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東方偽面録  作者: 水無月皐月
肆/黄昏
24/27

黄昏 弐

精神統一を歩きながら終えた彼女は、十数以上ある鳥居をくぐり終えついに塔の入り口たる古めかしい大門に手をかける。

しかし、彼女の左手が門に触れる前に寂びた音を立てながら門はゆっくりと開いた。空の薄暗い灯りに照らされ、中を見た彼女は驚愕で目を丸くした。


「――なんだ、これは?」


「彼岸花と弟切草、だの」


木製の床がただただ広がり、それを覆い尽くすように無数の彼岸花が赤い花を咲かせていた。そして弟切草もまた、黄色の花を咲かせていた。

彼岸花の花言葉の一つにあきらめ、というものがある。弟切草の花言葉には怨み、というものがある。

それが真っ先に頭の中に浮かんだ篝の背筋に、冷たい汗が滴る。幾千年の生に終止符を打つ覚悟で来たとしても、最後の地がこのように死を思わせる程の美しさであれば寒気を感じると言うものだろう。

そして彼女は見た。その美しい光景の中に佇む、一つの影を。塔の内部、壁一面禍々しい御札で覆い尽くされた中、真中に立つ一人の人物を。


「笑い顔――貴様は何者だ!?」


「……」


中央に立ち尽くす者――彼女が以前着けていたモノと同じ、笑い顔の仮面を付けた人物は答えない。しかし、返答とばかりに手に持つ長い手槍の刃先を向ける。それが答えであった。

悪寒を感じた彼女は即座に中へと踏み込み、右側へと体を寄せ死角から死の一撃を見舞わんと高速接近を行う。

そこまでやっても、仮面の人物は彫刻のように動かず、顔すら彼女の方に向けようとはしない。余程余裕があるのか、それとも彼女の動きが捉えられずにいるのか。刃先を誰もいない正面に向けながら佇んでいた。

仮面の左方背後に回り込んだ篝は急接近し、仮面の者の首目掛け必殺の一太刀を放つ。


「――」


「お主!」


「……無様」


手応えは無く、刀は空を斬り裂いただけであった。遅れて、伊邪那美命の慌てた声と仮面の人物が発したと思われる、透き通るような声が篝の耳に入ってきた。

同時に彼女は背後から衝撃を受ける。そして、視界の左側が黒く染まり見えなくなった。頬に生暖かい液体が流れ、顎を伝って白の装束を汚していく。

何かが抜けるような感覚と共に、彼女の左目に激痛が奔る。動揺した彼女は自分の左目に指を這わせ……そして恐怖と共に実感した。

彼女は今の一瞬で動きを見切られた挙句、背後から手槍で左目を貫かれていた。


「な……に……?」


「……その程度か、出雲溟。幾千の時を経て生きようと剣術の腕は大したことが無いようだな」


「……わたし、は出雲溟では、無い……!」


自分の姉の名前を出された彼女は言いも知れぬ怒りを抱きながら背後を薙ぎ払う。だが、仮面の人物の体は既にそこには無く彼女の正面数メートル程度の所で、最初に見た時と同じように佇んでいる。

余りにも速く、彼女の眼でも追いつけないほどの速度で動いていた。そして、神格者である彼女の動きを寸分の狂いも無く詠み切っていた。謎の人物は篝と比べても圧倒的であった。


「お主! 平衡感覚を保つのだ! このままでは串刺しにされるだけぞ!」


「わかって、る……だが、傷が癒えないん、だ……!」


左目を後頭部から刺し貫かれた影響か、言語と思考能力にも影響が出ているのかその動きは非常に痛々しいものであった。

そして彼女が言った傷が癒えない事。神格者であればこの程度の傷は再生能力により数秒かからずに完治する筈が、原因は不明だがいつになっても治らないのだ。

思考が混濁し始めている篝は自我を保とうと必死に何かを堪えるように食い縛っていた。唇が切れて血が垂れている。それ以上に穿かれ虚空となった左目からは滝のような血が出ている。


「な――これは……なんだ? げんかく、か?」


彼女は周囲を見渡し、覚束ない口調で何かを口走っていた。一体、彼女には周囲の景色が何に見えているのだろうか。

戸惑いを憶えつつも、彼女は右目で正面の仮面を見据え刀を持ち直した。鈍く輝く刀はそれだけで彼女に勝利を齎す。だが、今回の相手はいつもと勝手が違いすぎている。

影ながら鍛錬を続けていた彼女の一撃を、いとも容易く見切り致命傷に成り得る一撃を放ったこの人物は全てにおいて異常だ。


「お前には、何に見える?」


「なに……?」


「この花と草……何に見える?」


思考の錯乱に加え、精神までもが蝕まれている彼女は刀を構えたまま周囲を見渡す。傍目から見ればただの彼岸花と弟切草だ。だが、彼女には別のものに見えているようだ。

敵であるはずの相手からの奇妙な問いに、彼女は律儀に口を開いて答えていた。だが、その答えは普通の花に見える者――伊邪那美命にとって衝撃的な答えであった。

それは、出雲篝の存在を根底から覆す最悪のもの――。


「――死体。私が篝として、切り殺してきた者達。 ほら、そこに最後の一人が――」


部屋の隅辺りを指差した彼女の視線の先にある、一輪の彼岸花。伊邪那美命の眼にもまた、彼女と視覚を同調することで見ている物が見えていた。

周囲の花と草は全てが血に塗れた死体。そして彼女が指差した場所には、今篝が着ているものと同じような白い戦装束を纏い眠るように死んでいる――出雲篝の遺体がそこにあった。

