神父様が見てる
Author:長沢直樹
「神父様が見てる」
真由子とあたしは近所ではちょっと有名なコンビだ。
真由子がいるところにあたしがいる、あたしがいるところに真由子がいる、そんな感じだ。私たちは一心同体なのだ。
あたしは、真由子に最近秘密にしている事がある。
神父様のことだ。
神父様は最近あたしの家の近くに引っ越してきた。見たところ、あたしと同世代か少し上くらいである。すらりと背が高くて、色の白いかっこいい人だ。神父というより天使みたいだとあたしは思っている。
「神父様は何であたしには友達が出来ないんだと思います?」
「それは、地球が太陽の周りを廻っていることを証明するくらい難しいことですねえ」
一体それはどれほどのものなのだ、とあたしは心の中で突っ込む。
「いつも一人のお友達とばかり一緒にいるからじゃあないですか?」
真由子のことか。
あたしはため息を堪える。
神父様が呟く。
「可愛いですよねえ……」
「神父様はあたしより真由子の方が可愛いっていうんですか?」
「比べるものではないでしょう。それは」
真由子は可愛い。誰にでも可愛がられるような愛嬌もある。
あたしは彼女に生まれ変わりたい。
あたしだって神父様に可愛がってもらいたい。
「というか、梨花子さん。此処は懺悔をする場であって愚痴をこぼす場所じゃないんですよ」
「いいじゃないですか、他に人いませんし」
「そうですけど」
教会の懺悔室にアルバイトの後に通う事があたしの最近の目下の楽しみである。教会は丘の上にぽつんと建っており、近所の住人の悩み相談の場のようになっている。
「真由子さん以外に友達が出来ない理由とか分からないんですか?」
「それは多分……」
それは多分、あれだ。
あたしは小学生の頃、近所に住んでいたひとつ上の女の子にいじめられていた。その子の名前ももう覚えていないが、女の子なのにいつもズボンしか履かず、可愛い顔をしているのに男の子みたいで、ガキ大将みたいな立ち位置におり、あたしはいつも彼女の陰に怯えていた。
あたしは、一体何があったのか分からないが、ある時彼女に夜まで追い回された。理由は分からなかったが、あたしが生意気な口をきいたとかそういう事だったと思う。
あたしは、近所の林の奥まで逃げた。
しかし、夢中になるあまり林の奥にある沼の存在を忘れていた。
あたしは、沼に落ちてしまったのだ。彼女はあたしを見つけたが、見るなり逃げてしまった。
あたしは、沼にはまったまま、延々と泣いた。結局、偶然泣き声を聞いた大人の人が助けに来てくれたのだけれど、もし来てくれなかったらあたしは死んでいただろう。
それ以来、怖くて真由子以外の同世代の女の子の友人というものがあたしにはいない。
アルバイトもライブ会場の舞台設営という、女子がほぼいない仕事を選んだ。
「そんな事があったんですか……」
「そうなんです」
神父様は少し暗くなったかと思うと、突然指を一本天井に向けて突き立てた。
「じゃあ、そのトラウマを克服するためにこんなのはどうでしょう」
「何ですか?」
「そのいじめっ子を懲らしめるんですよ」
「は?」
神父様の突飛な提案に、あたしはあんぐりと口を開けることしか出来なかった。
「でも神父様、その女の子の名前すらあたしは覚えていないんですよ? 確か、あのあとすぐ、彼女引越しちゃたし。どうすればいいんですか?」
「でも顔くらいは覚えているんじゃないですか? 古いアルバムとか探してみたらどうです? 顔が分かれば名前も分かるかも知れません。ご近所さんだったなら、子供会とか一緒のはずですし」
神父様は意外に頭が切れた。あたしは、とりあえず彼の言う事に素直に従ってみることにした。
「ただいまー」
家に帰ると、真由子があたしの方に駆けてきた。
「梨花子、遅い! 何してたの?」
「あ、真由子。帰ってたんだ」
「当たり前じゃない。もう九時だもの。危ない目に遭わなかった? もしかして、またあのうさん臭い教会に行っていたんじゃないわよね?」
そのまさかなのだが、あたしは首を横に振った。
「大丈夫。神父様は優しい人よ。真由子も今度会ってみればいいのに。神父様、あなたのこと可愛いって褒めてたわよ」
「何それ、気持ち悪い。私はそういう軽卒な事口にする人嫌いなの」
真由子はそう言ってもイケメン好きだ。神父様にあたしが取られたような気がして寂しいのだろう。
「そうそう、真由子。あなた、昔この辺に住んでいた女の子の事知らない? いっつもズボンしか履かない変わった子」
「……分からないわ。梨花子が小学校低学年くらいの頃、あたしはもっと小さかったから」
「そうよねえ……」
あたしはため息をついた。
「その子がどうしたの?」
「それがね……」
あたしは、神父様の提案を真由子に話した。
「ええーやめときなさいよ。もし見つけたとしてどうするのよ?」
「それもそうよねえ……」
よく考えれば、見つけてから神父様はあたしに何をさせようとしたのだろうか。懲らしめるって一体?
