよ」


と言った。オリバーが顔を真っ赤にして怒り始めたのをジョンが必死で止める。初日からマグナス相手に喧嘩なんてしたくない。


「負けるのが怖いの?」


私はそう言って余裕を持って微笑んだ。マグナスは舌打ちを残して、お友達を引き連れて帰っていく。



翌週、小テストが返って来た。

1問バツがついているが、それ以外は正解だ。先生がにこりと笑ってくれた。


「今日のトップはアデルとマグナスだよ。おめでとう。2人とも1問ミスしただけだ」


マグナスが私を睨んだ。2人とも同点なら別に良いじゃない…と思ったけれど、次は勝ちたいと思った。


「まぐれで取れただけだ、孤児の分際で良い気になるなよ」


授業が終わると、やはりマグナスにはちくりと言われた。脇を固めるジョンとオリバーがムッとして言い返そうとしたようだが、私は2人を止めた。

私が何も言わないことに満足したのか、マグナスはさっさと仲間を引き連れて次のクラスへ向かった。


「俺らが孤児だからあんな風に言われるんだ」


オリバーが悔しそうに言った。

私はキャロラインの時でも、孤児を可哀想だとは思ってもあんな風に見下したことがなかった。だからマグナスの気持ちは正直分からない。向き合ってやるほど今の自分に余裕もない。どちらにせよ私はこの学年でトップに立たないと、商会からのスカウトは受けられないだろうから、勉強のできるマグナスは打ち倒すべきライバルではある。だからマグナスに負けないように勉強でギャフンと言わせてやるしかない。


「馬鹿馬鹿しいわ。言わせておけばいいのよ。孤児、ですって?私にはジョンにオリバーという兄弟も、デボラ院長という母もいるわ。家族はたくさん。1人じゃないもの、平気よ。ほら、胸を張って」


にこっと笑って2人に言うと、2人は目を合わせてため息を吐き出した。



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