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名もなき聖剣の使途

作者: 南條慶人

一 最悪の目覚め


 

 僕はうなだれていた。

 決して好きこのんでうなだれていたのではない。

 あってはならない事が起きてしまった現状を憂い、これから起こるであろうことが憂鬱で仕方なかったからである。

 頭痛がひどい。

 昨晩、アルコールを大量に摂取したのは明らかである。

 頭痛を堪えながら、昨夜の出来事を思い出す。

 人々の笑顔。ワインで満たされたグラス。踊る乙女たちの姿。

 次々に浮かぶ光景。

 思い出された光景から、ひとつの結論が導かれる。

「そうか――」

 ひとり呟く。

 昨夜は盛大な晩餐会に出席し、そこで浴びるほどのワインを飲んでいた。

 そして、新たな疑問が生じる。

 何故、晩餐会に出席していたのか。

 僕はイズガルド王国、銀十字聖騎士団の第十聖騎士である。

 聖騎士は、その職責から清廉であることを求められる。

 よって、昨夜の様な豪奢な晩餐会とは本来、無縁の存在なのである。

 しかし、僕は晩餐会に出席している。

 その理由が全く思い出せない。

 何故、僕が――

 疑問が逡巡する。

 ふと、周囲を見渡すと、見慣れない、少し寂れた一室に僕はいた。

 成る程――

 僕は普段暮らしているアズダルクを離れて、小さな村を訪れていた。

 小さな村の名前は、ヴェスパ。

 僕は村長に招かれて、この村を訪れていた。

 晩餐会は、僕がヴェスパを訪れたことに歓迎の意を表するためのものであった。

 この小さな村にイズガルド王国の近衛騎士団である銀十字聖騎士団の聖騎士が訪れたというのは一大事であろう。ヴェスパのありとあらゆる贅が集められた贅沢な晩餐会であった。晩餐会は明け方まで続き、どうやってベッドまでたどり着いたのか記憶にない。

 いや待て――

 そこまで泥酔した状態で、果たして一人でベッドまでたどり着けたのか。

 考えるまでもなく、その可能性は、非常に低い。

 一人の女性の存在を思い出す。

 従騎士、イザベル。

 僕の従騎士であると同時に頭痛の種でもある彼女。

 銀色の髪と僅かに褐色の肌は、西方民族の出身であることを物語っており、幼いころはそのことを周囲に揶揄されたと聞いていた。

 しかし、誰の目から見ても彼女の容姿は蠱惑的であることに変わりはなく、さらには頭脳明晰、剣技は聖騎士に勝るとも劣らない腕前の持ち主である。

 いつ聖騎士に仕官されてもおかしくない優秀な騎士というのが彼女の一般的な評価であった。

 しかし、実際の彼女は、口を開けば僕を見下した発言を連発し、時には僕の命令さえも拒絶し独断で行動する。

 そして、無駄に容姿のよい彼女は、僕の愚直さを嘲笑い、口撃する――

「――まだ、現実を理解していないのですか?」

 彼女の言葉が、僕の心を打ち砕く。

 憎たらしくもあり、愛らしくもある僕の従騎士。

 職務に対して完璧を求める彼女の性格から、昨夜の晩餐会も同席していたと考えるのが妥当である。

 村人に勧められるがままにグラスを傾け、浴びるほどワインを飲んだ。

 笑顔の村人たちが、僕を歓迎し酒を勧めてくれる。

 幾ら飲んでも空になることのないワイングラス。

 そして、肢体が透けてみえる衣装を身に纏い、観る人を魅了する若き踊り子たちの姿。

「……」

 念のため、下着の様子を確認する。

 ――履いていた。

 そして、過剰なまでの虚脱感も感じられない。

 何事もなかったことが、少し残念に思う。

 ここでまたひとつ。あらたな疑問が生じた。

 晩餐会の時に着ていた衣類は丁寧に折りたたまれ、サイドテーブルに置いてある。

 そして、新しい下着を身につけている。

 ということは、前後不覚に泥酔しながらも、自力で衣類を丁寧に折りたたみ、下着を履き替えて就寝したか、何者かに付き添われ、何者かの手によって下着を着替え、何者かによって衣類が折り畳まれた、ということになる。

 衣類を折り畳むくらいはイザベルでもやれる。しかし、僕とイザベルの体格差を考えると、彼女一人で脱力した僕を客室まで運べるとは思えない。それに僕の下着をイザベルが履き替えさせたとは到底、思えない。

 そうなると、他にもう一人、男性がいたことになる。

 初めて訪れたヴェスパで、親身に僕の面倒を見てくれた男性。

 果たして、そのような男性がヴェスパにいるだろうか……

 二日酔いの頭痛を追い払うかのように瞳を閉じる。

 神経を集中させ、昨夜の出来事を思い出す。

 次第に不明瞭な映像から、明瞭な映像に切り替わり、全ての像が浮かび上がる。

 いた――

 立派な体躯と豪快な笑い声の男。

 ヴェスパの自警団の団長で、面倒見のよい若い男性。

 そう。彼の名前は、ダン。

 そして、ようやくヴェスパを訪れている理由を思いだした。

 僕は、正体不明の魔物を討伐するため、ヴェスパを訪れていたのであった。



二 村長の依頼



 イズガルド王国、南部最大の都市、アズダルク。

 王国の南方に位置するこの都市は魔物の巣窟として恐れられているアレウス山脈にほど近く、城塞都市として古くから栄えていた。

 アズダルクの都市部は堅牢な城壁が外周を囲み、外部からの魔物の侵入を防いでいる。

 さらに都市部から少し離れた小さな丘の上には、アズダルクの象徴ともいえる城が築かれていた。

 アズダルク城と呼ばれるその威風堂々たる城は代々、アズダルクを治める領主の居城として使われていた。しかし、アズダルクの領主と銀十字聖騎士が兼任するようになった近年では、銀十字聖騎士団の拠点となっていた。

 僕は第十聖騎士として主にアレウス山脈を含む南方を守護するため、アズダルク城で暮らしていた。

 三ヶ月前に起きた「ゴブリニア事変」は不幸な出来事であった。

 イズガルドの王都、センチュリオンを襲撃した翼竜たち。その翼竜を扇動した首謀者、黒衣の集団がアレウス山脈の坑道に潜んでいるとの情報を得ていた当時の僕は、イザベルと共にアレウス山脈の捜索にあたっていた。しかし、その坑道の入口を発見できずにいた僕たちは、結局、黒衣の集団と一度も刃を交えること無く、戦いは終結していた。

 そして、僕らが坑道の入口を捜索していた、ちょうどその頃、僕よりも年下の少年が、その坑道で黒衣の集団と死闘を繰り広げたと、後になって人づてに聞いていた。

 僕は、民を守るために騎士となり、聖騎士の座まで登りつめた。

 普段から、そのことを強く、誇りに思っていた。

 しかし、多くの民が命を落としたゴブリニア事変では、全く聖騎士として役目が果たせなかった。悔しい思いを胸に秘め、僕は日々を暮らしていた矢先の出来事である。

「――なるほど。今回の依頼というのは、その正体不明の魔物を討伐して欲しいということなのですね」

 アズダルクの領主、第十一聖騎士ミースは、面会に訪れたヴェスパの村長を慈愛に満ちた笑顔で向かい入れ、面会の要旨を確認する。

 アズダルク城の一室、領主の間にて、ミースと僕はヴェスパの村長と面会していた。

 領主の間は、文字通り普段は領主であるミースの執務室であるが、時折訪れる各地の首長の陳情の場としても使われていた。

 内壁は砂岩を磨き上げられて造られた石貼り、床には立派な組木細工で造られた床材が敷き詰められている。外壁に面した壁には大きな出窓。その出窓の前には、巨大な花崗岩をくり抜いて造られた執務机があった。そして、その執務机の前には、応接のための木製のテーブルとソファが並べられている。そのソファに僕とミース、そして対面にはヴェスパの村長が腰をかけていた。

 紅茶の給仕を終えたイザベルは、椅子にはかけず、僕の背後に控えている。

「ヴェスパは豊かな穀倉地帯が拡がる豊かな村だと記憶しています。そのヴェスパが正体不明の魔物に襲われたとなると、アズダルクのみならず王国にとっても一大事です。当然、すぐにでも正体不明の魔物を討伐する必要があるでしょう」

 そこまで言うとミースは僕を横目に見る。

 彼女は聖騎士ではあるが、二つ名の『癒やしの手』が意味するとおり、直接的な戦闘などの荒事は得意ではなく、治療を全般とした戦場での後方支援や、平時の内政を得意としていた。

