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この謎が解けますか? 2  作者: 『この謎が解けますか?』企画室
この謎が解けますか?
14/36

G線上の有田

Author:平松

 見慣れたはずの横顔に見とれるようになったのは、いつからだっただろう。


「教科書の三十八ページ開いて。この前の続きからやっていきますよ」

 先生は言った。


 教科書を開く。四限目、音楽の授業。ソプラノリコーダーをケースから取り出しながらも、ぼくはどうにも身が入らないでいた。


 それはつまり、あまり認めたくないけれど、どうやら音楽室の席順がクラスルームでの席順と違うことが原因らしかった。


「じゃあ初めから四小節まで。ミレド、まで吹きますよ。さんはい」


 音楽室に笛の音が満ちる。ぼくはそっと隣の席を見た。リコーダーを吹く赤い唇、意外と真剣なまなざし、眉にかかる黒髪。それは、見慣れたはずの横顔。


 空野(そらの)ほまれはぼくの幼馴染だった。


 近所だったぼくらは小学校に入る前からよく一緒になって遊んだものだった。ほまれは少し変わったところがあって、普段はめちゃくちゃずぼらで何にもしようとしないくせに、興味をひかれたことがあると無類の行動力を発揮する。ちなみに部屋は散らかり放題だ。


 どうやら、その興味の中でもほまれが特別張り切るのが身近に起きた事件や謎だった。そのときはたいていぼくが連れ回されることになるわけで、そんな探偵ごっこにひやひやしたのは一度や二度ではなかった。


 そんななんだか危なっかしいこの幼馴染を、ぼくは同級生ながらどこか妹のように思っていた。部活がない日は一緒に帰って(ほまれは帰宅部)だらだら話して、そしてときどき振り回されて。久しぶりに同じクラスになったからって、それはなにも変わらないはずだったのだけど。


 来年、別々の高校に通うことになれば自然と疎遠になっていくだろう、という見通せる未来のせいか、それともぼくも人並みに色気づいてしまったってことなのか、三年で同じクラスになってからどうにもほまれのことが気になって、ヘンな感じなのだ。なんだか「いつもの感じ」が上手く思い出せないというか。


 まあ今から思えば、妹のように思っていた(今でもそんな感覚はあるけど)あの頃こそ危ういバランスの上で成り立っていたのだろう。ほまれは、性格はともかく客観的にみても結構かわいいのだし。斜面を転がり始めた石ころがどんどん加速していくように、気がついたときには、ぼくの気持ちはもう手を伸ばしても届かないところまで転がり落ちていたらしい。


 気がつけば、授業中でもほまれを目で追っていることがある。重症だ。


 そんなふうに吸い寄せられてしまった視線を、元に戻そうとしたとき、ぼくは気づいた。ぼやけたピントの向こうからこちらに向いた視線。あっ、と出そうになる声を飲み込んで、ぼくは慌てて前を向いた。


 目が合ってしまった。ほまれを挟んで向こう側の席の女子――由布歩美(ゆふあゆみ)


 由布はほまれと仲がいいこともあって、ぼくも結構話すことも多いのに。うう、なんか気まずいかも。だけど、なんでクラスに三十人もいる中で、よりによって由布なんだ。こういうときって大抵いつも“よりによって”だ。ああ、もう神様ってやつは。


 冷や汗だかなんだかわからない汗をかきながら、ぼくは何かを誤魔化すようにそんなことをぐるぐる考えていた。



 事件が起きたのはそんなときだった。



「うひゃあ」

 情けない声とともに、ガタンと椅子の倒れる音が響いた。音楽室のカーペットでなければ、もっと派手な音を立てていただろうけど、それでも授業中の異音は教室中の注目を集めるには充分だった。


 音のした先に目を向けると、倒れた椅子のそばでひとり有田(ありた)が立ちあがっていた。有田は助けを求めるように周りを見回していて、小柄な彼が眼鏡がずれているのにも気付かずきょろきょろしている様子はちょっと喜劇役者のようだった。最後列のぼくの席からでは何が起きたのかよくわからなかったけど、その後ろ姿からだけでも驚いて混乱しているのはよくわかった。


