第八話 人生不相見動如参與商(やり直しの後の再会は幸福か)
日課の新聞斜め読みを終えると,時計は九時を指していた.やり直しの原因が分かってもこの習慣は止められない.
"〇〇時〇〇分":"台所へ移動",
台所へ向かい,しまゆうコミュでのステータスがオンラインなのを確認してから,矢摩に電話する.
「こんばんは.今いい?」
「ないす,はいえーす.掛けようかなーと思ってたところ.うちの話もしていい?」
「どうぞ.ただ,次があるから短めに.まず用件だけど,『世界制服洋品店』って通販サイト知ってる?」
「おむろん.この前イベントで着てたの,あすこのキャンセル品.不定期の完全注文生産で,受付開始一秒で完売が当たり前なんすよ奥さん.買えたのほんと運良かった.なんてゆうか,格が違うんだ余所と.技術とか素材だけじゃなくて.あと,ドール服とかフィギュア服もやってて,オークションで百万とかざらみたい.古参が言うにはそっち本業らしい」
「あれ確かにいいやつだったな.ほつれも毛羽立ちもなかったし.所在地は?」
「うーんとどらんく.銀座の,何丁目だったかな.今ネットつながる? 招待制の会員サイトだから,入ってから画面共有するね」
"〇〇時〇二分":"移動",
住所表記は銀座九丁目.うちから自転車でも三十分程度か.
「オフィスは普通だった.もっと凝ってるのかと思ったんだけど」
「行ったの?」
「はいんりっひ.先々月ね.秘密倶楽部なんで隠してた.前にゲストさせてもらったサークルさんと中の人が知り合いで,今後の参考にってことで.工房はシンプルな感じ.最後,いろいろ見せてもらった道具がカッコよかった」
「へえ.中の人って,社長さん?」
「ネタ切れた.うん.すんげーきれいなおねいさんだった.お嬢どもより上よ,あれは.ん,何かね?」
「秘密は男を男にするってことで」
「逆だろ.……まあ,言いたくないなら仕方ない.気になりますけど.気になりますけどね.いいさ.でも,危ないのはダメ絶対.二人が言ってたのはこれ関係?」
「たぶん,別.その辺は今ので終わりだ」
「ふうん.じゃあ,もういいよね.普通の話しよう」
「ああ.今日は何買ったんだ?」
「ほほほ,よくぞ聞いてくれました.ノーチェックのサークルだったんだけど,めちゃパコなカットがあってさ」
「普通」
「ぐへへ,すまねえ」
以降はただの長い雑談.
腕時計を見ると九時半になっていた.そろそろ真弓に電話する頃合いか.
「すまん.そろそろ次が」
「あいあい.まゆ待たせちゃ悪いね.無駄話に付き合ってくれてさんくす.ぐっない.しーゆーともろう」
「おやすみ.また明日」
終話をタップしてヘッドセットを外す.
"〇〇時三〇分":”銀座九丁目着",
騒がしい飲食店エリアから離れた位置に「普通の雑居ビル」はあった.
ビル自体はありきたりな古びた建物に見える.入り口にはシャッターが下りていて,窓に明かりはなく,中の様子はわからない.外からメーターは見えない.一回りしつつ気配も探ってみたが,何も感じられない.向かいにはバーらしき看板が掲げらているものの,こちらも無人のようだ.
自転車に跨がったままビルを見上げ,ため息をつく.そして,ハンドルにもたれかかって目を閉じる.
もう他に糸はない.できることもない.
そのビルの反対側.同じく「普通の雑居ビル」に見せかけた建物内で行われた会話を,焼鎌広路は知る由もない.
それでも想像はできる.
「しばしの不幸を受け入れた」
観察している連中がいるなら,こう結論づけただろう.何故か.事実だからだ.当の広路さえそう思っている.それ以外は不合理だからだ.
だが,合理的な思考だけが広路の行動を決めるのではない.
鐘はまだ鳴りつづける.ここが幸福な死へ続く道だと,自分にだけ教えてくれる.すべての感覚を呪詛で塗りつぶして,誰も何も分からなくなっても,鐘は鳴る.今日,初めて知った.
"二〇時五九分":"起床",
枕元の携帯を取って夢日記をつける.今日は,異性の友人総出演のエロい夢だった.
昨日の今日で格好が付かない.今後もこれが続くとか,性癖の幅が広がるやもしれん.
“二一時〇七分”:”移動”,
小径を起こし,急いで道場へ.
"二一時一四分":"移動”,
掃除が終わる頃,剣術の師匠である祖父がやってくる.刀を出してもらい,型の稽古を始める.
"二二時〇〇分:移動",
隣のマンションの外廊下から秋葉様の灯篭を新しい蝋燭に変える.
"二二時五分":"移動”,
今日も朝食と弁当の担当なので二十五分ほど早く抜け,シャワーで汗を流す.
