将棋指しは奥山越えの夢を見るか?(棋譜並べ編)
「初手は……7六歩、3四歩っスね」
めちゃくちゃ普通っス。
「2六歩、4四歩、4八銀、3二銀。要するに、対抗型ってわけだ」
居飛車vs振り飛車っスね。
今でも普通に現れそうな序盤っス。
ただ、現代将棋なら、4八銀の前に5六歩が多いっスよ。
「これではein bisschen langweiligですわ」
エリーちゃんが何か言ってるけど、分かんないから無視するっス!
日本語じゃないと会話に入れないのが、鎖国大国ニッポンっスからね。
「5六歩、5四歩……ここも普通ですね」
おっと、カンナちゃんが加わってきたっス。
九十九くんにアピるなら、もっと積極的に行った方がいいっスよ。
「古棋譜が変化するのは、次あたりからだよ。……と、いきなり3六歩か」
「これは珍しいっスね」
「昔の対振りと言えば、急戦だからね。3六歩は、当時としては普通かな。3三角、5八金右、4二飛、5七銀」
「オッケー、居飛車急戦vs四間飛車だね」
「5七に出たのは右銀ですから、この時点では分かりませんわ」
「それは関係ないよ。十八世紀初頭なら、左銀急戦は、まだ開発されていないはずだから。それに、この時代の主流戦法は、3七桂と跳ねて、3五歩〜4五歩と突くパターンさ」
あ、それならこの角ちゃんも、知ってるっスよ。
「4五歩早仕掛けっスね?」
……あれ? 九十九くん、渋い顔してるっスね。
結構、自信あったんっスけど。
「ちょっと違うかな。4五歩早仕掛けじゃないんだよね……まあ、それは並べていけば分かることさ。6二玉、6八玉、7二玉、7八玉」
王様を囲い始めたっスね。
藤井システムなんかないし、居玉は避けないとダメっスよ。
「ここで6二銀か」
この手は、現代から見ると、ちょっと変っスね。
普通なら8二玉〜7二銀と、美濃囲いに組むっス。
あるいは、8二玉〜9二香からの振り穴も有力っスよ。
「後手は、何という囲いですの?」
「早囲いだね」
「Hmm......ich weiß es nicht......美濃囲いは、まだありませんのね」
「いや、美濃囲いは既に、あるんだよ。ちゃんと、その通りの名前でね。美濃の通音日長という人が好んで指してたからって説もあるけど、農具の箕に似てるからって説もあるよね。表記方法も、箕囲いと美濃囲いでズレてるし、何とも言えないかな。ひとつだけ言えるのは、『名前の由来が美濃の斎藤道三の築城に似てるから』って俗説は、多分間違いってこと。戦国時代の人物が出てくるのは、だいたい講談の作り話だよ」
話がどんどん明後日の方向に行ってるっス。
でも、こっちの方が楽しいっスよ。
「では、なぜ美濃囲いにいたしませんの? そちらの方が堅いですわ」
「理由は定かじゃないけど、何らかの欠陥があると考えられていたんだろうね。5筋位取りとか、そういう圧迫戦法に弱いと思われてたんじゃないかな。それに、当時は8六香〜7五桂なんかの玉頭戦が盛んで、美濃だと崩れ易い進行が多かったのかもしれない。実際、美濃は上部からの攻めに弱いからね」
そう言えば、江戸時代の将棋は、位をすっごく大切にするっス。
これ、テストに出るっスよ。
「9六歩、9四歩、1六歩、1四歩と端を突き合ってから、2五歩、4五歩」
ぶはッ! この手はないっス!
「Was!? 振り飛車側から角道を開けてはなりませんわ!」
「おっと、それは現代的な見方だよ。この角交換型四間飛車は、一七一〇年代にはよく見られた指した方で、いわば流行形だからね」
それには、藤井猛先生もびっくりっス!
エキセントリック過ぎるっス!
「で、居飛車側は2六飛」
「角交換しないの?」
そうそう、カンナちゃん、どんどん突っ込むっス。
「しないね。居飛車側は、角道を開けられても無視だよ。……そうじゃないかな?」
あ、一応、ヴォナ子ちゃんに確認したっスね。
「……検索完了。一七〇一年十月九日の多曽都座頭vs添田宗太夫、一七一三年六月十八日の布屋太郎衛門vs山脇勘左衛門、一七一五年十月、日付不明の武田又市vs西村又左衛門、一七一六年五月十六日の元崎勾当vs伊豫屋仁左衛門、すべて振り飛車側の角道開けに対して、居飛車側からは交換していません」
さすがっス! ググるより速いっス!
