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この謎が解けますか? 2  作者: 『この謎が解けますか?』企画室
この謎が解けますか?
30/36

僕は愛を持たない

Author:子虎 冬

「ねえ」

 少女が発した言葉は、空気を伝い僕の鼓膜を打つ。近くで言われれば耳がくすぐったいだろうし、大声で怒鳴られれば耳がキーンとする。

 ――らしい。本来ならば。

「聞こえてる? 聞いてるでしょ、ちょっと」

「ちゃんと聞いてるよ」

 一度は体験してみたいものだけれど、この温室で育った僕らにとって、あちらは異質、苦痛の連続でしかないという。一時的にこちらで過ごした者は、いつまでもここにいたいもんだな、と呟き、蔑むような目を僕らに向けて、「現実」へと帰っていった。


 ここは仮想世界、もしくは二次的世界と呼ばれている。分かりやすく言えば「VR(バーチャルリアリティ)」だそうだ。僕にとってはどれもしっくりくる呼び名ではない。生まれてからずっとここにいる僕らからすれば、ここが全て、ここが現実なのだから。

 少し、話をしよう。

 生まれてから、何か異常がある者――目が全く見えない、耳が聞こえない、体が不自由など――は、全てここで「救済する」。ここでなら体のどんな異常も関係がない。脳さえ働いていれば、ここで自由に生き、動くことができる。

 「健常者」とは別の者たちが暮らすための場所が、この仮想世界である。


 僕が生まれたときには、とっくにできていた代物だから、よくは知らない。ただ、VRというのは人類の夢であったらしく、開発者はゲームの為に作ったという。

 しかし、そんな大層な技術が、たかがゲームに使われるはずもなく。政府が主導して、現実で生きていけない人の為の世界を作った。


「政府は言った、ここは現実で蔑まれる人の逃げ道ではなく、もう一つの新しい世界だと。どう考えても逃げ道なのにな」

 僕と少女の日課として、「賢者」と呼ばれる青年の元へ行く。賢者、と呼んでいるのは僕だけだが。

「やっぱり、何言ってるか分かんないわ」

 ころころと笑う少女を含め、仮想世界を否定するような言葉を吐く彼を、皆嫌う。嫌う、というより、理解ができない、というのが正しい。

 僕は、賢者が読んできた本を大体読破したから、言っている意味は分かる。

「仮想世界ができるまでは、不健常者も現実で生きてきたんだっけ?」

「そう。生きるのがつらかろうと、楽しく、もしくは必至に生きてきた人々はたくさんいる」

 現実では神経系がさっぱり発達していないという賢者は、悔しそうに歯噛みした。

「努力なんてしなくていい、ここで生きていけと言われても。ここには教師の職くらいしかなくて、他には簡単なデスクワークだけだから、自分にできることなど少ない。世界ーー仮想でなく、広い意味の――に貢献できない無力な自分が、生きている意味はどこにあるのだろうかとね」

 ふと、思ってしまうんだよ――そう言って、賢者は手元の本に目を落とした。

「確実にここは、現実とは違う、紛い物の世界。私たちは本物の人間に比べて、欠如した部分が多すぎるね」

 不意に、賢者はちらりと少女を見た。

「ここは本当に、素敵な平和な世界かな」


「全く分からないわ。あの人の話を聞いてて、楽しいの?」

 最後の賢者の言葉は、僕にも分からない。平和な世界ではあると思うのだが、賢者はしばしば言葉を端折るので、発言の意図が読めないことが多い。

「欠落した部分が多い、か――」

「もう。君も相変わらずね。人の話を聞かないんだから」

 そちらの質問が、不毛なのだから仕方ない。

「本当、嫌になるわ。じゃあそっちが興味ありそうなことを言ってあげる」

 何故、上から目線なのか。

「ここは平和よ。ドラマに出てくる殺人事件なんてないし、みんないっつも笑ってるわ。イジメも起きないし」

「君が殺人事件とかイジメって言葉を知ってる方が驚きだね」

 そう返すと、少女はぷくっと頬を膨らませた。

「私だって漫画とかドラマとか、見るわよ。君やあの人みたいに、ひねくれて読み続ける様なのは珍しいでしょうけどね」

 流石に、無知だと暗に言った発言だったかもしれない。少し反省した。

「いや、馬鹿にした訳じゃなくてね。感心しただけさ」

「そう?」

 少し、彼女は気を良くしたらしい。口は滑らかに動く。

「ここは平和で、みんな仲がいいわ。現実じゃあ、ガッコウに行くのも嫌な人が多いんでしょう? でも、私も友達も、学校は楽しみだし、新しいことを知れるのは楽しい。興味のあることはたっくさんあるわ! なんで現実じゃあ、勉強が嫌な人が多いんでしょうね?」

「それは僕も知らないな」

 それは、賢者も僕も分からないことだ。科学の実験が生で見られるなんて、現実の人々はなんと羨ましい環境にいることか。物理で習う慣性の法則が、風の生温かさが、水が緩やかに凍る様子が見られるなんて、まったくいい事ばかりしかない。

 そうもいかないから、きっとここが「楽園」などと呼ばれるのだろう。現実あちらの人々は、ここで暮らすことが至上の喜び、安楽だそうだから。

 分かっていても、やはり――と賢者も僕も思う。実感できないことは、多い。いくら向こうが酷い世界と呼ばれても、ここしか生きるすべがない僕らにすれば、…………。

 僕が思考の渦にまた飲みこまれる中、少女の話はまだ続いていたようだった。

「……また聞いてなかったわね」

「ごめん」

 彼女はフンと鼻を鳴らし、「謝るならいいわよ」と言った。頬を膨らませ、直後にふっと頬を緩ませて笑う。僕はしばしば思う――仮想現実こちら現実あちらも、女の子というものは何を考えているのやら分からない。

「ね、君さ」

 少女はぽつっと声をもらし、足を大きく広げ回りこみ、僕の正面に立つ。逆光の中で、彼女の大きな瞳が光っていた。

「欠落しているものって、なんでしょうね」

 それは、尋ねているものか、それとも既に自分の中で答えを見出しているのか。後者か。

「僕は分からないな――君は?」

「全部は分からない、だってきっと、いくつかあるんでしょう? でもね」

 愛よ、と言った。

 思わず笑った僕を見て、少女はこれまでで一番の機嫌の悪さ。

「あ、ほら、こうやって鼻で笑うんだから! 絶対、君には愛はないわね!」

 そう言いながら、デコピンで僕の額を打つ。

「いたっ」

 この世界で、ほとんど痛みというものからは遠ざけられているのだから、いきなり額を打つのは止めて欲しい。

 一番機嫌が悪かったはずなのに、少女はまた笑っている。何を考えているのか。

「でも、欠落しているというより、愛を得る機会が少ないだけじゃないかしら?」

 愛?