 そして、このような荒事は僕の専門分野である。

「それでは、早速、ルディにはヴェスパに急行していただき、その正体不明の魔物を討伐をお願いいたします」

 ミースは僕の意見など確認もせず、正体不明の魔物討伐を承諾する。

 しかし、僕も当然、承諾するつもりであった。

 村長に握手を求めるため、ソファから腰を上げ、手を差し出すが、それより先に、イザベルが村長への質問を口にする。

「村長、従騎士のイザベルと申します。ひとつ質問があるのですが宜しいでしょうか?」

「おお。お嬢さんは従騎士であったか。お嬢さんのような素敵な従騎士も一緒とあれば、安心だ。何なりと訊いて下さい」

 イザベルの容姿にすっかり心を奪われた村長が目尻を下げる。

「ありがとうございます。村長。それでは伺います。その正体不明の魔物は、ヴェスパの何処を襲ったのでしょうか?」

「これは失礼した。肝心なことを話していなかった。ヴェスパはご存じのように小麦の収穫で栄えてきた村です。ヴェスパで収穫された小麦はイズガルド全土に送られ、民の食生活を支えているのです。そして、その収穫した大量の小麦を蓄えておく施設が所謂、サイロと呼ばれる施設でした、そのサイロが林立しているサイロ群が襲撃されたのです」

 イザベルが突然質問したことで、中途半端に腰を浮かせた姿勢が恥ずかしい。

「なるほど。正体不明の魔物は、小麦を備蓄するサイロ群を襲撃したのですね。では、その被害にあったサイロはサイロ群の、どの辺りに位置していましたか?」

 イザベルは、ソファに座っている村長と目線を合わせるために前屈みになりながら村長に質問を重ねた。そして、その前屈みとなった姿勢により大きく開いた胸元から、豊かな乳房が露わになり、村長の視線を釘付けにしていた。

「イザベル、いくら村長が許しているからといっても、そんなに質問しては村長が驚くだろう。村長、従騎士の非礼は私から謝罪致します。私からも幾つか確認させていただきたい事がありますが、それは、現地を確認させていただいた後に、伺わせていただきます」

 明らかにイザベルの質問の半分も理解していない村長に僕は助け船を出す。

 村長は照れた様子で「宜しくお願い致します」と僕に礼を言うと、イザベルのほうに向き直る。

「先程の質問の答えにはなっていないかも知れませんが、襲撃にあったサイロには僅かな小麦しか貯蔵されていませんでした。これは本当に不幸中の幸いであったとした言いようがありません。なので、小麦自体の被害は実は大したことはありませんでした。しかし、次にサイロ群が襲われるようなことがあれば、また同じように小麦が貯蔵されていないサイロが襲撃されるとは限りません。小麦が被害にあってからでは遅いのです。私は、被害が生じる前に、正体不明の魔物を討伐して頂きたいのです」

 村長の村を守りたいという熱意が伝わってくる。

 村にとって小麦が重要な収入源であるということは想像に難くない。

 そして、その小麦に被害がでれば、村人の生活にも影響が生じるのは必至なのである

 村人の生活を守るためにもサイロ群を守ることは村長として当然の責務なのである。

「村長、サイロを守るための自警団などを組織されていたのでありませんか?」

 イザベルが、再度、村長に質問する。

 村長の視線の行方を察したのか、姿勢を正したままであった。

「この一年くらいの出来事なのですが、サイロを狙う魔物の数は急激に増加しています。そこで、村ではサイロ群を守るための自警団を組織し、魔物に対抗していました。自警団は主に村の若者が中心なのですが、ゴブリンくらいなら充分に対処できていました。というのも、時を同じくして村に一人の若者が移住してきたのです。その若者は騎士団に所属していた経歴の持ち主で、その若者の指導のもとで充分な訓練を行っていました」

 村長はここで言葉を句切る。

「しかし、先日、襲撃に加わった正体不明の魔物は、身の丈は人間の倍以上、その腕力は素手でサイロを破壊する圧倒的なものです。いくら訓練された自警団とはいえ、所詮は素人。正体不明の魔物の前には無力でした」

 ゴブリニア事変以降、アレウス山脈近傍では、ゴブリンによる襲撃の報告が跡を断たなかった。

 ゴブリンロードの存在は黒衣の集団による策略であったが、結果として王国内に巣くうゴブリンたちを勢いづけた。各地に散りばっていたゴブリンがアレウス山脈に集結し、人間に反抗する一大勢力を形成していた。そして、そのゴブリンに手を貸す人間、山賊たちの存在も無視できないものとなっていたのである。

 たしかに今は、ヴェスパを襲った正体不明の魔物ということになるが、このまま放置すれば、何れ正体不明の魔物とゴブリンが結託し、イズガルド全土に広まる恐れがある。

 それに、ゴブリンの知性の高さは、やはり脅威である。

 食料を略奪により確保するという点では、サイロを襲撃するというのは最も効率的なやり方であろう。そして、そのサイロの襲撃が上手くいかないと判断すると、正体不明の魔物に応援を要請し、襲撃を成功させたのである。

「事態は理解出来ました。それでは早速、ヴェスパに向けて出発し、到着次第、正体不明の魔物の討伐を開始します。イザベル、出発の準備を」

 イザベルは、先程の失跡を快く思っていないようである。

 不満げな表情のイザベルは、挨拶もそぞろに、そそくさと支度を領主の間を辞する。

 そのあまりにも素っ気の無い態度を驚く村長とミースに僕は「いつものことですから気にしないで下さい」と頭を掻きながら言う。

 毎度のことながら、イザベルの扱いには手を焼いていた。

 イザベルの僕に対する態度の悪さの遠因として、僕の聖騎士としての力量に疑問を持っているのでは――というのが考えられる。

 イザベルの騎士としての素晴らしい力量は誰もが認めるところではあるが、僕は誇り高き銀十字聖騎士団の第十聖騎士である。

 聖騎士とは、イズガルド王国の近衛騎士団、銀十字聖騎士団に所属する騎士に与えられる称号で、銀十字聖騎士団の定数は十二人と決まっている。

 その十二人のなかで、最も技量の高い、端的にいえば最も強い者から順に第一聖騎士から第十二聖騎士までの階位が与えられるのだ。

 よって、第十聖騎士である僕は、その名が示す通り、聖騎士団で十番目に強い聖騎士ということであり、誤解を恐れずに云えば、殆ど王国内最強の存在と云ってしまっても過言ではないのである。

 それでもイザベルは僕の聖騎士としての力量に疑問をもっている節があるのである。

 だから、正体不明の魔物が相手であろうとも恐れる必要など全くない僕ではあるが、だからといって一人で簡単に討伐してしまっては、イザベルが対して僕の聖騎士としての力量を認めさせることが出来ないのである。

 イザベルの眼前で、圧倒的な力量で正体不明の魔物を討伐し、僕の聖騎士としての力量を認めさせる。

 その為にも、イザベルと現地に赴く必要がある。

 村長には申し訳無いが、僕にはヴェスパのサイロを守ることと同じくらい、イザベルの信頼を勝ち取るということが、聖騎士としての活動を考えると重要なことなのである。

 そんな後ろめたい動機を胸に秘め、ヴェスパに向けて出発したのであった。



三 道中



 ヴェスパまでは、馬で二日の道中であった。

 村長は馬車に乗っているので、村長の馬車を両脇から警護するように、僕とイザベルは駒を進めていた。

 そして、その馬車の馭者を務めていたのが、自警団のダンであった。

 馬車の馭者にしては体格が良かったため、訝しんでいると、

「初めまして。私はヴェスパの自警団の団長をしているダンと云います。お目にかかれて光栄です、第十聖騎士ルディ様」

 と、声を掛けてきたのが彼のとの最初の出会いであった。

 彼は正体不明の魔物が襲ってきたときに現場にいた自警団の一人ということである。

「私も以前は騎士団に所属していたのですが、ヴェスパにいる両親が病で倒れてしまい、ヴェスパに戻り家業を継いでいました。しかし、村を守りたい気持ちから、自警団に入団しました。当時の自警団は、本当に素人の集団の様な有様でしたので、騎士団に所属した経験がある私は重宝がられました。そして、何時の間にか団長にまで担ぎ出される始末でして」

 言葉では厭そうなことを言いつつも表情はどこか誇らしげである。

「ルディさんはその歳で立派に聖騎士になられている。私の様な田舎者にとっては、神様のような存在ですよ。きっとこうして一緒に旅を出来たのも何かの縁です。宜しければ、一度、剣術の稽古をつけていただけないでしょうか?」

「勿論、構いませんよ。しかし、ひとつだけ条件があります」

「条件とは……」

 ダンは条件があるときいて不安そうな表情を浮かべる。

「安心して下さい。とても簡単な条件です。従騎士イザベルと模擬戦で十秒。十秒以上耐えることができたら、その素質を見込んで稽古をつけてあげましょう」

「十秒ですか……」

 ダンは無表情に駒を進めているイザベルの姿をみて落胆する。

 剣術の心得があれば相手の所作をみているえば大凡の力量はすぐにわかる。

 ダンとイザベルの力量の差は明白である。

 ダンにとってイザベルとの模擬戦の十秒は、まるで永遠の時間の様に感じている筈だ。

 僕も以前に何人かの騎士に懇願され模擬戦を行ったことがある。そして、僕との模擬戦で十秒以上耐え抜いたものは一人だけ、イザベルしかいなかった。

 イザベルはそんな僕とダンのやり取りが聞こえていないのか、相変わらず黙々と前だけを見据えている。

 正体不明の魔物との戦闘におけるイザベルの役割はあくまで僕の補佐である。よって、彼女の装備は非常に軽装で、胸当てなども装備しておらず、薄手の白いコットンのワンピースにレイピアを腰に下げている程度であった。