謎である。
神父様の存在自体どこか謎めいてはいるが。
あたしは、真由子と共に自分の部屋に戻り荷物を床に置いた。真由子は入るなりあたしのベッドでくつろいでいる。
「真由子、あなたにもベッドがあるんだからいい加減あたしので寝るのやめなさいよ」
「こっちの方が気持ちいいんだもの」
今日もベッドが狭いのか……とあたしは少し落胆したが、すぐに押し入れの中を探し始める。
「何、探しているの?」
「アルバム」
「本当に探すの? やめときなさい!」
真由子の忠告を聞かず、あたしはアルバムを探し続けた。
「あった!」
真っ赤なアルバムが一冊、押し入れの奥の方から出てきた。
真由子の抗議の視線を無視し、あたしはアルバムをめくり始めた。
「どう? いる?」
「……いないみたい」
そういえば、彼女は一個上だ。もしかしたら子供の多いこの地区であたしと一緒に写っている可能性は低いかも知れない。
「そう簡単にはいかないかあ……」
「それでいいわよ」
あたしは、その日は風呂にも入らずそのまま寝てしまった。翌朝、母親に怒られたことは言うまでもない。
次の日、あたしはいつも通りバイトに向かった。あたしのバイトはライブ会場などのイベントの舞台設営だ。現場によっては10mを超えるイントレを組む。イントレというのは、簡単に言うと鉄製パイプを使った組み立て式の足場のことである。これを使って、照明を設置したりする。
イントレは結構重いので、作業員のほとんどが男性だ。あたしは、どちらかというと指示を出す側である。これでもベテランなのだ。
もちろん真由子は一緒ではない。前に勝手についてきたこともあったが、そのときは現場監督にえらく怒られた。
仕事が一区切りつき、あたし達バイトは今日の現場である市民体育館のロビーで休憩していた。
「はい、コーラでいい?」
「ありがと」
同期の山本が自販で買ったコーラを渡してきた。山本は、髪をつんつんに立てており、いかにも今時の若者といった出で立ちだ。
「お前の家のかあちゃん昨日すげー怒ってたろ?」
「ああ、聞こえたんだ」
「隣だもんよ」
実はあたしと山本は幼なじみである。昔は下の名前で呼び合っていたのだが、中学になった頃からなんとなく気恥ずかしくて名字で呼んでいる。ちなみに彼の名前は孝弘である。
そう言えば、山本には一つ上の兄がいたはずだ。彼なら何か手がかりを知っているのではないか。
「ねえ、山本。あなたのお兄さんに卒業アルバム貸してもらえないかしら?」
「はあ? 何で?」
「えーっと、久々に連絡取りたい子がいるんだけど連絡先忘れちゃって」
「それなら、兄貴に聞いといてやるよ。名前は?」
あたしは彼女の名前を知らない。でも、山本に何と説明したらいいか分からない。それに、昔のいじめっ子に復讐するなんて恥ずかしくて言えるはずが無い。
「お願い! 黙って貸して!! 今度お昼おごるから‼」
「……はあ?」
山本は不審がったが、あたしがあまりにもしつこかったのと、エビ天弁当をおごるという条件でお兄さんに交渉してくれることとなった。
もしこれでダメならあきらめよう。そもそも神父様の思いつきなんだし、真剣につき合う必要もないだろう。
「ほらよ」
次の日の現場上がりに山本は、あたしに薄い本を手渡した。
「何? これ?」
「兄貴に聞いたんだけどさ、アルバムには住所とか載ってないからこれをって」
「これって文集じゃない」
彼から手渡されたのは、学年文集だった。
「しかも、四年生の時のじゃない。半端な時期ねえ」
「この年までは文集に名前と住所が載っていたらしいぜ。個人情報がどうたらでその後は載らなくなったけど」
「なるほど」
あたしは、ありがたく文集を受け取った。山本はエビ天の約束をしっかり覚えているようで、明日の昼をおごることとなった。
あたしは、駅前で真由子と合流した。駅には人影はなく、ここが田舎だと改めて思い知らされる。
「おかえり。今日は早かったのね」
