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六乂六乂(むかむか)  作者: 枝野メル
第一部 何日是歸年
8/14

第六話 酔臥沙場君莫笑(へこんだからって笑ってくれるな)

 広路が目を開いたのは,自宅の門前に停められた車の中だった.

 まずは自分の状態を確認だ.

 よし,五体満足.いや,おでこのニキビが無くなっている? あれ,左指の傷も治ってる?

 今度は周りを見る.車の名前は分からないが,とても速そうな低くて尖った形だ.臭いは新車ではない.

 腕時計によると,学校を出てからちょうど二時間半後だ.なのに,いつもの見世清掻が聞こえてこない.防音か.でも,それだとクラクションが聞こえないような.妙なところに引っかかってしまい,頭に手をやる.

「ああ,目が覚めた? 言葉わかる?」

 こちらの動きに反応し,運転席にいた女性が口を開いた.出てきたのは流暢な日本語.サングラスをし,白タンクトップにベージュホットパンツの白人.雰囲気だけで,全く太刀打ちできないとすぐにわかる.こんな強そうな人,見たことがない.あと,色々けしからん.

 念の為,問いに頷く.

「よろしい」

「今,何時ですか」

 考えた結果,自宅前で三味線の音色が聞こえないということは,今が十七時半ごろではない,つまり時計が間違っている可能性が高い.

「最初に聞くこと? ま,いいか.御覧なさい.時計の通り」

「間違――」

 全身が鋏で切り刻まれるようなイメージが視覚と触覚を覆い尽くした.人間て殺気だけでも死ぬんだな,と初めて知った.勉強になった.

「時計の,通り」

 何が人の琴線に触れるか分からないものだ,とやり直しの呪詛をかき消さんばかりの心臓の鼓動を聞きながら思った.こんなに怖かったのはいつぶりだろうか.あれ? 最近あったような?

「さて,貴方が何故ここでこうしているかだけど,覚えてるかな?」

「えー……どういうことでしょう?」

 全くわからない.

「やくざに追われて自損事故を起こしたの,貴方は.そこに私がいて,事を収め,車内に寝かせ,ここに連れてきた」

 ああ,確か尾行してきた人を捕まえたんだっけ.ギャルサー関係だっけ?

 その後のことは確かに覚えてないな.走り回ってたような,そうでないような.いまいちはっきりしないが,ここで異を唱えてもろくな事にならない気がする.別にそういうことでもいいか.何か殴られたような気はするが,それは今朝の夢だ.

 問題があるとすれば,一つ.呪詛の影響か,自分は胎内より出てくる前から意識を完全に絶たれたことが一度もない.

「何を言ってるんですか?」

 広路はいくつかの発想を飛躍させて,思いついたことをそのまま言う.

「俺は,起きてました」

 驚いたことに,彼女からは一切の動揺を感じられなかった.これしかないと思ったのだが,違うのか.それともポーカーフェイスなのか.

「待って.確認するから」

 ほんの少しの間も空かずに彼女は返答し,電話機らしき端末を操作する.

 正直,当たってほしくはなかった.

「大九に代わって」

 多分,初めて聞く名前だ.

「書き換えに失敗してる」

 記憶の書き換え,あるいは人格か.まさか完成していたのか.

「治癒は完璧.愛生,もとい仁志純もでしょ?」

 なぜか編入生のと同じ名が出てくる.彼女のことか? だとしたら彼女にも何かあったのだろうか.今の流れを整理して論理を飛躍させると,魔法か科学か知らないが,記憶を書き換えられ,肉体を仁志ともども治療されたということになる.もちろん,記憶の書き換えは正直怪しい.が,ニキビと傷痕のことから,肉体の治癒はあり得るし,できてもおかしくはない.あるいは書き換え後で,これも芝居なのかもしれないけど,それではどうしようもない.

「わかった.愛生は再検査させるから.じゃあね.愛してる」

 我が家の帰るコールか.ちょっと羨ましい.

「覚えてることを述べろ」

 有無を言わさぬ口調より,その強い視線にたじろぐ.まるで親しい誰かを殺された相手を見るような,それでいて底知れない憐れみをもったような,矛盾する青く鮮やかに淀んだ瞳.

