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東方偽面録  作者: 水無月皐月
壱/紅の導き
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紅の導き 参

斉藤春が茶屋で店主と押し問答をしている頃、出雲は一人で里から出発しキリの湖を目指していた。

霧の湖とは、その名の通り年がら年中霧に覆われている湖だ。そして中心にある島には紅い館が建っている。それこそ、今彼女が交渉に向かおうとしている吸血鬼の住む館、紅魔館である。

外壁に囲まれた、時計塔のある大きな館。力を示すには絶好の形と言えるだろう。

当主たる吸血鬼、レミリア・スカーレットは齢五百とまだ吸血鬼としては若輩ながらも強大な力とそれに裏打ちされた絶対的なカリスマを以て館内部を切り盛りしている。


「はぁ……気が重いわねぇ」


里から大分離れた平原の岩の上で休憩を取っていた彼女の気分は憂鬱であった。

本来、人の守護者が妖怪を守る為に妖怪を頼るなど禁忌でしかない。しかし、風習は時代と共に変わり妖怪と人間が表面上は共存していく時代になっている。

妖怪が人を頼る事もあれば、逆もまた然り。幻想郷は長い時を経て変わっている。

彼女が今憂鬱なのはそう言った風習の事情ではなく、目先の問題の事だろう。即ち、吸血鬼との交渉。

力ある妖怪との対話は精神力も体力も削られていく。相手を怒らせないように、しかし出来るだけ譲歩を引き出すように話をするのは誰でも骨が折れるのだ。

それが、人外の力を持ち一声で全ての悪魔を従える吸血鬼ならなおさらのことだった。


悩んでいても仕方ないと、彼女は岩から腰を上げ遠目に見える白い霧目指して再び歩き始める。

実の所、里と湖はそこまで離れているわけではない。平原ばかりなので見通しも良く、定期的に有力妖怪が通る所為か、下級妖怪や化生はいない。出てくるたびに気付いた者が駆逐しているのだろう。


「はぁ……」


溜息を吐いて歩く彼女の足取りは重い。いかに天気が良く、妖怪もいない平原と言っても責務の事を考えれば心理的負担は当然かかってくる。

それでも、彼女は一組の母子家庭を救うために奔走する事にした。義務でも使命でもなく、彼女個人の思い、でだ。

そして彼女は責任を感じているようであった。紅音が肉を喰らう所を見てしまった責任も果たさねばなるまいと考えているのだろう。


霧の湖まであと数百メートルと言った所で、彼女は足を止めて空を見上げた。そして何時もと違う黒い長衣より、仮面のようなモノを取り出し顔に装着した。

それは灰色の仮面だった。口に当たる部分は笑いを象徴するかのように黒い線が刻み込まれている。

これは、彼女が強力な妖怪と遭遇する事を想定し正体が割れる事を防ぐ為の措置だった。彼女は人間と戦う事も時たまあるため、こうして妖怪を装う場合にも使用する。

この仮面を着けている時の彼女の通称はスマイリーだ。由来はそのまんま、仮面の表情が嗤っているからだ。


仮面を付けた直後、並の妖怪を圧倒する程の妖気が平原を包み込む。その妖気を発する主を、彼女は空の向こうに捉える。

緑色の髪をした妖怪が、彼女の数メートル先に空の向こうから降りたつ。赤い瞳を持つ緑髪の花妖怪。名を、風見幽香と言う。たった一人で幻想郷のパワーバランスの一角を担っている。

年中花のある場所へと移動を繰り返す幽香は、単体での戦闘力ならば最強クラスである。幻想郷縁起においても阿求の偏見があるとは言え危険度最大の極高とされている。


「あら、スマイリーじゃないの。今日は何処に行くのかしら?」


「貴女には関係ない。それよりも、何故貴女がここにいる?」


「それこそ貴女には関係の無い事よ。私はお花を探しているだけだもの」


「お花とは別に何か目的があると?」


「さぁ、それはどうかしらね? でも一つだけ言うならば……」


「臭いものはさっさと断つ。これに限るわね」


「では、御機嫌よう」


言うだけ言った後、幽香は再び空に消えて行った。彼女の目的の半分はお花探しである事は間違いない。花妖怪としての本能がそうさせているのだろう。

しかしもう半分は恐らく、凶暴な彼女の顔としての目的だろう。臭いものの抹消か、調査か? その意図は本人にしか分からないが幽香が動いている以上荒事なのは間違いないと言えるだろう。