「今日はバラしだったから、次の業者に交代したのよ」
「ふーん。あたしにはよく分からないけど」
真由子があたしを見上げて言う。
「その手に持っているやつ何?」
「ああ、文集よ。山本のお兄さんのやつを借りてきたの」
真由子があからさまに不機嫌な顔をする。
「まだ、そんな馬鹿なことしているの? もうあきらめなさい。復讐は何も生み出さないわよ」
あたしは真由子の言葉を軽く笑う。
「本気で復讐とか懲らしめるとかそんなつもりはないわよ。ただ、ちょっと気になって」
「ふーん、どうせあのうさん臭い神父と話すネタが欲しいだけでしょ?」
あたしは鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
「ばれた?」
「ばればれ」
ここであたしと真由子は微笑みあった。
そしてあたしは、床に広げた文集のページをめくる。一番はじめのページだけカラーで印刷されており、集合写真があった。
集合写真なので、顔が鮮明ではないがそれでも個人を判別することは出来る。
「あっ、いた!」
そうだ、ちょうど四年の途中で彼女は引越したのだ。
女の子なのに、汚れたハーフパンツを履き、髪はぼさぼさのおかっぱのである。結構かわいい顔をしているのにおしゃれには興味がなかったのかもしれない。目がビー玉のように大きくて、陶器のように光っている鼻は小さい。今ではきっと美人に成長していることだろう。
あたしは、内心うらやましいなと思った。あたしは、はっきり体格がいい。もっとはっきり言うとデブである。それに、普段のアルバイトの男たちからの扱いで自分が女性の中で一体どうような立ち位置にいるのか十分に理解している。
「へえ……可愛い子ね。仏頂面だけど」
「仏頂面なのに可愛いってのがずるいわよね」
真由子が文集の上に乗りかかるような形で、身を乗り出してきた。
「でもさ、これじゃあ名前は分からないんじゃない?」
「あっ、そうだ!」
一応、当時はまだ今程物騒でもなかったので、名札をしていたが、全体写真からは分からなかった。あたしは、脱力してため息をついた。
「これじゃあ、借りた意味ないじゃない。山本にエビ天奢るの嫌だなあ」
「エビ? いいなあ、その子。私も食べたい」
真由子は体質上エビが食べられない。もしかしたら、そのことがより一層彼女にうらやましく思わせるのかもしれない。
「でもさ、とりあえず捜査は一旦これで打ち切りね」
「そうねえ……」
あたしは、床に頬杖をついた。なんちゃって、探偵ごっこはこれでもう終わりである。どこか遠くでカラスが鳴いているのが聞こえた。
しかし、ここで終わると思われたこの話は思わぬ展開を見せることになるのである。
その日もバイト終わりにあたしは、教会に寄っていた。神父様に会うためである。
「なるほどねえ……。それは困りましたねえ」
「神父様、全然困っているように聞こえません」
教会の懺悔室の中、神父様は今日も暇なのかあたしの相手をしてくれる。というか、この時間にやってくる人間自体多くはない。
「そもそも見つけてもどうすることも出来ませんし、これでよかったんじゃないかと」
あたしは至極もっともなことを言った。神父様はというと、あたしの話を聞いているのかいないのかマイペースに続けた。
「その子、何か特徴とかなかったんですか?」
「はい?」
「目立つ子だったんでしょう? そしたら、何か特徴があるのかもしれないじゃないですか」
あたしは、目をぱちくりさせた。
「……特徴ですか?」
「まだ文集借りてらっしゃるんでしょう? もう少し読み込んでみたらどうでしょう」
「はあ」
「まあまあ、暇つぶしだと思ってやってみましょうよ」
「あたしは、そんなに暇じゃないんですが」
神父様が何故こんなにあたしにいじめっ子を探させようとするのか、理解出来ない。でも、エビ天弁当分くらいは文集を有効活用してもいいかもしれない。
あたしは、早速家に帰ると神父様の言った通り真由子と共に文集の中身を再確認することにした。
