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この謎が解けますか? 2  作者: 『この謎が解けますか?』企画室
この謎が解けますか?
32/36

カニバル=ゴーメット氏来たりて曰く 前

Author:枯竹四手

 父が死んだ。

 そう聞かされた時、私は果たしてどう思っただろうか。

 多分、いや確実に。

 私は「そうか」と思っただけだろう。


 その報せは唐突に訪れた。家に現れたのはダークのスーツを着込んだ男性で、名刺と手帳を見せて身分を明かした。警察官僚、のようだ。言い回しが合っているかは、良く分からない。

 彼曰く父は警察官で、しかもそれなりの地位にいた、らしい。

 そういうものに詳しくないので良く分からないが、少なくとも私のところへそれを伝えに来た、この男よりは高い地位だったのだろう、と予測できる。彼の声が断片的に、私の耳に響く。

「お父上は、大変に立派な方で」

 そうか。

「私も良くご指導いただきまして」

 そうか。

「私にとっても父のような方でした」

 そうか。

 そうか。


 彼が帰った後、私一人になってしまった真っ暗な部屋の中で、私は考える。

 これからどうすべきなのか、何をすべきなのか、あるいは何もすべきでないのか。

 困ってしまった。自分で何かを決めるのがこんなに難しいと思わなかった。大体の事は父が決めていたし、私はそれに従っていた。

 父は怖かった、と思う。私は良く殴られたし、いつでも大声で怒られた。私は要領が悪い(と良く言われた)らしく、何でもきちんと、父の言うように、機械的に物事をこなせるようにはなれなかったのだ。それは多分私が悪いのだろうし、父もそう思っているようだった。

 父の顔を思い出そうとしたが、妙にブレてはっきりしなかった。

 私は目を閉じる。父の言葉が耳に蘇る。

 早くしろ。

 俺の言う通りにやれ。

 役立たずが。

 とっとと寝ろ。

 父の言葉はいつでも尖っていて、しかし私はそれが当然だとも思う。

 母の記憶が無い理由は、父が怒る理由と相似なのだろう。


 父は優しかった、とも思う。いつも「おはよう」「おやすみ」を言うし、いつだって私の事を気にかけ、事あるごとに電話をくれた。大概自分の事ばかり話したが、たまに私の事を案じる電話もあった。私はいつでも大丈夫だと言ったが、あまりそうは見えないのか、笑っている時以外は不安げな声だった。

 父に電話しようと思ったが、番号が分からなかった。

 私は目を閉じる。父の声が電話越しに響く。

 今日は顔色がいいね。

 ほら、桜が咲いたよ。

 そろそろ髪の毛を切らなくちゃね。

 おやすみ。

 父の電話は子守唄のようで、大体眠くなるのだ。

 それで、私は眠りに入る。


 私がようやく事態を理解し始めたのは、警察官僚氏が二度目の来訪をした時だった。

 どうも今回の殺人事件に関して、世間はまだ騒ぎだしてはいないらしい。ただ、騒ぎだしても私には良く分からなかったかも知れない。我が家には新聞も無ければテレビも無い。インターネットの事は良く分からない。使った事が無いからだ。

 状況を知らせに来た男は前と同じようなダークスーツを着ていた。彼は名刺をくれた後(警察官僚らしい)、深く頭を下げた。ひどく申し訳なさそうだった。

「すみません、連続性がある事は伏せているのです」

 そうか。

「お父上は二人目で、いや、今後は必ず阻止します」

 そうか。

「それで、その、お頼みしたい事がありまして」

 そうか。

 ……ん?

