紅の導き 捌
意識を失った彼女が目覚めたのは和風座敷の中だった。その場所はよく怪我をする彼女にとってよく訪れる場所であった。
――永遠亭。月から来た者達が隠れ住む、竹林に囲まれた屋敷だ。かの有名なかぐや姫も住んでいる。
「……助かったのか、私は」
目覚めた第一声がそれであった。身体の各所には包帯が巻かれている。貫かれた二か所には彼女が持っていたものよりも強力で即効性のある治癒符が貼られていた。
どうやら意識を失った後、永遠亭に運び込まれ処置を施されたようだ。
体を起こそうとするが、痛みを感じたのか苦悶の表情で体を横たえる。戦闘の時は脳内物質が過剰分泌し痛覚が抑えられている為何も感じなかっただけだろう。
首を曲げて右を見れば、綺麗に縫い合わされ洗濯された服と鞘に収まった刀が置かれていた。
そして左側にはお粥が入ったお椀、薬品が複数纏めて盆の中に上に置いてあった。
この部屋は一人だけの病室。人間基準で致命傷を負った彼女は集中治療を施された後、この部屋を療養の場として与えられたのだろう。
今は、休むしかないと判断した彼女は諦めた様子で天井を仰ぎ見たまま一切の動きを止めた。無理に体を動かせば苦痛が波のように押し寄せてくるならジッとしていたほうが得だろう。
「目が覚めたようね」
そんな彼女の枕元に、空間を捻じ曲げ現れた女が一人。
金髪で紫を基調とした度派手な衣装を纏った最強の妖怪の一人、賢者八雲紫だ。
彼女は出雲の一族とも密接な繋がりがあり、今代の平衡守護者を篝に選んだのもまた八雲紫だ。
彼女の先祖が直談判し、力の平衡を守ることを条件に幻想郷に住むことを許されたとはいえ、中々理不尽な制度と言えるだろう。篝は、生まれた時から戦うことを運命づけられてしまっていたのだ。
「貴女、そろそろ神降ろしをしなくちゃいけない歳じゃないかしら?」
「……そう言えばそんな歳か。怪我が治ったら霊夢に頼むとする」
「あの娘は修行不足よ? 何なら守矢の方に紹介状を書くけども?」
「いや、いい。出雲は代々博麗に儀式を行ってもらっている。伝統を違える事は出来んよ」
「あらそう。どんな結果になっても知らないわよ?」
「全ては私の責任だ。万が一事故で厄介なのが降りてきても飼い慣らしてみせるさ」
「殊勝なことね。精々廃人にならないように気を付けて頂戴」
「……わかった」
言いたいことを言い、返事を貰った紫は満足気な様子で再び空間を捻じ曲げ境界に存在する自分の屋敷へと帰って行った。
再び一人となった篝。しかし彼女は退屈そうにはしていない。病人と怪我人は安静にすべきとの考えが根底にあるのだろう。
それに、医者の粋な計らいを無視すれば困るのは自分なのだ。大人しくしているのが完全回復への第一歩と言えるだろう。
「……」
彼女はそのまま再び長い眠りに就いた。
「……何故、私を助けたのですか?」
「裁きを望むならば生きて償わせるべき、と賢者が言ったからよ」
「そうですか……」
別の病室では、再生治療を行われ一応の形ではあるが四肢を取り戻した斉藤春が薬剤師の八意永琳と話をしていた。
彼女がとある呪術書によって重度の精神汚染に晒され、望まぬ内に惨殺を繰り返していた事は既に紅魔館の魔女を筆頭とした魔法使い達によって突き止められていた。
本来ならば幻想郷の法に照らし合わせても磔獄門が妥当である。しかし、自らの意思では無い事、最終的に自我を取り戻したことを考慮され四肢再生の後判決を言い渡すと言う形に落ち着いたのだった。
こんな彼女だが、人里では周囲の危険を排除した働き者としてそれなりに歓迎されているようだ。里に住む妖怪からすればたまったモノでは無い。