 それは、ここには存在しないもの。欠落というよりも、必要とされないものではないのか。

「大体、人が愛だの恋だの大騒ぎするのは、結果性交して子を産むためだろう……いたっ」

「年頃のオトコノコが、そんな風に言うんじゃないわよ」

 ああ、しまった。少女のスイッチを押してしまったらしい。

 彼女は胸の前で手を組み、そっと目を閉じた。

「恋愛小説みたいな、素敵なお話! ガールズトークなんてこの世界じゃなかなか聞けないし……いい、分かってよ? そんな、セ……卑猥なお話をしたいんじゃなくってね。それとは関係なしに、人は人を愛して、大事にしてってできると思うの! 体じゃなくって心の問題よ!」

 心の問題であれば、まあ僕らにも関係はある話なのだろうが、実際この世界で「カップル」は見かけない。大体、この世界は暇なのだ。出かける場所も決まりきってしまうだろう。それに、この仮想世界の僕らに、生殖機能などついているわけもないし、行為に及ぶこともない。

 人に傷を与える行為――暴力は事前にブロックされ、平和を乱す行為は全て管理者が処罰する。そんな世界で、カップルなるものが何をするのか。愛を確かめる行為などもできないだろう。

「……やはり、駄目じゃないか?」

「まったくもう! 好きな人とは話すだけで楽しいのよ?」

 恋愛小説からの受け売りか。

「僕は、今まで読んだ本で大体カップルは行為に及ぶけどね」

「君が読む本が歪んでいるのよ!」

 少女は大笑いした。何がそんなにツボに入ったのかよく分からない。ただ、人が一人笑っている状況で伝染するのは現実と変わらないようで、僕も少し笑った。

 まあ、平和なのかもしれない。賢者だって、見当違いのことを言う事があるだろう。


 そう思っていたのだ。一体僕が愚かだったのか、それともこの仮想世界がひたすら見当違いに進んでいたのか、もともとこの世界が間違いだったのか――誰も分かることではないだろう。


 朝に起きる。夜には寝る。基本、現実あちらと同じ生活。学生は学校があり、大人は書類作業や教師職、ごく稀に娯楽施設でバイトもするらしい。

 生活は基本同じとは言え、一つ決定的に違うものをあげるとすれば、家だろうか。

 本物の家族は現実に生きていることが多いわけで、僕の母親と父親も現実にいる。互いに直接出会ったことはない。いや、両親は僕のことを一度は抱いただろうが、僕にその記憶はもちろんない。

 ビデオ越しに、たまに話すだけ。母親と父親を「母さん」だの「パパ」だのと呼んだことはない――小さいころからの刷り込みがないため、親への執着もないのだろうと、自分で解釈している。

 ああ、欠落したものは一つあったな。家族の団欒、か。愛もだが、この世界では必然的になくなる代物。

 僕が少女に「ひねくれている」と称されるのは、一人でいるときにあれこれと考えてしまうからか。起きてからポストを確認するまで、そこからテレビを点けるまで。歩くときはいつでも何かを考えている。

 大概、ポストには塾か学校のチラシが入っているだけで、何もないが。

 今日も何も入っていないと思ったのだが、一つ手紙型の物が落ちていた。無地のピンク色の封筒。

 こんなものが届く思い当りもないのだが、この色の手紙は何なのか知っている。現実あちらから、文書が届いた場合の封筒だ。

 しっかり僕宛になっている。それが筆で書かれた文字で、何かくすぐったさを感じた。

 あちらの人々が、わざわざ何かをスキャンしてデータ化し、こちらへ持ってくることは少ない。メールで全て済ませてしまうからだ。ビデオ越しにすら見たことが無い弟からは、申し訳程度のメールが届く。

 家族からの直筆の手紙、とやらも見たことがない僕からすれば、これは目新しい代物なのだ。

 まずは家へ入ろう。テレビでも点けて、ゆったりソファに座って。そこから手紙を開いてみてもいいだろう。土曜なのだから、ゆっくりしたっていいはずだ。

 僕は、カタリとも音を立てない家の中へ、意味もなく抜き足差し足で入っていく。何故だろうか、この手紙について誰にも知られたくない。この特別な物を、誰かと共有するのが嫌なのだろうか。

 テレビを点け、大音量にしてから、僕は震える手で手紙の封を切る。

 緊張して、ソファにゆったりとなどと考えていなかった。テレビの音も聞こえてこなかった。

 その、はずだったのに。僕の耳に、つんざくような悲鳴が上がった。


『――…………速報です、第二の犠牲者でしょうか! 反応(、、)が消えたとの発表がありました!』


 反応?

 このテレビは、別に仮想世界専用ではない。あちらのことも分かるように、とあちらのことが報道される。人によっては、アイドルグループについて異様に詳しかったりもする。

 そのようなテレビの報道で、少しおかしい言葉だった。犠牲者? 人が死んだ事件だろうか。反応という言葉が分からない。消える? 行方不明になっている、誘拐事件ということか?

 手紙による高揚感が、だんだん冷えていくのを感じた。そう、聞いた瞬間分かったのだ――僕は、そしてきっとどこかでテレビを見ている賢者もだろう――この、報道が。


『不思議ですねえ。こっちと違って、あちらは殺人事件なんて起こらないでしょう。初の事件報道ですかねえ』

『どちらにしても、怖いですよぉ!』


 仮想世界のことだって。


『ではここで、仮想世界のおさらいをしましょうか』

『仮想世界は、現実で生きるのが困難な人のためのシステム。VRと呼ばれることも多いですね』

『中だと、生身の体じゃないから、食べ物がなくても生きていけるのですよね?』

『はい、ですから現実にある体の衰弱以外での死亡例はありません。とはいえ、もともと生きる力が弱い人が多いのですが』

『あまり長生きしないと聞きます』

『点滴ですごしていますからねぇ』

『それでも、殺人事件は起こりませんよね? 事故も』

『はい。ではこちらのボードを参照ください』


 アナウンサーが、やたらカラフルな板を取り出した。どうやら説明するらしい。

 おさらいはいいから、早く消えたということの意味を教えてくれ。


『生き物としての意識からか、刃物で体を刺される、屋上から落ちる、などのことが起きると、仮想世界でもショックによる影響が大きいと予測されています』


 カラフルな板が、ぴらりとめくられる。


『そこで、事前に阻止しようとしたわけですね。刃物は人の体に刺さる前に止まるし、屋上から身を乗り出すことはできない』

『ゲームみたいですねぇ』

『実際、ゲームでしょう。この仮想世界の開発者、ゲームを作りたかったそうですし』


 あはは、とスタジオで笑いが起こる。


『で、ですよ。人を殺そう! なんて思って動いても、勝手に止まる訳ですね。ですから殺人事件は起きないはずでした』

『でも、今回起きちゃった』


 起きちゃった。と軽い調子で合わせる若いアナウンサー。


『そうなのです。体の方はまだ生きているのに、仮想世界内の体が消滅してしまった訳ですね。意識が飛んで、脳の活動も減り――第一の犠牲者は、息を引き取っています』


 若いアナウンサーは、綺麗なネイルの指を重ねて、口を覆った。まあ、と小さく聞こえてきた。


『じゃあ、二番目の子も』

『そうですね――原因が分かれば、もしかすると解決するかもしれませんが。このようなことがもう起きないといいですね』


 それでは次のニュースです。そう言って、話は流れていった。


「何故?」

 僕の口からは、その二文字しか流れ出ない。何故。何故。何故。何故そのようなことが起きたのか、さっぱり分からない。

 消滅。

 死亡。

 ノウノカツドウガテイシシマシタ。

 どれも、この世界に無縁の言葉のはずだった。それらは緩やかにやってくるもので、遅かれ早かれ誰にでも平等にやってくるもので――唐突にやってくる、不確定のものではなかった。

