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 呆然と僕を見つめる三人組。その中で最初に我に返ったのはエルネストだった。

「なんということだ。猫にしては少しばかり大きいと思っていましたが……まさか、自動人形だったとは……」

 青ざめて硬直していた顔が歪み、不気味な笑顔に変わっていく。喜色満面。伝説の自動人形と対面できたのが嬉しくてたまらないのだろう。僕の正体を知ってこれほど感激してくれる人がいるとはね。

「サバトさん」

 エルネストは僕に呼びかけた。さん付けで呼ばれるのは初めてだ。

「カペーリアさんと私の話は聞いておられましたね?」

「うん」

「では、改めてお願いします。教団に協力してください」

「やだね」

 そう答えた後、僕はカペーリヤに訊いた。

「君はどう?」

「あたしもいやね。本を計画的に繁殖させるなんて性に合わない」

「というわけだ」と、僕はエルネストに向き直った。「君たちは僕を必要としているようだけど、僕は君たちを必要としていない。だから、僕が君たちのところに行くのではなく、君たちが僕についてくるのがスジってもんじゃないかな」

「一緒に外界に行けと仰るのですか? それはできません」

「どうして?」

「恐いからよ」と、カペーリヤが言った。「こいつらは外界に出ることを恐がってんの。そうでしょ?」

「そうですね。認めたくありませんが、少し怖いです。しかし、私が〈図書館〉から出ない理由は恐怖だけではありません。〈図書館〉を捨て、穢れた外界に行くことは教義に反するからです」

「そんなことはないよ。君たちが崇める館長サマであるところの父さんは〈図書館〉から出たがっていたんだ」

「貴方の父君と私たちの館長は別物ですよ。父君はあくまでも館長のルーツであり、館長そのものではありません」

「君たちは本を先祖返りさせることはできるのに、館長という偶像を父さんの真の姿に戻すことはできないのかい?」

「できるかもしれませんが、そんなことに価値や意味があるとは思えません」

 その時、小さな唸り声のような音が頭上から聞こえてきた。司書の羽音だ。司書は往路と帰路を変えるから、さっきの司書が戻ってきたわけじゃないだろう。

「司書が来たようですね」

 と、エルネストが言った。

「司書が来たようだね」

 と、僕も言った。

「どうなさるおつもりですか?」

「僕の意志は変わらない。司書に乗り込んで外界に行くよ。君たちはどうする?」

「我々の意志も変わりません。貴方に来てもらいます。言っておきますが、教団が求めているのは貴方の知識だけです。つまり、貴方を五体満足な状態で連れ帰る必要はないということですよ」

「言っておくけど、僕も君たちを五体満足で帰す必要はないんだぜぇ」

 僕は迷賊(ビブリガンテ)じみた語調で凄んでみせた。我ながら迫力が無い。やらなきゃよかった。

 アメディオが鉈を構え、テオドーロが弩を僕に向け、エルネストが静かに問いかけた。

「たった一匹で我々に抵抗できると思っているのですか?」

「一匹じゃないよ」

 そう言って、カペーリヤが銃を構えた。

 銃口を向けられた相手はテオドーロだ。煙管を差し出された意味が理解できないのか、微かに顔をしかめている。

 カペーリヤは大男に優しく微笑みかけて――

「煙草、吸う?」

 ――相手が返事をする前に引き金を引いた。

 銃声が轟き、テオドーロの首が後方に曲がり、後頭部から血と脳漿が噴き出し、弩から発射された矢があらぬ方向に飛んで行き、巨体が半回転して倒れる……というような光景が見えた。いや、見えたような気がした。はっきりと見たわけじゃない。僕は銃声を聞くと同時に走り出していたから。目標は禿げ頭のアメディオ。形ばかりの助走を経てジャンプし、鳩尾に頭突きを喰らわせた。アメディオは露台の手摺にもたれるようにして立っていたから、うまくいけば、この一撃で突き落とすことができるだろう。