 最初は意識せず、無表情なイザベルの横顔を見ていたが、形の整った胸が馬の歩みに合わせて規則正しく上下に揺れていることに気がつく。

 無表情なイザベルの横顔をリズミカルに上下する形のよい乳房。その取り合わせの妙にに思わず表情が緩む。

 ヒュン――

 不意に木の枝が投げつけられる。

 馬上で上体を大きく反らし、バランスを崩す。

「危ないじゃないか!」

 僕は崩した上体をすぐに起こしながら、イザベルに言う。

「大変、無礼をいたしました。ルディ。邪な視線を感じたもので、つい――」

「な、なにも僕は、そのような邪な視線でイザベルを見ていた訳じゃないし、イザベルがそんなワンピースを着ているから、視線が自然と胸元にいってしまうんじゃないか!」

 僕はイザベルに全力で抗議する。しかし、イザベルは全く見当違いの顔をしている。

「ルディ。あなたは何を言っているのですか? 私が感じた視線はゴブリンのものです」と、イザベルが投げつけた木の枝のほうを指さしながら言う。

 僕は、その指先を追うように視線を向ける。

 すると、その視線の先に、木の枝を正面からぶつけられたゴブリンの姿があった。

「あれはまだ子供のようなので、このくらいで許してあげます。しかし、ルディは、ゴブリンの存在にも気が付かないほど、何処をみていたのでしょうかね」

 痛いほどの視線が僕を襲う。

 このやりとりを見ていたダンは青ざめた表情で呟いた。

「聖騎士でも十秒もたないのか……」

 ダンの呟きに僕も苦笑する。イザベルは既に無表情に正面を視線を戻していた。

 僕はそんなイザベルを矢張り苦手に感じる。

 それから、三人は、ほとんど口を開くこともなく、ヴェスパに到着した。



四 ヴェスパ



「なるほど――」

 僕は初めて訪れたヴェスパを眼前にして言葉が続かない。

 豊かな緑と小さな住宅が左右に並ぶ道。

 ヴェスパは村長から聞いていたとおり、イズガルド王国における、ごくありふれた街並みの村であった。

「この村を襲撃しようとすると、やはりサイロ群になるでしょうね」

 イザベルに到っては、もはやこの何の特色もない街並みを肯定しているか否定しているのか解らないようなこと言う始末であった。

「まあ、この村は御覧のとおり何もない村で、村の収入の大半は、小麦によってもたらされています。なので、これ以上被害が拡大すると、それは村にとっては一大事なのです」

 僕たちの心ない発言に気を悪くされてなのか、村長は俯き加減である。

「村長、滅相もないです。ヴェスパのような村がイズガルド王国を支えているといっても過言ではないのです。私が来たからにはご安心ください。必ずや正体不明の魔物を討ち取ってみせましょう」

「おお。流石は第十聖騎士様。頼り甲斐があります。では、早速ですが、正体不明の魔物に襲われたサイロ群まで案内いたしましょう」

 ダンはそう言うと、馬から降り、ひとりで歩き出した。

 僕も遅れてはならないと。馬から降りてダンの後に続く。イザベルは黙って馬から降りて、僕の後に続いた。

 すれ違う人の笑顔が印象的な村である。

 ダンは恐らくすれ違う人々の殆どと面識があるのであろう。

 すれ違う人々がダンの顔をみるなり笑顔で挨拶する。

 そして、村人に挨拶される度にダンは、挨拶を返すだけにはとどまらず、襲撃にあった時の話をしたりと、なかなか進まない。

 挙げ句の果てには、その正体不明の魔物の討伐に訪れた勇者として、僕のことを紹介しはじめる始末である。流石にそれにはイザベルも痺れを切らした様子で、ダンを睨み付けていた。

 そんな調子で、ゆっくりと歩きつづけ、ようやく村の外れの高台に到着した。

 すると遠く、身の丈の倍ほどの高さの防壁に囲まれた建造物の群れが目にはいる。

「あれが、襲撃のあったサイロ群です」

 確かに、かなり大規模なサイロ群だということは、一目見ただけでわかる。

 遠目でサイロの数を数えると、五十サイロが連なっていた。

 サイロ群全体は長方形で、周囲は防壁で囲まれていた。そして、東西方向に五列、南北方向に十列で、五十棟のサイロが建ち並んでいる。被害にあったサイロは、南東方向の角から縦三列、横三列の計九棟。被害にあったサイロは、原型を留めないほど破壊されていた。

 防壁は見るからに堅牢な造りで、大きな石を切り出したもので積み上げた組積造で造られていてた。さらには防壁の頂部には鋭利な金属製の鼠返しが備えられていた。あの鼠返しがあれば、たとえ防壁をよじ登ったとしてもただでは済まないであろう。

「ここが正門になります」

 ダンの説明では、サイロ群の中に入るには、この正門を通るしかないという。ということは、門はこの正門一カ所、ということになるのだろう。

 門扉は立派な南京錠で施錠されていた。ダンが南京錠に軽く触れる。

 カチリ、と小気味よい音が、解錠されたことを告げる。

 南京錠は『奇跡の力』により解錠するものが使われていた。

『奇跡の力』は、所謂『魔法』であり、ゴブリンのように知性の高い魔物であれば使える種族もいるときいていたが、南京錠を解錠する魔物の存在はきいたことがなかった。

「この南京錠は、襲撃時も施錠されていたのですか?」

 イザベルが怪訝な表情で南京錠を手に取りながら質問する。

「ええ。この南京錠は、夜になると当直の自警団の手によって施錠されることになっていますので、当日の夜は施錠されていました」

 ということは、当日の夜は施錠されていたということなのだろう。

 門柱に損傷している様子はない。よって、正体不明の魔物は南京錠を解錠し、サイロ群の中に侵入したと考えるべきであろう。

「イザベル、そんなことを伺って何になるんだい? 僕らの使命は正体不明の魔物を討伐することにあるんだ。もっと正体不明の魔物の特徴について確認するとか、先に訊くことがあるんじゃないかな?」

 勘違いしては困る。

 僕たちは、正体不明の魔物を討伐に来ているのである。

 サイロ群への侵入経路など、正体不明の魔物の討伐には一切、関係ないのである。

「ダン。君は正体不明の魔物を見ていると証言しているけど、正体不明の魔物と交戦した自警団のメンバーはいないかな? 幸いなことに、この襲撃での負傷者はいなかったとは聞いているが、自警団の誰もひとりとして正体不明の魔物に立ち向かおうとはしなかったのかい?」

 ダンの証言によれば、自警団の巡回が丁度、北側にまわったときに、正体不明の魔物の襲撃にあったと言う。南側に巡回に来たときには、サイロも破壊された後で、正体不明の魔物が立ち去るところを見送るだけだった――ということであった。

 きっと腕に自信がある若者が自警団に参加していた筈である。正体不明の魔物を前にして――正確に云えば後ろ姿だが――何も反撃せずに後ろ姿を見送るとは俄に信じ難い。

「何しろ正体不明の魔物は、防壁から頭が出るくらいの背丈ですから…… かなりの大型の種族であることは間違いありません。それに破壊されたサイロを見ても、腕力は尋常なものではなかったかと。所詮は素人の集団ですから、彼らには農家としての稼業もある訳ですから無謀な真似は出来ません」

 確かに仕方がないであろう。

 僕は王国最強の聖騎士。脅威を感じる場面が少なくなり、常人の感覚と差異が生じているのかもしれない。やはり、自警団といっても所詮は素人の集団であり、眼前に正体不明の魔物が暴れているとなれば、無理に立ち向かおうとはしないのであろう。

 イザベルは、倒壊したサイロの柱や土台を綿密に調べていた。

 柱の破断した断面から、どのくらいの力がかけられ破断したか推測できる。そして、そこから正体不明の魔物の腕力を推し量るつもりであろう。

 ようやくイザベルが、正体不明の魔物の討伐としての調査を始めたようだ。

「イザベル、どうだ? 何か判ったか?」

「ええ。なんとなく。ただ、周囲の残留思念を念のために探知してみたのですが、安堵や解放といった思念が残されています。思ったような襲撃の成果が出ていないのに、この感情は多少、不自然のように思えますが……」

「いや、充分に自然な感情だろう。正体不明の魔物であっても人間の領域に踏み込むことの危険性は充分に感じていた筈だ。それが人間の反撃に遭わずにサイロの破壊に成功したのだから、安堵するという感情は理解できるんじゃないかな」