「まだこんなことやるの? あそこの神父はクリスチャンじゃないの?」
「神父様の辞書には汝の敵を愛せなんて言う言葉はきっとないのよ」
とりあえず、あたしと真由子は文集の初めのページから読んでみた。
文集の最初の方のページには、自己紹介があり、各自の自画像、誕生日、将来の夢などが記されていた。小四の手書きなので読みにくい。元々あたしは、細かい文字が好きでないので最初の数ページで飽きてきていた。
ふと山本兄のページを開いてみた。
下手くそな自画像の下に山本孝平とある。彼の名前だ。
将来の夢の欄には「サッカー選手」とある。確か、今の彼は不動産会社の営業をしている。未来とは残酷だ。
「ねえ、このページ見て!」
真由子が山本兄の隣りのページを指差す。
「何? このページがどうかした?」
真由子がそのページのある項目を指した。
「この、チャームポイントってところ」
「?」
あたしはいぶかしげに、そこを見る。
「チャームポイント……りんごのTシャツ?」
「ねえ……さっきの写真であの子りんごがプリントされたTシャツ着てなかった?」
「嘘!」
果たして、Tシャツが本人のチャームポイントとなるかは定かではないが、もう一度写真を見ると確かにあの少女はりんごが胸に大きくプリントされたTシャツを着ていた。
「偶然じゃないの?」
「だって、ここ見て」
ページの下の方に一言メッセージがあった。
”転校しても忘れないでね” と。
まさか、と思いながら名前を確認する。
「由井 茜」
それが彼女の名前だった。
翌日、バイトを終えたあたしは借りたままの文集を片手に教会の懺悔室に向かった。
「へえ……よかったじゃないですか」
「よかったんでしょうか」
神父様は暇そうに木机に頬杖をついた。
あの後、由井茜の住所と電話番号を確認したが、そこからすぐに連絡が出来る程、あたしは世間ずれしていなかった。
「連絡してみたらいいじゃないんですか。引っ越し先の住所だったんでしょう?」
「軽く言わないでくださいよ」
あたしはため息をついた。
「第一、連絡がついた所で話したい事なんて、あたしないですよ」
神父様が愉快そうに微笑む。
「無言電話でもしたらどうですか?」
「あなた自分の立場忘れてません?」
恐らく神父様は楽しんでいるだけなのだろう。何と悪趣味な。
「じゃあ、こうしましょう」
神父様が指を一本天井に向かって突き立てる。
「連絡がついたら、私が電話にでましょう」
「はあ?」
その突拍子もない提案にあたしは、思わず変な声をあげてしまった。
「そんなの相手からしたら無言電話より嫌ですよ」
「いいんです。相手はいじめっ子ですよ? 神もきっと許してくれるでしょう」
「そんなアホな……」
あたしは飽きれて言葉もない。神父様はきっと人の不幸で遊んでいるのだ。このくそ坊主め。言わないけど。
家に帰ると、真由子が仏頂面をして待ち構えていた。
「どおしたの? そんな顔して」
「また、あの神父のところに行っていたんでしょ」
どうやら、真由子の不機嫌の原因は神父様のようだった。
「そうだけど、何でそんなに怒っているわけ?」
「怒るわよ!」
真由子を鼻の頭を真っ赤にして怒った。
「あんな訳分かんないことをやらせる男なんてロクなものじゃないわよ! 由井茜に連絡してどうなるって言うのよ! 返り討ちに遭ったらどうするの? あの男何にも考えてないわよ!」
真由子の言うことは至極まっとうに感じられた。確かに神父様があたしに、何故こんなことを提案してきたかは謎の一言である。
だが
「確かにそれは一理あるけど、いくらなんでもそれは言い過ぎよ。神父様にも考えがあるのよ」
「ないわよ! そんなもの!」
真由子は断言した。鼻の頭の赤さは人参を思わせる。
「どうして言い切れるのよ!」
「大体あんな頭空っぽの男を神父様なんて呼ぶなんて、あなたもどうかしているわよ!」
これにはあたしも黙っていられなかった。いや、元々黙ってはいないが。