 ざわめく教室に先生が注意するけど、すぐさま治まるわけもなかった。隣のだれかは首を伸ばして野次馬してるし。あ、なんかいやな予感。


 ぼくも首を突き出してよく見てみると、有田は両手に分解したリコーダーを持っている。そして机の上には、周りの視線を集める黒い何か。


 あれは――――


「……ゴキブリ?」


 しかしぼくの小さな呟きは、教室中に響き渡る甲高い悲鳴にかき消されたのだった。



 ♪ ♪ ♪



「ねぇ」


 給食を食べ終わって昼休み。ぼくは机にふせっていた。教室はみんな出払ってしまって、人もまばらだった。


「ねぇ」


 音楽室での騒動は、どうやら有田のリコーダーにゴキブリが入れられていたということらしかった。結局、有田がリコーダーを洗って、そのまま授業は続けられたのだけど。


「ねぇってば」


 当然、担任教師には伝わっているだろう。帰りのホームルームの時間に説教のひとつでもあるんだろう。それとも、顔を伏せさせて「やったものは手を上げなさい」みたいなおざなりな犯人探しとか。憂鬱だなあ。


 ペシッ。


「痛っ。起きてるよ。デコピンすることないだろ」

「デコじゃないよ、頭頂部」


 顔を上げると、ほまれが笑っていた。思った以上に近いその顔に少し赤くなる。もっともその距離の近さは、ほまれの中のぼくが昔と少しも変わらず幼馴染でしかないってことなのだけど。


「あのさ、気になることがあるんだよ」

「英語? 数学?」

「勉強のことじゃなくって、音楽だよ。さっきの音楽……って寝るなー!」


 ペシッ。


「事件だよ、これは!」


 わかっていたけど、やっぱり逃げられないらしい。ぐっとこぶしを握るほまれを見て、ぼくは思った。茫然とした有田の様子など、面白そうな事件を前にどこかにいってしまったようだった。好奇心という猫は良心をも殺すのだ。


 ぼくは思わず教室を見まわしたけど、有田はいなかった。まあ、そうだよな。居づらいよ。有田の立場なら、ぼくだってそうする。


「ほまれ。事件といってもいじめじゃない。やめときなよ」


 ほまれの後ろから声をかけたのは由布だった。


 ぼくは事件の前のことを思い出してドキリとしたけれど、由布は気にしていないみたいだった。そりゃそうか、授業中よそ見したってだけのことだもんな。


「そうだよ。悪い癖だぞ」

 ともかく心強い味方を得たぼくは多いに賛同しておく。便乗はちょっと情けないけど。


「うーん。それなら別に気にしないんだけど」


 じゃあ、と言いかけたぼくをほまれの言葉が遮った。



「――だけどね、この事件おかしなところがあるよ」



 ハッとするような響きがあった。思わず由布もぼくも釣り込まれるように聞いていた。


 ほまれがぼくを見つめていた。その真剣なまなざしに、ぼくはある種観念をした。いつだってそうやって振り回されてきたぼくは、その瞳が本当は好奇心に輝いていることを知っているけど。だけど、ぼくはその瞳にほだされてしまうのだ、いつだってそうだったように。



 ♪ ♪ ♪



 なぜかぼくの机を中心に、有田リコーダー事件を検討するため四人が集まっていた。


 そう、三人ではなく四人。ほまれの言った「おかしなところ」を聞こうとしていたところに、「おれ、有田の隣だったからばっちり見てたぜ」とか何とか余計なことを言って、宍戸(ししど)が割り込んできたのだ。


 まあ、いつもなんとなく集まる四人ではあるのだけれど。


 宍戸はいかつい名字に似合わず軟派な調子のいいやつで、今もなれなれしくぼくの肩に手を乗せている。軽いやつではあるけど、つきあいやすい良いやつだ。友情の証と称して、ぼくとほまれをくっつけようと傍迷惑な応援をしてくれたり。まあ、傍から見ると宍戸が由布のことを好きなのはわかりやすいので、邪な意図を感じなくもないけど。


 とはいえ、そんなところが男女混合のグループを成立させているのかもしれない。宍戸がほまれを好きだったら嫌だもんな。


 正面には、そのほまれが陣取って目を爛々と輝かせている。うん、見なかったことにしよう。


 その右に、ほまれからは歩美ちゃんと呼ばれている由布。歩美ちゃん、しっかり者ポジションはきみに任せた。ほまれを止められるのはきみだけだ、がんばれ歩美ちゃん!