 何故? ぐるぐると考えが回る。今の僕には、つらつらと考え事をする余裕もないようだった。

 その中で一つ、ふと思いついたことが。

「……手紙」

 手紙を読まなくてはならない、ということだった。


 カサリ、という音も耳慣れない。しかし、それに感動を覚えられるほど、僕の頭には余裕がない。

「拝、啓……。あなたにしっかり、これが届くのか。それはよく分かりません。私は今不正をしているので、あ、な、たに……」

 これは、行書体というものか。あまり見かけないので、読みづらい。


 私は今不正をしているので、あなたに届くのか微妙なところです。届いたら一安心、私は逮捕されることはないでしょう。

 というのも、中の人へ手紙を送れるのは、関係者のみ。家族だけですから。私はあなたの血縁ではありません。手紙が届いて、さぞ驚いたことでしょう。

 手短に行きます。

 私には娘がおります。しかしその娘はあなたと同じ、仮想世界の中。夫――娘にとっての父――は既に他界しておりまして、こちらには私一人でございます。

 寂しくて、つい娘へよく手紙を送っておりました。

 娘も仮想世界の中で、家では一人の様で。寂しいのか、普通の娘であれば「うざい」と返信を寄こしそうなものですが、きちんと会話をしてくれたのであります。

 でも――、最近、少し様子がおかしい。「お母さんは今まで何をくれたの?」とひたすら、そればかり聞くようになりました。そう言われてしまうと、寂しさについ娘に縋った様な私は何も言えない訳ですが、一つだけ言いました。

 愛は与えてきました。

 たまに娘も、つらいと泣きごとを言うのです。だから、それはそれは不安で――ひたすら励ますしかできないのですが、直接抱き寄せてあげることもできませんが、言葉で少しでも愛を与えたかった。

 しかし娘は言います、「愛って違う。お母さんはしょせん、私と違うじゃない。愛し合った人がいたんでしょ。私を生んだのでしょ。人の温かさを知っているのでしょ……」何が娘を追い詰めたのか分かりませんが、急にそう言って返事もしなくなってしまったのです。

 送っても、返事がないからどうしているのか分からない。不安で不安で仕方なくて。

 私は、テレビを見ました。あなたも見ているのではないでしょうか。

 人が消滅した、という事件――。

 娘が気を詰めていたことと関係があるのではと、不安でなりません。いつか娘も、そうなってしまうのではないかと。

 私は、娘が心配で、心配過ぎて気が狂ったようになりました。

 気が狂ってできた業なのか分かりません。穴を見つけました。あなたのデータが、きちんとセキュリティでブロックされていなかったのです。

 これを、すぐに政府へ知らせるべきだったのでしょう。

 すみません、伝えません。私は、唯一そちらへ繋がるドアを、閉じたくはない。あなたから連絡してくださってもかまいません。ただ、一人の母親が牢獄へと落ちるだけです。

 大丈夫です、私は自分を人質にしているわけではないので、容赦なく連絡してくださって構いません。

 この、仮想世界を賑わす事件が終われば、自首しますから。



 一枚目を読み終え、僕はいったん眉間を揉み解した。いくら手短に、とは言え、もともとが濃すぎる内容だ。

 深呼吸を一度して、僕は二枚目に目を通した。たった数行の言葉――僕と、きっと手紙の主にとって、とても大事な言葉。



 あなたにお願いがあります。

 この事件を解決してください。

 私も手伝いますから。そして、一度でいいから、娘と話したい。








 数ヵ月後、数年後――いつだか分からぬ、部屋の会話

「あの時は、君もその人も、バカだったね」

「分かってるさ。狂っていたんだ、僕も――平然としていて、なにかネジが歪んで、気がつかなかったんだろう」

「まあね、しかしまったく、よく二人でなんとかしようと思ったね」

「結局君は、のけものだったのに文句があるんだろう」

「ああ――よく、分かったね」







 あなたの娘の名前は?

 それは言えません、娘に悪いですから。


 僕は馬鹿なのだろう。分かっている。相手のことなどさっぱり分からない。大体、僕のデータにセキュリティがかかっていないと言う。それを放っておくなど、手紙の相手も僕も愚かだ。

 けれども、僕はこの状況を放っておくことも、データのセキュリティ以上にまずいことであると直感で感じている。消滅――仮想世界内の殺人事件。加害者不明、動機不明。現実あちらでは何もできまい。こちらの現状など何も分かっていないのだから。

