紅の導き 弐
検分から三日後の事。
再び阿求と共に茶屋の縁台で団子を食べながら話していた二人。
今回の阿求の話は、彼女にとって大いに興味を引く物だった。
「妖怪のみを狩る新人の退治屋がいるって?」
「はい。名を斉藤春と言ってかの斉藤一の直系の子孫だとか。彼と同じく彼女も平突きを得意としているようですよ」
「容姿は?」
「官吏服に短めの髪ですね。事務所によれば目が魚みたいに死んでいるとか」
「妖怪に恨みを抱いてそんな風になったのかな」
異変が終わり、妖怪が沈静化したこの時期でも活発な者は非常に活発だ。
飢餓に苛まれる者は肉と水を求めて跳梁跋扈を繰り返している。宝を求める者もまた幻想郷の深淵地に赴いては帰ってこない者もいる。
平和な時代だからこそ、危険が生まれている。平和ボケの代償は後々になっても響いてくる。
極度に緊張せよとはならないが、適度に気を引き締めていた方が良いのは確実だ。
「経歴を洗ってみましたが、どうも最近外から入って来たようです」
「日本から幻想入りしたワケね。……見境なくやりまくるなら対策しなくちゃあいけないわね」
「大丈夫ですか? 出雲さんは人間寄りなんでしょう?」
「少しくらい妖怪を庇った所で咎められることはないわよ。むしろ平衡を崩す奴がいればソイツを討伐しろって賢者が言ってくる」
「霊夢さんは異変解決。出雲さんは平衡保持。見事に役割が分かれていますね」
霊夢やその友である霧雨魔理沙の役目が表向きの妖怪退治・異変解決だとすれば彼女は裏の目的での人妖問わずの抹消にある。
過去の代まで遡るとすれば、出雲の一族は幻想郷の創造に際して最初に移住してきた一族と言っても良いだろう。
当時の当主が賢者に直談判し、人間、特に博麗を優先に守護する事を条件に氏神と契約を結んで住んでいる。
この時の氏神は博麗神社の大霊神だったが、現巫女の霊夢が信仰を疎かにしている為消えかかっている。
「まぁ、それが私の役目だからね。霊夢は舞台の上で踊って、私は舞台の裏でいろいろ汚いことをやる役目よ」
「幻想郷縁起に書いてよいか聞いてみたのですが、最低限の記述のみに留めろと言われましたよ。そんなに黒いことをしているのですか?」
「そりゃあもう。妖怪でも吐き気を催す程の所業をしているようだわ。私はまだしたことはないけどね」
「そこのお前……話がある」
二人で話していた所、突然縁台の前に一人の女が立つ。驚いた顔でそちらを向く阿求と気付いた上で放置していて面倒くさそうな顔をしている出雲。
女は阿求など眼中に無いと言わんばかりに出雲の方をジッと見ていた。
何時まで経っても見るのをやめない女を見かねて諦めた出雲は溜息を吐き、女に向き直って返事をした。
「何? 今団子を食べているのだけど邪魔しないでくれる?」
「団子など後で食べろ。それよりお前、里に屍喰鬼がいるのを知っているか?」
「屍喰鬼? 肉喰う妖怪のこと?」
「そうだ。先日、そいつが肉を喰っている所を目撃した人間から話を聞かされていて、駆逐しなければならないと思っている所だ。何処にいるか知らないか?」
女の剣幕は異常な程であった。努めて冷静に話をしているようだが、その言葉の裏には隠しきれない程の怒りと憎悪を秘めているのだ。
阿求が彼女に齎した情報を元にするならば、今出雲を睨みつけながら質問をしたこの女こそが新人退治屋の斉藤春で間違いはないだろう。
彼女は質問の答えを考える事を余所に、春が腰に差している得物に目を付けた。鞘に収まった刀だった。
彼女が本物の斉藤一の子孫だとすれば、その刀の銘は摂州住池田鬼神丸国重だろう。
池田屋事件を経てボロボロになった刀を復元したとすればその切れ味は神業へと達しているに違いない。
「おい、聞いているのか」
「あぁ、ごめんなさい。貴女の差している得物に見とれていたわ」
「……鬼神丸国重に何か?」
「えぇ。池田屋事件で壊れたらしいけど、復元したのかしら?」
「そうだ。先祖代々の刀だ。実際に斬れなければ無用の長物だろう。それで、何か知らないか?」
「屍喰鬼については初耳だわ。……精々肉を喰われないようにね、死にたがり」
「余計なお世話だこの阿婆擦れ。お前も刀を使うようだが、鈍では斬れる敵も斬れんぞ」
そう言って春は肩を揺らしながら里の雑踏へと姿を消す。二人以外からも情報を得られないから探るつもりだろう。
彼女は右手の人差し指を額に当て考え始めた。実地検分で出会った紅音の事を思い出しているのだろう。
