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東方偽面録  作者: 水無月皐月
壱/紅の導き
7/27

紅の導き 陸

「準備は、出来ましたか?」


「はい」


朝早く。日もまだ上がりきらず、薄暗さが残る時間。彼女は仮面を被らずに紅音と雪を迎えに行った。

里の人々が目覚める前の時間。妖怪の性質が陰から陽に変わる刻。出来るだけ安全に移動するのならこの時間以外にはあり得ない。

妖怪の時間帯が変わるということは、活発な奴が減るということに他ならない。


「では」


「はい」


少ない荷物を纏めた紅音と雪。それを先導する篝は静かに里を出、霧の中の紅魔館を目指す。

鬱蒼とした林道を通らず、見通しの良い平原を通ることで妖怪との遭遇率を低くする。同時に接触したとき等は広く戦場を取り戦いやすく、逃げやすく立ち回る。

戦術家ではない篝が考えた精一杯の策がこれであった。人間側に捕捉されやすいという欠点はあるが、そこは時間帯を調整したので実質的に問題となっていない。

そして最大の脅威は篝と咲夜が仕留め損ねた斉藤春だろう。誰から見てもまともな精神状態ではなく、妖怪はもとよりそれに与する人諸共鏖にしてしまおうと考える狂気を孕んでいる。

行方不明でどこかを彷徨っているという事は、どうなるか全く予想出来ないということだ。

思わぬ所で奇襲を受ける可能性もある。正面から直接挑み掛かってくるかもしれない。

そういう不確定要素を考慮した上で、平原の道を取ったのだ。


平原を疾走する彼女達は胸中に言いようのない不安を抱えていた。追う側ではなく、追われる側特有の焦燥感だ。

しかし、親子には強力な護衛が付いている。人間と言え実力派な剣客だ。私情と責任で付き合っている篝に対して紅音は心の中で感謝していた。


「何事も無ければ良いのですが……」


「大丈夫ですよ。万が一の事があれば私を置いて先に行って下さればいいので安心してください」


「しかし……」


「私の個人的な私情で付き合っているだけだ。気にしなくて構わない」


「……分かりました」


やがて霧の湖に入る。一時的に霧を晴らしてもすぐに紅魔館の魔術士が魔術の霧を張り巡らし、迂闊に入ろうとする者の道を阻む。

今、この状況でこの霧は非常に危険だ。紅音と篝は問題ないが、子供である雪を連れている以上急いで抜ける事は出来ない。そして、周囲が見えないと言う事は奇襲を受けやすいと言う事だ。

通常の化生程度ならば篝が一瞬の内に切り捨てる事も出来る。しかし、相手が斉藤春のような腕のある剣客ならばそうはいかなくなる。最悪紅音と雪は先行し、篝が死ぬまで囮を続ける必要が出てくる。

