たこ焼きひと船五百円
Author:裏山おもて
「隣町でめちゃくちゃ美人のお姉さんがたこやき焼いてるらしいよ」
そんな噂に釣られてついつい見に行ってしまうのは、しょうがないと思うんだ。誰だって、美しいものには弱いのだから。
イデアを論じたプラトンも美を追い求めるのは当然のことだと主張している。僕にはプラトンのことなんてその程度にしかわからないけど、昔の偉い哲学者でさえそう言っているのだ。
だからこれは正当な行為であり、決してやましいことではない。
僕はクラスメイトの友人――相馬とふたり、電柱の陰から噂のたこ焼き屋を眺めていた。
「なあコテツ……店の中見える? お姉さん見える?」
本田コテツが僕の名前だ。
隣町の商店街にあるしなびた古本屋『本田本店』という僕の家からここまでは自転車で二十分。学校帰りの足で自転車をこぎ、幅五十メートルの一級河川を越えてまで足を運んだたこやき屋には、残念ながらお姉さんの姿はなかったのだ。
「お姉さんどこ……お姉さんどこ……? なあコテツ、お姉さんは……お姉さんはどこにいったんだ⁉ あれが……あれがお姉さん……なのか⁉」
「いや相馬、現実を見ろ。あそこにいるのはお姉さんじゃない。噂はあくまで噂だったんだよ」
「そんなはずない! あれがお姉さんなんだ! きっとあれが美人のお姉さんなんだ!」
「目を覚ませ相馬! あそこでたこやき売ってるのは美人のお姉さんなんかじゃない……あれは……あれは、ハゲたオッサンだ!」
「言うなあああああ!」
相馬は走り出した。
たこやき屋の前まで走っていくと、スキンヘッドのオッサンが千枚通しを指先でくるりと回し気前よく笑った。
「らっしゃい。ご注文は?」
「美人のお姉さんをひとつ!」
「……は?」
「美人のお姉さんをひとおおおつ!」
「黙れアホ。すみませんこいつ頭の病気なんですぐ連れて帰ります。失礼しました」
「ハウッ⁉」
僕は相馬の頸動脈を絞めて黙らせると、すぐに引きずってきた道をもどる。
きょとんとしたオヤジの視線を背中で浴びながら、ずるずると電柱のところまでくると相馬は息を吹き返した。
「コテツ……貴様、よくも騙してくれたな……っ!」
「いや、だから根拠のない噂だって言っただろ」
「そのわりには楽しそうにしてたじゃねえか!」
「そりゃあ、僕だって美人のお姉さんが焼いたたこ焼き食べたかったし」
「だったらまず確かめてから来てくれよ!」
「面倒だったから」
「俺恥かいちゃったじゃねえかようおううわあああん」
「すまん。泣くなって」
相馬は涙を流しながら自転車にまたがり、そのまま漕ぎ出していった。
そりゃあ言い出しっぺの僕としてはすまないことをしたと思ってる。恥云々はどうでもいいとして(どうでもよくないと言われそうだが)、無駄にここまで連れてきたのは謝らないと。
僕が相馬の後を追って自転車で走り出そうとしたとき、たこやき屋に新しい客がきた。見覚えのある制服の女子生徒。同じ学校のやつだ。
長い黒髪に清楚な佇まいのその女子は、たこ焼きをひと舟注文していた。この近くの子だろうか。わざわざ隣町までたこ焼きを食べにくるなんて考えにくい。
まあ、どうでもいいか。
僕はそのまま家路についた。
寄 道 寄 道 寄 道
「らっしゃい。ご注文は?」
「たこ焼きひと舟ください。ソースとマヨネーズは多めで」
「へいまいど。五百円ね」
期末テストも昨日で終わり、そろそろ夏休みが始まる。
近くの公園ではセミがすこしずつ鳴き始めている。日陰に入れば汗をかくほどではないけど、もう梅雨が明けたからそろそろ本格的に夏がくるだろう。
そんななか、僕は二日続けてたこ焼き屋『うりゅう』に足を運んでいた。
「あれ~……おっかしーなー」
店主のオッサンから渡されたたこ焼きを、店の横にあるベンチに座って食べる。
大粒のたこ焼きをもぐもぐと咀嚼しながら首をかしげたのは、快活な表情の少女。