彼女はまだ小さい雪を育てながら、里には自身が屍喰鬼である事を隠して生きている。彼女が栄養を摂るためには肉を食べるしかない。
当然、昼間に捕食活動をすれば気取られ駆逐されるのが定石。ならば夜にこっそり里を抜け出し跋扈する妖怪か命知らずの人間を喰うしかない。
ところが、妖怪に対して激しい怒りを抱く斉藤の出現によってそれが難しくなってしまった。妖怪と見れば見境なく殺害しそうな彼女は紅音にとって危険極まりない存在だ。
「うーん……」
「どうしたのですか? 何か、悩み事でも」
「いやぁ、知り合いに屍喰鬼がいるのだけれども殺されたら不味いなと思ってね」
「斉藤さんに見つからないように別の集落に逃がすのはどうでしょう?」
「そうすると雪ちゃんが私の道場に通えなくなるよ。……斉藤を潰せばいいか」
「そ、それは不味いのではないでしょうか? 守護者出雲が新人退治屋を叩き潰したとなれば立場が……」
「うーん……何か手は無いものかな?」
そう言って彼女は考えを保留し、里の向こうを見つめる。忙しく動き回る里人達は今日も己の食い扶持を稼ぎ家族を食べさせる為に必死になって働く。
周辺を妖怪の囲まれた危険な場所だが、ここに住むことを決めたのは他でもない彼らだ。全ての責任は本人達が負う事となる。
「……一か八か、紅魔館を頼ってみるか」
「吸血鬼を、ですか?」
「うん。駄目なら冥界を頼る」
「どちらも難易度は非常に高そうですね」
「なーに、狂気の沙汰よりは大分マシだよ。それに、難易度が高い方が交渉に気合が入るってもんさ」
「どこだ、どこにいる……!」
里の雑踏に消えた斉藤は裏通りへと入り、そこで情報収集をしていた。
しかし、住人達は何も知らずむしろ初耳だと言う声ばかりで彼女は段々と苛立ちを覚えてきているようだった。
それでも衝動的に妖怪を狩ろうとは思わない当たり、分別自体はついているのだろう。
だがそれにも限度がある。限界を越えれば爆発し、甚大な被害を齎すだろう。
「……」
彼女は肩を揺らしながら裏通りを後にし、表通りに出る。
出た彼女は真っ先に確認したのは茶屋の縁台であった。今そこには誰もいない。団子を食べていた者いなくなっていた。
彼女にとって、団子の二人は貴重な情報元だ。片方は稗田と呼ばれる博識な少女。もう片方は守護者と言われる少女だからだ。
実地に赴く事が多い守護者ならばどこに妖怪が出やすいか知り尽くしていることだろう。それを聞きたかった彼女だが、いない者には聞く事など出来ない。
「クソ……奴が幻想郷に流れ着いているか分かれば……!」
彼女は憎悪と失意を混ぜた感情を抱きながら里の外へと向かう。ストレス発散の方法は妖怪殺しいか彼女は知らないのだ。
彼女の過去に何があったかは不明。しかし、妖怪絡みである事はまず間違い無いだろう。そうでなければ妖怪そのものに対してここまで黒い感情を持つ事など不可能だ。
彼女が妖怪のみを狩っている理由もそこにあるのだろう。
「いや待て……そうだ。あの女を追えば自然と妖怪に辿り着くか?」
「それがいい。妖怪と積極的に戦っている奴と一緒にいれば狩るべき相手は見える筈だ」
「とすればすぐに行動だ。あの女の居場所を何としても突き止めなければ……!」
斉藤は里の中を駆け巡って更なる情報収集を始める。行きかう人々を無作為に選定し聞き込みを開始する。
だが、一般の里人は彼女たちのいる場所など知るわけがない。知る人物に聞かなければ解らないのは当然の摂理だ。
彼女はここでは聞けぬと判断したのか、先程出雲達がいた茶屋の店員の下へと赴いた。
「いらっしゃい。団子食べる?」
「必要ない。それよりも、そこの縁台で座っていた背の高い女がどこに行ったのかを知りたい」
「はぁ? 団子も買わないでこの茶屋で何かを聞くってのはルール違反だよ。買ったら話してやるよ」
「時間が無いのだ! 今すぐ言え!」
「駄目だね。これは店の規定であり私のプライドの問題だ。店主である私がダメと言ったらダメなんだよ」
姐さんと呼ばれる店主の決意は固い。斉藤がどれだけ声を荒げようが、決して譲ろうとはしなかった。
斉藤はしばし考え込んだ後、身を翻して里の外へと足を向ける。時間に余裕が無いと本人は思っているようだ。
店から離れて行く斉藤の後姿を見て、彼女は一人静かに呟いた。
「ありゃあ危険だね……。雪ちゃんとこに連絡しとかないと」
紅音の命が危ない事を直感的に感じ取った彼女は店先から姿を消した。