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〈図書館〉は本でいっぱいだ。

 本の繁殖周期は五万時間もあるし、無接触交合の成功率は五〇パーセントにも満たないと言われているし、良識ある人々は無価値な屑本を焼き捨てることを厭わない。にもかかわらず、本は着実に増え続けている。

 僕と相棒がいる書庫の床も無数の本に埋め尽くされていた。数が多すぎて確かめることはできないけど、きっと、すべての本が屑本だ。それらを収納すべき書棚は一つも見当たらない。この辺りに住んでいた人たちに解体され、家具や薪にでもされたのだろう。どうせなら、書棚だけじゃなくて、本も始末してくれればよかったのに。

 僕は何冊かの本を掘り出して窪みをつくり、そこに身を伏せて耳を澄ましていた。

 書庫の中央を貫く螺旋階段の下方から足音が聞こえてくる。

「二人だ。どちらも成人の男だと思うよ」

 と、僕は相棒のカペーリヤに伝えた。

 彼女は僕のように隠れたりせず、螺旋階段の傍に堂々と立っていた。

「二人ぐらいなら、なんとかなるかもね」

「なんとかって?」

「これに決まってるでしょ」

 カペーリヤは首をかき切るジェスチャーをしてみせた。

 僕はカペーリヤの腰に目をやり、ベルトに差し込まれている武器を確認した。手斧と短剣、そして、彼女が「煙管」と呼んでいる代物。それらが血を吸うような事態にならないことを願いながら、更に身を深く沈める。

 やがて、螺旋階段から二人の男が飛び出してきた。

 僕のささやかな願いは誰にも聞き届けられなかったらしい。男の一人は曲刀を腰に吊るし、もう一人は槍を持っている。二人とも定住者らしからぬ衣服を着ていたが、大きな荷物は持っていない。交易者や探索者の類ではないだろう。きっと、迷賊(ビブリガンテ)だ。再生教団の巡礼者よりはマシだけど、話の通じる相手でないことに変わりはない。

 曲刀の男はカペーリヤを見て、口笛を吹いた。判りやすいヤツだ。一方、槍を持った男は血走った目で書庫を見回した。召喚灯の位置を確認しているに違いない。

 書庫は六角形をしており、すべての壁にアーチが穿たれている。四つのアーチは別の書庫に通じ、二つのアーチは廻廊に通じている。槍男の視線は、廻廊に通じるアーチの前で停止した。窪みに隠れている僕の姿は目に入らなかったようだ。

「見間違いじゃなかったぜ、ハンス!」と、槍男は逸史語で叫んだ。「ほら! 召喚灯が真っ赤に光ってやがる!」

 やっぱり、こいつらは召喚灯を見てやってきたのだ。召喚灯は司書を呼び寄せるためのものだけど、この手の輩も呼び寄せてしまう。

 しかし、ハンスと呼ばれた男の興味は召喚灯よりもカペーリヤのほうに傾いているようだった。彼は召喚灯を一瞥すると、すぐにカペーリヤに向き直り、ゆっくりと近付いた。

「俺たちはついてるな。手付かずの召喚灯だけじゃなくて、こんな上玉も見つけることができるなんてよぉ。館長様のお導きってヤツかもしれないぜ」

「うふっ!」

 カペーリヤが笑った。「上玉」と評価されたのが嬉しいのだろう。

 その笑い声を聞くと、ハンスの足が止まった。僕の位置からは彼の後姿しか見えないけど、たぶん、顔を強張らせているんじゃないだろうか。目の前にいる女性がただの獲物でないことをようやく悟ったのだろう。

 カペーリヤは穏やかな声で二人組に言った。

「あの召喚灯を見つけたのはあたしよ。でも、あんたたちに譲ってあげてもいい。あたしの邪魔さえしなければね」

 その言葉は嘘でも冗談でも脅しでもない。ある目的を果たすことができたら、僕とカペーリヤはもう召喚灯を必要としなくなる。ここに二度と近付くこともないし、この二人組と会うこともないだろう。