 僕だって分かってはいないのだ。いつも、学校と家と、賢者の家を行き来する日々。変わらない日常。諸行無常など、微塵も感じない僕の人生。

 この仮想世界で、何が変わっているか、分かりはしない。


「君は、何を聞きたい?」

 賢者は、やはり人の心でも読めるのだろうか。僕の顔を見るなり、そう尋ねた。

「何で分かる」

「君がそうやって走り込んで来る時は、何かを知りたがった時だ。蝶の模様のことなど、ゆっくり歩いてもすぐに解決することであるのに、君は早く知りたがるからな」

 確かに僕は、知りたいと思えば居ても立ってもいられなくなる。せっかちとでも言えばいいのか、賢者と倫理の話をしているとしばしば注意される。

「君は性急すぎる。回り道もたまには大切なものだよ」

 手にする本に目を落としていた賢者は、ゆっくりとしおりを差し込み、そしてようやく顔を上げた。

「そして、何を聞きたい? やはり、殺人事件のことかい?」

「ああ」

 賢者は何かを考え込んだ。顎に手を当てていれば、彼に話しかけても何も出てこない。僕は突っ立ったまま待つ。

 不意に立ちあがった。

「……殺人事件とは、なんだろうね」

 何かと問われても、人が弾みで人を殺すこと、ではないのか。日本では恨みや怒りによるものか。戦争はしていないのだから。

「普通、恨みで人を殺すだろう。怒りで人を傷つけるだろう――と私は見当を付けているわけだが、人間というものはとかく複雑だ」

 仮想世界の殺人事件は、人の心を理解することから始まる、と賢者は言った。

「仮想世界の殺人というものは、確実に難しい。恨みや怒り程度でできる芸当だろうか。そもそも、仮想世界に起こる恨みつらみは、酷く弱いものであるのに」

「それは――」

 何か穴があったのではないのか。僕のデータのセキュリティに穴があったように。殺人、人の意識を消滅させる程の何かができる穴が。

 一度見つけてしまえば、それで簡単に行える。殺人という「他の者にできない芸当」をし続け、優越感に浸る人間であれば――。

 考えれば、肝が冷える話だった。

「何か思い当りでも?」

 賢者に問われて、つい答えそうになったが、ぎりぎりで押しとどめた。僕のデータの穴、それは人に言わない方がいい。まして賢者は、すぐに管理者へ通報するだろう。

 そうすれば、手紙の相手とは繋がりが切れる。切れたとしても僕一人で事件の真相を追い求めることはできるだろうが、一人と言うのは心細い。

 全てを賢者から隠し通す。その様な事、できるのか。

「――いや、ない」

「そうか」

 なんとか絞り出した平坦な声を、賢者はしっかりと受け止め、じっと僕の目を覗きこんだ。これは僕に嘘がないか疑っている目だ。視線によって相手を負かす賢者だ。

 僕はしっかりと見つめ返した。

「――まあ、別にいいのだが。君、一人でなんとかしようなどと思うなよ」

「思っていないよ」

 一応、二人(、、)なのだから。



 街を歩いて、確実に分かったことは、二人連れが多いということか。少女とよく歩いているから、感覚が麻痺していた。普通、たくさんの男女セットがいることはないのだから。

 そう、「カップル」が多かった。

「カップル……? 殺人事件とは、全く関係がなさそうだな」

 少女が目を輝かせて言った愛というものと、恨みつらみが絡む殺人事件――正反対の様に思える。しかし小説では、嫉妬に狂い人を殺す者もいた。結局、愛でも人を殺せるということか。

 しかし、嫉妬という感情。それでセキュリティホールを潜り殺人を犯すほどか。

 分かっている、小説だのテレビだのを見ていれば、人がとんでもない感情を抱くことがあることは。

 しかし、僕は思う。仮想世界の人間は、大なり小なりあれども、感情が薄い。僕や賢者がその最たる例か。物への興味はあるが、それは欠落した感情を補おうとしているだけの様にも思える。

 人の心理をこの様に考えるのは苦手だ。自分の預かり知らぬ深層心理を、自分で掘ろうとするのは、背筋が凍る思いがする。

「……他の事を探してみるか」

 学校、という丁度良いコミュニケーションツールが存在する。そこで最近変わったことでも探ってみよう。



 少女について回れば、なんとなく話が聞こえてくる。

「今日、どこそこでセールだって」

「冬服、ファー付いてる物はまだ流行るかなあ。安売りしているのを買うか迷っているんだけど」

 女子はやはり、娯楽の服についての話が多い。着飾るのが好きなのだ。見せる相手もいないのに――いや、互いに見せ合う、ということもするか。しかも、最近カップルが増えてきたとあった。

「カレにね、スカート姿見せたら可愛いって。嬉しい」

「いいなあ、私もカレシ欲しい」

「ね、アナタは――ああ、駄目か。ねえねえ、カレシなんでしょ?」

 僕に目が向けられ、その視線は一瞬で少女の方へ向かった。

「え⁉」

 彼女はうろたえて、首を横に振った。

「単に、なんていうのかな。幼馴染かな」

「へぇ。こんなカッコいい幼馴染欲しいよね! 私狙っちゃおうかな」

 視線が僕へと戻ってきた。一体彼女らは何の話をしているのか。

 少女がまだ首を振っている。

「ダメダメ! すっごく頭固いし、哲学者だし! やめときなよ、服も褒めてくれないよ」

「そうなんだぁ?」

 きゃっきゃと笑って話す姿は、普段と変わらない様に思える。ただ、少女がかつて言った「ガールズトーク」がこういうものなのだろうか、とは思った。

「……良かったね」

「え?」

 聞き返す少女に、「なんでもない」と返した。

「ところでさあ!」

 一際高い声が響く。瞬間しぃん、と周りが静まり返った。それを気にしてか、声を上げた女子がひそひそと告げた。

「最近、面白い店があるんだよね」

「何何?」

「なんていうの、お見合い屋さん? カップル増えてきたのって、このお店が原因って有名なんだよ」

 彼女らが盛り上がる中、周りのざわめきも取り戻され、黙っているのは少女と僕だけになった。

「……話に混ざらないのか?」

 僕が声をかけると、少女は目を何回か瞬かせた。

「……え?」

 少女の語彙は、「え」だけになったのだろうか。呆れつつももう一度尋ねる。

「ガールズトークが夢だった、って言ってただろう?」

 それを聞いたのはいつだったか。かなり昔の様にも、最近の様にも思える。

「え、覚えててくれたの?」

 照れ笑いを浮かべる少女の顔は、その時の記憶よりもほんの少し大人びている。言葉からも察せられるが、昔のことだったらしい。

 いつの間にか、女子の話内容は変わっていた。お見合い屋の話から、また理想の彼氏とやらの話だ。萌え袖などと話されても分からない。調べるべきだろうか。

 楽しげに話に混ざる少女を見て、僕は頬を緩めた。



 拝啓

 変わったことと言えば、カップルが増えたこと、周りで恋の話が増えたこと。殺人事件とは関係が無い様に思える。ただ、貴女の娘さんが愛と叫び始めたのはこれが原因かと。


 拝啓

 調べてくれたのですね。ありがとうございます。周りの子も恋バナが増えたのですね。なんだか昔を思い出します。

 その子たちの話し方は、何かに取り憑かれたようでしたか?



 何かに取り憑かれたよう。

 きっと、それはあの女子たちの様子には当てはまらない。普通に話しているだけ。普段、流行の服の話をしている彼女らと変わらないのだから。

 わざわざ聞いてきたのだから、「彼女」の娘は取り憑かれた様だったのだろう。確かに、「人の温かさを知らない」、「お母さんのは愛じゃない」、その様な言葉をつらつらと手紙に連ねるような少女が、正常だとは思えない。

 僕は、しばらく考えてから、筆を取った。



 拝啓

 それとは違う気がします。もう少し調べます



 お見合い屋、とやらに行ってみる他、僕にはできる事が無い。しかし、殺人事件とは関係はないだろう。「彼女」の娘が思いつめたのは何か別の要因が関係しているはず。ともなると僕とは関係のない話となるわけだが。

