第十一話 中音との出会い
手錠をされたのまま広路が連れて行かれた先は,絵に描いたような偉い人の執務室だった.白漆喰の壁,変な模様の厚くてでかいカーペット,セピア色の地球儀が載った大きな木製事務机,黒い本革張りの肘掛け椅子,ガラステーブルの応接セット,それと日本国旗.持て余したであろう脇の空間には事典の収まった棚が置いてあり,さらにその上には左馬が飾ってある.
どこかにリアクション撮影用隠しカメラは,と見渡すと……監視カメラが内外に向いて二台.
「初めまして,焼鎌君.私はここの指揮をしている者だ.楽にしなさい」
迎えたのは,妙齢とも何とも言い難い茶髪サイドテールの女性だ.若くなくはないこともない.ツープライスの下の方っぽいジャージ生地のブラックスーツがはまっている.
楽にと言いながらも,後ろに密着した指比による見た目よりきつい拘束は解かれない.なお,ベルトだけはここへ来る前に返してもらえたので真っ直ぐ立てている.
広路は自称指揮官を前に思考を整理しなおした.
まず,この後どうするか.逃げるのならこいつを人質にするのがいいだろう.建物の構造も複雑そうではない.ただ,逃げる必要がないならそれがいい.ここに連れてこられたということは,何かの話があるはずで,内容次第では良い事があるかもしれない.どんな話かは,指比の先ほどの言葉と今の指揮官の態度で想像はつく.しかし,もし期待通りなら,指揮官が名前を言わないのはどうしてだろうか.指比はいきなりバラしてきたのに.あの『帝国』連中のように,バレてもいいからだったんじゃないのか?
広路の考えを知ってか知らずか,指揮官は期待通りの話を始める.
「子供向けにいうと,我々は超法規的措置を遂行するために設置された秘密部隊だ.漫画などでよくあるだろう? 最近テレビでやってる何とか・何とかーみたいなものだ」
にこりともせずに言い切って指揮官は机に腰かけた.よく見るとその顔色はとても悪い.電灯のせいかもしれないが,少なくとも化粧で隠し切れない大きなクマがある.あとパンストの内もも部分が派手に伝線している.ついでに白髪が一本見える.
困惑ゆえの無反応では少し悪い気がするので,広路は頷いて応えた.同情心というほどではない.
「うん.それでは一つ質問する.我々に協力するか? 肯定ならば,今日は無事に帰宅することができる.否定ならば,死んでもらう」
広路の予想とは協力という文言以外一致していた.
どう応えるかはいくつか考えてある.なんでこんな馬の骨を,というツッコミは無粋か.このことを上帝推薦候補観察役の仁志とその上司の井路端が知らないというのは流石にないだろう.ならば,やることは一つ.
「その前に,お伝えしておきたい事があります.内容が危険なので,人払いをお願いできますか」
広路はできる限り深刻そうに言った.
「言い方が悪かった.協力するということ以外の発言をしたら殺す」
予想とは違った反応で,指比の手から伝わってくる圧力も強くというか痛くなったが,気にせずに続ける.
「俺は先月から『帝国』の上帝推薦候補にされています」
聞くがはやいか,指揮官は手を振った.
「下がれ」
指比は広路をすぐに離し,一礼して部屋から出ていった.
扉のすぐ向こうで待機する指比を警戒しながら広路は話を続ける.
「玉座『職人』付きの観察官がいます.今も見ているかはわかりませんが」
露骨に嫌そうな顔で舌打ちをされたが,知っていると分かっただけでも十分だ.
「そう……」
指揮官は溜め息分九割の呟きの後,椅子に座り直した.
「言うだけ言ってなんですが,ご存じなんですね.『帝国』のこと」
「まあ,ね.それより君こそ,なぜ知っているのかね? 推薦候補がそれを知っているという話自体,聞いたことがない」
「知らないことになってるのだそうで.多分,知っているのは『職人』の身内だけかと」
指揮官はスーツの内ポケットから銀メッキの万年筆を取り出し,もて遊び始めた.
「『帝国』のことで知っているのは他に何か?」
「いろいろと.前『魔女』と現『職人』の争いに巻き込まれまして.昔ながらの巻き込まれ型なので」
着替えを覗いたことはない.仁志のアレは着替えではない.