「今度の噂は本当だと思ったんだけどなぁ」
首から一眼レフカメラを提げたその少女は『新聞部』と書かれた腕章をつけている。うちの学校の新聞部はアクティブで、学校外の活動もかなり幅広くやっているようだ。
その新聞部の新しい部長になった少女――村雨アイは、爪楊枝でたこ焼きをもうひとつ刺して口に放り込むと眉尻を下げてうなった。
「でも、どうみてもオッサンだよね」
「ああオッサンだな」
僕が買ったたこ焼きを当たり前のように食べるアイ。横目で睨むけど、アイは気にするようすもなくオッサンをじっと見つめている。店の中にいるオッサンは見られてることに気づかない。
美人のお姉さんの噂を聞きつけたのは、このアイだった。アイは昔から噂やスクープが好きで、好奇心のおもむくままに走り回っていた。親同士仲が良くて物心ついたときからアイに振り回されてきた僕としては、アイの噂はデマがほとんどだってことくらいは知っている。きのうはちょっと期待していたけど、やっぱりこんなもんだ。
「まあでもいっか。たこ焼き美味しいし」
「それには同意する」
僕も一つ食べる。
外はカリカリで中はアツくトロトロだ。タコはぷりっとしていて味が濃厚、ソースとマヨネーズにも負けないほどの生地の旨みが口いっぱいに広がる。
いままで食べたたこ焼きのなかで一番美味しかった。四つある店前のベンチは、近所の子どもや学校帰りの学生、スーパーの袋を抱えた主婦たちで満席だった。
この味なら、繁盛してる理由もわかる。
「これで作ってるのがお姉さんなら最高なのになぁ」
「オッサンに失礼だろ」
「だって美人のお姉さんって素敵な響きの象徴だよ。そんなひとの手作りたこ焼きなんて味以上の価値があるよ。つまり美女か野獣だよ?」
「だからオッサンに失礼だろ」
「ここは陸地だからそんなことが言えるんだよ! もしここが飛行機ならコテツだって選ばなきゃならないんだよ。フィッシュorビーフ? 美人orオッサン?」
「もちろん美……いや、だからオッサンに失礼だろ」
あやうく引っかかるところだった。
アイはすばやくカメラを構えると、ファインダー越しにオッサンを眺めた。
「あのオッサンの利点と言えば髪が料理に入らないことくらいだよスキンヘッドだから」
「そんな理由で剃ってないと思うんだが」
「ハゲorふさふさ?」
「そりゃふさふさのほうがいい……って、なんの話だ」
話題が大幅に逸れた。
とにかくアイから聞いていたような美女はいなかった。繁盛してるたこ焼き屋は店主のオッサンが経営しているのは間違いない。
これでたこ焼きが美味くなかったら無駄足だったところだ。
「……たまたま二日続けていないだけかも……」
「そんなに気になるんだったら直接聞いてみろよ」
「それはプライドに反するからダメ! 自分の手でつかみ取ってこその情報だよ!」
それはたいそうな心構えだな。
僕は食べ終わったゴミをゴミ箱に入れてから、ポケットから自転車の鍵を取り出した。店の逆側には僕とアイの自転車が並んでいる。
「おい、帰るぞ」
「まだ諦めない!」
しばらくここに残るらしい。そういう目をしていた。
まあ火が付いたら止められない女だ。腐れ縁の僕にはそれがよくわかっているから、いまさら止めたりはしない。同じ商店街に住んでるとはいえ、一緒に帰らなければならないわけでもないし。
僕は「先に帰るぞ」と言い残して自転車に跨った。アイはじっと店主を眺めていて、僕の声なんてまったくといっていいほど届いていなかった。
真相を確かめるまでいるつもりだろうか。
僕は肩をすくめて自転車のペダルに足を乗せる。
ちょうどそのとき、僕の横を通りすぎたのは同じ学校の制服だった。つややかな黒髪を後ろに流し、きっちりと膝上で切りそろえたスカートと相まって清楚なお嬢様のように見えた。
昨日もいたひとだ。