 イザベルが、僕の見解にに多少、不満のありそうな表情を浮かべる。彼女は、優秀な女性であったが、戦いの経験という点では、僕に遠く及ばない。

 幾多の戦場を生き抜いてきた僕は、戦場を無事に生き延びた安堵感をイザベルよりも理解しているつもりだ。

 イザベルには聖騎士になるために、まだ覚えてもらいことが沢山ある。

 一日でも早く彼女が聖騎士になれるように全力でサポートしていくのが、僕の使命の一つと考えていた。

「どうです? そろそろ日が暮れますので、今日の調査は終わりにしませんか?」

 周囲を見渡すと、確かに日暮れも近そうである。

「そうですね。そろそろ、今日の張り込み場所に移動しましょう。先程の高台からなら周囲も見渡せるので、そこで張り込みます」

 僕は今夜から張り込んで正体不明の魔物を討伐するつもりでいた。

 しかし、村長とダンは互いに顔を見合わせ、

「いえいえ。今夜の襲撃はないと思いますよ。それよりも折角、アズダルクよりルディ様とイザベル様に来て頂いたのですから、晩餐会を催したいのですが、どうですか?」

 突然の提案に、今度は僕とイザベルが顔を見合わせる。

 一日でも早く正体不明の魔物を討伐しなければならない、という使命感が僕にはある。

 しかし、その使命感と同じくらい地元の人々と交流を図りたい。という気持ちもある。それでもなお、今夜、正体不明の魔物が襲ってくる可能性はゼロではない。

「村長、折角のお誘いですが、私たちには魔物討伐しなければなりません。ですから、晩餐会のお誘いは非常に嬉しいのですが、お断りさせていただければと……」

 断腸の思いで晩餐会の誘いに断りをいれる。

 しかし、それでも村長とダンは、「いえいえ。今夜の正体不明の魔物の襲撃はありません。今夜くらいはヴェスパの村でゆっくりなさってください」と執拗に晩餐会に誘ってくる。ここまでいわれては断るのは流石に気が退ける。流石のイザベルも目を伏せて、晩餐会の出欠の判断を僕に委ねている。

「村長にそこまで誘われると、断り切れないですね…… 確かに今日は長旅の疲れもありますので、魔物討伐は明日からにします。ですから今夜はヴェスパの皆様と交流を図りたいと――」

 僕は完全に思い出す。

 晩餐会に招かれ、ワインを浴びように飲み、泥酔していた——



五 名もなき聖剣



 思いだしてみると、晩餐会に参加したところまでは納得できる話である。

 今まで聖騎士として数々の依頼をこなしてきた。この状況は珍しくはない。

 そして、この様な場合、決まってイザベルは不満そうな視線で僕を睨み付ける。

 その視線にも慣れた。

 しかし、今朝の状況は今までとは決定的に異なっている点がひとつある。

 肌身離さず身に帯びている聖剣――アンネームド。

 その常に身に帯びている筈の聖剣が無かった。

 確かに昨夜はお酒を飲み過ぎ、どうやってベッドに入ったかすら記憶がない。しかし、喩え意識が無い状態であってもアンネームドだけは手放す訳がないのである。

 アンネームドは我が家に古くから伝わる聖剣。僕が騎士団に入団するときに家人に黙って持ち出して以来、僕の愛刀として幾多の戦場をともにしてきた戦友ともいえる存在である。しかし、僕にとって単に「戦友」の一言では表せない因縁がアンネームドにあった。

 僕は幼い頃から、地元では神童として勇名を馳せていた。

 剣を握らせれば大人相手でも負けたこともなければ、奇跡の力も大概はすぐに習得し周囲を驚かせてみせた。

 そんな自信に満ち溢れている僕が騎士団に入団するというのは、当然の流れであったが、そんな周囲の期待とは逆に、僕の心は完全に怖じ気づいていた。

 何しろ、騎士団には王国中の猛者が集まるのである。

 田舎の町では通用した剣術や奇跡の力も、そのまま通用するとは限らない。

「ひょっとしたら、僕の力は大した事はないんじゃ……」と不安を感じていた。

 その後、無事に騎士団に入団を果たしたが、危惧していたとおり、自分の剣術は贔屓目にみても騎士団では真ん中より少し上くらいの技量でしかなく、奇跡の力にいたっては、完全にしたから数えた方がはやい技量でしかなかった。

 それでも、幾多の戦場をアンネームドとともに駆け巡り、勝利に貢献してきた。

 不思議なことにアンネームドを手にしてからは、不思議と対峙する敵を圧倒し、負け知らずだった。

 僕の活躍は瞬く間に騎士団の中で話題となっていた。

 田舎から出てきた少年が、戦場で獅子奮迅の活躍をし、王国を勝利に導いていると。

 その噂が、銀十字聖騎士団に伝わるのは、時間の問題であった。

 そしてある日、銀十字聖騎士団の使者が僕を訪ねてきた。

「第一聖騎士、ヴァンクリフ様から至急、王都で会いたい、とのことである」

 使者の伝言はそれだけであったが、僕は大喜びであった。なにしろ銀十字聖騎士団最強の第一聖騎士、ヴァンクリフから「会いたい」と呼び出されたのである。

 翌朝には、使者とともに王都の門を潜っていた。

 しかし、第一聖騎士ヴァンクリフと面会が叶ったのは、それから十日後のことだった。

 僕に会いたいと使者を送ってきたのは、ヴァンクリフ当人にもかかわらずである。

 負け知らずで調子にのっていた僕は、開口一番に不満を口にしていた。

 如何に第一聖騎士であろうとも、人を面会に呼んでおきながら、十日間も音沙汰がないとは失礼ではありませんか――と。

 僕の啖呵をヴァンクリフは笑いながら受け流す。

「それは失礼であった。確かに、そなたに是非お目に掛かりたいと言ったのは儂のほうじゃ。十日間も待たせたことは素直に詫びよう。でも、どうじゃ。言葉だけの謝罪では騎士としても不満あるだろう。儂と一対一で剣を交えてみないか?」

 突然のヴァンクリフの申し出に僕は驚いた。

『剣聖』と呼ばれる王国最強の聖騎士、ヴァンクリフから一騎討ちを申し込まれたのである。まだ、十代の僕でも、その重大さは恐ろしいほどに理解できた。

 しかし、ヴァンクリフの次の言葉を聞いて、我を失った。

「そうだな。私は左手一本、奇跡の力も無しじゃ。しかし、そなたは別。思う存分に全力で向かってくるがいい。奇跡の力も一切、遠慮する必要はない。一太刀でも私に触れさせることが出来れば、そなたの勝利としよう」

 嘗めやがって——

 仮にも僕は真剣を振るうのである。それに対してヴァンクリフは、愛刀のイズガルディアではなく、手にしていた杖を左手に構えるだけ。しかも、防具も纏っていない。すなわち、躰に太刀が触れることなどない、ということを表していた。

 僕は、その屈辱に開始の合図も待たず、斬りかかっていた。

 幾多の戦場で磨き上げてきた剣技の全てをぶつけた。

 しかし、ヴァンクリフの前では児戯にも等しいものであった。最初の一太刀で太刀筋を見切ったヴァンクリフは、体捌きだけで僕の剣戟を躱す。

 そして、剣を振るえば振るうほど、自らを負けに追いやる感覚に襲われる。

 最後に残された力を振り絞り渾身の一撃を見舞うが、意図も容易く躱され、アンネームドを強かに床に打ちつけてしまう。

 床の大理石に食い込んだアンネームドは引き抜こうにも微動だにしない。

「どうして? どうして?」

 悔しさのあまり溢れる涙。杖で軽く頭を叩かれ、敗北を悟る。

「そなたの負けじゃ。なかなか愉しい戦いであったぞ」

 騎士になってから初めての敗戦だった。

 田舎では神童として持てはやされた自分。

 負け知らずで、有頂天になっていた自分。

 しかし、結局、王国最強のヴァンクリフに全く歯が立たなかったという現実。

 何故、僕を王都まで呼び寄せ、十日間も待たせて、面会したのか……

 ヴァンクリフの意図が分からない。

 騎士団で評判をきいて、騎士として認めてくれるのではなかったのか?

 単なる冷やかしだったのか?