「なんてこと言うのよ! 神父様を悪く言うなんて真由子でも許さないわよ!」
「!」
一瞬真由子の顔が動揺したように見えた。
「じゃあいいわよ! ずっと神父なり坊主なりのところにでもいたらいいじゃない!」
「真由子!」
真由子は走って家を出て行ってしまった。こんなにひどい言い争いは、あたし達が出会ってから初めてのことだった。
その日、真由子が帰って来なかったので、あたしは一人で床についた。
「はあ、真由子が帰って来ない?」
「そうなのよ……」
あたしは、舞台の現場の休憩中に山本に愚痴をこぼしていた。もちろん、昨日の言い争いについてである。弁当の梅干しを口に放り込みながら山本がもごもごしている。
「まあ、腹が減ったら帰ってくるんじゃねえの?」
「……それもそうかもしれないけど」
「煮干しでも干して待ってろよ」
「……煮干しねえ」
山本は、梅干しの種までカリカリ音を立てて食べ始めた。食い意地のはった奴。
「それより、お前、文集返せって兄貴が言ってたぜ」
「ああ、すっかり忘れてた」
「明日返さなかったら、利子つくからな」
「何よ、利子って」
「毎日、昼飯お前のおごりな」
「うわ、それ最悪」
それから、と山本は続けた。
「あの教会にお前毎日通ってるらしいけどさ」
「それが何か?」
はっきりした性格をした山本にしては珍しく何やら言いにくそうにしている。
「あそこの神父さ……」
山本が何か言いかけた時、あたしは現場の頭からイントレの配置についてのことで呼び出しをくらってしまった。あたしの耳が確かなら、彼は神父様のことについて何か言いかけたような気がしたのだが、そんなことは最早、後の祭りであった。
その日の仕事を終え、あたしは真由子のことが気になったため、教会には行かず直接家に帰った。
「真由子おー、帰っているの?」
自分の部屋の中を見回すが、真由子の姿はない。
「お母さん、真由子帰っていない?」
「見てないわよ。いやねえ、今日雨降るのに」
「えっ、今日雨なの」
「暴風警報出てたのよ。早く帰ってくるといいんだけどねえ」
あたしは、一旦部屋に戻り、山本の文集のことを思い出した。
「返さないとね……」
ふと、開かれているページに目がいった。由井茜の番号が見える。
どうせ返すなら、一度くらい連絡を取ってみてもいいかもしれない。あたしは、携帯のボタンに指を掛けた。
「もしもし?」
二回ほどコールし、電話に出たのは女性だった。この人が由井茜だろうか。
「あの、茜さんの元同級生なんですけど、同窓会の案内で。茜さんいらっしゃいますか?」
あたしは、仕方なく嘘をついた。何がどうあっても、いじめの仕返しの電話だとは言えない。
「ああ、茜? 茜なら今はいないわよ」
「あ、そうなのですか。掛け直します」
では、この女性は由井茜の母親なのだろうか。
「ああ、茜はね……」
「え……」
あたしは、そこで衝撃の事実を耳にした。それは、とても信じ難いものだった。
深夜になっても真由子は帰って来なかったので、あたしは彼女を探しに出かけた。外は大荒れで、台風と言っても過言ではない程だった。電流のような、バチバチという音が傘を叩く。
近所を大分探したが、真由子はどこにもいなかった。
気付くと教会の近くに来ていた。教会には深夜なのにも関わらず、灯りが灯っていた。神父様が何かしているのだろうか。
まさか、と思い、教会の客人用のベルを鳴らした。
「どうしました?」
「あたしです。梨花子です」
「ああ、今開けますね」
中から出てきた神父様は、ジーパンにTシャツというラフな格好をしていた、
「こんな時間にどうされました? 家出ですか?」
「小学生じゃないんですから。いや、そうじゃなくて。真由子見てません?」
「知らないなあ。いないんですか?」
「ここにもいない。どうしよう……」
あたしは、神父様にお礼を言うと、その場を立ち去ろうとした。
「夜中に危ないですよ。僕も着いて行きます」