「彼女は言っていました。罪は消えない。だが、救いはあっても良い、と」
「……厳しい事を言うけど、その道は永く険しいわよ」
「生き恥を晒す事など最早覚悟の上です。罪を償うため、生きろと言うのならばそうしましょう――この身が朽ち果て塵となるまで」
「……言うは易し行うは難し、よ。頑張りなさい」
そう言って永琳は彼女の部屋の襖を開けて出て行った。春もまた、篝によって命を救われ此処に運び込まれていた。
呪力の影響を断つ為とは言え、篝が本気で死ぬまで人を追い詰めたのは彼女が初めてであった。それまで篝は、本気で人間を斬った事は無かった。
あのまま彼女が死んでいた場合、篝は生まれて初めて殺人に手を染めることとなってしまっていただろう。表面上は人間の味方である出雲が人を斬るなど何たる皮肉だろう。
しかし、春は生き残った。彼女自身の生命力もあるが、呪いに屈する事無く残っていた僅かな自我が生命の活力を呼び起こしたのだろう。
「もし、赦されるのなら……私は貴女の為に戦います。篝、さん」
「自己満足めいてはいますが、償いのため、恩に報いるため……貴女の傍にいさせてください……」
部屋の内に居ても聞こえぬほどのか細い声で彼女は呟く。己のしたことに対して本気で後悔し、他者からの裁きを望んでいた。
それはまさしく、義憤によって死罪を言い渡された者の高潔な精神であった。
恥と呼ばれる感情も彼女は持っていた。己の蛮行を恥じ、それでも尚生き続けようとしたのだ。赦されなくとも、赦されるために。心穏やかに、死に場所を定めるために。
「……貴女に、会いたいな」
穏やかな心持で呟いた彼女は瞼を閉じて眠りについた。彼女の状態は篝よりも悪く、絶対安静なのだ。迂闊に動けば傷が開くどころの騒ぎではない。
助かった命は大事に使うべきだろう。今度こそ信念を見失わず、自身の正義のみに囚われず、柔軟さを持って力を行使する必要があるだろう。
今の彼女ならば、それを果たすことは可能だ。気の持ちようのみで変わると言うのは傲慢だが、決して不可能ではないのだ。
現に彼女はこうして自らを恥じる心を持ち合わせた純粋で真面目な少女だ。決して、誘惑に惑わされることはもうないだろう。
しかし、彼女が篝に対してどのような感情を抱いているかは若干怪しい所ではある。
「なるほど。つまり斉藤さんは邪悪な呪術によって支配されていたと」
「うむ。パチュリーやアリスが調べてくれたお蔭で分かったようなものだ」
「大変でしたね。子供たちの事を思うと気が気で無かったでしょう?」
「あぁ……。万が一は私が盾にならなければいけないからな……」
里の茶屋の縁台に座り、会話をしている二人がいる。
片方は篝もよく知る稗田の少女、阿求だ。もう片方の背の高い女性は、出雲の道場と直接繋がっている寺子屋で教師をやっている上白沢慧音だ。彼女は後天的に白澤と呼ばれる妖怪となった半人半妖で、歴史に関する強力な力を操ることができる。
「今回の事件に関して歴史の修正は必要ないだろう。篝が上手くやってくれたからな」
「そうですね。これも縁起に書き加える必要がありますが、結果的に良い方向に向かっていますね」
「うむ。後のことは賢者に任せておけば良いだろう」
「そうですね。後は……彼女が無事に戻ってくるのを待ちましょう」
「うむ。治ったら再び道場の門を開いてほしいものだ。そうすれば子供たちも喜ぶ」
「そうですね……」
二人は篝と春が永遠亭に入院している事を知っている。これもまた、過保護な妖怪の賢者から聞かされていた事であった。
阿求は隣で団子を無表情のまま平らげる篝の事を思い出しているのだろう。そして、友として再び共に食べたいと願っているのではないだろうか?