 疑問が頭を過ぎる。

「試験は合格じゃ。そなたには、これより儂の従騎士として働いてもらう。儂は厳しいぞ。心して任務を全うするように」

 不意に放たれたヴァンクリフの言葉。

「僕が…… ヴァンクリフ様の従騎士にですか……」

 疑問よりも、王国最強の聖騎士の従騎士として仕官されたことが理解できなかった。

「あ、ありがたき幸せです。ヴァンクリフ様」

「まあ、そこまで固くなることはない。そなたには見せたいものがある」

 ヴァンクリフが、腰に帯びていたイズガルディアを引き抜いてみせる。

 イズガルド王国の至宝、聖剣イズガルディア。

 刀身の美しい紋様が描かれたその優雅な姿は見る者を魅了する。

「気がつかぬか? そなたの持つアンネームドと我がイズガルディアが酷似していることを」

 ヴァンクリフに言われて、初めて両者を見比べる。

 確かに二つの聖剣はよく似ていた。

 イズガルディアには美しい装飾が施されているため一見しただけでは判らないが、刀身から柄に到るまでの形状は全くの同一のものである。

「これは一体……」

「イズガルディアはその昔、イズガルドが建国されて間もないころ、王国を代表する名工が鍛えたイズガルドの叡智を集結した一振りというのは、そなとも知っておろう。しかし、その名工はイズガルディアを鍛える前に、もう一振りの剣を鍛えていたのだよ。試作をしてな。そして、その試作した剣こそが、そなたの持つ剣、アンネームドなのだよ」

 ヴァンクリフが、手を差し出す。僕はその手にアンネームドを預ける。

「そして、名工はイズガルディアを国王に献上したその後、すぐに命を引き取った。イズガルディアは名工の命と引き換えに鍛え上げられた聖剣。イズガルドの歴史の表舞台を歩んできたが、アンネームドは、その存在すら忘れられ、そなたの家系のものに引き取られたのであろう。そして、それから表舞台にたつことなく、ひっそりと倉庫のなかで誰かの手に取られるのを待ち望んでいたのだ」

「アンネームドがそんな由緒ある聖剣だったとは…… しかし、アンネームドが如何に聖剣であったとしても扱うものが、凡庸な自分であっては、宝の持ち腐れなだけです。どうかヴァンクリフ様、アンネームドをお納めください。そして、イズガルドのために役立ててください」

「馬鹿をことを言うな。そなたにはアンネームドの声が聞こえていたであろう。アンネームドは、そなとと共にあることを願っておる。そなたと共に戦場を駆け、勝利を収めてきた日々に満足しているのだ。だから、そなたは何があってもアンネームドを常に肌身離さずもっておるのじゃ。それが儂からの最初の命令じゃ。決して違わすことは許されないぞ——」

 ヴァンクリフはそう言うと、僕にアンネームドを僕の肩に載せる。

 僕は両膝をつき、頭を垂れる。

「第一聖騎士ヴァンクリフ様。たとえこの身に何があろうとも決してアンネームドを肌身から離さぬよことを此処に誓います」

 そして、この宣言以来、僕はアンネームドを決して肌身から離さなかった。

 今朝までは——



六 明かされた不合理



 今でも、宣言を聞いたときの満足そうなヴァンクリフの表情を思い出すことができる。

 僕は、その後、ヴァンクリフの指導もと剣技を磨き上げ、第十聖騎士として仕官されたのが三年前の出来事であった。

「イザベル! イザベル、すぐに来てくれ!」

 昨夜の状況から、ベッドまで僕を運んだのはイザベルに間違いない。よって、イザベルを呼んで昨夜の状況を訊くのが一番手っ取り早い。

「ルディ、私ならここに」と、イザベルはすぐに呼び出しに応じる。

「しかし、いくらなんでも起きるのが遅すぎです。 もう正午に近い時間なんですよ。急いで身支度を整えて、サイロ群に向かいませんと」

 イザベルが部屋に入ると、すぐ小言を口にする。

 彼女の服装は昨日と同じ、コットンのワンピース。その格好は目覚めたばかりの僕には刺激が強すぎであった。無駄にスタイルが良いイザベルの躰に僕の躰が素直に反応してしまう。

「ああ。ごめん、ごめん。やっぱり、僕の支度が終わってから、声をかけ直すよ」

 そうイザベルに伝えると、僕の躰の変化など気にしていないと言わんばかりに、

「いえ、私に構うことはありません。今さら何を恥じらうのか、といった心境です。そんなことより、そういうことであるならば、村長のところに一刻も早くいくべきでしょう」

 イザベルの急な提案に驚きを禁じ得ない。

 まだイザベルには何も話していないのに、村長のところに行くべきとは一体、どういうことなのだろう。

「あれ? まだ現実を理解していないのですか? ルディはアンネームドが枕元から無くなっていることに気がついて、私を呼んだのではありませんか? そして、昨夜の出来事の詳細を私から聞き出そうとしているのではありませんか?」

「……」

 あまりに図星過ぎて声もでない。

「はっきりと言ってしまえば、アンネームドを盗んだのは村長です。正確に表現するのであれば、実行犯は、ダンとその手下たち、ということになりますが。村長がダンに依頼し、計画が実行されたのでしょう」

「待ってくれ、イザベル。話が飛躍しすぎて全く内容が飲み込めない。まず、何を根拠に村長が主犯格だと決めつけているんだい?」

「だって決まっているじゃありませんか。この正体不明の魔物騒動自体が、我々と誘き寄せるための作り話なのですから」

「……」

 再び、あまりのことに声がでない。

 その根拠もどこから出てくるものなのか、と訊くまえに、

「ルディは私のことを試しているのですか? あんな幼稚な偽装工作が見抜けない従騎士など首にしてしまおう、とかそのようなことをお考えで? まあ、このまま問答を繰り返しても、意味がありませんから、事実を説明させていただきます」

 イザベルは部屋の片隅においてあった椅子に腰をかけ、軽く脚を組む。

 軽く組んだ脚に目が奪われる。

 無駄にスタイルの良いイザベルの脚は、必要以上に細いわけでも、必要以上に太くもない。まさにほどよい感じであった。

「どこから説明をしたらよろしいでしょうかね。まあ、途中から説明しても要領を得ない恐れもありますから、襲撃当夜のことから説明させていただきます。

 まずは、襲撃は自警団による自作自演です。これは明らかでしたよね? あれ、お気づきでない? 本当ですか? それは残念ですね。 だって、奇跡の力によって解錠する南京錠が、解錠されていたのですよ? どう考えても、南京錠を開けたのは人間に間違いありません。仮に奇跡の力を行使できる高等な魔物が存在し、その魔物が解錠したにせよ、サイロの破壊時の状況ついては、説明が成り立ちません。

 破壊された九棟のサイロ。倒壊するときは、かなりの音が出ていた筈。外壁を打ち破る音や柱をへし折る音など様々な音が相当な音量で発生しています。その爆音ともいえる音に、自警団は本当に気が付かなかったのでしょうか? 村の外れにあるサイロ群は、深夜にもなれば音など全く無い静寂の空間となっている筈です。そこでサイロが倒壊しているのですよ? しかも、彼らはサイロを守るために招集されている自警団なのです。真っ先に異変に気が付いて現場に急行しなければなりません。しかし、結果は正体不明の魔物の後ろ姿を目撃したのみ。ちょっと対応が怠慢すぎではありませんか?

 そして、私は破断した柱の断面を確認しましたが、あの折れ方は、急に猛烈な外力が働いて折れたという破断の仕方ではなく、緩やかに外力が加わり破断した断面でした。まあ、腕っ節の良い人間が数人で力を加えたか、何かをしたのでしょうね。

 なになに? 状況証拠はいいから物的証拠を出せと? はいはい。しかし、困ったことに物的証拠は出てこないでしょう。何せ翌日の現場検証も自警団ぐるみで犯行に及んでいたわけですからね。怪しい証拠は即座に処分されていたことでしょう。

 そして、なにより破壊されたサイロに小麦がほとんど収蔵されていなかった……というのも怪しいものです。

 何しろ、サイロ群を襲ったとされる正体不明の魔物たち一行は、小麦が貯蔵さていると見抜けるほどの知性の持ち主の筈——ですからね。

 ある程度の危険を覚悟のうえでサイロ群を襲撃しておきながら、肝心な小麦の収蔵されているサイロを襲わずに立ち去るとは、俄に信じ難い出来事です。もう、疑いの眼差しでしか村長とダンを見れないレベルの出来事です」

 自信に満ち溢れた様子でイザベルが説明する。

 時折、組み替える脚に集中力が削がれたが、理解できる話である。

 正体不明の魔物の戦力がどの程度かは判らないが、襲撃時点では自警団が到着していない。小麦が収蔵されてないサイロしか襲ってないのであれば、目当ての小麦の入っているサイロに当たるまで、襲撃を続けるのが自然に思える。

 正体不明の魔物は所謂、傭兵であり、小麦を鹵獲出来ないのであれば、雇い主としても金銭的にも元が取れない。まあ、そこは、金銭での雇われなのか、正体不明の魔物が知性のある魔物に弱みを握られているか…… その関係性で変わってくるだが……

 それでもイザベルの主張のとおり、サイロ襲撃が自作自演であった、というのは百歩譲って理解したとしよう。しかし、そのことが、アンネームドが所在不明になっていること因果関係があるとは思えない。

「我が賢明なる主、第十聖騎士ルディ様に限って、この程度のことが判らないとは思えませんので、私を試しているのでは? と邪推したくもなる気持ちを堪え、再度、説明させていただきます」と自体が全く飲み込めずに困惑している僕の様子に業を煮やしたのか、余計な枕詞を並べる。

「自作自演でサイロ襲撃をでっち上げたのは、ルディをこの村、ヴェスパに誘き寄せる目的であったのは明らかです。何らかの理由でこの村まで来てもらう必要が生じたのでしょう。そして理由とは、代価としてサイロを九棟損壊させるに見合うものの筈」

 いや、その程度の根拠では、村長にアンネームドを盗んだという濡れ衣を着せただけだろう。全く理由の説明になっていない。

「ええ、その指摘は当然です。私はまだ盗難した理由について説明をしていないのですから。理由は一番最後に説明しますので、まずはアンネームドを盗んだ方法について説明を聞いていただけませんか」