指差した彼女は驚いたような顔で固まり、次の瞬間には刀を手放し、頭を抱えて蹲ってしまった。その事情を、伊邪那美命は思考と精神を読む事で知り得てしまった。


「お主……わらわを含め周囲の者達をずっと騙していたのか?」


「違う、あれは私じゃない。私は溟じゃない、溟じゃない、溟じゃない!」



「お主、お主は誰なのだ!? 根から全てを見通すわらわの神眼すら欺いたお主は一体何者なのだ!?」


「わたし、わたしは誰だ? 出雲――篝? 出雲溟? どっちだ? 私は、誰だ?」


彼女の精神は錯乱していた。それと同時に、彼女自身自分が分からなくなってしまっているようであった。仮面の人物は何もせぬまま、そんな哀れな彼女を見下ろしながら、近づいてくる。

これは好機、と伊邪那美命の幻影が蹲る篝の前へと躍り出る。そして仮面の人物に問い質した。


「お主なら何か知っておろう? わらわの不在に此処を動かしたくらいだからの」


「彼女は――哀れなこの女は出雲溟だ。妹である出雲篝を殺し、その肉体を乗っ取り魂をも取り込んだ最悪の存在だ」


「私は出雲溟に制裁を加える。今までこの女の為に犠牲になってきた全ての魂達の為に。故に冥界の女神よ、邪魔立てしないでいただこう」


仮面の人物は臆面もせずに言い放った。この者が語った内容こそ、閻魔の台帳の中で欠けていた頁の要約にして真実であった。

彼女の肉体は出雲篝だ。だが中身は、自分を篝だと暗示をかけた溟の人格と、二人の魂を混ぜ合わせ統合したものだったのだ。

出雲溟は自分自身が幾千幾万の時を超え生きる為に、霊術や禁薬の実験で疲弊した自分の体を捨て剣術の才能もあり壮健である篝の肉体を使う事を考えた。

だがしかし、溟には術の才能はあれど戦の上手さや剣術であれば篝の方が遥かに上だった。正面から奪いに行くのは自らの首を差し出す事になるのは必須。故に溟は自分の得意とする術によって秘密裏に肉体を奪い去った。


「――出雲篝は既に死んでいる。冥界へ赴くべき彼の者の魂は証拠隠滅を謀った溟によって取り込まれてしまった」


「普通であれば、魂に異常があることが分かれば即座に冥界も貴女も動く。だが、何も無かった。それはなぜか?」


「出雲溟は、幻想郷風に言うのならば偽装する程度の能力を持っていた。他者を騙し陥れ、自らの思うままにする。それによってこの女は、肉体を奪い出雲篝と言う仮面を被ってずっと生きてきた」


「この女にとって、出雲篝を演じる事は容易い。だが、それでは我々魂の残滓や閻魔、冥界の女神たる貴女を欺く事は出来ない。そこでこの女は、魂を取り込み出雲篝に魂から成りきったのだ」


「その上で、自身の人格に幾重にも仮面を被せた。出雲篝という偽りの仮面、偽りの記憶、偽りの魂、偽りの性格……その全てがこの出雲溟の策略だったのだ」


聞いただけでは荒唐無稽な上に現実味の無い妄想のように聞こえるだろう。だが伊邪那美命はその話を聞いて自身が犯した、気付かなかったという過ちについて考えていた。

魂を取り込むなどと言う外道を行えば普通は気付く。だが、この時すでに出雲溟は偽装を終えていた。その能力は冥界を欺くほどに強力で、最早妄執などと言う言葉では片づけられないほどだったのだ。


「女神よ、貴女をこの女に降ろしたのは我々だ。貴女にはこの女をここまで導いてほしかったのだ。――もっとも、計らずともこの女自身自ら此処にきたわけだが」


「わらわが眠る中、地上に呼び出されたのは偶然では無かった、ということか……お主も嫌な事をする」


伊邪那美命と仮面が話している間、背後の篝――溟は顔を上げ烈火を宿した瞳で仮面の人物を睨みつけていた。

そして震える脚で立ち上がり、刀を持って吐き捨てるように言い放つ。自分に対してかけていた、優しい出雲篝の暗示が解け溟としての本性を露わにした彼女は酷く傲慢で邪悪な存在であった。