「ああ.そんなことまで知っているのか.時代は変わったな……」
指揮官は万年筆を懐に戻して立ち上がった.
「ここからは『職人』が聞くことを前提にして話そう.私の名前は中音そよ.かつては『帝国』の人間と付き合いがあった.それでな」
年齢は分からないが,かつてはというのは変な言い方だ.
「しかし,これではどうしたものか」
中音は,立ったまま下を向いて唸りだす.それを見て広路は不意にそろそろ帰らないとまずいと思った.そこで話を自分から進めることにした.
「ご協力はさせて頂きたいと思います.何故なのかはお聞きしておきたいですけど」
中音は顔を上げて首を傾げる.
「ふむ.理由が何かあるのか?」
「色々ありまして」
とりあえず,反応を知るためにはぐらかす.
「答えになっていない」
こういう反応か.普通だな.
「置かれている状況的に,修練と人脈作りが必要ですので」
中音は意外にも納得した様子で言う.あんまり普通じゃないかもしれない.
「……ふーん,その気なんだな.だが,人脈作りの方は無理だぞ」
「それでも構いません」
自分としても積極的な行動だと思ったが,考え直しても特に後悔はしなかったのでこのまま進めよう.
鐘はさっきから全く鳴らない.というか,あの井路端との一件以来,ほぼ鳴らないし,鳴り方も変わったように思う.以前は迷った時の参考になるような鳴り方だったが,今は……よくわからない.
いや,変わったのは自分の方か.
最後に鐘が鳴ったのは,屋上のドアを開けようとして躊躇っていた時だ.仁志と初めて屋上で待ち合わせた日.そこで彼女を目にしたら突き落とさないでいられる自信がなかった.でも,鐘が鳴ったことに驚いて開けてしまった.
「わかった.ならばこちらの計画に問題はない.受け入れよう」
中音はこちらを真っ直ぐ見て言った.続けて,椅子に再び腰掛けて寛いだ風にしてから言う.
「一応だが,身辺洗浄はさせてもらう.日常の生活圏を申告するように」
「身辺洗浄?」
「君と関係者の身辺調査や盗聴盗撮などが行われていないかを調べ,不適であれば何らかの対処をするということだ.と言っても政府の力の範囲だ.『帝国』ほど大した事はできん.関係者に好ましくない人物がいた場合,ことが終わるまで君は飼い殺しということになるだろう.どの道,我々に損は無い」
「『帝国』の人がおりますが」
「それは問題にならない.観察官は玉座が部下として派遣するとはいえ,所属は『宮殿』だからな」
広路にはその意味がよくわからなかったが,権限や管轄などの話だろうと解釈した.
「あと,『帝国』御用の家人が同級生です」
「同級生だと? ……ああ,教育大附属なら澁衣家の片割れ娘か.それも問題にはならない」
「ご存知とは思いませんでした.ところで,片割れとは?」
「昔,いろいろあってね.これも詳しく話すようなことじゃない.どうであれ,自己申告などほとんど無意味だ」
こちらにとってはちゃんと意味があった.澁衣とはどこかで話をした方がいいのかもしれない.
「改めて,我々について説明をしよう.掛けなさい,と言いたいところだが,門限などはないのか?」
「その前に,今は何時でしょうか」
「ああ,そういえばそうだった.十九時十五分になるところだ」
金メッキ腕時計のごつい金属ベルトがちゃらちゃらと鳴る.
「ここが新宿区か千代田区なら,そろそろ厳しいです」
「ふむ,どうしてそう思ったのか?」
「簡単に述べますと,車移動の時間と方向です」
あと,遠く,上の方に穴師家に来ることもある軍人らしき気配がちらほらあるので.
「隠し事か?」
広路はわからないという表情を全面に押し出して動揺を誤魔化した.実際,何故バレたかわからなかった.そんな広路の努力も虚しく,中音は笑って言う.
「すまん,カマをかけただけだ.癖でな」
広路は安堵の気持ちを隠し,生暖かい目線で中音を見た.
「すまんと言っただろう.とにかく,やるべきことは済ませておこう」
中音は息を大きく吸って話し始める.