「……あっ」
むこうも僕に気づいたのか、驚いたような顔をする。
まさか二日続けてお互い来るとは思わなかったのだろう。
ぺこりとお辞儀をして、すれ違う。
これだけ美味しいたこ焼き屋は周辺の街を探しても他にはないだろうから、もしかして常連なのかもしれない。
同学年では見たことがないし、年下にも見えない。受験期真っ盛りの三年生が息抜きにやってきてるってところだろう。
僕はとくに気にせず、家に帰った。
寄 道 寄 道 寄 道
「らっしゃい。ご注文は?」
「たこ焼きふた舟。どっちもかつおぶしとマヨネーズ多めで」
「へいまいど。千円ね」
三日連続で来るのもどうかと思うがしかたがない。
一言でいうなら、僕はここのたこ焼きにハマったのだ。
夏休みも直前で、授業は午前中までだ。家に帰って昼食をとることもできるけど、あいにく僕の母はほとんど毎日アイの親の店――アイの家はパン屋を経営している――に行ってランチを食べている。自分の分は自分で作らなきゃならないから、それなら家に帰らなくてもいい。
昼食代でもらっている千円で、ジュースも飲めて美味しいたこ焼きが食べられるというのならここに来ない理由はない。
相馬も誘ったんだけど、あいつはここにトラウマができたとかなんとか言って断られた。アイは新聞部のほうで予定があるらしい。
「商店街の古本屋……ああ、あそこかな?」
とはいえ今日もひとりじゃない。
「何回か行ったことあるわ。変わった本が多くて、いい趣味してると思った」
「風変りなのばっかですよ」
「そう? すごく独特で素敵だと思うけど」
隣に座っているのは、黒髪の先輩――館花かほりだった。
僕も三日連続だが、このひとは一か月ほど連続で通っているらしい。僕と同じくここのたこ焼き屋にどっぷりとハマっていて、わざわざバスにのって学校からここまで来ているんだとか。
ちょうどバスから降りたところに通りかかったので声をかけると、こうして並んで座って食べてるのだが。
館花先輩は、にっこりと笑って言う。
「でもちょっと残念かな」
「なにがですか?」
「ここ、うちの学校じゃ誰も知らない穴場みたいなの。ひとりじめしてるみたいでなんか嬉しかったんだけどなぁ」
「あ、そうなんですか。……すみません、偶然知っちゃって」
「コテツくんが謝るようなことじゃないわ。単なるわたしのワガママだもの」
にっこりとほほ笑む館花先輩。
さすが年上、包容力のありそうなひとだ。なんかマイナスイオンが出てる気がする。
「でもどうしてここのこと知ったの? もしかして昨日一緒にいた子に聞いたのかな?」
「そうです。あいつから、『美人のお姉さんがたこ焼き作ってる』って噂聞いたので、ちょっと来てみました。館花先輩は見たことあります?」
「お姉さん? さあ、ないわねえ……」
首をかしげる館花先輩だった。
一か月も通いつめてその反応。やはりデマだったか。
「でも、そうなんだ」
ふふふ、と笑った館花先輩。
「コテツくんはあんな可愛い彼女がいるのに、年上のお姉さんがタイプなの? じゃあもしかして、わたしもタイプなのかな? だったら嬉しいな」
「なっ⁉」
つい言葉をつまらせる。
「い、いやあいつ彼女じゃないっすよ!? それと、えっと美人のお姉さんがタイプってわけじゃないですし、ちょっと好奇心で来ただけでやましいことないです! あ、でもべつに先輩がタイプじゃないってことでも――」
「冗談よ、冗談。照れちゃって可愛いわね」
くすりと笑われた。
なんか、遊ばれてるような気がする。
動揺してしまった自分が余計に恥ずかしくて、僕は縮こまった。そういえば昔からアイのようなうるさいやつには振り回されてきたけど、こうやってからかわれるようなことはなかったっけ。
「もしかしてコテツくん、ひとりっこ?」
「……そうですけど」
「兄弟とか欲しいと思ったことないの?」