 ぼくの熱視線を知ってか知らずか、始めに口を開いたのは彼女だった。


「えーっと、じゃあまず何が起こったのかをはっきりさせておきたいんだけど、宍戸君」

「おう。そうだな、音楽でリコーダー吹き始めただろ。だけど有田のリコーダーが上手く音が出ないらしくってさ、分解して調べようとしたんだな。そしたら、中からゴキブリが出てきて騒ぎになった、と」

「なるほど、状況はよくわかった。よし、もう自分の席に帰っていいぞ」

「わかりました、刑事さん。……ってなんでだよ!」


 冷たいぜ親友、なんて言って肩を組んでくる。それにしても、いちいち言葉に重みがない。


「うーん、やっぱりどこもおかしくないと思うけど。ほまれ、『おかしなところ』ってなんなの?」

「うん、おかしなところというか、不思議に思ったことがあるんだけどね。有田君って音楽のたびにいちいちリコーダーを持ってきてるでしょ」


 まるで有田が特殊だって言いたいような口ぶりだけど、リコーダーまで置き勉する猛者はおまえしかいないと思うぞ。……と、そこで宍戸の能天気な顔が目に入る。いや、もう一人いた。はぁ、なんでぼくの周りにはこんなのが集まるんだ。


「だとしたら、リコーダーは通学かばんに入っていたわけだ。つまり、犯人は他人のかばんを開けて、取り出したリコーダーケースから、さらに取り出したリコーダーを分解してゴキブリを入れて、今度は全部を元通りにしなくちゃいけない。……ね、気になるでしょ」


 言われてみれば確かに気になる。休み時間とは言え、教室には常に人がいる。その中でそんな目立つ行動ができるはずもない。一体いつ入れたんだろう。


 今回のことは毒殺事件として捉えることができるのかもしれない。推理小説でよくあるのが、パーティーなんかで皆で乾杯した後でひとりが倒れる。その飲み物には毒が入っていて一体だれが入れたのか、というお話。そこで重要になってくるのが、だれに機会があったのかということなのだけど。