「サンキュ。じゃ、先に進もうか。8二玉、3七桂……」
「やっぱりね」
「何が『やっぱり』なんっスか?」
「この1六歩〜3七桂〜2六飛戦法こそが、この時代における対四間の花形だよ。僕たちが見ているのは、当時の最新形ってことさ。ぞくぞくするね」
マジっスか! こんなの、今じゃ誰も指さないっス。
「何が狙いですの?」
「3五歩と開戦して、同歩、3四歩、4四角、4五桂かな。ここで3六歩と伸ばさせないようにするのが、2六飛の意味。1六歩は、1五の角出を防止するためだね。姫野さん曰く、『十七世紀初頭から存在する右香落ち定跡の応用だと思われる』らしいけど、どうだろう。確かに、右香落ちの上手1六歩〜2六飛は、半ば定跡化されてたから、さもありなんってとこだけど」
深いっスねぇ。
右香落ちなんて、戦前にはもう廃れてたはずっス。
平手とほとんど変わらないっスから。
「後手は7二金として、金美濃に組み替え。先手は予想通りの3五歩、同歩から6六銀」
「意味は8八角成、同銀、3六歩、同飛、2七角の防止だね。それプラス、5五歩、同歩、同銀と歩を補充して、3四歩、4四角、4五桂かな。このとき、振り飛車側から4六歩と捌かせないようにしてるのも、2六飛の効果だよ」
見た瞬間は違和感があったっスけど、ちゃんと考えられてるんっスね。
江戸時代の将棋だからって、バカにしちゃダメっスよ。
「後手からこれを防ぐ手はないから、5三銀。5筋を受けるよね。先手は5五歩、同歩、同銀、5四歩、6六銀と、一歩手に入れたよ。遅ればせながらの5二金に、3四歩」
「さあ、いよいよ開戦だ。後手は4四角しかないね。2二角は、2四歩、同歩、同飛、2三歩、2六飛のあと、2五桂〜3三歩成が防げない。そこで歩を取ろうと4四飛なんて上がったら、5七銀で即死しちゃうよ」
【変化図】
あ、これは終わってるっス。
2二の角に紐が付いてないから、飛車を動かせないっス。
「ここで待望の4五桂馬。6四銀の逃げに、2四歩と突いたね。同歩、同飛、2三歩、2六飛と一旦収めて……」
「さて、ここからは構想力が問われるよ。先手は、3三歩成、同桂、同桂成、同角の攻めのあとに、どうするか、後手は、その前に何を指すか、考えないといけないね」
「Keine Ahnungですわ。Sehr kompliziert」
「うーん、3三歩成を阻止する手がないっスから……」
「5五銀と出る?」
カンナちゃん、過激っスね。
でもでも、それはヤバいっス。
「それは危険だよ。同銀、同歩のあと、6一銀の割り打ちが残ってるから」
「……そっか」
そうっス! 後手はまず、その傷を消さないと、強く戦えないっスね。
「というわけで、本譜は6二金左としたね。わりと自然な手かな。先手は3三歩成、同桂、同桂成、同角のあとに、もう一度3四歩のおかわり」
「角をどこに逃げるかだけど……次に5七銀が見え見えだから、4四角は無理だね。5七銀に5五銀と出たとき、5六歩と置かれて、角が邪魔で4四に下がれないだろう。2四角は角が質駒だから……2二角かな? 本譜は……うん、2二角」
「これでも、5七銀があるっス」
「だね。以下、5五銀、5六歩、4四銀、4六歩」
「この歩が厳しいね。2二角を逆用してる」
そうっスね。これはちょっと、振り飛車が悪いっスか。
3四の歩を何とかしないと、そのうち角を抜かれちゃいそうっス。
「さて、困ったな。4五歩を防止するには……ちょっと考えようか」
おっと、シンキングタイムっスよ!
みんなで考えるっス!
「考慮時間は一分だよ。スタート」
……………………
……………………
…………………
………………
「僕はオッケーだよ」
「Mir auch」
「多分……大丈夫……」
「これは、比較的簡単っス!」
あ、みんなこっちを見たっスね。
でもでも、自信があるっスよ。
「じゃ、角代ちゃんからどうぞ」
「ずばり、5三桂っス!」
っていうか、これしかないっス。
正直、苦し紛れの一手だと思うっスけど。
「Keine andere Wahlですわ」
「私も同じ……」
「僕も、そう指すかな。先手に歩があれば、4五歩、同桂のあと、銀を逃げてから4六歩で終了なんだけど、あいにくの歩切れ。そこを突いた手だね。5五歩は同歩で、問題が解決してないし」
その通りっス。
5五歩、同歩、5三銀は、5四桂で「ぎゃふん!」となるっス。
先手の歩切れを解消させるのも、マイナスっスよ。
「じゃ、先に進もうか。4五歩、同桂、4六銀は当然として……ん、これは」
っと、九十九くん、微妙な顔付きっスね。
でも、その方がイケメンも映えるから、不思議っス。
「ここで5五歩か……」
「銀の進出で4六歩がなくなったから、アリと言えばアリだけど……」
「5四桂と打たれてしまいますわ」
「見落としっスかね?」
「大丈夫と踏んだんだろうね。進めてみようか。5四桂、5二飛、6二桂成、同金」
「なるほどね」
これには、角ちゃんも納得っス。
谷忠兵衛さんも、本に載ってるだけあって、やり手っスね。
「見事に反撃されてますわ」
「そうだね。次の5六歩の取り込みが、猛烈に厳しいよ」
「受けるしかなさそう」
「うん、本譜も受けてるね。6八銀だ」
こうなると、攻守逆転してるっスね。
歩切れは痛いを、あらためて実感するっス。
「で、次は……へぇ」
九十九くん、何だか面白そうな笑みを浮かべてるっス。
「先に見て損しちゃったな。……シンキングタイムだよ」
じゃ、みんなで考えるっス!