 覚えてること,か.実のところ,覚えているのは彼女がさっき言ったことだ.しかし,そうではない,こうだったと,何かが全感覚を通じて伝えてきたのだ.だから,知ってるんじゃなく,わかっているだけ.いや,正確にはわかったふりをしているだけだ.

「話すと長いので簡単にいうと,凄く強い,あなたくらいのと戦って,いや,戦おうとして,死にそうになった.仁志も一緒に」

 推論としてはこれしか出てこない.

「原因はわからないが,貴方の記憶の書き換えに失敗した」

 いいえ,成功してますよ.

「あなたの荷物を預かる.三十分以内に返却する.クロスバイクも.ケータイと腕時計は三分待って」

 聞くまでもなく強制のようだ.何かするんだろうが,何をされてもわからないのだろう.身柄を預かるでないだけマシか.

 渡したケータイを車に繋いで何やら操作する彼女を見ていると,不意に側のドアが上に開き,ミラー越しの目で降車を促される.

 言われたままに降りると,彼女も降りる.外で立っている姿を見ると,すっとした立ち振る舞いがラグジュアリーブランドのモデルさんみたいだ.

「はい,これ.一応,元に戻しておいた」

 ケータイと腕時計を投げて渡してくる.

「あなたのことは放っておく.……ただ,一つ……いえ,やめましょう.さようなら.二度と会わないと助かる」

 こちらを見ずにそう言って,彼女は黒いスポーツカーに乗りこんだ.そして,濃い排気ガスだけ残し,瞬く間に走り去った.ナンバーがスパイ映画よろしく隣国の大使館ナンバーに切り替わっていたのは,かろうじて見えた.

 広路は車を追いかけることもせず,ただ見送ってその場に立ち尽くす.

 これで終わり?

 何も話すなとすら言われなかった.必要がないからだ.

 明日からまた,秘密を除いて不満のない毎日を過ごす.そういうことになったようだ.

 なら,それがいい.何かの危機があった後としては最善といえる.そう思いながらも,しばらく門前でボーッとしてしまう.

 自分を取り戻したのは,ケータイでポケットが振動してからだった.受信したのは小径からのメッセージだ.今は穴師の家にいるとのこと.

 返信しようとしたところで,はたと気がつく.今,この状態は,もしかして,あれだろうか.

 だめだ.これ以上,考えを進めてはいけない.広路は必死に色んなことを考えて抗った.明日のランチメニュー,お盆に父方の実家で作陶する時のテザイン,学校がテロリストに占拠されたらどうするか.

 しかし,虚しくも一つの答えにたどり着く.

 ああ,やり直されてしまった.

 そう思った途端,呪詛に五感が埋め尽くされる.全身から力が抜けて,広路は地面に顔から叩きつけられる.

 鼻が折れても,痛みはない.いや,倒れたことにすらまだ気がついていなかった.逆流した鼻血がのどに詰まって息が止まりかけ,反射で体がはね起こされてもなお,何も考えることはできなかった.

 そうしているうちに,予報通りの雨が降っていた.

 パラパラ,ポツポツ,ザーザー,バシャバシャ,ピロピロ.

 しまゆうからの電話だ.

 広路は反射的にケータイに手を伸ばす.濡れてはいるが,幸い無傷だった.大きく咳き込み,喉に溜まった血を吐き出す.勘で這って門の軒下までたどり着き,なんとか体を起こす.着信はもう切れていた.履歴を呼び出そうとするが,手が悴んで滑ってしまい,誤って写真帳を開いてしまう.

 自動で最初に開かれたのは,万弓が先週送ってきたすさまじい寝癖を撮った写真だった.

 広路はまた大きく咳き込んでから,息を整える.そして思い切り両手で顔を叩く.

 痛みに集中しながら履歴を改めて見ると,最後のは夕掛からだった.その前は万弓への発信だ.確か木に登ってた時に話したはずだが,これは書き換わっているのだろうか.