「そりゃあありますよ。兄か姉が欲しかったですね」
「じゃあ、わたしがお姉さんになってあげよっか?」
ずいっと身をのりだしてくる館花先輩。
綺麗な顔立ちが寄ってくる。膝のうえに乗せたたこ焼きの舟が、ぐらりと傾く。
「ちょっ、近いっすよ⁉」
もともと隣に座ってるから、ほとんど鼻が触れ合うくらいの距離にまで近寄られて焦る。たこ焼きのソースに混じって館花先輩の髪の香りが漂ってきた。甘い香りだ。
すぐそこに館花先輩の瞳がキラキラと輝いている。吸い込まれそうになるほどに綺麗な瞳。鼻筋はすらりと細く、唇は芳醇だった。
ちょっとこっちから近づけばキスしそうな距離。
……さすがにこれ以上はまずい。
僕は館花先輩の肩を掴んで、遠ざける。
「たこ焼きが冷めますから食べましょう!」
「コテツくん、耳まで真っ赤よ。ちょっと期待した?」
「期待ってなんですか! してないです!」
「嘘。ちょっとしたでしょ?」
「してませんってば!」
僕は顔を逸らして、たこ焼きをひとつ口に放り込んだ。
外はすこし冷めていたが中はアツアツだった。
なんかわかんないけどこのたこ焼きが美味しすぎて憎たらしい。
館花先輩もようやくたこ焼きに手をつけた。二人そろって今度は無言で食べ進める。僕はすぐに完食した。
先輩が全部食べ終わるのを待ってから、僕は小さくため息をつく。
「……館花先輩、意外と意地悪っすね」
「そうかな? これでもわたし、クラスではお嬢様で通ってるんだけどな。あまり話さないタイプだし」
「ほんとですか? なんかイメージ違う」
「いつもはこんなこと言わないんだけど、コテツくんの反応が面白くてつい、ね?」
ちろっと舌を出した館花先輩。
ふつうに可愛い。
「それにこうやって学校の外で誰かと話すのなんてほとんどないから。なんか、楽しくて」
「そうなんですか」
「うん。いままでひとりでここに来てたし」
「……友達は?」
ついぽろっと聞いてしまった。
先輩の顔にすこし影が差した瞬間、しまったと後悔が胸に走る。
でも、先輩は苦笑して、
「ほとんどいないの。わたしの家、すごく厳しいから。家に帰ったら専属の家庭教師がいてさ、寝るまでずっと勉強ばかりで……息が詰まるし、休みの日は遊びにも行かせてもらえない。友達もつくろうとしたら『勉学の邪魔だ!』って言われて、ひたすら勉強とか習い事とかで、イマドキこんな古風な家ほかにないのにね」
そういった先輩は、ちょっと寂しそうだった。
だからここに来るんだろう。
学校から家に帰るまでのあいだの、ちょっとだけの贅沢のつもりで。
「べつに家が嫌いなわけじゃないの。わたしのためにそうしてくれてるってわかってるし、家族みんなに愛されてるのもわかってる。だけど、だけどちょっとだけでいいからね……」
「……先輩……」
「……ちょっとだけでいいから、ワガママ言わせて?」
先輩は泣きそうな顔で笑って、僕の肩に頭を乗せた。
黒い髪がさらりと落ちて、僕の腕に触れる。
セミが少しずつ鳴き声を増していく午後。
夏草の匂いが、ぬるい風に乗って流れていった。
寄 道 寄 道 寄 道
それから夏休みが始まるまで毎日、僕は学校が終わるとたこ焼き屋に向かった。
自転車を漕いで二十分。川を渡って坂を下り、たこ焼き屋のそばのバス停で館花先輩を待つ。
先輩はいつも同じものを注文する。たこ焼きひと舟、かつおぶしとマヨネーズを多めで。
僕たちはふたりでとりとめのないことを話す。僕はアイのことや、相馬のこと。先輩は家の愚痴や学校でのこと。ときどき僕をからかっては、楽しそうに笑う館花先輩。
ただしそれも夏休みが始めるまでだ。
夏が始まってしまったら、先輩はもうここには来れない。
それくらい、先輩が言わなくてもわかっていた。
だからこの時間は、先輩にとって最後の休息だったのだろう。
「それじゃあまたね、コテツくん」