 だけど、槍男にはカペーリヤの誠意は通じなかったようだ。なめられているとでも思ったのか、彼は大量の唾と一緒に怒声を吐き出した。

「ふざけんじゃねえ!」

「ふざけちゃいないわ。でも、そっちがその気なら――」

 カペーリヤはベルトから手斧を抜いた。

「――ふざけちゃおうかなぁ」

「このアマ……」

 槍男は身構え、ハンスも曲刀を抜いた。

「一人で俺たちに勝てるつもりか?」

「一人じゃないよ」

 と、僕が声を発すると、男たちは同時に振り向いた。

 その隙を見逃すカペーリヤじゃない。本が積もった床の上を滑るように動き、槍男の後頭部に手斧を叩き込んだ。

「このアマァ!」

 先程の槍男と同じ言葉を吐きながら、ハンスがカペーリアに斬りかかった。

 カペーリヤは素早く身を退いて、斬撃を躱した。彼女が離れると、頭から手斧を生やした槍男が前のめりに倒れた。だけど、槍は落ちなかった。それはカペーリヤの手に移っている。斧を打ち込んだ時に奪ったのだ。

 身体ごとぶつかっていくような要領でカペーリヤは槍を突き出した。だが、ハンスの曲刀が閃き、槍の穂先が払われる。そのまま、カペーリヤの懐に飛び込む……というようなヴィジョンを心の中で描いていたのだろうけど、懐に飛び込んだのはカペーリヤのほうだった。槍は、払われると同時に捨てている。

 ハンスは曲刀を構え直そうとしたが――

「ぐげっ!?」

 ――カペーリヤに体当たりされると、苦鳴をあげて後方に転倒した。そして、二度と起き上がることはなかった。彼の左胸には、カペーリヤのベルトに差されていたはずの短剣が突き立てられている。目にも止まらぬ早業。僕の目には止まったけどね。

「お見事!」

 僕が賞賛の言葉を投げると、カペーリヤは冷たい眼差しを返してきた。

「なぁーにが『お見事』よ。かよわい乙女にゴミ処理を任せて、自分は高みの見物。そういうのって、男として恥かしくない?」

「いや、僕も加勢するつもりだったんだよ。だけど、君の戦い振りに見とれてしまって、何もすることができなかったんだ」

「はぁ?」

 カペーリヤは呆れかえったけど、僕の言葉の半分は本当だ。

 戦闘時のカペーリヤの動きは僕を魅了する。優雅でありながら、無駄が無く、とても機械的だから。もしかしたら、機械的どころか、本当に機械仕掛けなのかもしれない――そんな淡い期待を抱いてしまうほどに。



 僕は〈図書館〉が嫌いだ。不条理で不自由で不自然で、なんというか……そう、寓話的な世界だから。寓話に教訓や智慧が隠されているように、この〈図書館〉にも大きな意義が秘められているのかもしれないが、僕はそれを見つけることができないだろう。寓話から教訓を学ぶのは読み手であり、登場人物ではないのだから。

〈図書館〉の水平面の断面図があるなら、それは六角形の穴がひしめく蜜蜂の巣箱に似ているかもしれない。断面図を覆い尽くす六角形の総数は億の単位を超えるけど、その種類は二つしかない。一つは虚空を包む廻廊、もう一つは書庫だ。すべての六角形の各辺にはアーチがあり、別の六角形に通じている。書庫の中央にある螺旋階段を使えば、上下の階層に移動することもできる。でも、百のアーチをくぐり抜けても、千の階段を昇っても、〈図書館〉の果てに到達することはできない。〈図書館〉の構造は円環的なものであり、「果て」なんてものは存在しないのだから。

〈図書館〉そのものは広大無辺であるにもかかわらず、廻廊や書庫の壁はとても狭い。壁じゃなくて、アーチの支柱と見做すべきなのかもしれない。その狭い壁/支柱には給水口と照明と時計が埋め込まれている。給水口からは無限に水が出てくるし、照明は決して消えることがないし、時計は永遠に時を刻み続ける……はずだったらしいが、長い年月の間にそれらは老朽化した。今では、栓を捻っても水が出ない給水口は珍しくないし、壊れてしまった照明も沢山あるし、大半の時計が動くことをやめている。書庫の角の一つには浴室とトイレを兼ねた小部屋があるけど、そこの水流機構もまともに動かないことのほうが多い。