 殺人事件と同じく、今までになかった現象。それを気にしないでおくことはできない。

 お見合い屋、は看板の文字以外は普通だった。外見は普通。奥に長い建物が一つ建ち、清潔そうな店の入り口が見える。宣伝文句が不思議なだけ。

「仮想世界に少ない出会いをあなたに」

 その様な言葉で、儲けることができる事自体、仮想世界では少ないと思える。しかしこの店は、噂通り繁盛しているようだった。店の前に列ができている。

 並んでいると、周りの並んでいる人に話しかけられる。今は後ろの男性だ。

「君もお見合いに?」

 正直、お見合いをする気は全くない訳であるが、ここでそう答えるのは場違いだ。

「まあ、そんなところです」

 僕が無難な返事を返すと、前の女性が話に参加してきた。

「やっぱり、若い子が多いのね。って私もまだまだ若いけど」

 確かに、体つきや顔のしわがないことなどを鑑みて、大学生あたりと見当がつく。

「なかなか異性と話すことは少ないからな。お見合い屋って楽しいと思うよ」

「そうね」

 僕を挟んで二人が会話を始めた。ありがたい。

 二人によれば、この店は口コミによって評判が広まった店らしい。店の内容からして始めは疑われたものの、ただ単に出会いの場所を設ける喫茶店のようなところで、雰囲気も良い。出会いを求めずとも、茶をすすりに来る者も多いという。

 なるほど、お見合い屋はそういうところか。ここも「彼女」の娘とは関係がなさそうだ。

 僕は不思議に思ったことがあり、一つ尋ねた。

「ここが全く普通の店というのは、どういう……?」

 男性が快活に笑い、女性は頬を赤くしながら、それぞれ答えてくれた。

「出会いの店って、他にもあるのよ」

「でもそこって夜もやってんだ。まあ……察して? っていうか君はまだ知らなくていいと思うよ」

 仮想世界で、意味もなく性交行為を行う者がいるのは知っている。それはどうでもいい話で、とにかくここはそういうこともしていない。

 もしや、「彼女」の娘は夜に開く店に行ってしまっているのだろうか。だとすれば、何かをして後ろめたくなり、母親へ手紙を書かなくなることもあるかもしれない。

 考え込み始めた僕は、後ろの男性に怪訝そうな声をかけられた。

「入らないのか?」

「急用を思い出して。……次どうぞ」

 僕は、お見合い屋に入ることをやめた。どう考えてもここは白。何か問題がある場所とも思えない。



 拝啓

 お見合い屋という場所へ行ってきたが、問題なし。貴女の娘の様子の変化に、思い当りがなし。

 そちらで何か、発見はありますか。



 拝啓

 少し、待って下さい



 「彼女」からの返事は、短く汚かった。何かを見つけたのかもしれない。

 僕は家のベッドに寝そべり、天井を見やった。一旦、「彼女」の娘について考えるのを止めよう。殺人事件について、考えねばならない。

 僕のデータのみのセキュリティに穴があったとしたら、それは一部に穴が空くことがあるということ。殺人を予防するセキュリティにも穴があるとしたら。

 今まで聞いたことがある話を纏めてみる。

 絞殺。縄状の物が首に巻かれた時点でアウト。刺殺。刃物は言わずもがな。溺死、水死。そもそも酸素というのものが必要ではなく、僕らは呼吸を自然にはしていない。

 何かを投げつける――刺殺と同じで、駄目だろう。デコピン程度ならともかく、重大な怪我につながりそうなものは全てカットされる。

 カットされないギリギリの力で怪我を与え続ける。それも考えてみるが、カットされない痛みの連続でショック死するほど、僕たちの脳は弱くないらしい。試しに自分の頭を何度か小突き続けてみるも、問題は起きない。

 さっぱり思いつかない。事故もかなり前の時点で防がれるのだ。迫ってくる絵のみでショック死はしないし、そもそも迫ってくるほど近くに来る前に止まっては元も子もない。

 だとすれば、殺人に関するセキュリティに穴はないと、今までの事例が証明している。新しくできた穴、も考えられるが、果たしてそんなものが存在するのか。

 僕は、管理社に通報をかけた。僕のセキュリティのことではなく、殺人についての。通報というより、質問だろうか。



 殺人に関する部分で、セキュリティホールがあることは?



 その返答は、早かった。



 第一の事件の時点で、すぐに点検をしております。異常は見つかりませんでした。この事実については、明日のニュースにて公表される予定です。



 管理社もてんてこ舞いなことが窺える。メールの返信は、一部AI(人工知能)に任せているようだ。手動にしては早すぎる。

 何もできない。そもそも、何かできると思ったのが悪かったか。

 僕はもう一度ベッドに転がり、目を閉じた。考え事をしようと思っても、昼間の疲れで睡魔が襲う。

 そのまま、思考も闇の中へ落ちた。



 夢を、見る。喉を締め付ける、長くて柔らかな物体。しっとりと僕の肌に絡み付き、そっと息を止めようとする――。

 ああ、夢か。簡単に理解できる。この苦しみが、仮想世界にある訳がないだろう。僕の思考は、夢の中でも理屈詰めで、つまらない。

 頭のどこかでは冷静に夢の分析などをしているのに、夢の僕はその絡み付く腕を引きはがそうと必死で、しかしそれは剥がれない。気道を塞ぐ。空気が通らなくなる。頭がちかちかする、というより頭がどんどん重くなる。泥に沈んでいく。

 夢だろう、早く覚めろよ。この苦しみは、存在する訳がないのだから――。



「……あ」

 起きると掠れた声しか出ない。夢のショックが大きいようだ。

 「ようだ」、などと考えている辺り、自分でもよく分かっていない。ただの夢でこの様な事は起きたことがないのだから。

 今まで「首を絞められる」という体験をした事はないのだが、果たしてあの苦しみは単なる想像なのだろうか。仮想世界では確実にない。首を絞める、という行動は相手をショック死へと導く可能性があるのだから、セキュリティが邪魔をするはずだ。

 だとすれば、現実の意識の無い僕の体に、何かあったのだろうか。そちらの体に何かあれば、夢に影響が出てもおかしくはない、と僕は思っている。

 頭をゆるゆると振り、起き上がると、まだ日も昇っていなかった。時刻にすれば朝四時半か。

「……ポスト……見るか」

 昨日の「彼女」の様子を見るに、新たな発見があって手紙を送っているかもしれない。玄関のドアを、体で押し開ける。

 ポストには、膨らんだ封筒が入っていた。もちろん、差出人は「彼女」だ。


 拝啓

 セキュリティには大きく穴が空きすぎている様な気がします。あなたのセキュリティホールから、仮想世界の中枢へと近づけたのです。

 今のところアクセスできたのは「地図」だけですが、それも大事な情報だと思います。……なんて、不正アクセスをする私が説教をできる立場にはありませんね。

 地図は、仮想世界内の人々の「意識」がどこにあるのか――つまり仮想世界内のそれぞれのGPSが付いているイメージでしょうか、分かる様になっています。地図は同封したので見てください。

 夜、おかしいことが起きていました。

 一つの場所に、たくさんの反応が集まるのです。普通は皆、自分の家で寝ていると思うのですが、一つの場所にたくさんの人が住んでいる訳でもなさそうなのです。昨日の夜じっと見ていると、やがてそれらは解散し、自分達の家に戻っていったからです――動きから、そうだと思います――。