……………………
……………………
…………………
………………
むぅ……今回は、難しいっスね……。
「誰からいく?」
「わたくしからで、よろしいかしら?」
おっと、エリーちゃん、自ら名乗り出たっすね。
ドイツからの一番槍っス。
「いいよ」
「わたくしなら、6四桂と打ちますわ」
【エリザベート・ポーン案】
「7六桂を防いで7七銀なら、5六歩と取り込めます。エリーのwunderschönな一手が炸裂ですわよ、オーッホッホッホ!」
その笑い方はどうかと思うけど、賛成っス。無策で5六歩と取り込むと、4五銀、同銀、2二角成で、目玉が飛び出るっスからね。
【変化図】
「私は違うかな……」
あ、カンナちゃん、裏切ったっスね。
「飛瀬さんは?」
「私は4二桂」
【飛瀬カンナ案】
ぐはッ! これもいい手っス! 気付かなかったっス!
「Wunderbar!! 3四の歩を払いながら、両取りですわ」
「正解は、どっちっスか?」
「一分の考慮時間なら、どっちもアリだよね。本譜は、4二桂馬」
「Hmm...」
カンナちゃんの正解っスね。
でもでも、これは咎めていきたいっスよ。
「こうなると、乱打戦だね。そのまま3四桂と跳ねられたら終わりだから、先手は4五銀と喰い千切って、同銀、3三金」
す、すごいことになってきたっス……。
「いろいろ手があるように見えるけど、3四桂しかないかな。代わりに同銀、同歩成、同角は、2三の地点ががら空きになって、飛車を成り込まれてしまうよ」
「3四桂? 角を見捨てますの?」
「しょうがないよね。後手も2二金に2六桂として、すぐに飛車を取り返せるから。以下、3二金、同飛と進めば、駒の損得なし。現代でもアマ有段レベルだよ、これ」
そうっスね。級位者じゃ、この将棋はちょっと指せないっスよ。
「本譜だって、以下……あれ? 何だい、こりゃ?」
「どうかした?」
「書き間違いかな……2六桂のあと、8九金になってるけど」
「そこに動かせる金は、ないっスよ?」
反則っス。
「……おかしいな。最後の五手は、ひとつも並ばない。8九金、4二角、7八玉、1四歩、4九香まで。ボナ子さんの言う通り、七十六手目までしか正しくないみたいだ」
意味が分かんないっス。
悪手ばっかりだし、そもそも指すことすらできないっスよね。
「印刷ミスではありませんこと?」
「データから印刷してるんだ。ミスはありえないよ。ありえるとしたら、データミスの方だろうけど……だいたい、八十一手目で終わってるのがおかし……」
「おいッ! 分かったかッ⁉」
あ、会長のお出ましっス。
すっかり忘れてたっス。
「あ、箕辺くん、いいところに来たよ」
たっちゃんの顔が、輝いたっスよ。
完璧に勘違いしてるっスね。
「さすがは捨神ッ! 答えは何だ?」
「答え? ……何の話だい?」
「暗号の答えに決まってるだろッ!」
……………………
……………………
…………………
………………
「そんなこと、どうでもいいよ。それよりこの棋譜、間違って……」
「どうでもよくないだろッ! 今まで何やってたんだッ⁉」
「棋譜を鑑賞してたんだよ」
ああ、たっちゃんが、頭を掻きむしってるっス。
まるでお猿さんみたいっスね。
「何やってるの? オランウータンの真似?」
「おまえら、ふざけんなッ! オレがクビになったら、どうする気だッ⁉」
「どうもしないよ。そのときは、新体制でいくから」
会長の存在意義を、完璧に否定してるっス。
九十九くんは、やっぱり鬼っスね。将棋バカとも言うっス。
「くそぉ! オレは辞表を出すぞッ! やってられるかッ!」
「たっちゃん、落ち着いてよ」
おっと、ここでふたばちゃんの登場っス。
「ふたば、やっぱりおまえだけが頼りだ」
「このままだと、ボクにも被害が及びそうなんだよね。副会長だし」
さすがは、ふたばちゃん。天使な顔して、言ってることが腹黒いっス。
副会長じゃなかったら、絶対に見捨ててるっスね。
「よぉし、こうなったら、連盟会長、副会長コンビの意地を見せるぞ」
わお、すごいっス。会長から、炎が出てるっスよ。
そんなふうに見えるだけっスけど。
「とりあえず、棋譜の中身を聞かせろッ! それがヒントだッ!」
「それなら喜んでやらせてもらうさ。まずは初手から……」
「かいつまんで言え! 時間がないッ!」
「ふぅ……仕方がないな。じゃあ、かいつまんで説明するよ。実は……」
さあさあ、ミステリーの第二ラウンド、始まるっス。
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