「さっきから聞いていれば余計な事を……お前さえ気付かなければ、私は永遠に生き永らえたと言うのに……!」


「それに仮面なんか被ってあの妹気取りか! その仮面は、元々私のもんだ!」


想像を絶する俊足で踏み込んだ溟は伊邪那美命の幻影の背後から仮面を斬り裂いた。

瞬間的に頭を後ろに逸らした仮面は、面を割られこそしたが頭が二つにはされなかったようだ。

顔を起こした仮面の人物。その顔を見て溟は己の眼が信じられないと言わんばかりに目を見開いた。


「私は――お前の罪の証だ。故に、生前のお前――出雲溟の本来の顔をしている」


「舐めやがって! 私の罪は全て篝の魂が引き受けた! 私は罪人ではなく、善人だ!」


「驕るな、出雲溟。お前は剣客としても、術士としても最低だ。人として最低限の規範さえ守れぬお前が出雲を名乗るな!」


激昂した仮面の人物は驚くほどの速さで溟――篝の胸を貫いた。心臓は外しているものの、明確な殺意を持っての攻撃だ。

仮面の下にあった顔。それは篝に似てはいるが異なる女――出雲溟その人の本来の顔である。歪んだ欲望に身を浸す前の、高潔さを持った者の顔。傲慢という仮面を被る前の本質だ。

彼女の罪を、偽の仮面を引き剥し暴く為にはこの顔が最適なのだろう。本物が目の前に来たと言うならばその心理的効果は計り知れない。現に、本性を現した出雲溟の顔には焦燥と憎しみが募られた醜い感情が浮かんでいた。


「お前は裁かれなくてはならない」


「誰かに裁かれる覚えはない! 生きる事は人間として当然の権利だ! 死者のお前達に私の道の邪魔は――」


「黙れ、小娘」


話を聞いて項垂れていた伊邪那美命が地獄の底から這い出る怪物のような怖気を纏い、顔を上げる。

その顔はかつて伊邪那岐命と冥界で別れた時同様、憎悪に満ちた醜悪なる伊邪那美命本来の神性を表層に出したものだ。

腐りかけた骨、それにくっつく襤褸切れのような皮膚、悲しみによって変色した真っ白な髪――この世で最初に絶望し邪に染まった神格が放つ一声はどの者の叫びよりもおぞましいモノである。


「黄泉の女神たるわらわを欺いた罪は重いぞ、出雲溟。その罪科は死を以て償おうともまだ足りぬ。己のその脚で八獄全てを歩かせてくれるわ!」


骨ばった右手が出雲溟に向けられる。何とも言えぬ不安を感じた溟はその指先から外れようと右方に動くが既に無駄な事であった。

指先から無数の骨が生え、生えた部分から爆発的に枝を伸ばしていく。僅か一秒たらずで大樹の如き成長を遂げた骨の木は高速で動く溟の両手両足を封じ怒り狂う女神の前に引き出されていた。無論、その手にあった刀は取り落され床に転がっている。


空中に大の字で固定された溟は忌々しげに伊邪那美命の顔を睨みつけるが、憤怒した女神は逆に彼女を睨みつけ大いに恐怖を感じさせていた。

幾千の時を生きても、生物としての根源的な終わり――即ち死と消滅への恐怖は常に付き纏う。肉体を奪い、永遠の生を謳歌しようとしていた彼女にとって黄泉の女神はまさに天敵。言うなれば彼女が最も恐れる死と消滅そのものである。


「ふ、ふふふふふ……。いいのか女神よ? この肉体を潰せば私の魂魄諸共篝も消滅する。お前はそれで納得するのか?」


「既に死した人間の魂故消滅は致し方無し。されど、冥界に赴くべき魂を無用に簒奪し挙句閻魔を騙欺した事は筆舌に尽くし難き暴挙と言える。貴様の魂はわらわが直々に八つ裂きの刑に処した上、無間地獄へと送ってやろう」


無数の骨が出雲篝の体を締め上げるように動く。身体を包み込み、全身を破壊しようと蠢いていく。

溟は喉から絞り出すように脅迫の言葉を繰り返すが、女神は嗤うだけで骨の動きを静止するつもりは無いようだ。極悪人が無様な命乞いをする時こそ、彼女は愉悦を感じるのだ。

だが、唐突に骨の動きが止まる。同時に絶叫を上げ続けた溟は更に苦しみ泣き叫ぶ。既に地獄の三丁目にいるのではないかと言う程の阿鼻叫喚だ。


「わらわが本当に、出雲篝の体を潰すと思うてか? 甘い、甘いぞ極悪人。貴様の魂から融合した篝のみを取り出し貴様の魂を体外に追い出す事など朝飯前ぞ」


「――ッ!」


叫びを上げ続けた篝の体が、糸の切れた人形のように静かに頭を床に向けて垂らす。体外に排出された出雲溟の霊体は刀を握ったまま転がるように弾かれ塔の壁に身体を叩き付けられる。

どす黒く変色している溟の魂はなおも妄執を加速させ、その場にいる三人を鏖に千と刀を振り上げ向かって行く。

骸骨面の伊邪那美命が歯を震わせて嗤う中、手槍を持った仮面の人物が溟の前に立ち塞がる。


「もう終わりだ、出雲溟。お前はこの処刑台と共に、地獄へと沈み責苦を受けるのだ」


「生きられぬのと言うのならば幻想郷ごと地獄へ沈めてくれる!」


彼女は鬼気迫る表情でそう言い放った。

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