「頼みたい事、ですか」

「は、はい、そうなんです」

 官僚氏は汗をハンカチで拭って、ひどく言い辛そうに切り出した。

「こ、今回の件に於きまして、警察では極秘に、内密に、外部識者の協力を仰いでおるのです。勿論、公表する予定はありませんし、口外法度でお願いしたい」

 外部識者。警察が協力を要請するような存在。

 それはつまり。

「探偵?」

 私の問いに、官僚氏はひどく情けなさそうな顔をして、しかし首を横に振った。

「違うのです。正確になんと言って良いのか分かりませんが、当人はそういう風に名乗っておりませんし、我々もそういう風には認識しておりません」

 そうか。

「それで実は、その識者が、是非貴方とお会いしたい、と言っているんです。いかがです、会ってみて下さいますか?」

 了解を即答すると、彼はほっとしたような、それでいてがっかりしたような、良く分からない表情を浮かべた。私が断ると思っていたのだろうか。

 私は今すぐでも良かったのだが、官僚氏は明日迎えに来る、といって、その『外部識者』の名刺らしき紙片を残して帰っていった。それは白地に黒の字体を載せた、限りなく普通の名刺だった。書いてある事だけが、どうも普通では無い気がした。何故ならそれには住所も電話番号も社章も肩書きも無く、本当に名前しか書いていなかったからだ。名刺ではなく、名札だったのかも知れない。

 少なくとも、それには名前があった。多分名前だと思ったし、実際名前だったのだ。

 正直、名前にも見えなかったのだけど。


 父の記憶は、眠くなると蘇ってくる。

 ベッドに腰掛けて、私はそれを待つ。

 ふと二の腕を見ると、長く伸びた傷が一筋あって、今は肉色に紛れて血の跡は微かも残っていない。

 ベッドに腰掛けて、私はあの日を思う。

 割れた酒瓶は飛んで来なくて、痛みも無い。記憶の中にあった私の痛みは、どこにもない。

 私はどうしたらいいのか分からなくて、じっとしている。目を閉じる。

 父は酒瓶を投げて来なくて、結局私は目を閉じていただけだった。


 父の電話は、眠くなるとかかってくる。

 ベッドに横たわって、私はそれを待つ。

 ふと窓の外を見やると、庭に桜の木が一本あって、今は生い茂った緑色の葉を月光で艶やかに光らせている。

 ベッドに横たわって、私はじっと待つ。

 電話はかかって来なくて、眠くもならない。寝すぎていたような、そんな気がする。

 父からの電話は、まだかかって来ない。

 私はどうしたらいいのか分からなくて、じっとしている。目を閉じる。

 父は電話をして来なくて、結局私は目を閉じていただけだった。


 官僚氏は昼頃に迎えに来た。私の服装を見て「暑くないですか」と少し驚いた顔をした。確かにそんな気がしたので、カーディガンを羽織るのはやめた。気がつけば、もう桜は瑞々しい真緑に染まっていた。

 官僚氏が運転する黒の車は静かで、私もほとんど黙っていた。ただ官僚氏だけが静寂を嫌い、ひたすら父の話をした。室内のバックミラーに映る彼の表情は、声とは対照的に少し不安げだった。

「あの方は立派な警察官でした」

 そうか。

「色々な事件を解決されて」

 そうか。

「私にとっても、父のような方でした」

 そうか。

「す、すいません、こんな時にこんな話を」

 そうか。

 そうか。

 結局のところ、前にした話をなぞっているだけだ。

 私は目を閉じる。そして思い出す。

 そういえば、父が電話をかけてくるはずは無い。死んでしまったのだから。

 父は、記憶になったのだ。


 車は市街地の一角で停車した。車を降りると、じりじりと太陽が私を照りつけ、軽く目眩がした。目の前のビルディングが、目的地らしい。

 官僚氏に支えられ、私は階段を上る。三階まで来ると、官僚氏は廊下の突き当たりにある白いドアを叩いた。

 そこには、黒い小さな表札に金色の文字が刻まれていた。『ゴーメット事務所』とあるそれは、廊下の白くて浅い蛍光灯の色を、艶かしくて重い光に変換して反射しているような気がした。官僚氏はノックをして、答えは待たずにドアを押し開け、私は中に入った。