"二二時一二分”:”移動”,
キッチンで五人分の朝食とお弁当を作成する.朝食はカリカリのベーコンと目玉焼き,缶詰のオニオンスープにパン.お弁当は,寝る前に仕込んでおいたロールキャベツ風煮込みが主菜で,副菜は海老とサーモンのサラダ.ちょっと手抜きだ.
両親が起きてきて,ラジオの気象情報が聞こえてくる.
一日中晴れ,北風,花粉少なく,各放射線量は通常通りとのこと.続く占いの前にチャンネルは変えられてしまった.
今朝のトップニュースは殺人事件.昨晩,コンサートライブ中の女性声優にUAVが衝突.被害者は死亡.直後に操縦者の女子高生が自首.出頭時は薬物を服用していた様子.動機は「彼女が私以外に向けて歌うのが許せなかった」と証言.通っている高校が付属する大学の3DプリンタでUAVを作成したとのことで,教育機関の3DプリンタとUAVの規制が強化される見通し.
朝ご飯完成.
お弁当完成.
"1459809660":"moveToPrivateRoom",
急いで制服に着替える.
"1459809900":"moveToDiningRoom",
ダイニングに戻ると,稽古を終えて着替えた小径と祖父がやってきた.いただきます.
八時になったので母が出勤.いってらっしゃい.
"1459810980":"moveToHouseGate",
見えているものが赤く染まる.
後片付けをしてから家を出る.
いってきます.
空に今日も雲はなく,そよ風が涼しい.
自転車を抱えて門の外へ出ると, 幼馴染が三人並んで待っている.挨拶しようとした小径は,そちらを一瞥して固まる.普段から気配を探ろうとしないからそうなる.
いつもの三人の左,今まで誰もいなかった場所に立っている彼女について,知っていることを挙げてみる.
一二一番.薬漬け.備品管理歴十年.五年留年中.足音を立てずに歩く.着やせするタイプ.命令には時として従わない.笑顔は作り物.俺のことを,もしかたら誰よりもよく知ってる.
あとは知らない.興味もない.
「おはようございます.昨日はありがとうございました」
「いや,こちらこそ」
「純ちゃん,自転車通学は初めてらしくて,うちの前に迷い込んできてたから,一緒に行こうって.いいかな?」
「大門から入ってまっすぐ南西へ抜けようとすると,突然のカーブに戸惑う.その後に直進して水道尻まで来ると,裏門の先が大きく南に曲がってさらに驚く.吉原あるあるね」
「んで,戻ろうとしてすぐに左折すると,うちの行き止まりにホイホイされると.一応,オフリミットの看板は出してるんだけどなあ」
「あの詩人像を看板といつまで言い張るつもり?」
「無論,死ぬまで」
「看板の見た目より,ご自由にお入り下さいって書いてあるのを何とかした方がいいんじゃないかなー」
「なら,ぬけられませんの看板も用意しよう」
「今度はどの部分にするのかしら?」
「門本体以外無かろう.で,どう?」
「毎日でも」
「やったーはーれむるーとだー」
「矢摩は何を?」
「気にしない方がいいよー」
湧くしまゆうをよそに,肝心の仁志は浮かない顔だ.
「よろしいんですか?」
こちらに聞かれても,何もよろしくはない.
「ええ.それに,敬語なんか使わないでいいから」
「ありがとう.でも癖なので,少しずつでいいですか」
「もちろん.ところで,昨日は何かしたのー?」
「川で溺れてるところを助けたに十ハグ」
「誰に払うのかしら,それ」
「負け前提なのね.よし君に払おう」
「悲しいことがあるまでとっておいてくださるかしら」
昨日は……釣って,脅して,逃げて,揉みそこねて,協力して,突き飛ばされて,負けて,負けて,負けて,無視して,賭けて,負けた.
「昨日は,ええと,学校を案内してくれて,七不思議も教えてもらいました」
よく出来ました.
「七不思議なんかあったっけー?」
「壁を走る天狗女子高生とか,未承認薬が混入されてる水道水とか,男女問わず不仲になる屋上とか.半分くらいは昨年から発生してるんだけどね」
この辺りで硬直が解けたのか,小径は慌てて一人で学校へ向かう.仁志は留めようとしたが,万弓に止められた.
「漫研というか,矢摩の捏造七不思議本が原因だな」
「そうです.それも私です」
「そういえば,部活はどうするのか決めたの?」
「今日から始まるんだよー.向こうでは部活ってなかったんだよね?」
「はい.だから楽しみ」
眼が笑っている.
「漫研ではあなたを歓迎する!」
「私も入っている帰宅部はおすすめ.ゴーホームクイックリィ,略してGHQね」
「帰宅部入ると洞察力が低下するから,漫研で.天文部は夜が来るまで活動しないし」
「空手部入るくらいなら,うちの道場に来てほしいなー」
各々勧誘に勤しんでおり,楽しそうで結構.悪いが,この時を待っていた.