 口調は嘆願のように聞こえないでもないが、表情は明らかに恫喝である。

「まずは適当な理由でルディをヴェスパまで誘き寄せる。そして疲労困憊させたところで晩餐会で泥酔させる。如何に聖騎士と謂えども眠ってしまえば、ただの人ですからね。そこで盗みに入るという算段でしょう」

「それは無理があるだろう。僕を眠らせたからといっても、従騎士である君の目があるだろう。君の目を盗んで僕の部屋に入ってアンネームドを持ち去るなど、自殺行為に等しいじゃないか」

「そこまで私を評価していただいていたとは恐縮です。しかし、ルディの指摘のとおり私の目を誤魔化すのは不可能です。よって、彼らは私の目を欺くためにソレを利用したのです」

 イザベルが視線を落とす。視線の先は、僕の下腹部である。

「泥酔したルディをこの部屋まで連れてきたのは、私とダンでした。そしてダンは部屋に入るやいなや『ルディを着替えされるから、出ていってくれないか?』と言ってきたのです。私としては、特に部屋を辞さなければならない理由が思い当たらなかったのですが、ダンがどうしてもと言うので、仕方なく部屋を辞することにしました」

 成る程。

 しかし、僕の部屋を辞する理由がないとは、どういうことなのだろう。

 乙女の恥じらいよりも従騎士としての責務のほうが重いということなのだろうか。

「その通りです。私は従騎士ですから、如何に自警団の一員といっても、二人きりになったことで、ルディの身に何かあったら私の責任問題になるのですから。そして、恐れていたことがどうやら現実となっていたようです。ルディを着替えさせている間、私はこの部屋の間にに控えていました。その間、誰も部屋に入っていませんので、間違い無く着替えている間はルディとダンは二人きりでした。そして部屋から出てきたダンも空手もままでしたので、アンネームドを持ち去っていません。しかし、僅かに部屋の窓を開けた音が聞こえたのを憶えています。恐らくその時に、階下に待機させていた自警団の一員にアンネームドを渡したのでしょう。その後、何食わぬ顔をして、ダンは私の前に姿を表した……ということになります」

 全てが論理的に繋がっている話ではある。

 僕がヴェスパに招かれた理由。晩餐会が催された理由。そして、アンネームドが盗まれた手口。

 しかし、何故、アンネームドが盗まれたのか――

 何故、村長がアンネームドを欲したのか。

「理由は私が説明するより、村長の口から訊くのがよさそうです。まだ、アンネームドは村長が隠し持っていることでしょうし」

 イザベルがこともなげに大胆なことを言う。

 本当に村長がアンネームドを持っていたとして、簡単に認めるのか?

 わざわざ、自作自演のサイロ襲撃劇まで仕立て上げ、村民総出となって催された晩餐会と自警団の協力によるアンネームド盗難。それを、問い詰められたからといって有効な物的証拠が無い状況で自白するとは思えない。

「物的証拠なら、すぐに挙げられます。その為に本人が村長のもとに出向く訳ですから」

 ようやくイザベルの謂わんとしていることが飲み込めてきた。

 こうして、僕とイザベルは村長のもとへと訪れることになった。


 

七 語られる理由



 既に太陽は傾き、午後の日差しがヴェスパに降りそそいでいる

 今日は平日なので村長はいるはず、とイザベルが言うので役場に向かう。

「で、その役場っていうのは、どこなんだい?」

「当然、この規模の村では役場が村で一番大きな建物と相場が決まっています」

 二人で道を歩きながら、大きな建物を探す。すると、それらしい組積造の建物が目に止まる。

「きっと、あの建物でしょう。私たちが来たことが分かると村長が逃亡する恐れがあります。建物に入ったら一気に村長のところに向かいます」

「お、おう」

 何故かイザベルが指揮を執る。従騎士のイザベルが僕の指揮に従う、というのが普通の流れだと思うが、この自体が理解できていない現状では、仕方がない。渋々、イザベルの指示に従うことにする。

 僕とイザベルが建物に入ると、役場で働いている人々の視線が一気に集まる。

 その視線のなかには、昨夜の晩餐会で見事な衣装で踊っていた女性がいることに気がつく。イザベルの話では、彼女らも自作自演の今回の騒動に荷担しているという。

 僕に優しく微笑んでいたのも、自作自演の一部であったのであろうか。そんな事を考える。つくづく女性というものが怖く感じる。

 イザベルは集まった視線など全く意に介していないのか、部屋の中央を人を我が物顔で突き進む。すると奥にある部屋から、禿頭の男が飛び出してきた。

「これはこれは、ルディ様とイザベル様。本日から本格的な討伐を行うと伺っておりましたが、こちらにはどのようなご用件で?」

 白々しくも禿頭の男は、僕らに来意を訊いてくる。

「時間稼ぎは無駄です。早く、村長のもとへ案内してください」

 イザベルは急かすように言い放つ。

 村長が奥の部屋にいることは承知してのことだろう。

 禿頭の男の制止を振り切り、奥の部屋へと一直線にイザベルが進む。

 僕は、そのイザベルに遅れてはならないと後を追う。

「村長、村長はいらっしゃいますか?」と言いながらも、返答の前に大胆に木製の扉を勢いよく開け放つ。

「イザベル様とルディ様ではありませんか」

 平静を装う村長であったが、その表情は明らかに狼狽している。

 部屋を見渡すと、村長の他に一人、男がいた。自警団の団長のダンであった。

 ダンは僕たちが入ってくるやいなや急に立ち上がり、村長を庇うかのように、僕たちと村長の間に入る。

「そんなに慌てなくても良いのでは? それとも僕に何か隠し事でもあるのですか?」

 ダンが背後にいる村長に目配せをする。

「では、訪れられた用件を伺おう」

 明らかに落ち着かない態度のダン。僕はその態度に不信感を感じながら、

「実は今朝、我が愛刀のアンネームドが何者かの手に盗まれました。そして、昨夜の状況から、アンネームドの行方を村長が知っているのではと、イザベルが言うので、村長にアンネームドの在処を伺いに来たのです。村長、改めて伺います。アンネームドは所在に心当たりはありませんか?」

「その問いはあまりにも唐突で、村長に失礼ではありませんか? いくら聖騎士といっても、なんの根拠もなく村長にそのような疑いをかけるとは、およそ真っ当な聖騎士の発言とは思えませんが」

 ダンが僕を厳しい目で睨みつける。

 いかに僕の手にアンネームドがなくても、戦力差は歴然。ダンに勝ち目はない。

 僕に厳しい眼差しを向けるダン。僕はその眼差しに「本当に村長がアンネームドを盗んだのか?」と疑問が生じる。しかし、イザベルは、村長がアンネームドの盗むように指示し、今も隠し持っていると断言していた。

 僕は静かに目を閉じ、詠唱を始めた。

「名もなき者よ。我の呼びかけに応えよ。再び願う。汝、我の呼びかけに応えよ」

 ガタガタ――

 部屋の片隅に置いてある木箱が振動している。

「なんだ、この音は?」

「真逆―― こんなことが――」

 ダンは音を発している木箱を見つめ、悔しそうに呻く。

 次第に振動が大きくなり、遂には木箱全体が、振動する。

「名もなき者、アンネームドよ。我が呼びかけに応え、我が掌中に!」

 詠唱に呼応するかのように木箱から光が溢れ出す。

 次の瞬間、光に包まれたショートソードが木箱から飛び出す。

 そして僕が右手を前に突き出すと、そっと掌中に収まる。

 優雅な曲線で構成され、見事な銀色に光輝く柄。装飾の類は一切無く、聖なる鋼のみで鍛え上げられた、至高へと繋がる試作品、アンネームド。

「村長、そしてダン。これが動かぬ証拠です。もう好い加減に白状したらどうですか?」

「こんな物は知らない。誰かが、村長を陥れるために仕掛けた罠だ。そうに違いない」

 目の前に突如して現れたアンネームドを前にしてもダンは白を切り、僕に飛びかかりそうな姿勢を見せている。村長は、ダンを片手で制止し、僕に向かって静かに口を開いた。

「よいのだ。もう、隠し立ては無用であろう、ダン。ルディ様は既にご存じのようだ。恐らく、我々が何故、アンネームドを盗んだのかも」

 いや、そこまでは分かっていないのだが――

 僕はそんな心境を隠しつつ、イザベルを隠し見る。

 勢いよく扉を開け放ったイザベルの態度からは明らかに怒りを感じていたが、その後のイザベルはどちらかというと冷静に推移を観察しているようであった。

 一体、イザベルはどこまで見通していたのだろうか。

 僕の疑いを感じとったのか、イザベルが村長を問い質す。

「村長、率直に伺おう。娘さんは、いつから行方がわからないのですか? 娘さんを拐かした者から脅迫状が届いている筈です。事態は急を要していると推察します。どうか、届いている脅迫状を見せてはいただけないでしょうか?」