 ライブでもしているのでしょうか。一日だけなら変でもないかもしれませんので、今日も様子を見てみます。


 地図の真中に、ぼこぼことした赤の物体が描かれている。例えるならば、そう、日本の地震を丸で示したものが、重なりすぎている状態だろうか。丸一つが人一人。それが重なりすぎている。

 「彼女」はまだ、これが何かしらの異常だと、確信を持てていない。だが僕は。

 地図と手紙を引っ掴み、僕は走り出した。



 ここの人間は、暇つぶしの娯楽に飢えている。しかし、ライブはしない。集まって何かをしようともあまり思わない。人同士のつながりが、もともと小さすぎるのだ。

 アイドルはテレビの中で事足りる。ギターなどといった「楽器データ」も、存在はするが管理社に申請しなければ貰えないものである。そして、努力というものも言葉自体が浸透していない。

 仮想世界の人間は、何かを練習することは滅多にない。学校で行事もほとんどない。

 ライブ? 人の集まり? それは普通のことではない。仮想世界では異常のことだ。

 僕はメールをした。「彼女」との会話において、手紙以外を使うことは避けてきたが、僕はもう居ても立ってもいられなかったのだ。


 拝啓、メール失礼します

 すみませんが地図の場所について詳しく教えてください


 すぐに返事が来た。「彼女」も今、地図に首ったけなのかもしれない。

 メールでも構わない、と来ていた。良かった。

 地図には通りの名前が載っていた、という。集まりがある所に面する大通りの名前を聞いて、僕は足を止める。

 もしや。


 拝啓

 思い当りがあります

 僕の家と学校の間の近く、そこは街中です


 集まりがあった場所もピンポイントで分かってしまう。何が目的化はまだ分からないが。

 「彼女」にはそれだけ伝えると、間を開けずに返信が来た。


 拝啓

 あなたの家の近くなのは分かっています


 最初の一行で、なんとなく察した。僕のセキュリティホールから行ったという。僕の現在地、から地図が始まったのかもしれない。では僕の場所は分かっているということか。

 二行目は、と目をやると、「あの」という二文字で終わっている。打ちかけて送ったのか。

 返信を送ってもしばらく来ない。何かをためらっているのか。


 拝啓

 あなたは、近所で女の子の知り合いがいますか?


 急に世間話になった気がする。近所では、同い年なので少女が知り合いというべきか。

 何故そんなことを急に聞くのか。大事なことなのか。

 僕は焦る。そんなことは今大事ではない。


 拝啓

 いますが、話に関係ありますか


 送ってから気付く。きつい口調になってしまった。「彼女」が気を悪くしないといいのだが。


 拝啓

 いえ、すみません。大丈夫です


 なら、良かったのだが。僕はメールを打ち切る。

「これから、少し返信できません……と」

 また走り出す。



 着いた。「お見合い屋」だ。何もないと思って、すぐさま帰った店。地図で集まりがあったとすれば、この店の近くのはず。そして、この店は確実に関係がある。

 最近有名になってきた店。今まで興味が薄かった恋愛の話。夜に人が集まること――。

 全て、「恋愛」というものと関わりがあるとすれば。「彼女」の娘とも関係がある。

 僕はお見合い屋の店の外観を眺めやり、そして今日も列を作る店に並ぶ。

 また誰かに話しかけられた気もするが、考えで頭はいっぱいだ。

店に入るや否や、僕は店全体を見渡す。正方形の店。カウンターがついているだけの、一つの部屋の様になった店。柱が二本立った店。

 僕は、それだけを確認すると店を出た。

「お、お客さん⁉ 一体何をしに……」

 店員が声を裏返して問いかけてくる。僕はそれを、薄い笑いで返した。

「噂の店の様子を見たかっただけですよ」

 目を白黒させた店員は、「見るだけの人がいるなんて……」と呟いている。確かに僕は変な人に分類されるだろうが、目の前で言わないで欲しい。

 もう一度店の外観を見た。京都の長屋ほどではなくとも、どちらかというと奥に長い構造。正方形ではない。

「……ビンゴ」

 集まりがあるのは、店のある建物で決定だ。



 すぐに突撃するのは危ないのかもしれない。中で何がなされているか、全く未知数なのだ。愛だの恋だのの関係で、もしかすると夜の情事まがいのことを試しているのかもしれないが、それならまだ良い。あれほど多い人が集まっているのだ、宗教的なことをしていたら? 僕も巻き込まれてしまう。


 拝啓

 あなたの娘が、その集まりに参加しているかもしれません。


 そう手紙を書いて送ると、これもまたすぐに返事が来た。


 拝啓

 そうですか、ありがとうございます。

 ……そちらに関して、あなたはもう関わらない方がいいです。


「……何故」

 一体、急に何故。僕はもう用済みという事か。関わるな? 今まで走り回ったのは何だったのだ。

 何故と尋ねて、「彼女」は答えてくれるだろうか。


 拝啓

 何故ですか


 拝啓

 あなたが、危ない。


 僕は、ポストに手紙を叩きつけた。

「……僕は」

 少女がある時言った様に、ひねくれ屋だ。賢者が言う様に、興味ある事は全て自分で調べたい。知らない事があるのが怖い。だから、仮想世界の殺人事件も放っておくことができないのだ。関係がない、きっともう起きない事だと安心できないのだ。

 危ないのならなおさらだ。僕は一人でじっとしていて、いつか危険な事にあうのなら。

 自分で行って、危険を全て取り払ってくれる。





 現実世界のある場所にて、その頃の会話であると思われる記録レコード

「……なんでこんな事をしたの?」

「おばさんもじゃん。はは……全く、こんな馬鹿なコト、他のやつがすると思わなかったのに」

「お前、へらへら笑っているんじゃないぞ! このせいで悲しんだ者が何人いると……」

「煩い」

「…………」

「悲しんだやつ? あいつらの一部がいなくなって悲しんだやつ? あいつらのせいで、日頃悲しんでいるやつらが何人いると思ってんの?」

「どういうことなの?」

「あいつらの……兄ちゃんの仮想世界費用、いくらかかってると思ってんだよ。俺はやりたいことがあったのに、きちんと伝えて、いいよって言ってくれたのに! 急に費用が上がるからっ……俺にさせてくれないって、急に言ってきて……俺なんてどうせ二番目だよ!」


 物が当たる、酷い音。


「落ち着け、落ち着かないと今すぐ牢屋にぶち込むぞ」

「警部さん! そんな事を言わないで……ね、続きを言って?」

「……そんなに、寝たきりの子供が可愛いかよ。そっちばっかに気が向くのかよ。どうせ話さないのに、理屈ばっか捏ねてのんびり過ごしてんのに、無愛想なのに兄ちゃんはいつも親から気にかけてもらってんのに!」