そうなってしまっては大変なので、彼女たちは出来るだけ早く霧を抜ける事になる。紅魔館からの護衛など、咲夜クラスでなければ当てにならないのだから。


それでも彼女らは進行を止めるわけにはいかなかった。計画性など初めからないが、こうしなければ当面の脅威から身を隠す事が出来ないのだから。

霧に入った三人は妖精の悪戯など意にも介さず、どんどん中央へと向かっていく。門まで辿り着けば後は門番の美鈴や出迎えの咲夜で防衛線を張る事も出来る。

そうすれば、篝が死ぬ確率も非常に低くなる。


やがて、霧を抜けた彼女らは紅魔館の門の前へと辿り着く。そこには既に門番の紅美鈴と、迎えに出てきた十六夜咲夜が周囲を警戒しつつ待っていた。

二人の姿を確認したことで、紅音が安堵の息を漏らす。博打は成功したのだ。

体の緊張が抜けたと同時に、紅音と雪は門に向かって走り出す。その後ろを、悠々と歩く篝。その顔は心なしか笑顔であった。

紅音と雪は咲夜に連れられ、早急に紅魔館へと入って行った。それを門の前から見送る篝と美鈴。


「何とかなりましたね」


「はい。どうにか無事に終わって良かったです」


「このままお帰りに?」


「いえ、今日は城主の意向に甘えて泊まっていこうかと」


「そうですか。ではお入りください」


「うん。ありが……っ!」


彼女が門を潜ろうとしたその瞬間の出来事だった。右胸から突如刀が生えてきたのだ。

流れ出た血が彼女の服と体を染める。わざと心臓を外された結果、即死さえ出来ずに彼女は苦しむ事となる。

勢いよく引き抜かれた血塗れの刃。篝はふら付く体を必死に起こしながら、己を背後から一突きした者の姿を見る。


「き……さ…………まは……!」


「怨嗟を束ねし幾千幾万……お前は、恨みを買いすぎたな。出雲、篝」


「……っ」


そこにいたのは、行方不明になっていた斉藤春だった。不気味な笑顔を携え、両眼は紫黒色に爛々と輝き人では無い雰囲気を纏っていた。

装束は既に襤褸となりかけているが、そんなものは構うまいと気にしてはいないようだった。

そして、彼女が前回交戦した時と大いに違う所は背中だった。強大な魔力……否、禍々しき邪力が抑えきれないのか、崩れた翼型に瞳と同じ色で暴風のように噴出している。


即座に貫通された傷口部分に対し治癒呪法が施された札を貼り、応急処置を図る彼女。

美鈴もまた、彼女の修行の成果と言える気功の力により彼女の傷口を塞ぎ治癒能力を促進させる。

完全に傷が塞がる訳ではないが、戦えるまで体を戻すのが目的だ。


「もういい、美鈴。十分よ」


「しかし……」


「貴女は門を守りなさい。私はこの女を――殺すわ」


「……分かりました」


微笑む斉藤の顔面に向かい、抜刀と同時に唐竹を繰り出し意図的に回避を誘発する。

彼女の思惑通り斉藤は自身の背後数十メートル地点へと高速で跳躍、着地し篝と美鈴、門から距離を取る形となった。

そこ躊躇することなく踏み込んでいく篝。その眼に迷いは無い。彼女が持つ刀と同じように、晴れた空の色が映し出されていた。

相変わらず片手で大刀を扱う彼女だが、一部の油断も隙もない。その点は春も同じだが、見る者を戦慄させるのは十分過ぎるほどであった。


「何故分かった、とは聞かない。何があった、貴様」


「何が? ふっふっふ、力を求めた結果だよ。妖怪を、吸血鬼を屠るのだ。並大抵では敵わぬだろう?」


「理に適った思考だな。次の質問だ。何故、そこまで妖怪の駆逐にこだわる?」


「理由などどうでも良かろう? それとも、人の心の内を暴くのがお好きかな?」


「答えられない程稚拙な理由か。大方、小童の頃悪戯妖怪に玩具を取られて泣き喚いて恥をかいた程度だろう」