 殺風景な部屋だった。私の部屋に似ている。白い壁には何も無く、部屋の最奥に大きな窓があって、そこにはレースのカーテンがかかっている。窓の前に黒くて大きな、年代物の木製デスクが一つ、その後ろに、窓の方を向いている大きな革張りの椅子が一脚、机の横に低い木製の棚が一つ、それだけだ。来客を想定している気配は一切無い。

「来たかね」

 やけに楽しげな響きの声がしたかと思うと、革張りの椅子が半回転して、座っている人間が姿を現した。

 短い黒髪に黄色人種の肌色、妙なほど生気を感じる目も黒く光っていて、まったく亜細亜人種である事は疑い様も無い。細身の身体に着ている服は上等なスーツで、官僚氏のそれと同等の物だろう。

 官僚氏と違うのは、彼が比較的若い(ように見える)という事、そして、口元ににやにやとした、人を小馬鹿にするような笑みが浮かんでいる事だった。

「初めまして、私の名前はご存知だね」

「いいえ」

 即答すると官僚氏はちょっと慌て、名刺の本人です、と説明してくれた。

 にやにや笑いの男は、ひどく楽しげに頷いた。

「素晴らしい。その通り、食べてみないと味は分からないものだ。私はまだ名乗ってもいないし、彼も私を紹介していない。正しい反応だ」

 良く分からない比喩を口にし、目の前でゆっくりと立ち上がった『外部識者』氏は、にやにやしたまま立ち上がり、大仰に腰を折った。

「いかにも、私がジャック=カニバル=ゴーメットです」

 私は自己紹介をしようと口を開きかけたが、ゴーメットと名乗った男の長い腕が私の口元に伸びて来て、阻止された。

「結構、結構。私は人の名前を忘れやすくてね。いつもなら秘書が覚えていてくれるのだが、困った事に」

 そこまで言って彼は肩をすくめた。官僚氏の顔が若干歪んだのが分かった。ゴーメット氏はにやにやして、ため息をついてみせた。

「私の秘書はどうやら殺されてしまったようでね」

 良く分からない。

「何、この事件の被害者の一部に成り果ててしまっただけなのだ。雇用主のためになっているのだか、なっていないのだか」

 彼はニヤニヤしながら、官僚氏の方にウィンクを投げてみせた。

「まあ、あれの場合は自業自得だと思うのだがね。……さて、そんな事はどうでもいいのだ。私が君を呼んだ理由は、他にあるのだから」

「理由」

 理由だ、と彼は鸚鵡返しして、革張りの椅子に座り直し、長い足を机の上に放り出した。

「実に簡単な事だ。ひょっとしたら、君は」

 彼は言葉を切って、両手を頭の後ろで組み、にやにやと告げる。

「君のお父上を殺した犯人を、知っているのではないかと思ってね」

「いいえ」

 即答する。

 警察官僚氏は口を大きく開けたままで固まってしまい、ゴーメット氏はニヤニヤと頷く。

「結構、誠に結構だ」

 良く分からないが納得したようで、彼は机の引き出しを開け、中からノートパソコンを取りだした。白い林檎の意匠がある、銀色の薄型である。

「発端はUSBスティックだ。最初の被害者、つまるところ私の秘書だった者の家族と、私に同じものが送られてきた。スティック自体は警察が持っていってしまったから、今ここには無い。まあ、音声ファイルはこちらで保存した。これを聞いてくれたまえ」

 彼はキーを叩いて、画面をこちらに向ける。音声ファイルが選択されていて、すぐに再生が開始された。

『ヒショヲ カエシテホシクバ イッセンマンエン ヨウイシテ レンラクヲ マテ ケイサツニハ シラセルナ』

 機械的な音声は、それでぷつんと途切れた。静かになったノートパソコンの後ろで、ゴーメット氏はニヤニヤしている。官僚氏は対照的で、苦虫を噛み潰しているような悲哀の表情を浮かべていた。