 わかることもなさそうなので,諦めて夕掛に電話を掛ける.呼出は一回で出た.

「もしもし.広路だけど,今,いい?」

「もちろーん.休憩中だから長くはできないよー.ごめんねー.けいちゃんいるよ.今からでも来れば,って電話したんだ.何その声.風邪ひいたの? もしかして外? 雨降ってきてるよ.傘ある? いまどこ?」

「屋根のあるところにいる.声はちょっとむせただけだ.悪いけど,今日はもう行けない」

「ふーん? ずぶ濡れかと心配したよ.よくわからないけどお大事に」

「そうするよ.で,用件な.一つ聞きたいことがあるんだ」

「セクハラ以外,なんなりとどぞー」

「突然だけど,人を目だけで殺せる人はいると思う?」

「いないんじゃないかなー」

「即答だな」

「いたの?」

「いや.もしそんなのがごろごろいたら,今どうすれば勝てるかな?」

「武器とか毒を使った不意打ち?」

「それは無駄な気がする」

「うーん.普通じゃない人たちに勝つのって,普通でいちゃだめなのかなー.普通なまま勝つ方法あるなら知りたいよねー.って質問二つになってるよ」

「ごめん.じゃあね」

「ちょっと待って」

 見えないが,渋い顔しているのは息遣いからわかってしまう.

「甘えたらどうかな」

「何? 勝ち方?」

「違う.悩んでる振りするなら,もっとちゃんと頼ればってこと」

 夕掛はこういう時ずば抜けて勘がいい.否,普段がネコかぶってるだけ.だからこそ,覚えてないことを引き出すために都合よく電話したわけだが.

「わかりにくい.頼るな,じゃなくて?」

「そんなんいうわけないじゃん.た・よ・れ.頼るだけじゃなくて,もっと甘えればいいよ.いろんな人にね.いつまでも人にだだ甘えさせてるだけじゃだめだと思うんよ.わたしたち,もうすぐに高校卒業するよ? 大学だってすぐだよ?」

 予定と違う話になったが,神妙に聞いておく.

「悩んでるつもりなときに相談の振りされるとか,感激で録音しちゃったー」

「悩んでるつもりなのは否定しないけど,喜ばれるとか考えてなかった」

「伊達や酔狂で幼なじみやってないから.わたしたちはね.きっと,こうじくんが思うよりも考えてるし,話してる」

「だろうな」

「それよりずっと」

「なら,もっと手抜いてもいいと思うぞ」

「相手が相手なんだからしょうがない」

 苦労かけてるんだな,と広路は反省した.

「あー,休憩終わりだって.とにかく,もっとだめな面を十中一二方に公開して――」

 声が遠くなったので耳を離す.

「大事な電話中!」

 あまりの大きさに,ここからでも生の声が聞こえた気がした.

「ごめん.無理強いはしないよ.今回は貸し借りなしにお終い」

「それはそれで後が怖い気もする」

「求めないけど,埋め合わせたいならどうぞ.あと,まゆちゃんがすごく心配してたから,あたしも一言いっておく.危なくなったら走って逃げて.逃げるのすごく巧いのに,もったいない」

 ようやく狙いの情報を引き出せた.

「耳が痛いです」

「あたしは最善を尽くせとは言わないよ.頑張れとも.ただ逃げろと言うだけ」

 全く,都合がいい.

「なーんてね.声が凄かったから,ちょっとだけマジになっちゃったかも.じゃ,またねー.戦利品報告したがってるから,しまちゃんにも電話してあげてねー」

 通話が終わると雨もちょうど止んだ.

 甘えるか.こんなのを一体どうやって?

 自問しても仕方がないので,びしょぬれのまま,門を開けて家に入る.

 祖父はまだ入院中の祖母のところにおり,家には誰もいない.

 顔の傷を治療し,私服に着替え,道場の戸棚の奥から箱を二つ取り出す.どちらも中身は無銘の真剣.祖父名義で登録されたものだが,一口は誕生祝に,もう一口は中学卒業時に祖父に勝った記念で賜ったものだ.二口とも,矢摩がコスプレ用に作ったベルトに差す.さらに父方の祖父母から同じく誕生祝で貰った短刀を後ろに仕込む.これでは外を歩けないので,玄関に陣取って待つ.