「……やはり、貴様は優先的に獲らねば気が晴れん。あの忌わしき妖怪親子は後回しだ。貴様から殺してやろう」


「煽られて憤怒を剥き出し……剣客の風情にも置けぬものよな。挙句必殺の時をみすみす逃すとは……剣客の質も下がったものよ。斉藤一も草葉の陰で泣いておるわ」


「我が先祖を愚弄するか! お望み通り串刺しにし焼肉三枚卸で喰らってやるわ!」


怒号と同時に春は己が必殺、平突きを顔面に向けて繰り出す。それを神速の刀捌きで防御する篝。

即座に刀を払い、右薙ぎ、左切り上げを繰り出すも至近距離での対応が有利となる斉藤の刺突刀で刃によって防がれる。

それでもなお、鬼気迫る勢いで一気呵成に薙ぎ、突き、唐竹を繰り出すも悉く防御、逸らされ決定打とは成り得ない。

しかし、一撃を打込めないのは斉藤も同じで、長刀を振るっているとは思えぬほどの連続した斬撃の前に防御に徹する事しか出来ないのが現状であった。


「よくやる。だが、貴様が突きで私を仕留めようとする限り勝てはしない」


「我が矜持だけは譲らぬ。祖先、斉藤一の霊前で突きの可能性を示すまではな!」


怪我による身体の能力の低下を差し置いても、相当な使い手である斉藤相手に優勢を持ち込む篝の能力は実際驚異的である。

いつ傷が開くかなど微塵も気にせず、ただひたすら相手の首を狩る為に打ち込んでいく様は鬼か阿修羅を思わせる。

左右の薙ぎ、左右の連撃、突き、大上段からの唐竹……どれを差し置いても怪我人ではなく健常な者の所業と変わらぬ精度で繰り出している。


一戟は重く、それでいて連続攻撃に繋げやすく力の加減を無意識に行っている篝。防御に精一杯で攻撃に手が回らない春。どちらが首を獲るかは一目瞭然と言えるだろう。

しかし、そこで二人にとって不測の事態が起こる。篝にとっては悪報、春にとっては朗報だ。


「かはっ……」


打ち込みの最中、篝が吐血したのだ。その所為もあってか、力の加減が鈍り刃を乗せる形になっていた。

その僅かな隙さえ逃さなかった斉藤はこれぞ好機と言わんばかりに必殺の突きを繰り出す。

血を拭う暇さえ与えられなかった篝は即座に刀を引き、突きを防御する。鉄と鉄が激しく衝突し、火花を散らす。

その鉄壁の防御力も、吐血によって削がれた彼女の腕は僅かに震えており、突き衝撃が有効打となっていることを証明していた。


「出雲篝、その首貰った!」


「遅い!」


首目掛けて放たれた突きを刀の腹で叩き、軌道を逸らしたのだ。受け止めるでもなく、受け流すでもなく直角から強烈な力を加える事で変更を強制させたのだ。

首元を逸れた突きはそのまま肩の装束を削り取った後、無防備な隙となる。すかさず彼女は春の左側面へと回り、首ごと右腕を落さんと切り下げを繰り出す。

驚異的な反応速度を発揮した春は寸での所で首への斬撃を背後に飛ぶことで回避したが、刺突刀を持っている右腕は第一関節から先を斬り飛ばされていた。


「く……はぁ……」


「よくも私の右腕を斬り飛ばしたな……だが見よ! この力を!」


篝が一連の動作を終え、吐血する中斬られた断面を天空に向かって掲げる春。その右腕に背中から噴き出る力が纏わり付き、歪な力場を展開する。

咀嚼音と啜る音を混ぜたような不愉快な音と共に、断面から春の右腕が生えてきていた。

そして、落ちた刺突刀が完全に復元された腕に吸い付くように跳び、再び手に握られる。

最早人間と言う枷から外れた者が行使する、外法の力の発現であった。しかし、そんなものを手にしていると言う事は確実にまともでは無いことを示している。

慣れぬ者が邪法を行使すれば精神汚染は免れず、その躰も邪に蝕まれやがては異形へと姿を変えてしまう。そこには最早人としての意思や理性は無く、ただただ本能のまま、満たされぬ意思を満たすために殺戮を続ける者となってしまう。