 思った以上に頭突きは効いた。標的だけでなく、僕自身にも。頭に強い衝撃を受け、視界が暗転した。暗闇の中で星が瞬き、アメディオの絶叫が耳を打つ。あるいは僕の悲鳴なのかもしれない。半秒も経たぬうちに視力は回復し、僕は自分が今まさに虚空を舞い落ちようとしていることを知った。アメディオが虚空の底に落ちていく様子もチラっと見えた。僕は空中で身体をひねり、露台の手摺に着地した……つもりだったけど、後脚を滑らせて体勢を崩したため、前脚で手摺に必死にしがみつくという無様な姿を晒してしまった。

 幸い、その醜態は誰にも見られなかった。テオドーロは既に死んでいるし、アメディオは遥か下方で空中散歩を楽しんでいるし、エルネストはいつのまにか俯けに倒れている。そして、カペーリヤはエルネストの上に馬乗りになっていた。僕が頭突きをぶちかましているあいだにその体勢に持ち込んだのだろう。あいかわらず素早い。

 エルネストの左右の腕の付け根はカペーリヤに両膝に押さえ込まれていた。にもかかわらず、彼の上体は反り気味になっている。カペーリヤに首を絞められているのだ。何事にもスマートな方法を好むカペーリヤのことだから、素手で絞めるなんて野蛮なことはしない。エルネストの首にかけられていた懐中時計の鎖を使っていた。

 喉の奥から苦鳴を搾り出しながら、エルネストは足をばたつかせている。彼の声を聞いているうちに妙な違和感のようなものが心に浮かび上がってきた。何かがおかしい。だけど、それが何なのかは判らない。

 やがて、エルネストの声は途切れ、足も動かなくなった。

「終わったみたいだね。でも、ちゃんと死んでるかどうか確認したほうがいいよ。絞殺というのはいまいち信頼性に欠け……」

「サバト!」

 カペーリヤは僕の声を遮り、エルネストの死骸を蹴るようにして駆け寄ってきた。

「どうしたのさ?」

「あれを見て!」

 僕の頭を掴み、露台の奥に向かって強引にねじまげる。

 召喚灯が僕の視界に入ったが、召喚灯の輝きは視界に入らなかった。それはもう点滅していなかった。光を放っていたはずの先端部には小さな矢が刺さっている。テオドーロの弩から放たれた矢だ。

「××××!」

 あまり女性が口にすべきでない類の悪態がカペーリヤの口から吐き出された。

 この時になって、僕は先程の違和感の正体が判った。司書の羽音が近付いてこないのだ。

 虚空を見上げた。司書は一つ上の階層で行ったり来たりを繰り返している。召喚灯が消えてしまったので、戸惑っているのだろう。いずれ飛び去るに違いない。書庫に行って、螺旋階段を全速力で駆け上がって近付くべきだろうか? いや、たぶん、間に合わないだろう。今回はあきらめ、別の王台を探すべきだろうか? それも難しい。無人の王台がまた見つかるとは限らないし、エルネスト以外の教団関係者も僕やカペーリヤに目を付けているかもしれない。

 僕は意を決した。手摺りの上を一気に駆け、召喚灯の柱めがけて跳躍し、それを蹴って更に高く飛び上がる。僕を猫型にしてくれた父さんに感謝しなくちゃいけない。人間型だったら、こんな細い場所を走ることはできなかっただろう。

 このアクロバットに要した時間はほんの一瞬だったけど、空中を舞っている時間はもっと短かった。風を切る快感を満喫する間もなく、僕は着地していた。場所は、司書が持っていた木箱の上だ。司書の頭部に掴まるつもりだったけど、その下に落ちてしまったらしい。でも、ここのほうが頭部よりも安全だ。足場があるので、どこかにしがみついておく必要も無い。

 しかしながら、足場があると言っても、そこはまともに歩けるような場所ではなかった。木箱に蓋は無く、物資は剥き出しになっている。薄汚れた毛布、粗い切り方をされた木材、縁の欠けた空き瓶、固そうな干し肉、折れんばかりに撓められた弓などなど。で、それらの上に僕は乗っているわけだ。足首まで埋もれているし、下手に動くと、首まで埋もれてしまうかもしれない。

 司書が木箱から肢を離すと、僕は木箱や物資ごと虚空に落ちていくことになる。でも、司書はそんなことはしないだろう。物資を捨てるなんてことは〈律〉が許すまい。そう思って安心していたら、司書の二列目の肢が動き始めた。内側に折り曲がり、僕に向かってくる。自動人形同士の絆を深めるために握手を求めている……なんてことはないだろうな。きっと、僕を害意ある者と見做して排除するつもりなんだ。