夏休み前最後の平日、先輩はすこし涙目でバスに乗った。
寄 道 寄 道 寄 道
「らっしゃい。ご注文は?」
「たこ焼きひと舟、マヨネーズと青のりは抜きで」
「へいまいど。五百円ね」
夏は最盛期を迎えていた。
すぐそばの公園から鳴り響くセミの大合唱が耳をつんざく。
小学生たちが遊びまわる声もあいまって、公園はちょっとした紛争地帯のような騒がしさだった。たこ焼き屋『うりゅう』のベンチにはパラソルが用意されてるけど、それでもなお暑さは防げない。
それでも客はたくさんいる。
僕はたこ焼きを持って、端のベンチへ向かった。
「……そういえば兄ちゃん、」
「ちゃんとマヨネーズと青のりは抜いといたから」
「ならいい。ありがと」
薄手の青いカットソーに、白いスカート。足許はサンダルを履いただけの軽装で、僕が差し出したたこ焼きを受け取ったのは、白い肌に細身の少女――竜ヶ峰ナナだった。
ナナはもうひとりの幼馴染。活発で騒がしいアイとは対照的に、静かで淡々とした話し方が特徴の一歳年下の女の子だ。僕の家――本田本店に毎日のように入り浸る本の虫で、僕の母からすれば娘のような存在らしい。
僕がアイとここに来た日から、たこ焼き屋『うりゅう』で見たり聞いたりしたことはすべてナナには話している。噂のことが知りたかったっていうのもあるけど、館花先輩のことを相談したりもしていた。館花先輩と会いにここまで来ていたのは、ナナの助言もあったからだ。
そんなナナがここに連れていけ、と言ったのは夏休みに入って少ししてからだった。外食どころか外出すらほとんどしないナナにとっては、隣町ですら遠い場所のはず。
そもそも自転車に乗れないナナからすれば、学校より遠い場所は活動範囲外。今日も僕が自転車の後ろに乗せてこなければ、この暑さにあきらめて帰ろうと言ってたに違いない。
それだけここが気になってたんだろう。
ナナはしげしげとたこ焼きを見つめると、ちょっとずつ噛んで食べ始めた。リスみたいだ。
「どうだ? 美味しいだろ?」
「……うん。兄ちゃんがハマるのもわかるよ。これは、すごい。雑誌に載るレベル」
やはり評価基準は本か。
でも、そこがナナらしい。
僕はナナの隣に座って、ゆっくりと食べるナナの横顔を眺める。夏に似合わないような白い肌だけど、ほっぺたは桃色でやわらかそうだ。
じっと見ていると睨まれる。
「……食べてるとこ、見られたくないんだけど」
「僕は見たいんだけど」
「この変態」
げし、と足で蹴られる。
べつに痛くもないけど、怒られてまで見るようなものでもない。ナナの食事が終わるまで僕は空をぼうっと眺めた。遠いところで入道雲がにょきにょきと上へ上へと伸びている。
「……ごちそうさまでした」
ナナが手を合わせる。
僕はポケットからハンカチを出して、ソースがついたナナの口許を拭いてやる。
「やめてよ、子どもじゃないんだから恥ずかしい」
「いつもは自分から拭いてってねだるくせに」
「言うなバカコテツ!」
また蹴られる。こんどは脛、すこし痛い。
キョロキョロと周囲を見回すナナ。幸い知り合いはいないようで、ナナの体裁は無事に保たれた。もし誰かがいたら僕の命はあったもんじゃない。
まあともかく。
僕はようやくナナに訊いた。
「……で、なんでわかったの?」
僕が見ていたのは、たこ焼き屋のなか。
スキンヘッドのオッサンだけじゃなく、美人のお姉さんも店のなかにいた。
髪を栗色に染めて後ろで纏めてポニーテールにしている。年齢は二十五歳ほどだろうか、薄化粧でもわかるほどの美人。彼女は千枚通しを巧みに操りたこ焼きをひっくり返していた。
僕が館花先輩と初めて話したあの日。
館花先輩が僕に言ったことを聞いたナナは、すこし考えてから答えたのだ。
「たこ焼き屋のお姉さんってひと、もしいたとしても館花先輩じゃ見れないよ」
「……なにかわかったのか?」
「たぶんだけど」