 はたして、「毒」を入れる機会はあっただろうか。


 そこで、ひとつ思い浮かんだことがあった。――そうだ、あの時なら。


 だけど、ぼくの言葉は、おずおずと上げられた由布の手に遮られることになった。


「いや、何か思いついたってわけでもなくて、ただの提案なんだけど、これから議論するんでしょ」

「うん」ほまれが当然よ、って顔で答える。

「だったらさ、その……アレのことはGって呼ばない? あんまり連呼するのも嫌だし」

「うん、いーよ」


 これからの議論の中でたぶんこれが一番有意義な意見になるだろう、とぼくは確信した。気を取り直しまして。


「体育じゃないかな」

 ぼくは言った。

「今日、教室に誰もいなくなったのは、三限目の体育の時間だけだ」


 あれ、ほまれの顔が冴えない。けっこう自信あったんだけど。


「もしかして、だめなの?」

「うん。まあ検討してみようよ」


 そうだな。間違っていたとしても、可能性をひとつずつ潰していこう。


「言われてみるとそこしかないような気がするけど……。あれ、体育の時間だとすると犯人は女子のなかにいるってことになるのかな」

「たしかに手口のインシツさが女子っぽいよな」


 由布の言葉に、宍戸が人類の半分を敵に回すようなことをさらっと言った。なぜだか、ぼくの頭が痛い。


 体育の授業は隣のクラスと合同で行う。男子は隣のクラスで着替え、うちのクラスで着替えるのは女子なのだ。


「やるとしたら着替える時に最後まで残って、てことだよな」

「あー、それは無理かも。日直が戸締りして鍵をかけることになってるから」

「そうなの? そんなことしてるかなあ」

「女子はちゃんとしてるの!」


 宍戸がとぼけたことを言って突っ込まれていたけど、実はぼくも知らなかった。でも考えてみれば当たり前か。


「ということは最後まで教室に残れた日直こそ犯人ってことだ。今日はだれだったっけ」


 ――あ。

 黒板に書いてある今日の日直を確認して、三人の声が重なった。


 黒板には佐藤(さとう)の名前。佐藤というのは、あの時すごい悲鳴をあげた女子だ。うん、あれは絶対演技じゃない。


「だめかー」

「でも体育じゃないとすると、他に思いつかないよ」

「朝はどうだろう」


 宍戸が言った。朝? 朝ってどういうことだろう。


「有田って部活もしてないのに朝早いんだよ。朝一番に来たら教室の鍵をあけるのに職員室に行くだろ。それで、職員室で鍵を貰うときに帳簿に名前を書くんだけどさ、そこに有田の名前がいっぱいあって意外に思ったことがあって知ってるんだ。

 つまり朝一番に来た有田が、荷物を置いてトイレなんかに行ったりすれば、Gを入れるところをだれにも見られないだろ」

「それってクラスで二番目に登校した人が犯人ってことでしょ。てことは、犯人は有田のリコーダーにGを入れるために早く登校したってことだよね」

 ほまれが突っ込んだ。


「そうなるな」

「つまり犯人は、有田が一番に登校して、なおかつ他の人が登校してくる前に席を立つ偶然を期待してたってことになるけど」

「うーむ」


 完全に論破された宍戸に代わって、由布が声を上げた。


「じゃあさ、犯人はGを最初は例えば机に入れるつもりだったんだけど、たまたま絶好の機会に巡り合ったから、というのは?」

「今度は犯人が偶然二番目に登校したってことになるよ。さすがに苦しいよ」

「うーん」


「放課後はどうだろう?」

 ぼくはとりあえず思いついたことを言ってみた。


「まだお昼休みだよ?」

 いや由布、そんな心配そうに見ないでくれ。


「一週間前、この前音楽の授業があった日の放課後なら機会はあるんじゃないか。Gといっても死骸なわけだから、一週間前から入っていたとしても不思議じゃない」

「ちょっと待った。Gなら一週間くらい余裕で生き延びる……ってそうじゃなくって、さっきも言ったけど有田は部活入ってないから、結局機会はないと思うぞ」


 そっか。でもこの考え方は悪くはないんじゃないか。何も今日入れられたとは限らないのだ。


「有田の友達が家に遊びに行ったときに入れたとか」

「なんで友達の家にGを持っていくの。シチュエーションが不自然すぎるよ」

「そもそも有田君に友達っているのかな」


 ほまれに呆れられてしまった。そして、由布の意外な毒舌に宍戸が固まっている。怖いよ、歩美ちゃん。


「兄弟げんかとか」

「有田はひとりっ子だぞ」


 ぼくの投げやりな提案はすかさず宍戸に却下された。


「というか何でお前、そんなに有田のこと詳しいんだよ。……怪しい」

「怪しくねーよ! 普通、クラスメートのことくらい知ってるだろ」


「あ、アヤしい」

 なぜか顔を赤くして、動揺する由布だった。


「でもさ、もうおれこれ以上思いつかねーぞ。空野はなんかないのかよ」

「うーん。何かもうちょっとなんだよね。考え方を変えれば、すぐ正解にたどりつけそうな気はしてるんだけど」

「あ、あ、あのさ、やっぱりいじめだったんじゃないかな」


 そこで由布は声を落とした。


「有田って軽くいじめられてるでしょ。ほら、井上(いのうえ)君とか難波(なんば)君とかに。だから通学かばん取り上げられて持って行かれたりしたんじゃないの。それなら説明がつくでしょ」


 あれ、有田のこと呼び捨てになってる。なぜか、さっきから微妙に有田にキビしい気が。由布ってだれでも隔てなく接するタイプだと思ってたけど。


「いや、わたし今日はずっと教室にいたけど、そんなことなかったよ。それにいじめの質が違うよ。あの手のやつらって、いじめといじりの間を狙うというか、大ごとにしないような狡猾さがあるもん。Gをリコーダーに入れるってのは違うと思う」


 ほまれが否定したけど、それはわかる気がする。いつもいじめているからこそ、ある一定のラインは踏み越えないというような。男同士の喧嘩で金的はしない、みたいな。いやそれは違うか。