 僕は周囲を見回し、武器を探した。小さなナイフが目に止まった。少しばかり歪んだ金属の刃、動物の骨でできた柄。見てくれは悪いけど、そんなことを気にしちゃいられない。僕はそのナイフの柄をくわえた。

 鉤爪の付いた右肢が突き出されてきた。僕はかろうじてそれを回避した。肢の動きはさして速くないので、もっと簡単に避けられそうだけど、ここは足場が悪すぎる。息つく暇もなく左肢が襲ってきた。避ける余裕は無い。僕は頭を振り、口にくわえているナイフで肢に斬りつけた。鉤爪と刃がぶつかり、火花が散る。柄に噛み付いている歯から激しい衝撃が伝わってきた。このまま何回も打ち合ったら、歯が抜けてしまうかもしれない。次の瞬間、その心配は永遠に消えた。またもや右肢が突き出され、それを受けたナイフの刃が根元から折れたのだ。

 無駄と知りつつ、僕は第二の武器を探した。案の定、何も見つからない。その代わりというわけでもないが、視界の隅にカペーリヤの姿が映った。

 彼女は露台に立ち、拳銃を構えていた。銃口はこちらに向けられている。

「――!」

 カペーリヤが叫ぶ。司書の羽音と駆動音が僕の耳をバカにしているので、彼女がなにを叫んだのかは判らなかった。だけど、銃声は聞こえた。聞こえるわけがないのだけれど、僕はそれを確かに聞いた。

 赤色に煌くガラスの破片――司書の複眼のなれの果てが舞い落ちる。まるで、穴だらけの赤い幕が降ろされていくようだ。複眼だけではなく、その奥にあるもっと重要な機構も何らかのダメージを受けたのか、司書の肢の動きが止まった。

 赤い幕の奥にいるカペーリヤの表情は見えないが、彼女がこちらに向かってなにかを投げるところは見て取れた。その「なにか」は司書の顎にあたり、僕の前に落ちた。

 教団の手で先祖返りした、あの本だ。

 これをどうしろっていうんだ? そう尋ねようとした時(尋ねたとしても声は届かなかっただろうけど)羽音が激しくなり、周囲の光景が回り始めた。翼の動きと同調するかのように、司書が身体を回転させているのだ。自分をまともに制御することができなくなったのだろう。

 身体の回転速度は徐々に速くなっていく。目が回る。状況を把握することはできない。当然、カペーリヤの姿も見えない。

 僕は物資の隙間に半身を潜り込ませた。そうしないと、ここから吹き飛ばされてしまうかもしれない。はっきりとは判らないけれど、司書は降下を始めているらしい。このまま外界に行ってくれたら、僕の旅は終わる。



 あまりにもあっけない。なんだか、旅に費やしてきた百七十五万時間が無駄なものに思えてきた。まさか、こんなに簡単に司書に乗れるなんて。これと同じようなチャンスやこれ以上のチャンスは前にもあったような気がする。

 なぜ、僕はそのチャンスを試さなかったのだろう? もしかして、僕も外界に出ることを恐れていたのか? エルネストたちと同じように……。

 なんだか本当に恐くなってきた。外界に行ったら、僕はどうしたらいいのだろう?

 父さんから与えられた使命を果たしたことになるのだから、これからは自由に生きることができる。でも、その自由というのが恐ろしい。〈図書館〉の本たちは、意味のある文章を綴ることを放棄して自由に文字を並べる屑本と化したため、不用な物だと見做されるようになった。僕も同じだ。〈図書館〉という世界で外界を目指していたからこそ、僕は相棒たちに必要とされた。でも、外界で僕を必要としている者はいない。

 いやいや、そんなことを考えるのはまだ早いかもしれない。この狂った司書が外界に行くとは限らないのだから。仮に外界に行ったとしても、司書がどこかで力尽きて墜落する恐れもある。

 もし墜落しそうになったら、自分から飛び降りよう。そして、軟らかそうな地面に狙いをさだめて、空中でクルッと身体を回転させて、華麗に着地してみせる。

 猫みたいにね。

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