「……お前は、何だ?」


「何だ、とは異な事を。人間だぞ?」


「愚かな……歪みの禁術を行使した者は最早人では無い。それこそ、貴様が憎み駆逐を是とする妖怪の姿に他ならんぞ」


「黙れ。妖怪に与する者が何を言うか。要は力だ。力があれば、恐れるモノは何もない」


「……最早、掛けるべき言葉も無いな。即座に征伐してやるのが、情けか」


「ほざけ!」


再び高速で接近しての突き。だが、今度の突きは一味も二味も違った。篝は、防御したものの余りの変化度合いに目を見開いている。

それは、速過ぎた。同時に重すぎた。歪みによって再生され、異形と化した右腕の剛力と速さは彼女の想像を遥かに超える物だった。それ故、篝は防御するのが精一杯であった。

人間の腕だったころと比べ、その能力は実に数倍以上。だが、人間の体がその反動に耐えられていないのか、第二関節から肩にかけて皮膚が所々千切れ血が噴き出している。

当然、斉藤は気にしていない。再生禁術の副作用で痛覚が失せているのか、狂笑を浮かべながら連続して突きを繰り出している。

その全てを防御し、逸らしている篝。だがその手は衝突振動によって徐々に痺れが来ているようだ。

優勢は一気に春に傾いている。攻撃の暇さえ与えぬ手番は彼女の手に渡って行った。

そして、防御が崩れれば篝は文字通り串刺しにされる。最悪の場合塵さえ残らない可能性さえある。


「先程までの攻勢はどうした! 止まって見えるぞ貴様!」


「くっ……!」


防御の度に体に負担がかかり、徐々に門の方へと押されていっている。美鈴と共同すれ勝利も見えるだろうが彼女の思考は頑としてそれを許さなかった。

堅実な足運びで防御時の衝撃を出来るだけ地面に逃がし、決してここは譲らないとばかりに背後へ下がるのを拒絶している。

しかし、度重なる突きはその強固な意志さえ貫き通すが如く後退を余儀なくしている。


「ぐっ!?」


数十回目の突きの防御と同時に吐血。内臓が著しく傷つけられているのを実感する彼女。

そして、吐き出された血が刀を持つ右手に掛かる。生暖かい感触が手を包み、持つ手を僅かに滑らせる。

直後に放たれる、重く速い突き。受け止め、腹で左方へ流そうとするも、僅かな滑りで角度がずれた。

滑りを目視し、即座に反応するも彼女の体は怪我と疲弊で僅かに動きが遅かった。


その隙を始めが逃がすはずも無く、春は頭部……ではなく左胸、特に心臓目掛けて突きを繰り出した。

春の瞳は勝利の焔で燃え上がっている。対して篝は……まだ諦めてはいなかった。


「なに!?」


「っ……」


突きは確かに直撃し、彼女の体を貫いた。

しかし、そこは心臓では無い。胸の中心に近く、それでいて食道を外れた線であった。

彼女は勢いよく体を後退させ、自ら刀を排出させる。そして先程と同じように、呪い札を正面と背中に貼り付け傷の修復を行う。

だが、二度の大怪我は彼女の戦う力を確実に奪い去っている。彼女の顔は戦闘開始時と同じ無表情だが、冷や汗をかいている。

常人ならば既に死亡している。だが、彼女は美鈴の気功の力と呪符、そして使命を元にした強烈な生存本能により瀕死の状態でも健常者のように振る舞おうとしている。

事実、彼女の体はこれほどの傷を負ったにも関わらず倒れる事は無い。二つの足で立ち、刀を握って斉藤を見据えている。


「全く、驚異的だ。何が貴様をそこまで奮い立たせるのか、興味が湧くくらいだ」


「貴様には分からない。出雲の血の使命の重さと、その生命の責任というものが、な」


「だが、貴様はここで終わる。出雲の血は途絶え、その一族は敗北者の名を刻まれ、永劫の侮蔑と恥辱に沈む事となる」


「残念、私には姉と妹がいる。血は途絶えない」


「ならば探し出して斃すのみよ」


斉藤が平突きの姿勢を取る。次の一撃で彼女を殺すつもりなのだろう。

だが、彼女はみすみす殺されるつもりは無い。そう顔に書いてあった。そして何を思ったのか、地面に流れる自分の血に刀の刃を浸したのだ。

神格油によって清浄な状態にある刀の刃が、血によって汚れる。邪術に侵された斉藤の右腕を斬り落とした時でさえ、曇らなかった刀が、容易に染まる。


「本当は使いたくなかったが致し方あるまい。手を抜く余裕は微塵もないようだからな」


「何をしている……?」


「この刀は……少々特殊でね。縁のある者の血を捧げると、切れ味が鋭くなる」


そう言って彼女は懐の巾着袋から一枚の仮面を取り出し顔に付ける。

無。そう表現する他ない灰色の仮面だった。表情が無いどころの話では無いのだ。目も、鼻も、口も無い、のっぺらとした無の仮面だ。

そしてこの仮面を装着すると言う事は一切の表情……否、意思の消失を意味している。つまり彼女は、今だけはこの刀への生贄として己を偽ったのだ。


「切れ味が鋭くなった程度で何が出来る! 貴様の体は最早満身創痍! 瀕死なのだ!」


「……それで? それが何か、問題?」


彼女は無表情のまま、血塗られた刃先を春に向ける。そこには如何なる意思も読み取れぬ無が存在しているだけであった。

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