「じゃあ、今度こそ本当に降参だな、ほまれ」

 ぼくは話を切り上げようと、言ったのだけど。



「――いや、歩美ちゃんの話がヒントになってついにわかったよ、犯人が」

 ほまれは言い放ったのだった。



「ええっ、わたしの話⁉」

「だって、今まで話してきてだれにも無理だったじゃないか」


 ぼくらの言葉に、ほまれは不敵に笑った。


「無理なんて言ってもリコーダーにGが入っていた以上、だれかが入れたのは間違いないんだよ。それに一人いるじゃない、簡単にそれができた人物が」

「……簡単にって、まさか」

「うん、そうだよ。有田君ならいつだってできたことだよね」


 ほまれは被害者のはずの有田自身を犯人として指摘したのだった。自作自演――たしかにそれなら犯行自体は簡単だろうけど。


「空野、ちょっと待てよ。なんで有田が自分でそんなことする理由があるんだよ」

「そう、それこそ事件がこんな形になった理由なんだよ。大体こういうことだと思うんだけど――」


 ほまれはそこで指を一本立てた。


「いじめられてた有田君はそれを告発しようとした。だけどそのことを自分で先生にチクったとなれば、それを理由にもっといじめられるかもしれない。だから、有田君は一計を案じたんだ。

 明らかにいじめとわかるようなことを自作自演する。そして、それは授業中でないといけない。授業中に起きたこととなれば、事なかれ主義の先生だって無視できないでしょ。そうすれば、芋づる式に本当のいじめのことも問題視されるだろう、って。

 それには授業中しか使わない、そして人の手でしか開けられない小さな密室であるリコーダーがちょうどよかったんだね。まあ、これでうまいこと行くといいんだけど。いじめなんて楽しくないもんね」


 そう言ってほまれは嘆息した。


 もうそろそろチャイムが鳴る、教室にも人が帰ってくるだろう。時計を見てぼくは思った。


 どうやら、事件のことを真面目に考えなきゃいけないらしい。とりあえず、次の休み時間は職員室に行くべきだろうか。ぼくはほまれの推理を少しも信じていなかった。



 ♪ ♪ ♪



 放課後。ぼくは校庭を歩いていた。


 校舎裏、自転車置き場からは少し離れたところ。普段はだれも近寄らない、そんな場所。


 彼女はそこで待っていた。


 やあ、なんて言える空気でもない。足が重かった。校舎の影に入ると、ひんやりとした土の匂いがした。グラウンドのざわめきもここまでは届かないようだった。


 結局ぼくは言わなきゃならないのだ。沈黙のなか、心をきめると言葉はするりと口を出た。


「君が犯人だったんだね」



 彼女は――由布歩美はうつむくように頷いた。



「どうして……どうしてわかったの」

「いや、わかってなかったんだ。さっきここに呼び出すとき、ハッとして青褪めただろ? それでわかったんだ」

「だけど疑ってはいたんでしょ。今更こんなこと聞いても何にもならないけれど」

 由布は自嘲するように笑った。


「そうだね。じゃあ、始めから順番に話すよ。まず、ぼくはほまれの推理を全然信じていなかったんだ。根拠は単純。悲鳴を上げた佐藤を犯人候補から除外したことがあったよね、あれは演技じゃないって。あれとおんなじなんだ。有田のあの時の驚きようは演技じゃなかったよ」


 演技だとしたら「うひゃあ」なんて情けない悲鳴は上げない。「わあ」でも「うわあ」でもいいのだ。同じ中学生男子として絶対ないと言ったっていい。


「だけど、それならだれが犯人だろう。ほまれの推理は信じてなかったけど、それ以外も考えられなかったから。そこで、思ったんだ」


 有田は本気で驚いていた、だけどリコーダーにゴキブリを入れたのは有田自身としか思えない。つまり、それが答えじゃないか。あり得ないように思えるけど、これって本当に両立しないのか。