たぶんだけど。
そう付け足すときのナナの推理は、いつも外れない。
たしかにナナの言う通り、平日には一度も見ることがなかったお姉さんが、今日という日曜日にはちゃんとたこ焼きをつくっていた。噂に違わぬ美人なお姉さんがオッサンといっしょにたこ焼きを作っている。
「べつに難しいことじゃないんだけどね」
ナナは、そのふたりを眺めて答える。
「もしその噂が本当だとすれば、一か月間毎日通っている館花先輩が見たことないのは変でしょ。だから間違ってるのはおそらく館花先輩のほうだと思ったの」
「でも、館花先輩は嘘なんてついてなかったはずだよ。たぶんだけど」
「マネしないで」
ぴしゃりと言われて、僕は肩をすくめる。
「館花先輩は嘘なんてついてない。けど、それが真実ってわけでもなかったの。なぜなら館花先輩のいう『一か月間毎日』は、『一か月間学校がある日は毎日』だったから。館花先輩は休みの日は外出させてもらえない……しょ?」
たしかに、そうだった。
「館花先輩が知らないのも無理はないの。あそこでたこ焼きを焼いてるお姉さんは、普段は社会人じゃないかな。学生と同じで、ふつうの会社員なら仕事のある平日は、店のほうには立てない。だから休みの日に旦那さんとふたりでたこ焼き屋をやる。まあこんなところじゃない?」
「……なるほどな。たしかに単純だ」
言われてみればすぐにわかることだった。
あの美人のお姉さんにとってはたこ焼き屋が本業だとは、誰も言ってない。
「でもさ、あのふたりの関係って夫婦なのか? たしかに兄妹には見えないけどさ」
「ううん、夫婦だと思う」
「なんでまた?」
「お店の名前が、たぶんあのふたりの名前を合わせたものだから。さっきから女の人が男のひとを『りゅうべえ』って呼んでるし、男のひとは逆に『雨』って呼んでる。雨と竜で、『うりゅう』……ふたりの名前をお店にするなんて、夫婦以外であまり考えられないから」
コワモテのスキンヘッドのオッサンと、常連のお客さんたちと楽しそうに話す美人のお姉さん。
まさしく美女と野獣。
「そういうもんかな」
「きっと私たちが想像もできないようなことがあって、ふたりは一緒になったんだよ。たぶんだけど」
「……そっか。そうだといいな」
「うん。なんかいいよね」
それは本が好きなナナらしい、空想と期待。
でも、美女と野獣の相性がいいのは誰もが知ってることだ。これほど美味しいたこ焼き屋なんだし、それくらいのロマンスがあってもいいのかもしれない。
忙しそうにたこ焼きをつくるふたりを眺めてると、頬が自然とゆるんだ。
よくよく見てみると、スキンヘッドの旦那さんが尻に敷かれているようにしか見えないのには苦笑しておく。
「……ねえ兄ちゃん」
僕がぼんやりとしていると、腕をつつかれる。
「なんだ?」
「もし館花先輩と兄ちゃんが付き合ったら、あんな感じになるんじゃない? 先輩の反応聞いてる限り、先輩も兄ちゃんとならまんざらでもないんじゃないの?」
夏休みに入るまでのあいだ、毎日館花先輩と会っていたからだろう。ナナが鋭い目つきでそんなことを言う。
心なしか、唇がとがっていた。
ふだんは感情隠すのがうまいくせに、怒るとすぐ顔にでるやつだ。
「なにふてくされてんだよ」
僕はナナの額を指でピンと弾いた。
「先輩には話してるよ、ちゃんと」
「……ばーか」
額を抑えて目を逸らしたナナ。
その口許が緩んでいたのは、見てないことにしよう。
ちなみに。
夏休みが明けてから、館花先輩とは学校で何度か顔を合わせている。
このまえはこんなことも言われた。
「わたしが大学に受かったら、たこ焼きごちそうしてくれる?」
「いいですよ」
「でも今度は、彼女さんにはナイショで会ってね?」
「えっ」
先輩は楽しそうに笑って、僕をからかってくるのだった。
***The Next is:『ツインズ《問題編》』