「家族の方には『ヒショヲ』ではなく『ムスコヲ』だった様だが、まあいい。一緒に私の秘書が監禁されている風な写真が入っていた。これを受け取った彼の家族はすぐに警察、そして私に連絡した。次の日に、家族のところにUSBスティックがまた届いた。地図の画像データが入っていて、身代金の受け渡し時間が指定してあった。当然警察は少なからぬ捜査員を派遣した。ところが、受け渡し場所で見つかったのは中型のトランクで、中にはUSBスティックが一つきり、私の秘書は戻って来なかった」

 ゴーメット氏は肩をすくめ、またパソコンを操作して、別な音声ファイルを開く。

「これはそのUSBスティックに保存されていたものだ。そこの男に頼んだら持ってきてくれた」

 そこの男、とは多分警察官僚氏だろう。

『ケイサツニ シラセタナ オロカナ タンテイ ワタシヲ ツカマエテミロ』

 パソコンから聞こえてきたのは、先ほどと全く同じ機械音声だ。警察官僚氏は微かに眉をひそめている。ゴーメット氏は、それを気にする素振りも見せない。

「そういう訳で、私は事件の当事者になったのだ。まず確認すべきは、君の元にUSBスティックが届いていたかどうか、だ。どうかね」

 ゴーメット氏は楽しげだ。

 私は首を横に振って否定する。長い事小包を受け取っていないし、郵便箱も見ていない。

 なるほどなるほど、とゴーメット氏は頷いて、ニヤニヤと笑う。

「結構。だが、私の元に届いている」

 ゴーメット氏はジャケットの中に手を入れ、安っぽい白のUSBスティックを取りだした。

「中には音声ファイルと、写真がある。確認するかね」

 私はこういう場合、どうすべきなのか。官僚氏の方を横目で伺ってみたが、彼は口をへの字に曲げ、どっちとも取れない曖昧な表情を浮かべていた。ゴーメット氏は言わずもがなだ。

 私は、結局頷いた。ゴーメット氏はUSBスティックをパソコンのポートに接続し、ファイルをクリックした。

『ツギハ コイツダ ミツケテミロ ムノウナ タンテイ キミハ ジケンヲ カイケツ デキナイ』

 合成音声が部屋に響く。 

「写真を見てくれたまえ。これは、君の父上かね」

 官僚氏が何か問いたげに口を動かしたが、結局何も言わなかった。私はパソコンの画面を覗き込んだ。デジタイズされた画像は、人物の顔を鮮明に、はっきりと映していた。

 年配の男性だ。灰色になった頭、丸い顔、恐らく小太り。顔しか映っていないから、他の部分は良く分からない。

 良く分からないのだ。

「どうかね」

「ゴ、ゴーメット君」

 警察官僚氏が遠慮がちに口を出したが、ゴーメット氏はそちらを気にも留めず、私から目を離さない。ニヤニヤ笑いのまま、じっと私を見つめている。私は、彼の前で光る画面を見つめている。

「……父だと、思います」

「大いに結構」

 ゴーメット氏はニヤニヤしながらパソコンを閉じた。官僚氏は我に返って、慌てた様子で私とゴーメット氏の間に割って入った。

「も、申し訳ないです。彼が無礼を」

 無礼、だったのか。

「私が悪いのです。すみません」

 官僚氏は深々と頭を下げる。ゴーメット氏はそれをニヤニヤ見ているだけだが、どうも彼の注意は私の後ろ、つまり扉の方に向けられているらしい。

 すぐにその理由が分かった。ドタバタという音が聞こえて、二人の男がノックもせずに飛び込んできた。片方はごま塩頭の年配で、もう一人は比較的若く見える。先頭にいた壮年の方が私をじろりと見て、何も言わずに警察官僚氏に頭を下げた。