 そう、〈図書館〉は人間が住めるような世界じゃないんだ。人間が必要としている物は無く、人間を必要としている者もいない。にもかかわらず、人間は滅びなかった。休むことなく働き続ける司書たちのおかげで。

 司書は外界から食糧や道具や医薬品を運んできてくれる。時には小動物を生きたままの状態で運んでくることもあるし、苗のついた土塊を運んでくることもある。もちろん、人間のことを思ってそんなことをしているわけではなく、この世に生み出された時に植え付けられた〈律〉に従っているだけだ。でも、〈律〉に縛られているとはいえ、ある意味で司書は自由だ。〈図書館〉と外界を行き来することができるのだから。

〈図書館〉の人間は外界に出ることはできない。太陽や月や空や山や草原や海や川や雨や雪や城や塔や多くの動植物を見ることなく、場合によってはそれらの存在を知ることもなく、この閉ざされた世界で一生を終える。だけど、外界が〈図書館〉よりも住みやすい世界だという保証はどこにも無いので、まともな人たちは自分の運命を受け入れてしまう。では、まともでない人たちは……? 外界を目指すのだ。僕の父さんのように。

 外界への脱出を試みる者は二種類に分けられる。貴重な原種の本や原種に近い本を読みあさり、外界に出る方法を模索する研究者タイプ。〈図書館〉を歩き回り、外界に通じる門を探し求める探索者タイプ。父さんは前者だったけど、後者を軽んじてはいなかった。だからこそ、外界への夢を僕に託し、旅立たせたのだ。



 二人組が完全に息絶えていることを確認した後、僕たちは書庫から廻廊に移動した。

〈図書館〉の他の廻廊がそうであるように、その六角形の廻廊も虚空を取り囲んでいた。廻廊の外側の各辺にあるアーチからは本が溢れ出し、床を埋め尽くしている。その情景も他の廻廊と同じだ。唯一の相違点は、廻廊の角の一つから虚空に向かって露台が迫り出していること。とはいえ、それはこの廻廊だけの特色というわけじゃない。〈図書館〉には「露台のある廻廊の数は千の千倍」という定説がある。そして、「それは廻廊の総数の千分の一にも満たない」という定説も。

 僕は廻廊の手摺に飛び乗り、虚空を見下ろした。六角形の廻廊が無限に重なり、垂直のトンネルを形成している。目を凝らせば、視線がトンネルを一周して、自分自身の後頭部を見ることができるかもしれない――そんな妄想が頭に浮かんだ。

「そんなに身を乗り出したら、落ちちゃうよ」

 カペーリヤが言った。残念ながら、僕の身を案じているような口振りじゃない。僕が足を滑らせて落ちたとしても、この薄情な相棒は涙一つ流さないだろう。

「落ちるもんか」と、僕は言い返した。「もし落ちたとしても大丈夫さ。どこかの露台に狙いをさだめて、空中でクルッと身体を回転させて、華麗に着地してみせる」

「猫みたいに?」

「うん。猫みたいにね」

 今までに何度となく交わしてきた冗談めいたやりとり。僕とカペーリアとのお約束みたいなものだ。実を言うと、僕は猫がらみの冗談が嫌いだ。いや、猫そのものが嫌いだ。まあ、〈図書館〉で四番目に多いあの生き物たち(一番は本、二番は紙魚(しみ)、そして三番目が人間だ)のほうも僕を好いちゃいないだろうけど。

 僕は手摺から廻廊に飛び降り、露台に視線を向けた。露台には一本の細い柱が立っている。これが召喚灯だ。その先端では、司書を呼び寄せるための光が点滅している。さっきの迷賊は「真っ赤に光ってやがる」なんて言ってたけれど、実は召喚灯の色は点滅する度に変化している。鮮やかな緋色、錆びた茜色、淡い桃色、毒々しい赤紫、燃え立つ朱色、暖か味のある橙色、血のようにどす黒い深紅。変色には何らかの意味があるのだろうけど、それを理解できるのは司書だけだ。

 緩慢なテンポで明滅する召喚灯を見つめながら、僕は言った。

「太上語では『王台』(チェッラ・レアーレ)と言うんだ。こんなふうに召喚灯が設置された廻廊のことをね」

「……王台」

 カペーリヤが復唱した。彼女は(本人の言葉を信じるなら)二十三万五千時間しか生きてないけど、三種類の言語を会得している。でも、その三種類の中に太上語は含まれていない。だから、太上語に詳しい僕には一目置いている……と、言いたいところだけど、本当に一目置いている相手は僕じゃなくて、僕の父さんなのだろう。