彼女は幽香が去った後も仮面を外さず、そのまま霧の中へと入って行く。

この後彼女が入るのは妖怪の割合が九割以上の場所だ。正体が割れれば面倒事は避けられないため、仮面を取り去る訳にもいかない。それに彼女は妖怪達の間では”スマイリー”と言う名前が通っている。その名に反しない為でもある。

しかし、通常ならば思考や心を読む類の妖怪相手ではすぐに正体が割れてしまう。彼女はその辺りの対策もしっかり出来ている。手段は不明だ。


霧の中に入り、目前が見なくとも彼女は立ち止まらずに奥へ奥へと歩いていく。急ぎの用事だが彼女は歩いている。

地面に生える雑草も濃霧の影響からか、しっとりと濡れている。しかし大雨が降ったような濡れ方では無い。長時間密度の薄い水素に浸された状態と言うのが正しいだろう。

地面はぬかるんではおらず、滑る状態では無い。


「……妖精か」


一周しても半刻かからない程度の広さしかない湖なのに、いつまで経ってもその中央に辿り着かない彼女はその仕業を妖精のものと断定し霧の中で立ち止まる。

妖精は自然の歪みから発生した超自然存在である。自然が存在する限り無限に再生出現を繰り返す。

多くの妖精は悪戯好きであり、度々人間に悪戯してはそれを楽しんでいる質が悪い存在だ。

この霧の湖には主に二体の妖精が棲みついている。


一体目はチルノと名付けられた氷の妖精。自身を最強と称する少々頭が弱い妖精だ。しかし、妖精の中では最上クラスの力量の持ち主であり、最も妖怪に近い存在である。

二体目は名無しの大妖精だ。通常の妖精よりも力が強い事から便宜上こう呼ばれている。無制限距離の瞬間移動を繰り返し、攪乱行動を得意としている。チルノには及ばない。

二体の内、大妖精は悪戯に対し消極的で人間に過干渉すべきではないと考えている節がある。

対するチルノは大の遊び、悪戯好きであり蛙を凍らしては溶かして蘇生させる遊びをよく目撃されている。


どちらにせよ、急ぎの用事がある彼女にとっては厄介極まりない存在である。氷の妖精は空気中の水素を一斉に凍結させると言う離れ業も可能。雨の日に暴れられれば甚大が被害が出る。


「致し方あるまい」


彼女は背の刀を引き抜き、右の手に逆手持ちで構える。刀身に巻き付けられたお札が烈火の炎の如く赤い光を発し、刃が極度の高温を発する。周囲の水素成分を蒸発させるつもりなのだ。

彼女は一度空に五尺程跳んだ後、重力加速度と共に刃を地面に叩き付ける。

刃に蓄えられた熱が周囲に衝撃波と共に放たれ、霧の水分を蒸発させ晴らしていく。湖に溜まる水への被害は水面が多少湯気に変わった程度であった。

爆心地にいた彼女も当然被害は被っていない。自身の呪法で怪我を被るなど退治屋失格も良い所である。


霧が晴れ、晴天の下彼女の正面に紅い時計塔と館が現れる。道を惑わせていた妖精は既に湖から姿を消したようだ。

彼女は刀を背に差し直し、その足で再び館向かって歩き始める。館の門の前には緑の中華服を纏った紅い髪の女が仁王立ちで空を睨んで立っていた。その所為か、正面から来る仮面の彼女に全く気付いていない様であった。