「ここでしたか」

「君も懲りないね」

 ゴーメット氏がニヤニヤと横槍を入れたが、年配の刑事はそれをあからさまに無視し、眉間の皺を思い切り深く刻んで、警察官僚氏を睨むだけだった。

「こんなところにいないで、本庁でやる事があるんじゃないですかねぇ?」

「私は、私に出来る事をやっているんだよ」

 警察官僚氏はそれだけ答え、私の事を紹介した。年配の男はおざなりに頭を下げ、若い男は丁寧に挨拶して、二人とも警察手帳を示した。ゴーメット氏はその様子を楽しげに眺め、ニヤニヤ笑いを私に向けた。

「彼らは今回の事件を担当している刑事だよ。君のお父上を捜してくれるのだろう」

「え! じゃあ、この人がガイシャの?」

 若い刑事が驚き、年配の刑事と官僚氏を交互に見やって、私に視線を戻した。

「ああ、本庁さんがわざわざ、直々にお迎えに行ってくれてたんだよ」

 年配の刑事は吐き捨てるような調子で言って、私を睨む。

「あんたに聞きたい事が」

 ある、と彼が言った途端、ドアが遠慮がちにノックされた。警察の三人は鋭い動きでドアの方を向いて、ゴーメット氏が少し大きめの声をあげる。

「開いているから入ってきたまえ」

 失礼します、と礼儀正しい声が聞こえて、カラフルなユニフォームを着て帽子を被った、若い男が小降りの段ボール箱を胸の前に捧げ持って入ってきた。

「ええと、ジャック=カニバル=ゴーメットさんにお届けものです」

 年配の刑事が憤怒の形相でその段ボール箱をひったくり、それを閉じているテープに手をかける。

「やめろ!」

 怒号が聞こえ、刑事の手が止まった。大声を上げた警察官僚氏は顔を真っ赤にした老刑事の震える手から段ボール箱を取り返し、ゴーメット氏の机に置いた。

「君に届いたものだ」

「全くその通りだ。ああ、君。ちょっとここまで来てくれたまえ」

 状況に目を白黒させていた配達員は、我に返って部屋の中まで入ってきた。ゴーメット氏は胸元から万年筆を取りだし、段ボールの上蓋にくっついたままの伝票にさらさらとサインを書き付け、引き剥がすと、また胸元に手を突っ込んで今度は紙幣を数枚取りだし、適当に数えてから伝票にくるんで配達員に渡した。

「釣りは面倒だから取っておきたまえ。もし返したくなったり返さざるを得なくなったら、また後日来るといい。今ここは空気が悪いからね」

 ニヤニヤするゴーメット氏と射殺す勢いの視線を投げる刑事から非日常的な雰囲気をしっかり感じ取っていたらしい配達員は、硬い笑顔を浮かべて「ありがとうございました」と一礼し、脱兎の如く事務所を飛び出して行った。

 それで、部屋には静寂が戻った。

 ゴーメット氏は、段ボール箱を裏返しにしたり、振ってみたり、耳を近づけ音を聞いてみたりしてから、私にニヤニヤ顔を向ける。

「何が入っているだろうね」

 もどかしそうにしていた警察官僚氏は、たまりかねた様子でそれを取り上げ、ゴーメット氏を見やる。ゴーメット氏はニヤニヤして、肩をすくめた。

「どうぞ、開けてくれたまえよ。君はまったく、カタチを重んじるね。結果が変わらないとしても」

 警察官僚氏は最後まで聞かずに上蓋を引きちぎる。中身はさらに小さな段ボール箱で、幅広の紙テープで厳重に封がしてあった。ゴーメット氏が手渡したペンナイフでテープを切り裂くと、その中から出て来たのは梱包用のエアクッションで、これもテープで留めてある。官僚氏は顔を真っ赤にしてそれもバラバラに引き裂く。中身が机にこぼれ落ちて、カシャンと軽くて固い音を立てた。