「その言葉もお父さんに教えてもらったの?」

 そう尋ねるカペーリヤの瞳は好奇心で輝いている。手頃な獲物を見つけた猫のように。

「そうだよ。父さんは何でも知っていた。本に書かれていることや、本に書かかれていないことを……」

 僕は召喚灯から目を離し、床を埋め尽くす本の群れを見回した。その中から一冊の本を選び、床に寝かせたままの状態でページを適当にめくって、目についた一文を見る。読んだのではなく、見ただけだ。僕は十三種類の言語を使いこなせるが、この本の文章は読めない。世界に存在する全ての言語を知っていたとしても、読むことはできないだろう。

『……ne.BeaTutwaisbrfuliSollullip,sgor,aindtchahndesglitreehn,yt……』

 無意味な文字の羅列。僕が眼にした一文に限ったことじゃない。まともな文章は一つもなかった。このような本のことを普通は「屑本」と呼ぶけど、父さんは「石本」と呼んでいた。父さんのネーミングセンスは褒められたものじゃないけど、特にこれはひどいと思う。どこにでも転がっているものを石に例えるなんて、あまりにも外界的な発想じゃないか。〈図書館〉では石なんて滅多に見かけないんだから。

「当然、あんたのお父さんは原種の本も読んだことがあるはずよね?」

「原種どころか、それより古い本を読んだこともあるらしいよ」

「それより古い本?」

「生きてない本さ。と言っても、年老いて死んだ本のことじゃない。最初から命を持ってない本だ」

「はぁ?」

 カペーリヤは眉間に皺を寄せた。

「ふざけないでよ。命を持ってない本なんて、この世にあるわけないでしょ」

「今は無いかもしれないけど、昔はあったんだよ。そういう本は生殖能力が無いから、自力で増殖することもできなかった。だから、無軌道な自然雑交で無価値な本が生まれることもなかったんだってさ」

 僕たちの足元に散乱している屑本の群れも、本と本との「無軌道な自然雑交」から生まれたものたちだ。世代を重ねるごとに本の内容は意味を失っていく。文章と文章が混じり合い、文字は自分の役割を放棄してしまう。しかし、自分たちの存在価値が崩壊することも気にせず、本は不出来な子孫を生み続ける。命が尽きる時まで。

 とはいえ、〈図書館〉が混沌に呑み込まれたのは本たちのせいじゃない。責められるべきは、本の繁殖の管理を怠った人々だ。そして、歪んだ終末思想に狂い、貴重な原種の本たちを焼き捨てた人々だ。

「信じられない。だって、理屈に合わないでしょ。自力で増殖できないのなら、古代の本はどうやって増えたのよ?」

「人が作るんだってさ」

「はぁ? 笑えない冗談。再生教団の狂信者でも、そんな戯言は信じないでしょうよ」

「……」

 喉まで出かけた反論の言葉を僕は飲み込んだ。実のところ、僕も半信半疑なのだ。父さんは偉大だったけど、狂っていなかったとは言い切れない。もしかしたら、自分の妄想を真実だと思い込んでいただけなのかもしれない。

 人が本を作るなんて、あまりにも非現実的だ。仮にそれが事実だったとしても、人が作った本――命を持ってない本に、どれほどの価値があるというのだろう? 記述に間違いがあっても、自動的に修正されることもない。手を加えない限り、新たな文章が追加されることもない。それでいて、命のある本と同様、動くことも話すことも考えることもできない。そんな物を作るなんて、正気の沙汰じゃない。

 いや、こんなことを考えるのはもうやめよう。考えたところで、何かが変わるわけじゃないんだから。

 僕は再び手摺に飛び乗り、虚空を見下ろした。

 垂直のトンネルの奥底で赤い光点が点滅している。

「司書だ」と、僕はカペーリヤに告げた。

「待ちかねたわ」

 カペーリヤは露台の中央に進み出た。僕は手摺から降り、彼女の後に続いた。

次回は2015年6月5日頃に投稿予定。

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