「本隊は,警察庁の外局として設置されたとある機関と,軍の過去の平和維持活動部隊派遣に伴って設置された秘密作戦群の合同組織だ.任務は,我が国における遺棄生物兵器の回収と破棄.遺棄生物兵器とは,君の戦った物のことだ.怪物とでも呼び給え.元は『帝国』関係の品でな.具体的には『軍人』と『妖人』の外郭組織の末端が,あるマッドサイエンティストと組んで起こした不祥事の産物だ.諸事情により,『帝国』以外が処理することになった.既に大規模な掃討は終了しており,今は残りを狩っているところだ.わかったか?」
一息だった.勢いに押されるように広路は頷く.
「ええ,背景は.すみませんが,俺で良い理由はわかりません」
中音は息継ぎしてから答えた.
「簡単に言うと人手不足だ.怪物は火器,銃弾と火薬に対してある対策が施されている.なので,白兵戦が達者な人物がいると助かる.これは別件の予算の残りで運営しているから,外部から人が呼べん.さらにここからも減らさないといかん.実質的に確保できた戦力は指比だけだったのだ.『職人』の作為かもしれんが,私にとっては天禄だよ,焼鎌君は」
予算を増やして根本的に解決するよりこれで何とかするあたり,ブラックだ.
「わかりました.ご奉仕いたしましょう」
「よろしい.一応,私費から最低賃金分は払うから奉仕ではない.志願兵として扱おう.さて,改めて皆に紹介をしたいが,今日は遅いし,その前に……指比! 入れ!」
中音は手を叩いてドアの向こうで待っていた指比を呼んだ.
「御用は?」
「焼鎌は協力するそうだ.第二チームが戻る前に中を……いや,時間もない.最終確認をして帰らせろ」
「承知しました.ついて来なさい」
ようやく手錠が外される.
指比の後について廊下に出ると,彼女は立ち止まってこちらへ向き直る.
「自己紹介がまだだけど,必要かな?」
「お声には聞き覚えがあります.駒女の指比さんでしたよね」
「はい.改めて名乗ろう」
指比は髪を手櫛で整えてから,笑顔で名乗った.
「指比憧子.ここで傭兵をしてる」
広路は何もせず名乗った.
「どうも.焼鎌広路です.よろしくお願いいたします」
「はい.早速だけれど説明しよう.私は第一チームの隊長.隊員は貴方を入れると現時点で四名.来週には第二チーム全員と第一の三人が減る予定で,中音さんと私と貴方の三人で終わり」
これは酷い.
「そうですか.指比さんのご負担が多いですね」
「物分かりがよくてよろしい」
「つかぬことを伺いますが,フリーでこの程度の人材の相場はいくらぐらいでしょうか?」
広路は自分と指比を交互に指して聞いた.
「知ってどうするのかな?」
「何も」
「そう…….このくらい,個人の才能と努力と小さな組織の育成体系で辿りつける人間の上限には,そもそもほとんどいない.だから相場といえるものはない.何故かというと,『帝国』のような常識外れな存在にもっと上に引き上げられていって,ここに留まらないから.そして,残ったのが今みたいに売れっ子になる」
「指比さんもご存じなんですね」
秘密であることが有名な秘密組織か.それを読んだように指比が応える.
「実家が諜報関係で,仕事を貰ったこともあるから.細かいこと,上帝のこととかは知らない.全ての情報を,知っていていい人物しか知らないように徹底管理しているようだから」
信じがたいが,プロがそう言うならそうなんだろう.
「ご実家は……忍者ですか?」
「正解だよ!」
サムズアップまでして嬉しそうだ.ていうかこの人,よく見るとびっくりするぐらい端整な顔立ちだな.笑顔でも全く崩れず,白磁みたいな色白の小顔でお人形さんみたいという表現がぴったりだ.掌とのギャップがすごくて,頭だけ美少女のロボットのプラモデルまで想起してしまった.
広路は見惚れそうになったのを誤魔化すために,発言に驚いたふりをする.
「まさか当たるとは.忍術を習ったことはないので,興味があります」
今の反応からすると触れてもよさそうなので言ってみる.
「言われるまでもなく,私は教えるつもりだから」
予想の範囲外というわけではないが,広路はやや驚いた.
「ありがたいお話なので是非に.でも,どうしてでしょうか?」
指比は真剣な顔で言う.
「こんな所にいるせいで人生が短い.教えるに値する人間がいて,その機会がある.しない理由がない」
この,顔だけでなく言葉,いや全身で表現された真剣さは,これまでに広路が経験したことのない種類のものだった.信念ではなく覚悟,あるいはそれに近い何かだという想像しかできなかった.