 届いたのは、CDケースだった。ゴーメット氏は呆然とする警察官僚氏の前からそれを取り上げて、開く。中には当然、ディスクが収まっていた。

「ふむ、犯人はUSBスティックを使う事をやめたらしい」

 ゴーメット氏は何も書かれていない表面、虹色に光る裏面を交互に睥睨し、肩をすくめてそれをケースに戻した。

「おい! はやくそいつを、何だ、どうすりゃいいんだ」

 壮年の刑事は声を荒げ、ケースをひったくって中身を取りだした。

「ええと、テレビに入れれば良いのか?」

「ここにテレビは無いし、入れるならプレイヤーだ。テレビには入らないよ」

 ゴーメット氏はニヤニヤして答え、壮年の刑事はまた一瞬で激高した。

「やかましい! はやくこれを使える機械を出せ!」

「や、ヤマさん」

 若い方の刑事が後ろから、そっと近寄って来た。

「だめです、ここにはこのディスクを再生出来るものが無いです」

「何ぃ!」

 これは駄目なのか、と壮年の刑事はゴーメット氏のノートパソコンをひっぱたいた。

「署の奴には入れられるだろうが! この、横っちょから」

「これにはそういうのが付いてないんですよ」

 彼は恨めしげにゴーメット氏のノートパソコンを見ながらそう言った。確かに、この薄型のパソコンにはディスクを挿入するスリット、つまり読み取り装置が付いていない。最近のノートパソコンは薄くなって、機能が減ったのだろうか。薄過ぎるというのも考えものだ。

 ようやく状況を理解した壮年の刑事は怒りの余りか若い刑事の頭をどやしつけ、憤怒の形相のままディスクを放り出して事務所を飛び出していった。若い刑事は頭をさすりながら机の上に落ちたディスクを拾って後を追い、結局事務所にはにやつくゴーメット氏と立ち尽くしたままの官僚氏、そして私だけが残された。

「部下の教育は大変だ。それが年長なら尚更ね。使いこんだ中華鍋でコンソメスープを作るようなものだ」

 ゴーメット氏の例え話は、相変わらず良く分からない。

 警察官僚氏はようやく立ち直り、大きく深呼吸して、結果は連絡する、と一言言って出て行った。結果立ち直っていなかったのかも知れない、というのは、私はこれで帰る手段を失った事になるからだ。