「邪魔しないで下さいね」
それから三十分程、あなた達二人は真由子を探したが彼女はどこにもいなかった。
「もしかしたら、お家に帰ったんじゃないですか?」
あたしは首を横に振る。
「真由子が帰ってきたら、携帯に連絡してもらえるよう母に言ってあるんです」
「そうか……」
「今まで、一度もこんなことなかったのに」
あたしの頬から涙が一筋落ちた。神父様の人差し指がそれを拭う。
「あきらめるのはまだ早いですよ。他に思い当たる場所はありませんか?」
「他の場所……」
真由子が他に行きそうなところ……。
「あ!」
「あるんですか?」
「最近、由井茜の話ばかりしていたからあの沼に行ったのかもしれない」
神父様の表情が微かにではあるが「由井茜」という名前で歪んだ気がした。
「沼?」
「ほら、あたしがいじめられた」
「そうですか。梨花子さんは危ないからここで待っていてください!」
「へ?」
「あそこは足場が悪いので暗いと余計危ないんです。僕が行ってきます!」
神父様は一方的にそう言うと、林の方へ走って行ってしまった。夜道であたしは一人で立ちすくんでいた。
それから十分程経った頃、神父様の懐中電灯の灯りが見えた。
「神父様!! 真由子は⁉」
「しいー」
よく見ると、神父様の腕の中で真由子はすやすや眠っていた。
「沼の近くの林で雨やどりしていたら、帰れなくなったみたいです」
「もう、心配かけて……」
あたしは、そっと真由子の柔らかい背中を撫でた。
「真由子さんは、あったかくて可愛いですねえ。僕も猫飼おうかな」
「真由子はあげませんよ」
あたしは、家に連絡し、その日はもう遅かったので教会に泊めてもらう事にした。
「まさか、これを使う日が来るとは……」
神父様が教会の奥の方から布団を抱えてやってきていた。
「なんか、すみません」
「いいんですよ。教会にそういうものです」
あたしは、神父様が作ってくれたホットミルクをずずっとすすった。真由子はというと、ストーブの前で眠っている。
「神父様、携帯落ちそうですよ」
神父様は布団を置いて、ポケットを確認した。
「それにしても、神父様、あの広い林の中からよく真由子を見つけ出しましたね」
「ああ、それは……」
神父様の顔が天使のように微笑む。
この笑顔に騙されてはいけない。
だまされてはいけないのだ。
あたしは、自分の携帯電話で、昼間に教えてもらった番号へ電話を掛けた。すると、すぐ側で着信音が鳴った。
「もしもし」
神父様がそれに出る。
「いつまでとぼけているんですか?」
「ふふ……」
この笑顔にだまされてはいけない。
「あなたが由井茜だったんですね」
「ばれましたか」
そうなのだ、この目の前の小悪魔こそが由井茜その人だったのだ。
「山本くん言ったんですか?」
「家の人が教えてくれた。この近所で神父をしているって」
「そうでしか」
神父様は、天使スマイルでにやにやしている。だまされるものか。
「女の子じゃなかったんですね」
「はは、昔はよく間違えられたからね」
「神父様は、一体何がしたかったんですか?」
神父様は真顔になり、頬と照れくさ神父様は真顔になり、頬と照れくさそうにぽりぽりぽりぽりと掻いた。
「君に謝りたかったんだ。あの時は、置き去りにしてごめんなさい」
「いいですよ」
「へ?」
「真由子見つけてくれたからチャラです」
それにしても、とあたしは続ける。
「こんな、まどろっこしい事しなくてもよかったんじゃないですか」
ははと、神父様が再び笑う。
「恥ずかしかったんだよ。君は僕の名前すら覚えていなかったし、それに」
「それに?」
「こんなに綺麗になっていると思わなかったからね」
その天使のような微笑みにだまされてはいけない。騙されてはいけないのに。
「やっぱり楽しんでいたんだね。由井茜くん」
ニャーと真由子が寝言を言った。
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