「有田自身がそうと知らずにゴキブリを入れた、という状況は成立しないのか――?」


 由布が顔を上げた。そう、成立するのだ。ぼくがこの閃きを得たのは、ちょうどほまれが自身の推理を語り終えたときだった。


「今朝、有田はクラスで一番早く登校したんだ。これは職員室の帳簿で確かめた。そこでこんなことがあったんじゃないかな。

 朝早いだれもいない教室にひとり。そんなところへ、気になる女子の机にリコーダーがあるのを見つけてしまう。今日は音楽があって、自分もリコーダーを持ってきている。――すりかえてしまえ。今ならだれも見ていない。ばれることはない。

 そうして、有田は自分のリコーダーとゴキブリの入ったリコーダーを交換したんだ」


 では、すり替えられたリコーダーとはだれのものだったのか。考えなくてもわかった。リコーダーを置いている女子はほまれしかいないから。


「ここで事件は他人事じゃあなくなった。つまり、だれがほまれのリコーダーにゴキブリをいれたのか、という問題だ」


 だけどこれは、全然見当がつかなかった。有田の場合とは逆に、だれだってできるってことに躓いたのだ。同じクラスのだれかとは限らない、この学校に通っているならだれだってできた。


 だから刑事ドラマのセオリー通り、ほまれに関係が深い人から考えることにした。もっとも、だれを疑ったところで警察官でも名探偵でもないぼくに、何かができるわけもないとはわかっていたけど。だけど、何かせずにはいられなかったから。


「由布が犯人の可能性はあるだろうか? 手近なところから可能性をつぶしていく、それだけのつもりだった。だけど、そのとき一つの光景が頭に浮かんだんだ。事件の直前、ほまれを見ていたぼくは由布と目があって慌てたことがあったね。あのとき、由布もほまれを見ていたのではないか、って」


 そう、まるで犯人が仕掛けた罠を確かめるように。もちろん、そんなのはぼくのくだらない妄想だと思った。穿った見かただと思った。

 だけど由布が犯人だとすると納得できることもあった。由布の有田への辛い評価が不思議だったけど、犯人だったなら有田のしたことは明白だったろうから。


「だから、訊こうと思った。まっすぐこの疑いを話してしまえば答えてくれるんじゃないか、ってそう思ったから」

「ゴキブリをリコーダーに入れるような陰湿なやつなのに?」

「そうだね。たぶんぼくは自分のこの疑いを少しも信じていなかったんだ。きっと呆れられるって思ってた。そうしたら、ちゃんと謝って協力してもらうつもりだったんだ。ほまれのリコーダーのこと相談に乗ってもらおう、って」


 ぼくは自分のことを話す前に、由布の声が震えていたことに気づくべきだったのだ。瞬間、吹きあがった感情に押し上げられるように由布は顔を上げ、ぼくをキッと睨みつけた。


「お似合いじゃないっ」

 由布は叫んだ。


「自分の都合のいい答えを期待して、ホントのことを受け止める気もない癖に問い詰めて。嘘をつかれても何かした気になって自己満足するんでしょ。自分の面白さのために人の心にずかずか踏み入るほまれにそっくりじゃない。

 わたしはほまれが嫌いなんだっ。だからゴキブリを入れてやったんだ。自分が当事者になってもニヤニヤ笑ってられるのかって」


 ぽたり、ぽたりと涙が地面を打った。由布は肩で息をすると、顔をそむけて鼻をすすった。激情は涙に溶けてしまったようだった。


 長い沈黙がぼくらを包んだ。ぼくは何も言うことができなかった。


「ほまれじゃないよ。……わたし、ほまれを見てたんじゃないよ」

 ぽつり、と由布が言った。


「今日、ほまれに全然話しかけられなかった。ほまれのほうを見れなかった。音楽の授業が近付くにつれて、どんどん気持ちが重くなっていって、なんであんなことしちゃったんだろう、って。

 ホントはわたしわかってたんだ。自分勝手な醜い嫉妬だって。そんなことしたって惨めになるだけだって。

 だから頭の中で耳をふさいで何にも考えないことにしたんだ。何もなかった。何も知らない、って。そうしたら、いつもの癖がでちゃったんだね。

 わたし、君を見たんだよ。いつも知らず追っかけてた、数学のときも、英語のときも、音楽のときも。君がほまれを見ているときも。だから、ほまれのことはそのとき頭になかったんだ」


 可笑しいね、と言って由布は笑った。

***The Next is:『彼女はスマート、彼はスウィート』

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