彼女は足音さえ立てず、門番……紅美鈴の横を通り抜け、閉じられた鉄門の上を飛び越え館の正面玄関の前に広がる庭園に降り立った。

大小色取り取りの花が咲き乱れ、年中香りを提供している紅魔館中庭は幻想郷でも訪れる者の多い場所だ。主に妖怪ばかり訪れているが。


彼女は庭園を通り抜け、正面玄関の戸を静かに開き紅魔館の中に入って行く。


「ようこそ、紅魔館へ」


戸を潜り抜けた瞬間、正面に銀髪のメイド服の女が現れ一礼する。

彼女の名は十六夜咲夜。この紅魔館で唯一の種族人間である。体術の達人で、得物は投げナイフ。能力は時を操る程度の能力と人間にしては非凡過ぎるスペックの持ち主だ。

因みに、紅魔館の中で三番目に強い。


「事前に打診してはいないけど、お嬢様と面会は出来るかしら?」


「はい。特別な予定などはありませんので面会は可能です」


「割と大事な話なの。出来れば貴女にも同伴して頂きたいけどよろしい?」


「分かりました。ご案内いたします」


咲夜に促され、彼女は後に着いていく。

紅いカーペットの上を上品に歩き、階段を上り、廊下に入る。窓は全て真っ赤なカーテンで閉じられ、一切の日光を遮断している。

館の主の吸血鬼は日光に長時間当たると体が灰と化し、日光の無い場所で数年待たねば復活できなくなってしまう。

曇天の日や、雨の日はカーテンを閉じる必要は無い。今日は晴天なので、全てのカーテンを閉めている。


咲夜に付いて行きながら、彼女は館の中をつぶさに観察していた。勤勉なホブゴブリン達があちこちを掃除し料理を運び、床を拭いている。

メイド服を着た妖精たちはお茶を飲んだり、集まって談笑しているだけで大した仕事はしていないようだ。

しかし、咲夜と彼女が通った後は何故かゴブリン以上に真面目に勤務を始めた。その理由は眼で追えぬほどの速さで投擲されたナイフだ。

咲夜が業務怠慢を確認し、横を通り過ぎた瞬間時間を停止し、妖精の頭上スレスレの場所にナイフを投げ壁に突き刺している。

咲夜は人間でありながら紅魔館のメイド長の役職を務めており、このような業務怠慢に制裁を加えるのも彼女の役目である。


「小鬼達はよく働くようね。妖精達はそうでもないみたいだけど」


「彼らは勤勉ですから。お茶を濁して埃を出しているだけの妖精とは違いますとも」


咲夜は笑顔でそんな事を言ってのける。館全体の事を常時把握しているからこそ、こんな言葉が出てくるのだろう。

そのまま咲夜は笑みを絶やさず彼女を先導する。彼女は自身の能力によってこの館の空間をも弄っている。客人の案内役は基本的に咲夜に一任されている。

スマイリーである彼女は、顔に付けた顔だけで勘の鋭い咲夜にすら、出雲篝とは気付かれては無い。この仮面か、もしくは彼女に何らかの秘密がある事は明らかだろう。


二人はそのまま、紅いカーペットの上を進み、大きく重厚な扉の前に辿り着く。

そこは紅魔館の指令室とも言うべきもの。西洋の城で言う玉座の間。当主たる吸血鬼が座する場所。

咲夜はその扉に手を掛け、多少の力を入れて引く。重厚な扉が鈍い音を立てて開かれてゆく。

先にあるものはやはり紅で、長大なステンドグラスに彩られた部屋だった。

その最奥、最も高い……と言っても六尺程度の台座の上に小さいながらも豪華な椅子が置いてあるだけの場所に紅い悪魔はいた。


「客人の案内、ご苦労」


部屋の中にただ一人いる少女はまず部下であるメイド長を労う。咲夜は静かに一礼し、篝を中へと通す。

彼女は仮面を外さず中へと踏み込み、吸血鬼に向かって一礼する。意地でも外さないと言う魂胆が透けて見えるようである。

だが、吸血鬼はその程度の事はきにしていないようだ。椅子から立ち上がり、優雅な動作で階段を降り長テーブルの前の特等席に座る。暗に席に着けと言う意思だ。

咲夜は彼女を当主の右斜め前の席に案内する。そして自らも左斜め前の椅子に瀟洒に座る。


「さて、客人。私はこの館の当主レミリア・スカーレットだ。其方の名は何という?」


「……スマイリー。今はそう呼ばれていますわ」


「ほぉ? その偽りの笑顔からその名を取るとはまた無礼な妖だな? 本来スマイリーとは屈託ない、まるで忌々しき太陽のような笑みに付けられる名前だが?」


「あくまで自称であり他称です。お嬢様が呼びたいようにどうぞ」


「ふふふふふ、冗談よ冗談。試すような真似をしてすまなかったわ。……咲夜!」


名を呼ばれたメイド長は次に言われるべき行動をまるで予測していたのかの如く、人数分の紅茶セットを用意していた。

そして、篝が瞬きをした瞬間には淹れたての紅茶のカップが三人の前に置かれていた。恐らく能力を使ってその間に置いたのだろう。


「相変わらずだな。その仕事振りに私は尊敬の念を覚えるよ」


「有難きお言葉」


「さて、客人」


レミリアは彼女の方を向き、食い入るようにじっと見つめる。

篝はようやく本題に入れるのか、と言った様子で目を僅かに細めていた。

咲夜は二人の様子を油断なく観察している。万が一の事があれば二人を守るつもりなのだろうか? それとも、守るのは主人であるレミリアだけなのだろうか? 不明である。


「貴女の話を聞こうか。私にとってどうかはわからないが、貴女にとっては非常に重要な話なのだから」

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