 それで、ゴーメット氏と私だけが残った。

「やれやれ、彼は頭が回るんだが、どうもね」

 ゴーメット氏は、ニヤニヤ言う。

「さて、ここには私と君だけになってしまった。お望みなら私が君を送り届けるし、ここにいたければ止めはしない。勿論泊めるのも大丈夫だ」

 洒落のつもりだったらしい。彼は綺麗に並んだ歯の隙間からひひひ、と笑いを漏らす。

「さて、どうしたい?」

 どうしたい。

 良く分からない。

「ふむ、ではこうしよう。君さえ良ければ、私は色々と君に聞きたい事がある。ここで私の話を聞いてくれないかね?」

「分かりました」

「結構」

 結構だ、と繰り返して、ゴーメット氏はニヤニヤ笑う。

「どうも君は人を記号で覚える癖があるようだね」

 ゴーメット氏はニヤニヤ笑いを崩さない。

「良い事だ。食べ物は味で理解されるが、人間という奴は食うわけにはいかない。判断基準は見た目、名前、所作、それらが合わさって印象となり、記号になる」

 彼は笑う。

「だがしかし、私はカニバルを名乗っている。人を喰って、喰らって、私は人を知るのだ」

 良く分からない。

「まだ今はつまみ食い、といった段階だね。しかし、私ほどになるともう分かる事がある」

 ゴーメット氏はニヤニヤしながら机の上に足を投げ出した。そして、確信に満ちた口調で告げる。

「一つだけ予言しよう。今日の夕方にはお父上が見つかり、事件が解決する」

「それは」

「どういう事か、かね」

 咄嗟に口をついて出た私の言葉の意味を、私は判じかねていた。

 ゴーメット氏は正しい。私は「それはどういう事なのか」を尋ねようとしたのだ。だが、しかし。

 それがどうしてなのか、良く分からない。

 私はどうして、そんな事を聞こうとしたのか。

 ゴーメット氏は、その理由を知っているのだろうか。

「知っている」

 ぎくりとした、と思う。少なくとも思考も挙動も停止して、私はただゴーメット氏を見るだけだった。

 私を驚かせたゴーメット氏は、ただニヤニヤと笑っていた。

「君は知っているからだ。事件の結末を、終結を、終末を。だがしかし、未だにそれを理解していない」

 良く分からない。

 ただ、私の思考を読んだ訳では無さそうだ。少し安心した。

「味を知っているのと味わうのとでは、天と地、月とスッポン、二十面ダイスとキャラメルの箱くらい違う。それと同じだ」

 良く分からない。

「ヒントをあげよう。君は現状、勘違いをしている事があるはずだ。そうだね、まず今回の『最初』を思い出すといい」

 良く分からない。ゴーメット氏は分かっているのか。

 今回の『最初』。

 父が死んだ事?

 微かに胸の奥が痛くなる。

 父が死んだ事。

 父は、死んだ?

「まあ、それは追々分かるはずだ。さて、私がやりたい事がもう一つだけある」

 ゴーメット氏は俯いていた私に、気軽な調子で声をかける。

「私に足りないのは君の情報だ。あらかた調べたがまだ足りない。さあ、話を聞かせてくれたまえ」

 話?

 話、とは、どういう事だろう。

「そうだね、お父上の話でも聞こうか。どんな事でもいいから話してくれたまえ。人物像が知りたいからね。ああ、私は人の長い話を聞く時に目を閉じる癖があるから、そのつもりで」

 そういうなりゴーメット氏は目を閉じた。口元は閉じず、やはりニヤニヤ笑いがこぼれている。

 何の話をしようか考えたが、良く分からない。ゴーメット氏は目を閉じて、それきり黙っている。

 仕方ないので、私は思いつく限りの話をする事にした。父に殴られた事、父に電話をもらった事、父が怒った事、父が喜んだ事、父が、父が。

 父の記憶を。

 記憶の父を。


 父は、寝転んでいた。寝ていたのかも知れないし転んだのかも知れない。ただ、床に寝転んでいた。

 私は父を見下ろしている。何故そうしていたか分からない。助け起こそうとも、声をかけようとも思わなかったのだと思う。

 助け起こしても無意味だと分かっていたのか。

 声をかけても無反応だと理解していたのか。

 私は父に対して、何もしない。只見ている。

 ふと顔を上げる。それで私は、微かな安心を得る。

 父がいる。


 ゴーメット氏の携帯電話が鳴り響いたのは(着信音はクラシック音楽のようだった)日が落ちかける頃で、私の話も大体が終わった頃だった。相手はあの警察官僚氏で、つまり彼は事件の経過を知らせてきたのだ。

 誘拐された私の父が、警察署で解析されたディスクに入っていた地図データの一点で見つかったのは、ディスクに入っていたテキストデータの受け渡し指定時刻のほぼ一時間後で、ディスクに入っていた音声データの予告通り、死後一時間以内という所見だと、ゴーメット氏は楽しそうに私に告げた。

「ほら、分かっただろう」

 君の勘違いがね、と言って、ゴーメット氏はニヤニヤ笑った。

「君のお父上は死んだ。しかし、今彼はまたこうして現出し、誘拐されて死んだ。さて、この矛盾はどういう事かね?」

 矛盾。確かに矛盾だ。

 私の視界には、最早電話で警察官僚氏に何か言っているゴーメット氏も曖昧に見えた。

 父と父。

 どちらが私の『父』なのか?