 息切れがしばらく響く。


「だから、殺してあげようと、思って」

「セキュリティを壊すのは犯罪だ」

「あ? あんなテキトーなセキュリティかけとくのが悪いんだよ。そっちのおばさんにも破られてさ。ウケる」

「でも、セキュリティを破ってもあなたのお兄ちゃんは死んでいないじゃない?」


 途端、甲高い笑いが響く。


「俺が破ったのは兄ちゃんのだけじゃない! 人と連絡とって、殺し方教えてあげたよ! まったく、言った通りに動くから笑えてくるよね! 仮想世界の偽物の人間がさ」


 ばちっと頬を叩く音。


「……黙りなさい」

「……アンタもそのクチかよ。どうせ寝たきり娘が大好きなんだろ」

「私には他がいないからよ」


 沈黙が続く。


 ぷつり。

 記録は一度、切れた。








 夜にある集まり。夕方の内から、店の近くで待ち伏せをしていると、どこからか、わやわやと人が集まってくる。

 彼らは全員、店の裏へと回っていく。予想は当たっていた。

 人の流れが収まった頃、僕はそっと裏へと回る。そこは本来倉庫となっている場所だった。

 いつもなら閉まっているシャッターが全開になっている。

 人、人、人。人は全て二人組になっている様だ。男女組であるから、やはり恋愛関連だったか。

 それぞれが自由に話している今、特に危険な様子は見受けられない。

 一体これが、何になるというのか。

 息を潜めていると、やがて一人の女性が現れた。

 ざわりと揺れる空気。全ての視線が、その女性へと注がれる。その目は輝き――澱んでいる。

「みんな!」

 女性が一つ声を上げるだけで、倉庫内の空気が変わる。

「今日は来てくれてありがとう! 勇気ある二人が、すでに成功(、、)させている事、それを今日行おう!」

 男達はおう、と拳を突き上げ、女達は黄色い声を上げる。

 二人が、成功。何をだ。僕の頭は、正解へと近づくことを必死に避けている。

「私達にも愛はある! それを、証明させよう! さあ!」

 女性が煽ると、集まった多くの二人組が――。

 向き合って、女側が腕を上げた。


 首に絡む、腕。

「大好きだよ」「愛しているよ」「ずっと一緒だよ」「好き」「好き」「お願いね」「一つになろう」「好き好きすきすきすき」

 そこかしこで聞こえてくる愛の言葉が、混ざり合って耳に届く。

 鼓膜を叩くという体験も、大声を聞いてキンとなる体験も。絶対にできなくて、一度体験したいものだけれども。

 これは要らない。

 僕はよろけて、転んだ。気持ちが悪い。ひたすら聞こえる声のせいなのか、それともこの情景のせいなのか。

 気持ちが悪い。そこにあるのは、

「さあ! 愛して愛して愛して! 一つになるんだ!」

 女性が言う愛などではなく、狂気だ。

 僕は尻を地面につけたまま、後ずさった。身を隠す事も忘れたが、それを見とがめる者などいない。首を絞め首を絞められを、恍惚とした表情で行っているのだから。

「抱きしめるだけで! 一つになれる私達が! 現実の者より劣っているはずがない……むしろ逆! 私達は優れている!」

 女性の甲高い声が響く。倉庫内に、僕の頭の中で。

 女性には何かしらのカリスマ性でもあるのだろう。言葉一つ一つに、力が宿っている様だ。だが、僕にとってそれは頭を揺すぶり気持ち悪くさせるものでしかない。

 その時、僕の目に、ふと映った。それは一番映って欲しくなかったかもしれないモノ。

 知り合いの姿。

 少女も僕を視界に収めて、目を丸くした。

 駆け寄ってくる。やめろ、近づくな。

 なんでこんなところにいる?


――『欠落しているものって、何でしょうね』


 愛よ、と当時少女は言った。

 その少女は、大きくなった。まだ僕と同じ学校に通っている少女の姿が、だんだん大きくなる。

「……近、寄るな」

 そんな掠れた声も、聞こえてはいないだろう。少女は僕の脇でしゃがみこみ、悲痛な声を上げる。

「なんで、君が!」

 それは、こちらが聞きたい事だ。

 ああもう、現実逃避をしてしまいたい。首を絞めることができるはずがないのに、何故あそこの人々はできているのか。疑問はたくさんある。家に帰って、それをじっくり考えればいい。

 早くここを立ち去らないと。

 そう思ったのに、少女が僕の腕を取る。

「早く逃げて」

 少女の口がそう動いた。そう思うのなら、手を放せ。

 目の前の景色がショックなのか、僕は。動けない。体が震えて言う事を聞かない。

 僕が動けない事を察して、少女が必死に僕を引っ張り上げ、背中を押そうとする。しかし、最悪な声が聞こえた。

「……あなたにもいるじゃない! 愛を伝える相手が……」

 両腕を広げて、女性が少女に話しかける。少女は耳を塞いで叫んだ。

「違う! 駄目、彼は駄目!」

 女性が優しく声をかけても、少女は首を振り続ける。その様子を、僕はただ目を見開き見ているだけだった。

 僕は今、恐怖している。ありえない情景に。それすら「新しい体験だな」などと考えるのは、現実逃避なのか、僕がそれほどにおかしい人間なのか。

 考え事をしていると、周りの様子を忘れるのが僕の癖だ。気がつけば、女性が僕を抱き寄せていた。

「だったら、私が代わりにしてあげる……」

 ゆっくりと頭を撫でまわしてくる手が、声が、気持ち悪い。押しのけたいのに、今の僕は力が出ない。

「……放、せ」

「ん? 何言ったの?」

 わざとらしく、僕の口元に耳を寄せてくる。ああ全て気持ちが悪い。人に触れられてこれほど気持ちが悪いと思うことは滅多にない。

 くわり、と頭が揺れた。

「やめて」

 少女の声から余裕が消えた。

「あなたが、やるなら……いっそ私が!」

 少女は女性に飛びかかり、頬に小さな爪痕を残し、僕の腕をぐいと引いた。少女の手は、僕の腕から首へとするりと移動する。

 何をするつもりだ。そう訊く暇もなく、少女の手が僕の首を絞める。

「……な、にを」

「ごめんなさい」

 違う。僕が聞きたいのは謝罪の言葉ではない。理由だ。人の首は絞められないはずだろう。何故皆ができている? 何故僕の首は速やかに細くなっていくのだ?