 村長の娘が何者かに誘拐されていた。

 僕にそんな衝撃的な事実を隠して、ここまで連れてきたのか。

 イザベルに憤りを感じる。

「え? 本当に気がついていなかったのですか? 私はてっきり――」

 言葉を濁すイザベルの表情に侮蔑の色が窺えた。

 村長とダンも僕に視線を向ける。その視線にも若干ではあるが不信感が窺える。

 僕はそんな不信感を払拭するかのように、

「何を言っているんだ、イザベル。当然、僕は昨夜からこの周到に準備されてきた自作自演の茶番に気が付いていたさ。そして言うまでもなく、その理由についてもだ。しかし、それを事前に言ってしまっては、興が削がれるというものさ。さあ、村長。その脅迫状とやらを見せてもらおうか」

「やはり、ルディ様はそこまでお見通しでしたか。感服いたしました。脅迫状をお見せします」

 村長は自らの執務机の抽斗から、一通の書状を取り出し、僕に渡した。

 脅迫状の文面は単純明快。


 娘は預かった。

 娘の返して欲しくば、聖剣、アンネームドと交換だ。

 期限は十日。

 一日でも遅れれば、娘が再び村に戻ることはない。


 文末には「盗蛇党」と記されていた。

「盗蛇党に娘を誘拐されていたのですね。盗蛇党といえば、今はその隠れ家をアレウス山脈に移したと聞いています。その隠れ家に連れて行かれたのでしょう」

 僕の背後から、脅迫状を盗みみたイザベルが二人に言う。

 気配もなく背後に廻っていたイザベルに驚いたが、背中に触れる双丘の柔らかな感触の豊かさにさらに驚く。

「十日後というと、期限は三日後。今から馬を走らせれば何とか間に合うな。イザベル、早速、村長の娘の救出に向かうぞ」

「ルディ様、是非、その私も一緒にお供させて下さい」

 ダンが縋るような眼差しで、僕に訴える。

 成る程――

 ダンと村長の娘は、結ばれていたでのあろう。

 その眼差しから村長の娘とダンの関係を察する。

 そして、盗蛇党に誘拐されたと知ったダンは、村長と策を練り、僕を騙したのだと。

『恋は盲目』だとと聞く。

 きっと、第十聖騎士を騙すということの重大さより、村長の娘――自らが愛した女性を救いたいという気持ちが勝るのであろう。

 イザベルの横顔をそっと見る。

 同じ男として、その気持ちは理解できた。

 そして、ダンは愛する女性のために危険を顧みずに、アレウス山脈まで救いに行きたいのだという。

「わかった、ダン。今回のことは全て不問にしよう。愛する女性のため、ダンの行ったことは、あながち間違いであったとは言い難い。むしろ、僕はその愛の力に心を打たれた」

 僕はそう言い終わるとダンの手を握った。

 ダンも力強く僕の手を握り返す。

 筋骨隆々たるダンに手を握り返され、手が少し痛い。

 その様子を少し冷めた視線でイザベルが見ている。

 所詮、女性のイザベルには男同士に友情というものが理解できないのであろう。

 いや、イザベルには友情という概念が存在しないのかも知れない。

 第三聖騎士のアイヴィスと親しい間柄であると聞いたことがある。

 思いだしてみれば、二人は似たもの同士なのかも知れない。

 どこか人間性を感じられないというか、超越してしまっているというか――

 僕はイザベルも苦手であったが、同じ聖騎士で同僚ともいるアイヴィスは、もっと苦手かも知れない。そんなことを、不意に思いだしていた。

「よし、早速、アレウス山脈に向けて出発だ。イザベル、村役場に馬を廻してくれ」

 僕の号令にイザベルは黙って部屋を出て行く。

 その態度はどこか不満げではあったが、村長が涙ながらに「ルディ様。娘をどうかよろしくお願いします」と頭を下げたのに、気取られてしまう。

 村長もダンと同じく、娘のためを思い苦渋の決断をしたに違いない。

 愛する娘を救うため――

 僕は今、二人の男の想いを背負っていることを実感している。

 ここで力を発揮できないようであれば、聖騎士の名が廃る。

 僕は聖騎士の名に掛けて、村長の娘を救うことを決意した。



八 アレウス山脈



 僕たち三人は、村長の娘を救うため黙々とアレウス山脈に向かい駒を進めていた。

 アレウス山脈は、僕が暮らしているアズダルクの南にあるイズガルド最大の山岳地帯である。

 何日か前に通った道を引き返すという退屈な旅ではあったが、村長の娘のことを思うと、否応なく緊張が高まる。

「ルディ。アズダルクに寄り、ミース様の助力を仰ぐというのは如何でしょうか?」

「いや、アズダルクに寄るほどの時間はないだろう。それに盗蛇党くらい、自分ひとりでも全く問題はない。なんならイザベルだけアズダルクに戻り、ミースに報告してきてもいいくらいだ」

 ミースは、アズダルクの領主。アレウス山脈での出来事はミースに報告しなければならないが、この件は危急のことでもある。領主に対する報告より、聖騎士としての責務を優先しなければ。そうでもしないと責任感の強いミースのことである。アレウス山脈まで同行したいと言いだしかねず、戦闘力という点では、疑問のあるミースの存在が、逆に仇となる恐れもある。ここは、自分が蒔いた種。最後まで責任をとるというのが聖騎士というものである。

 ダンもアレウス山脈に近づくにつれ、明らかに緊張している様子である。

 村長の娘と自警団の団長。

 恐らく、自警団の団長であるダンは、警備の報告やら相談で村長のところを訪れる機会は多かったのであろう。そして、村のために危険を顧みない年頃の男の姿に、村長の娘は惹かれ、次第に二人は距離を詰めて――といった具合に愛を育んだに違いない。

 僕との差は一体、どこにあるのだろう。

 民のために、危険を顧みない日々を送っているという点ではダンと何ら変わらない。むしろ僕のほうが危険度という意味では、遙かに上回ってさえいる。

 一方、僕とイザベルの関係性は問題が山積みである。

 そんなことを思いながらイザベルの姿を見る。やはり、馬に跨がり規則的に上下に動く彼女の姿は刺激的に思えた。

 決して普段からその様な目でイザベルを見ている訳ではなかったが、イザベルが不用意なまでに無自覚な姿に心が奪われているのかも知れない。

 パシッ――

 イザベルが急に振り返り、自分のレイピアを投げつけてきた。

 僕は、投げつけられたレイピアを無意識に受け止める。

「ルディ! あなたはさっきから、一体、どこを見ているのですか! このあたりから、アレウス山脈と言われる地域に入るのですよ。盗蛇党の気配は感じられませんが、魔物も数多く潜んでいる地域です。警戒を怠らないようにお願いします」

 ここで言葉を句切ったイザベルは、意味ありげに僕を睨み付ける。

「なので、ここからは『前だけに』集中するのではなく、背後にも警戒をお願いします」

「わかったよ。これからは背後にも注意するよ」と、投げつけられたレイピアをイザベルに投げ返し、横にいるダンに声をかける。

「僕が後につきますから、ダンは、イザベルと僕の間に入って下さい。万が一の急襲も考えられますから」

「了解です」

 素直にダンは返答する。僕はイザベルの後ろ姿が見えなくなることに後ろ髪を引かれる思いであったが、ダンの後に廻った。

 アレウス山脈は魔物の巣窟という印象が先行しがちだが、実は古くから有用な資源の採掘が行われてきた鉱山であった。しかし、近年では魔物の数が増加し、人間の手で治安を確保することが難しくなったことから、鉱山としては放棄されていた。

 しかし、古くから人が往来するための山道は残っており、五合目付近であれば、馬で行くことも出来た。

 そして、盗蛇党の隠れ家があるとされるのが、五合目の少し先、六合目あたりということである。日があるうちに五合目まで馬で登り、そこからは歩いてで隠れ家を目指すこととしていた。

「こんな目立つ感じで、隠れ家まで接近して大丈夫なのでしょうか?」

 不安な表情でダンが馬上から後に振り返りながら、僕に訊く。

 盗蛇党の目的は、あくまで僕の所持しているアンネームドである。よって、僕がアンネームドをもって隠れ家に向かっていると知っても、すぐに、村長の娘に危害が及ぶということは考え辛い。

 しかし、何故彼らがアンネームドを欲するのか理由は解らない。

 でも、今夜で騒動に決着をつける。

 僕は一日でも早くこの茶番を終わらせると心に決めていた。



九 アレウスの聖騎士



 五合目に着いた頃にはすっかり夜が更けていた。

 日中は心配された魔物の襲撃は無かった。

 しかし、夜となると別である。

 夜行性の魔物が目を醒まし、獲物を狙い徘徊する。

「ここからは予定通り、歩いて隠れ家に向かいます。魔物の襲撃に備えて、ダンは僕とイザベルの間にいて下さい。まあ、アレウス山脈の魔物は、把握していますので、安心して下さい」