 ゴーメット氏の事務所に警察官僚氏と刑事二人が現れた時、私はゴーメット氏に要望され、日本茶を淹れたところだった。ゴーメット氏は鼻歌を歌いながら湯気の立つ日本茶の入った湯呑みを眺めていて、私は急須をどこに置くか悩んだ末、とりあえずゴーメット氏の後ろにある出窓のところに置いた。

 官僚氏はすっかり憔悴していて、刑事二人も静かだった。官僚氏は私に、深く頭を下げた。

「申し訳ございません」

 私は特に何も言わず、彼は頭を下げたままだった。何を言っていいか良く分からなかったのもあるし、あるいは状況それ自体が良く分かっていなかったのもある。とにかく、長い事彼はそうしていた。

 ようやく頭を上げたが、顔面は蒼白で髪も乱れて、弱っているように見えた。

「犯人は、必ず見つけます。必ず」

「それでお嬢さん。あんたに聞きたいのは」

 壮年の刑事が、地図を片手に口を開く。

「この場所に、覚えは無いかって事だ」

 彼が指した一点は、どうやら街の中心部にある大きな公園の一角だった。私は首を横に振って否定し、彼は唸りながら地図を畳んだ。

 私自身はというと、かなり混乱していたのだと思う。父は死んだ。死んだのだ。死んで、誘拐されて、そして死んだのだ。私の勘違いとは、つまりそういう事だったのだ。しかし、現実を受け入れるには、事情があまりにも良く分からないままだ。

 混乱を極めた私は、とりあえず黙っている事にした。

 ゴーメット氏はニヤニヤしながら日本茶を啜り、小さくなってしまった官僚氏に向かって肩をすくめた。

「さて、これからどうするのかね?」

「今は」

「捜査情報は民間人には教えられませんなぁ」

 若い刑事が止める間もなく壮年の刑事が割って入り、噛み付きそうな勢いでゴーメット氏を睨んだ。ゴーメット氏はやはりニヤニヤしたままで、応えている様子は無い。

「ならいいがね。今のところ、目撃情報の収集と遺留品の調査くらいしかやる事が無いだろう?」

 顔を真っ赤にした刑事を若い方が必死で止めている間、官僚氏はもうそちらを見る気力も無いようで、俯いたままだった。私は黙っていたし、ゴーメット氏もニヤニヤするだけだったので、憤懣やるかたない様子で唸る老刑事と言葉を尽くして宥める若い刑事の押し殺した会話音だけが事務所に響いていた。場が落ち着いて、再び沈黙が戻るまで少し時間を要しそうだ。

 私は記憶を探る。父は死んだ。死んだのに、誘拐されて殺された。

 父は死んでいなかった?

 私の『記憶』が間違っていたのか。

 それとも。

 それとも?

「事件を」

 官僚氏も老刑事も若い刑事も、ゴーメット氏すらも、ある一点を見て動かない。

 それが私の事だという事、さらに言うなら、今の呟きも自分から発されていた事に、遅ればせながら気づく。

「事件を、解決して下さい」

 私の呟きは、静かすぎる部屋の中に溶けて消えた。

 私の意思は。

「……それは」

 軽い声。

 のんびりとしているようで、嫌みな風な、しかし確たる意志を持つ声。

 警官達の視線が、ゆっくりとそちらに向いていく。私の視線は動かない。ずっと彼を見たままだ。

「どうやら、私への『依頼』のようだね」

 白い歯がきりきりと鳴って、唇の端が高く高く頬へと吊り上がる。

 細められた目には溢れんばかりの生気が見える。あるいは、愉悦かも知れない。

「結構。誠に結構だ。ならばそうしよう。この、ジャック=カニバル=ゴーメットが」

 事件を解決しよう。

 ニヤニヤと笑いながら、彼はそう宣言した。

***The Next is:『カニバル=ゴーメット氏来たりて曰く 後』

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