「『裁縫と自由』党,もとい生徒会に入らない?」
全体に沈黙の効果.仁志の困った顔がおかしい.
「新設された設備がいくつかあって,そこに係る庶務の役できたんだけど,人がいなくて」
あのニュースがあっても,鈴内先輩はどうなるかわからんし.
「私でいいんですか?」
君じゃなきゃダメなんだ.
「在庫管理は得意そうだし」
「どんな判断だ」
「何かの冗句なの?」
「今,門下生になるとー,なんと月謝が一割引きなんだよー,うち」
仁志の顔は見なかった.眼は向けていたが,像を呪詛で覆い隠した.
「やらせてください.庶務」
その言葉を聞いても,見なかった.これは小さな勝利といっていいだろうか.
「お,おめでとう?」
「悪いことにはならないでしょう.きっと」
「生徒会しながら護身術もどーかな?」
呪詛を無視するのに手間取って,この時の皆の表情がわからなかった.
「いい加減にお止めなさい.困らせるのは良くない」
「お小遣いが増えるかどうかの瀬戸際なのだー」
「人が金に見える病か.いいじゃん.またみんなでバイトすれば」
「そうね.ちょうどいい話もあるから」
「お,どこでなにするの?」
「まだ秘密.結構な額になるから期待していてね.ただ,問題があって,広路は参加不可なの」
「そーなのかー.残念」
「自費負担なら宿以外一緒もできるけれど,それでは本末転倒ね」
「みんなでおでかけのつもりじゃ,だめかなー?」
「うちらだけ労働あるけどな.ってそれは後にしよう.今は……このロードだ!」
矢摩は,仁志が乗ってきた自転車に向かって両手を広げ,さあお食べ的なポーズでこちらに示す.
「見て見て広路! このフレームの国際標準完全無視の変態的美麗フォルム! 最高級ナノマテリアルが惜しげもーー」
「言いたくなるのはわかるけど,長くなるからさー」
「お昼にでもしておきなさい」
「あの,亡くなった親戚が使っていたそうで,自転車のことは詳しくは知らないのですが,乗ってみますか?」
「それは無理ッ!」
「乗らんのかー」
「呆れた」
矢摩は,悲しそうな顔で嘆く.
「だって,他の乗れなくなっちゃう.こんなん乗ったら」
仁志は,手を叩いて頷く.
「なるほど.そういうこともあるんですね」
「一言でいうと錯覚ね.心持ちの問題ではあるけれど,自覚した上で縛られずに判断するのは難しい」
「確かに歪むよねー.でも,美人は三日で飽きるとも.キムチ丼でも食べたらいいんじゃないかな」
残念ながら,美人は三日で飽きないという研究結果が出てる.
「そのへんは,伸びしろを含めない話だわさ.最高がもっと成長するならいいのだわさ.こちらも成長すれば,もっと最高を引き出せるのだわさ.だから,まだ,うちには乗れないのだわさ.あと,タイヤが百七十もあるんだから乗りにくいわさ」
「だわさはどこの方言なのかしら?」
「それはーー」
矢摩のボケ重ねを潰して,仁志が続ける.
「それは,人に対してもそうなるということでしょうか? たとえば,家族,男女の間でも」
幼馴染たちは微笑のままだが,口は真一文字に結ばれてしまった.一方の仁志は,まったく意に介していない様子で答えを待っている.仕事熱心にもほどがある.
放送事故寸前で,夕掛が仮面の笑顔になって口を開く.
「……どうだろうね」
春風でもどうにかできないような雰囲気になったので,さっさと学校に行くことにする.
今日は五人で隊列を組むことになった.仁志は前から四番目.最後尾の広路は,自転車のせいで無駄につきだされた仁志のショーパン尻を眺めながら考える.
家族も幼馴染も観察役も知らない,やり直す前の彼だって知らない,今の自分のことを考える.
昨日まではたまに考えていた.もしも願いが叶うなら,何を願うのか.
一つ目は,禊.自分がやり直したということを,一刻でもいいから忘れたい.
二つ目は,力.もっともっと強い,やり直しなんか必要なくなるような力.
三つ目は,思い付かなかった.世界を平和に,とかでいいや.そう思っていた.例え,それで人類が消滅したとしても.
今は,その前に聞いてみたいことが一つある.願いを叶えずに幸せになる方法を.
答えはもう聞くことができない.答えによっては,願いのシステムを覆す完璧な最後の願いが言えたのに.
もう遅い.何もかも.可能性なんてもうないんだ.
ふと見上げた空に,またどこかの国のUAVが飛んでいる.今日もどこかで誰かが誰かを殺すのだろう.金や大切な誰かのために.標的を間違えて殺したりもするのだろう.
誰かが言った.今は赦しの時代だと.
俺は嫌だ.