「忍術ではないけれど,これからに向けての助言をしよう.貴方は気配を感じているよね? 国内の武の流派は網羅しているから知っているよ,貴方の家も」
武芸流派大事典にも載ってない流派を抑えるその知識も授けて欲しいかもしれない.
「その技術があることは,面や体で物事をとらえることに秀でているともいえる.けれど,時には点や線でとらえることも必要になる.物事を細かすぎる位に分けてみなさい.マクロ物理の粒と波の性質の話は知っているかな? 粒度で性質は変わる.いや,観測されるものが変わる」
よくわかるようなわからないような.自分を真空中ではない物体の移動として観測しろということか?
「事務所内では気配の察知を禁じる.それから自分の気配は常に消そうとすること.公園でやろうとしてたよね? 下手ではあったけど」
「恥ずかしながら,師範でもない人に習い始めたばかりなのもので」
仁志の教え方.その一,実演.その二,実演.その三,実演.以上.
「『帝国』の人? 下手がうつらないかな?」
「どうしても習得したいわけではありませんから」
今のままでは習得できる気がしない.
「老婆心ながら言っておくけれど,何かの当て馬のつもりならやめた方がいい.何にせよ,短期間で習得するコツはないから,ここでは試行錯誤してもらう.何で気づいたか言うから,次からそれを潰していくように」
おお,文明が講義という技術を新たに手に入れたぞ.時代の進歩だ.
「早速ですね」
「当然」
広路は言われるまま,周囲の探索を止め,呼吸の回数を減らし,重心と歩き方を変えて足音を極力抑えた.
「素人.可もなく不可もなく」
「音,匂い,温度,電磁波,気流.あと何が?」
「そのくらい自分で考えなさい」
公立校の部活の顧問か,という批判は口にせず,指摘されるまで現状維持でいくことにした.
「着いた」
それから少し歩いて,防火扉脇の表札のない部屋の前で指比が止まった.ここまで通った部分の建物は,古いながらも清掃が行き届いており,まさに役所といった様子だった.役所と違うのは,スプリンクラーや防火扉が多いのと,案内と非常口のサインが一切無いところか.
「ここが更衣室.来たら荷物はロッカーの中に入れなさい.それから中音の部屋へ向かう」
中にはロッカーとベンチとゴミ箱だけしかない.運動部の部室に見える.古臭いものだらけの中で,例外的に新品同様にきれいなロッカーは,半分以上鍵が刺さったままで使われていない.
「今は一つずつ空けて使っている.貴方はそこ」
指比はどこからか取り出した筆ペンでタグに広路の名前を書き,近くの空きロッカーのプレートに挟む.仁志みたいに無個性だけど綺麗な字だった.工作員は似たような訓練を受けるんだろうか.
「没収した武器は明日になったら返却できると思う.悪いけれど待っててくれるかな」
質のつもりか,何かの作業をするのか.いずれにせよ,即時返却の『帝国』品質とはいかないか.
入れるものは無いので,というかもう帰るので,広路は鍵だけ抜いておいた.
指比は一つ挟んだ隣のロッカーから一振りの刀を取り出した.長さと反りからすると大脇差だろうか.家にある貰い物の忍者刀とは明らかに違う.……てか,よく見ると脇差サイズなのに興亜一心刀だなこれ.そういうのもあったのか?
「見終わったかな? さあ,ついて来なさい」
言われるままついていった先は,また防火扉の脇の表札のない部屋.中はさっきの拘束されていた部屋と同じ間取りだ.ただこっちは,排水口の辺りから金属と石と塩素の臭いが混じり合って漂ってくる.
椅子のあった場所には無骨な金属の台.そこに拘束されていたのは,あの怪物の同類だった.いや,同じ個体かもしれないが,判別はできなかった.押し花のように萎れていたからだ.唸り声はせず,ヒューヒューと掠れた呼吸音だけが微かに聞こえる.
武器を持ち出した時点で組手かこれの類だと思った.
「最終試験です.このものの首を撥ねなさい」
予想通りなので,とりあえず自分の都合で抗ってみる.
「お断りします」
「やれ」
「やりません」
指比は鯉口を切りつつ広路から距離を取った.拵えだけでなく刀身も興亜一心刀だった.珍しい.