 いや、実際にはその様な余裕などない。

 何で、僕を殺そうとしている。

 女性が、不思議そうに首を傾げた。

「あら、愛無き行為が、何故許されるのかしら。もしかして、貴方がお兄様(、、、)?」

 僕は全ての力を抜いた。

 もう、訳が分からない。



 喉を締め付ける、長くて柔らかな物体。しっとりと僕の肌に絡み付き、そっと息を止めようとする。

 夢と違うのは、その柔らかさか。夢よりも指が細く、しなやかで、いっそう僕の首を絞めるのだ。

 締まり続け細くなる首だが、僕には痛みはない。ただ頭の中が混濁してきているだけ。頭が重く重くなり、意識がすぅっと白くなる――。

 白くなる視界の中で、「SECURITY」の文字が青く光った。





 場所は変わり、時も遡り、現実のどこかにて本棚の隅に置かれた日記


 曇り

 地図を見て思ったことがある。「彼」を示すマークは青。集まりをしていそうなところでは、丸は全て赤。

 青と赤。性別の分かれ目だろうか。

 集まりが解散したのか、それぞれの丸が自由に動き、散り散りになる。その中の一つが、「彼」の家の近くの場所に収まった。

 もしかすると、この集まりには「彼」の知り合いが参加しているのかもしれない。

 訊いてみようか。しかし、もし危ない集まりだったとしたら、「彼」の知り合いがそれに関わっていることになる。

 私は不安だ。


 曇り

 セキュリティホールが広がっている。

 勝手に広がっているなんて事、あるのだろうか。しかし、地図以外にもアクセスできる様になってしまっている。

 誰かが広げている?

 だとすれば、「彼」のセキュリティは誰かが破ってしまったのだろうか。

 私はそういうものは良く分からない。ともかく、それよりも私が気になってしまうのは。

 新たに見える、この情報。地図ではなく、写真だ。

 仮想世界は、想像していたよりも普通だった。もっとSFチックかと思っていた。

 探すと、「彼」と「彼」の知り合いらしき少女の写真もあった。

 少女の目はいつも「彼」を探している。



 雨が降る、午後

 ああ。

 なんてことだ。

 殺人事件は、こんな事だったのだ。

 人が憎くて、殺したのじゃなく、結果死んでしまった(、、、、、、、、、)んだ。

 集まりは、危ないものだったのだ。カルトの様な。

 駄目だ、「彼」は絶対に行ってはいけない。でも「彼」はきっと、行ってしまう。

 もう、お終いだ。私と「彼」の文通も、少しの間続いた共同作戦も、お終い。

 私の手には、負えない代物だから。



 やはり「彼」のセキュリティは人が破ったものだった。

 「彼」の弟だという。精一杯強がっている、小さな男の子にしか見えない。こちらを嘲るような目で見てくるのに、背中は酷く曲がっている。

 駄目だよ、曲がらないで。そんな声も、届かないか。


 仮想世界の殺人行為かそうでないかは、加害者被害者の認識に寄る(走り書きであり、本人以外には解読不可能である)


 急いで、作ってもらったセキュリティ。間に合ったのだろうか。

 お願いだから、間に合って。「彼」も少女も、助かって。







 晴れ

 一度だけ、ビデオ越しの会話を許された。








『……やつれていますね』

 液晶画面から零れる声。彼だって、見た目は変わらずとも、やつれていることが分かる。

「貴方もね。元気? ちゃんとご飯……ないんでしたっけ」

『食べ物は食べなくても生きていけますから』

 その返事を聞いて、ふと思い出す。親が、政府が金を出し、なんとか点滴だので補っている「彼」達の食事(、、)

 点滴費用、機械整備費、場所代。確かに、毎月とてつもない額が家計から出ていく。それでも政府の援助は最大限というところが、仮想世界というシステムの規模の果てしなさを感じさせる。

 私は娘の分だけで良い。でも、「彼」の家族は……?

 お父さんもお母さんも、まだ元気に生きていて。そして子供は「彼」を入れて二人。それはきつく辛いだろう。弟である彼が、一体どこまで苦しみぬいたのかは、分からない。

 彼は、すぐに出てこられるだろうか?

 私の考えでも読みとったのか、「彼」は眉を寄せ訊いてきた。

『……弟は?』

「今は精神病院よ。時間はかかるけど、きっといつか出てこられる」

『……そう』

 「彼」は、メールで少ししか話した事がないこと、弟がいつも何を考えているのか、そして今何歳なのかも知らない、と言った。

「今のうちに、たくさん話した方がいいわ」

『そうですね。……誕生日に、何かあげようか』

 僕には何か与えられるものが存在するんだろうか、と一人零す「彼」を見て、ふっと笑ってしまう。

 なるほど、「彼」は固い。言葉がいちいち固いのだ。

『……結局、僕はあの後どうなったんですか』

 「彼」はまだ知らないのだ。首を絞められた時、何が起きたのか。

「待ってね、今話すから」

 「彼」の知り合いらしい少女が関わっていると知った事。それを知った時、仮想世界のセキュリティがあまりにも緩いと思って、不安になった事。

 警察に伝え、調べてもらうと、「彼」の弟が出てきた事。

 あの「殺人事件」は、首絞めが「愛情表現」だと思いこんでやったせいで、セキュリティが反応せず、分からない内にショックを受けて死んでしまっていた事。

 私がたどたどしく告げると、「彼」は嫌そうな顔をした。

『……僕は、愛情表現とかまったく思わなかったんですが』

 とにかく気味悪かった、と言った。目の前で見たら、確かにそう思うかもしれない。見ていないから、分からないけれど。

『なんで僕は首絞めされて……ああ、セキュリティホールか』

「やっぱり自分で分かってた?」

『まあ。……おかしいと思ったんです。僕も彼女も、愛情なんて感じちゃいないのに』

 それはどうだろうね。少なくとも、あの子は君が好きだと思うよ。本当に好きだったから、君を殺してしまいたくない、と必死に反抗していたんじゃないかな。

 きっと、私が言っても「彼」は否定するでしょう。いつか気付いてくれるといい。

「愛情? というものは、もともとないの?」

 彼の言い方から思うに、仮想世界ではカップルというものが、なかなかいないというより考えられない(、、、、、、)みたいだ。友愛はあるだろうか、親愛は? 異性の子への愛がないってだけなのだろうか。

 「彼」は困ったように笑った。

『僕はもともと、全部の感情が薄いんです。僕だけじゃないと思うんですがね。だから、愛というのも必要ないし、その感情が生まれることがありません』

 言いきられて、寂しく思う。

「本当に? 絶対に、ないの?」

『ええ。……僕は愛を持ちません』

 理屈っぽい、感情をあまり込めない「彼」。

 そんな彼は、やはりそうやってきっぱりと言う。

 けれど、一つだけ。しばらく黙ってから、ゆっくり口を開いた。

『……でも、彼女は失ったら寂しいかもしれませんね』

 すっと「彼」は私を見つめた――私、というより、カメラをだけれども。

『ありがとうございました。本当なら直接会ってお礼を言いたい』

 ぺこりと、お辞儀をする。きっとこれで最後のやり取りだ。

「こちらこそ、ありがとう。娘をよろしくね(、、、、、、、)

 お辞儀をしていた彼が、肩をビクンと震わせ、こちらを凝視してきた。

 口を開く前に――。


「……時間です。面会は終わりです」


 無機質な声によって、私と「彼」の繋がりは切れた。

 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。SFミステリーっぽくするはずがSFホラーになった気分です>< 難しいですね、ミステリー……でも謎を考えるのは楽しいです。

 他の方の素敵な謎も、引き続きお楽しみ下さい。


***The Next is:『神父様が見てる』

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