本人にしかわからぬ事だが、少なくとも今の阿求は寂しそうにしているのが余所余所しさから分かるのだ。
――あまり顔を出さない、慧音でさえその様子には気付いている。だが、あえて何も言わず当たり障りのない会話をしている。
慧音もまた、自分の教え子達が放課語に道場で汗を流すのを微笑ましく見ているのだ。真剣に打ち込む子らに感心している。
だが、それは里に住む表の顔に過ぎない。一度仕事を始めれば内面真っ黒の血生臭い篝へと大変身を果たしてしまう。
篝は上手く隠しているつもりだろうが、子供たちの感受性と勘を甘く見てはいけない。恐らく本能的に篝が何を生業にしているのか感づいているだろう。
それでもなお、教えを乞い共に汗と涙を流すのは単に彼女の根底にある優しさの存在を信じているからだろう。純粋故の好意だが、間違ってはいない筈だ。
「……これからも篝は戦い続けるのだろうな」
「そうです。言われるがまま、それを使命と刻み付けて塵となるまで」
「悲しいな」
「……彼女がそれで幸せならばいいのではないでしょうか?」
「阿求は、悲しくないのか?」
「……本心を言えば、悲しいです。私が死した後も戦う事をやめられないと考えれば死んでも死にきれませんよ」
阿求は既に、どこか諦めたかのような声色で慧音の質問に答える。寿命の短い自分と、普通だが常に死と隣り合わせの彼女。方向性は違うが、死と言う意味では似た者同士である。
どちらも、人並みの幸せを掴む事は叶わない。
朝顔のように一時の開花を迎え、季節の移ろいと共に儚く枯れてゆく。二人の人生は長短の差はあれそのようなものだろう。
加えて、阿求は死んでも転生し再び現世に舞い戻る事も出来るが篝は出来るか不明だ。散々罪を犯し、それでも幻想郷の為と戦い続ける彼女は果たして地獄の閻魔に何を問われ、何を条件に戻ってくるのだろうか。
否、第一に転生を許されるのだろうか? 殺傷罪ならば三桁を下らない彼女なのだ。果たして赦しは得られるのだろうか。
「彼女の怪我が治ったら、神降ろしの儀を見に行かなければ。歴代の稗田は毎回立ち入っていると言う伝統ですので」
「私も何代か見てきたが、今回はあの修行不足の霊夢だからちと心配だな。大丈夫だろうか?」
「そしてもう一つ。神の宿る躰であるにも関わらず、先日の戦闘で激しく傷つけられ生死の境を彷徨った結果、彼女の躰は今死に近しい場所にいます。儀式の陣と詠唱に関わらず死や穢れに関する神が憑依する可能性も捨てきれません」
「前の代は確か……建御名方神だったか?」
「そうですね。とすると、二重契約等を考慮して日本武尊辺りが適当でしょうか?」
「可美真手命や経津主神、建御雷神辺りは既に先代までで契約履行しているからな」
「楽しみですね……。それと同時に、恐ろしくもありますが」
「うむ……」
浮かない表情で二人は二本目の三色団子を手にし、口へと運ぶ。
全ては篝の怪我が治ってからの話である。癒えぬ内は公の場に姿を現す事も出来ず、精神も摩耗していくだろう。
そうなっては危険が伴う。退院した後も座禅を組んで精神の清らかさを取り戻す必要さえありそうであった。
出雲は元服から数年以内に、神降ろしを行いその身に神格を得、神格者として生きると言う伝統があるのだ。
その伝統は遥か昔、藤原が摂政関白の時代から伝承されている。過去に幾つもの軍神や戦神、中には邪神とも契約していて、その力は僅かながら今の時代にも効力を発揮しているのだ。
そして今回、元服からの時間制限目前に篝は一族の代表として神格を得る儀式を行う。
更なる力を得、使命を果たす為の大事な儀式である。失敗は決して許されない。
願わくば、善良な神性が篝に宿らんことを。