そんな広路のずれた意識に拍子抜けしたのか,指比は構えを解いて首をかしげて問う.
「……何故かな?」
「切迫していないからです」
やりたくない理由として嘘ではない.自分や家族の安全を脅かされないなら,基本的にこういうことはしたくない.その覚悟もない.例外の覚悟はあるが,それは例外.
「……解放したらやるかな?」
「ここから逃げないなら必要に思えません.なので,やりません」
「そんな言い訳を―ー」
「外で,遭遇戦ならやります.それは決めました」
敵なら,することにした.ついさっき.決めただけで,どうなるかはその時だ.
「やらなければ殺すといった場合はどうするのかな?」
指比は抜刀し,正眼に構えた.構えただけでやる気は全く感じられない.
「色々なことを覚悟しないといけなくなります.結局,良いことしたとはいかなくても,せめて仕方がなかったと思わないとやっていられません.言い訳が必要です.売り手市場を盾にわがままを言っているのは謝ります.すみません.でも俺には大事なんです,これが.土壇場で分かるよりいいと思って最初にお伝えします」
「……わかった.今回だけだ.次はない.何があろうとなかろうと」
指比は一瞬で向きを変え,怪物の首を素早く撥ねた.
血のような液体は流れず,ただ頭と胴が離れただけだった.
指比は懐紙で刃を拭いてから収めた.
「さあ,戻りましょう」
道中,会話はなかった.
「失礼します.指比と焼鎌です」
改めて見ると,中音の部屋にも表札がなかった.
「入れ」
中音は立ったまま机の上のノートパソコンを操作していた.腰痛だろうか.
「焼鎌をどうしますか?」
操作を続けたまま,こちらを見ずに応える.
「何もしなくて構わん.焼鎌,帰っていいぞ.次からは必要な時に指比を迎えに行かせる.まず,明日の放課後は空けておきなさい」
「本当によろしいのですか?」
操作を止め,指比に応える中音.
「他に仕方あるまい.計画はもう決まったのだから」
「ありがとうございます」
何故か指比は礼を述べた.
"一二時三〇分":"友好会館ビルに移動",
その後,指比に連れられて色々歩き回り,最終的に駐屯地のそばの雑居ビルから地上に出てきた.
「また明日.さようなら,焼鎌君」
振り向くと,出口のドアは既に音もなく閉まっていて,戻ろうとしても開かなかった.指比の気配は駆ける速さで駐屯地の中へ戻っていった.
"一二時三二分":"監察役に接触",
「そういうわけで不祥事の後始末に加わる事になった」
広路は帰る前に,近くのハンバーガー屋の隅の席にいた仁志の元へ向かい,声を掛けた.机の上に宿題を広げていた仁志は,広路を見ても全く驚かなかった.
「そのようですね.廃棄済み備品として聞いたことがあります」
「問題はあるか?」
広路は入店料代わりのコーヒーを仁志の前に置き,すっかり冷めて硬くなったフレンチフライを一本無断で摘んでから聞いた.
「先ほど報告を上げてから何も言われていません.一応,確認しておきます」
仁志はケータイを取り出して操作してから画面を見つめる.上から覗くとそこには猫をかわいがるゲームアプリが映し出されているようにしか見えなかった.
「私に事後報告が一言あると良いそうです.全て済んだら一度だけ.経緯に関する広路君の感想です」
それが推薦の役に立つのか,と真面目に考えてはいけない.
「気が向いたら」
「あと一つ,伝言,というよりは情報提供があるそうです.何故か私が可否を決めていいそうですが,伝えておきます.多分その方がいいと思うから」
「ちょっと待て」
「広路君の可否は問わないそうです」
広路は手で耳を塞いだ.
すると仁志は,広路の腕を掴んで手を離させ,耳打ちしてきた.相変わらず冷たい手だ.
「情報の一つ目は広路君の自転車の位置.兵器との遭遇地点そばの茂みです.二つ目は指揮官の中音そよについて.彼女は玉座『軍人』の前第四秘書官です.当時のコードは『青い馬』.そして――」
広路はそこまで聞いて仁志から離れた.そしてそのまま店から出て駅に向かった.仁志はついて来ず,電車が探索範囲の外に行くまで席に座っていた.きっと広路の置いたコーヒーを啜っていたんだろう.