「私たちにお任せ下さい。こう見えてもルディは聖騎士ですから、少なくとも、こういう場面では頼りになります」

 イザベルの言葉に苦笑する。

 そして僕は二人と共に隠れ家に向けて歩き始めた。

 辺りはすっかりと静寂に包まれていた。

 三人の歩く音だけが、周囲に谺する。

 ヴェスパの村長がサイロが正体不明の魔物に襲われたから助けて欲しいとの依頼に端を発する今回の騒動。

 依頼に応え、ヴェスパを訪れサイロ群を調査するが、イザベルの推理により、サイロの襲撃自体が村ぐるみの自作自演であったことが露見する。

 そして、聖騎士の来訪を記念した晩餐会が催されるるが、その翌日、目が覚めると、イズガルドの宝剣、アンネームドが何者かによって盗まれていた。

 しかし、そのアンネームドの盗難劇も村ぐるみでのことであった。

 村長に、サイロ襲撃の自作自演、アンネームドの盗難のことを問い詰めると、村長の娘が盗蛇党という盗賊に誘拐され、その交換条件としてアンネームドが要求されているということが判明する。

 そして、自警団の団長のダンとイザベルを従え、盗蛇党の隠れ家に村長の娘を救いにいく途中であった――表向きは。

「こんな茶番、もういいだろう」

 僕の口から不意に言葉がでる。

 突然の問いかけに、訳のわからない様子でダンが僕をみる。

 しかし、僕はそんなダンに構わず続ける。

「もう、わかっているんだ、ダン。君が盗蛇党の一員だということ。そして、村長の娘、カイラが盗蛇党の頭目ということもね――」

 イザベルがレイピアを引き抜きながらダンに訊く。

「しかし、わからないことが一つだけあります。何故、あなたがた盗蛇党は、アンネームドを欲するのか」

「なんだ。気が付いていたのか。お前らを隠れ家まで誘導し、そこで始末してアンネームドを手に入れるつもりだったのになあ。不意討ちが俺らの流儀だが仕方ない。ここでやらせてもらいますよ」

「何かの間違いじゃないのか? 聖騎士と従騎士を相手に一介の自警団の団長が敵うとでも思っているのか?」

 そう言いながらアンネームドに手をかけた瞬間、胸に焼けるような激痛が襲う。

 ダンの右拳に黒い焔が宿り、胸を貫いていた。

「ルディ!」

 イザベルが絶叫する。

 意識が遠退く。拳に宿る焔は『黒焔』と呼ばれる地獄の焔だとわかる。

 その『黒焔』を拳に纏う暗殺者の名前を僕は識っていた。

「オクスレイ。お前の正体はオクスレイだな?」

 ダンと呼ばれていた男は、歪んだ笑みを浮かべ答えた。

「そうだ。俺の正体はオクスレイ。黒焔のオクスレイだ」

 先のゴブリニア事変で、聖騎士ランベルトを死に追いやり、聖騎士アイヴィスに討たれた筈の男が目の前に立っていた。

 この事実に頭が混乱する。

 イザベルはレイピアを構え、オクスレイと正対する。しかし、オクスレイの異様な圧力からレイピアの間合いに入り込めない。

「しかし、お前はなかなかの切れ者だな。あのレイピアを投げつけた時に、残留思念を利用してルディに伝えたんだろう? 俺と村長の娘が共謀していると」

 オクスレイの指摘のとおり、あの瞬間、イザベルからの残留思念により、ダンの正体を知ることができた。そして、この一連の騒動の首謀者も。

 オクスレイが一気に間合いを詰める。

 右手に宿る『黒焔』がイザベルの顔面を襲うが、イザベルは上体を反らして躱す。

 しかし、次の瞬間、一瞬でイザベルの背後に廻ったオクスレイがイザベルを羽交い締めにする。必死に抵抗するイザベルであったが、次第に手に力が入らなくなり、遂には、レイピアを地面に落とす。

「この『黒焔』で焦がしてしまうには少し惜しいかな」

 オクスレイが右手をイザベルの胸元に滑り込ませる。

 イザベルが、羞じらいとも苦悶ともとれる表情を浮かべる。

「いいねえ。その表情だよ、お嬢ちゃん。苦悶と快楽の交差こそが至高の瞬間なのだよ」

 オクスレイの掌がイザベルの乳房を玩ぶ。彼女の吐息が少しづつ荒くなる。

「あらあら、オクスレイ。そろそろお遊びはお終いにしたほうがよくてよ」

 背後から声が聞こえた。残された力を振り絞り、振り返る。

 すると、見たことのない灰色の長い髪の女性が立っていた。

「すまねえな。カイラの姉御。最近、姉御が相手にしてくれねえから、ちょっと悪戯したくなっただけさ」

 盗蛇党の頭目、カイラ。

 一代にしてイズガルド最大の盗賊団を築き上げた伝説の女盗賊と謂われる女性であったが、その素性は全く謎であった。

「私は嫉妬深い女でね。いくら気が無い男でも、私の男を誘惑する女には容赦しない性分なのさ」

 カイラは右手に持っていたナイフで、イザベルのワンピースの肩紐を裁ち切る。

 オクスレイに玩ばれていた乳房が露わになる。

 薄いピンク色の頂部が固くこわばっている。その頂部にカイラが唇を重ねる。

「……ああっ」

 イザベルの吐息が漏れる。

「やだ、この子。こんな状況でも感じているのね。では、こっちの方はさぞかし――」

 カイラが指をイザベルの大腿部から下腹部に向かって滑らせる。

 湿気を帯びた音が、イザベルを辱める

 言葉にならない吐息が漏れ、膝が震えている。

「やっぱり、悪い子のようね。お仕置きが必要だわ」

 カイラが悪戯っぽく笑い、手にしているナイフをイザベルの喉元にあてる。

 間に合わない――と僕は悟る。

 従騎士を護ることは、聖騎士としての当然の責務である。

 普段は僕に対して辛辣な言葉を並べるイザベルであったが、それでも僕にとって大事な従騎士――女性には変わりはない。そして今、そのイザベルの命が自分の眼前で危険に晒されている。

 聖騎士となりイズガルドの民を守ってきたという誇りもあった。

 しかし、そんな誇りも今、この瞬間では驕りにしか感じられない。

 自分の大事な女性を護りも出来ないのに――何が聖騎士なのだろうか。

 悔しい。

「さようなら。いたずら子猫ちゃん」

 カイラのナイフがイザベルの喉に食い込んだ瞬間、眩い閃光がカイラの躰を掠める。

 不意に襲った閃光の放たれたほうを見ると一人の女性が立っていた。

「ルディ殿。諦めるのはまだ早いです」

 透き通る白い肌に、金色の長い髪。

 身に纏っている銀色のプレートアーマーに美しい朱色の装飾。

 そして、右手に握られている美しい刀身を持つロングソード――アンブレイカブル。

 イズガルド三大聖剣に数えられる一振りの所有者、第三聖騎士アイヴィス。

 その姿をみたカイラは悔しそうに、

「チッ。『天使憑き』か…… 流石に今は『天使憑き』を相手にする『刻』ではない。オクスレイ、ここは退くわよ」

「そうだな。あいつには貸しがあるが、今は『刻』じゃあない」

 二人はそう言い残すと、スッと姿を消してしまった。

 僕は、突然に助けにきたアイヴィスの姿を見て、安堵した。

「ルディ殿、すぐに治療しますから」

 アイヴィスの掌から光が放たれ、僕の躰を包み込む。すぐさま傷口が塞がり、出血が止まるのを感じる。アイヴィスの高度な治療の力。これだけの力を持つのは銀十字聖騎士団の中においても、『癒やしの手』の異名をもつミースくらいであろう。

「ありがとう、アイヴィス。恩に着るよ。でも、僕はもういいから、イザベルの手当を」

「私なら大丈夫です。特に大きな外傷はありませんから」

 イザベルにアイヴィスのものと思われるマントが肩から掛けられたいた。

「それよりアイヴィス様は何故ここに来られたのですか?」

 イザベルの問いにアイヴィスが答える。

 アイヴィスは、ゴブリニア事変のあと、騎士団の再編に奔走しながらも、イズガルド国内に蔓延っていた黒衣の集団の残党を追っていた。

 そして、その黒衣の集団の残党を追っている最中で黒衣の集団のかつての副団長、オクスレイが生存しているとの情報を得る。さらにオクスレイの情報を追うと、オクスレイは姿を変え、盗蛇党の一員として暗躍し、アレウス山脈に潜んでいるとの情報を得るまでに到っていた。

「そこまで情報を得ていたのはわかったけど、だからといって、このタイミングで現れるってどういうことなんだい?」

「あれ? ルディ殿が送ってきたのではないのですか? 数日前から私のアンブレイカブルに助けを求める声が届いていたのですが――」

 怪訝そうな表情のアイヴィスの視線の先。アンネームドが誇らしげに光る。

 僕はその瞬間を見逃さなかった。

 きっと、アンネームドが危険を察知して、アイヴィスに報せてくれたのだろう。

 僕にはまだ何故、盗蛇党がアンネームドを狙ったの判らずにいる。

 そして、アンネームドの本当の力も知らずにいる。

 でも、いつか僕はアンネームドの本当の力を知るときがくるだろうと確信している。

 そしてもう一つ確信している。

 そのときは必ず我が愛すべき無愛想で無駄にスタイルの良い従騎士、イザベルが傍にいるだろうということを。

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