 五分後,バイクの音が門前で止まった.降りた人間が玄関へと向かってくる姿が薄く曇りガラス越しに見える.そしてチャイムの音.すかさず玄関を開けると,バイク便のライダーズスーツにオープンフェイスヘルメットをかぶったままの男がいた.ヘルメットの下は白髪で,年齢は初老といったところか.身長が同じくらいなのは意外だ.

 手に持った小包とともに,「亀配便です.失礼します.お荷物置きますね」と言いながら入ろうとする.

 敷居を跨ぐ寸前で,二刀を抜き,刃先を押し当てるように男へ突進する.かすかに肉へ刃が食い込む感覚.そのまま押し出しつつ,刃を引いて斬る.

 手ごたえは最初以外に無い.

「アホか.真剣で二刀流なんて聞いとらん」

 瞬時に距離をとって退いた老人が呆れたような愚痴る.服すら斬れていない.

「そりゃ,誰にも言ってませんし」

 当家に二刀流はない.見栄えだけで無駄が多いからだ.それを,他の武術の知識と経験とを合わせて無理やり自分のものにした,広路の隠し玉.元凶を殺すためだけに培った技術.

 勝ち目無しなら,全力で当たるのみだ.それで負けたら終わりでいい.負けても終わっても人生は続くが,その時はその時だ.

「よく気づいたとは言ってやるか」

「別に.なんだか急に」

 老人からは何も感じなかった.臭い,触感,温度……誰からも気配に相当する何かを感じるのに,だ.だから,こいつにだけは家の敷居をまたがせてはいけない気がした.無抵抗で全部やり直されてしまったことになると,そう思った.殺しても,殺しても,殺しても足りないくらいに嫌だった.

 こいつは前の運び屋よりダンチで弱い.せいぜい広路の三割増しくらいだ.なら刃は喉元に届く.

「おっと,電話だ.ちょっと待て」

 老人の行動を無視し,左を逆手に持ち変え,駆けて一息に間合いを詰める.他流派の技を二刀用に改良した突撃だ.

 鈍い金属音がして,刃が空中で止まる.しかし,そこには何もない.二撃目を放とうにも刀は動かない.完全にその場所で固定されている.続けて右手を離して短刀を抜き,頭めがけて投擲する.

 老人は驚きとともに体を後ろにそらして避けた.目論見通り.短刀はバイクの後輪に刺さり,小さな爆発音とともにタイヤの空気が抜けていく.

「待てって言っただろ!」

 刀を空中に放置しつつ,相手の発言を避けて懐に入り込んで正拳を打つ.これぞ言葉のドッジボール.

 また金属音がして,拳が寸前の空中,数センチ手前で止まる.とてつもなく硬い何かの感触.決まった気配はない.今度は固定されていないようなので,半歩だけ下がり,流れるまま次の攻撃に移ろうとする.

「そこまで」

 目の前の男とは別の声がした途端,今度は体全体が動かない.何かに挟まれているような,嵌っているような感じ.

 この様子を見て老人がほっとしたように言う.

「ここで退くなら,なかったことにしてやる.だが――」

「待て.私が代わる」

 別の声が話を遮った.男に聞こえるが,それ以外は全く想像できない.

「初めまして焼鎌広路.私の名前は井路端大九という.仁志純と彼,サム・アーシタというんだが,二人の一番上の上司で,本業は衣装屋の『職人』だ.衣装の作成,化粧,小道具,大道具,舞台装置,必要なら演技指導もやる,装いの何でも屋といったところか.コスプレ衣装とドール服専門の通販サイト『世界制服洋品店』というのをやっている」

 別人の声は男の付けている無線通信機器から聞こえている.普通のマイク兼スピーカーなのに,はっきりと耳元まで届くのが不思議だ.

「褒美に,三つ願いを叶えてやろう」

 その言葉だけは,はっきりと笑顔で発せられたとわかった.

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