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東方偽面録  作者: 水無月皐月
壱/紅の導き
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紅の導き 壱

夏の夜、一人の少女が獣道を急ぎ駆け抜けていた。

その手には森で獲ったと思われる薬草が数束抱えられている。誰かの為に命を省みず取ってきたのだろう。

だが、この幻想郷にはそう言った類の薬草を餌にする妖怪も多い。つまり彼女は今動く餌としての役割を果たしてしまっている。

案の定、彼女の背後には飢えた妖怪が薬と肉を狙って無我夢中で地を蹴っている。

だが、飢えから来る体力低下が祟っているのか、人間の幼児程度の速さしか出ていない。体躯は立派でも筋肉が衰えれば碌に行動など出来ないのだ。

そんな様子で、少女の足でもなんとか追いつかれずにいる。しかし、脚を縺れさせれば命は無いだろう。


「はぁ……はぁ……!」


彼女の息は上がりかけている。止まれば死。そして自分が死ねば待っている者も死ぬという状況が彼女を焦らせ体に影響を与えている。

これは当然の状況だ。普通の人間が妖怪に出会えば恐怖で身が竦む。むしろ、逃げようと思えて実際に体が動いている彼女は人間にしても肝が据わっていると言えるだろう。


「あっ……!」


彼女が一瞬の体の変化……足の縺れに気付いた時はもう遅かった。

体は地面に投げ出され、薬草は地に散らばっていた。鈍い痛みが彼女の疲れた体を襲う。

それでも彼女は歯を食いしばって体を起こし、薬草を拾い集め目線の先……里に向かって駆け出そうとする。


「ひっ!」


立ち上がろうとした矢先、妖怪に追いつかれて足を掴まれていた。真っ黒な体から人の手のような腕が彼女の右足を掴んで離さない。

勢いのまま立ち上がろうとした彼女は再び地面に激突する。疲れ切った体では立ち上がることは至難の技であった。

妖怪は奇声を発しながら彼女の背中に圧し掛かり牙を剥いて捕食を試みる。鋭利な、しかし欠けた犬歯が彼女の肉を食い千切ろうと迫る。


「あ……あぁ……」


彼女は瞳を涙で塗らし、諦めてしまったようだ。そして誰かを救えなかった事に対して涙を流しているようだった。

歯が迫る。着物の上からでも容易に肉を捉え咬み切れそうな折れた歯が近づく。

彼女は目を瞑り、すぐに体を駆け巡るであろう激痛に備える。


「無粋な妖怪もいたものですね。お嬢様?」


「そうねぇ。目についてしまったのは仕方ないから助けてあげましょう、咲夜」


「御意」


朦朧とする意識の中で聴いたのは二人の女性の声。そこで彼女の意識は無くなった。

彼女の上に圧し掛かっていた妖怪は四肢をもがれた上に首を落され地べたに投げ捨てられていた。

倒れ伏す彼女の背後、洋式の使用人の服を着た銀髪の女と背から蝙蝠の翼を生やした少女がいた。


「咲夜、この子を里まで送ってあげなさい。私は一人でも問題ないわ」


「……御意」


咲夜と呼ばれた使用人は気絶した少女を背に抱え、月明かりが照らす夜の闇へと飛翔していった。

それを見送った少女の主人と思われる蝙蝠羽の少女は満足気に見送った後、紅い力場と共に空へ浮き、里とは別の方へと音速を超えた速度で飛んで行った。

蝙蝠の翼を生やした少女は人間では無い。その正体は闇夜の眷属とも言うべき種族……吸血鬼と呼ばれる存在であった。

天狗と同等の速さ、鬼と同等の力、一声であらゆる悪魔を呼び出す魔王とも言うべき存在。

幻想郷のパワーバランスの一角を担う、紅魔館と呼ばれる大きな屋敷の当主である。





夜が明け、朝となった。

出雲篝は昨夜起きた妖怪の襲撃に関する情報を集め実地検分に来ていた。

彼女の目前にあるのは四肢をもがれ首を落された黒い体躯の妖怪。意識を失った少女を襲った妖怪。

だが、捕食痕は見られずむしろ第三者の襲撃によって返り討ちにされたようだ。

鋭いモノによって一撃のもとに斬り裂かれた四肢と首。妖怪の爪などではこうまで綺麗に切れるわけがない。日本刀のようなもので行われた可能性が高い。


「……どうしてついて来たの、阿求と小鈴は」


「興味があるからです。幻想郷縁起には書けるだけの事を書いておかねばなりませんから」


「私も阿求ちゃんと同じですよ。興味本位です。それに出雲さんといれば死ぬ確率が下がりますからね」


「……私は疫病神だよ」


「疫病神ですか。幻想郷にも沢山いますよ」


会話になっていなかった。阿求は興味がある事に対しては周囲のペースを無視して話そうとする傾向がある。書記官と言うよりは研究職に向いている。

共にいる小鈴は適度に阿求を諌めながら検分の様子を観察していた。内容は死因調査、霊力や魔術の痕があるかの検査、その場に何がいたかの調査だ。

出雲は職業柄こういった事をする頻度が高い。彼女の顔には犯人がもう分かったと書いてある。

彼女は既に少女の証言も得ており、二人組で片方が偉そうな少女でもう片方が犬っぽい少女と言う。


「あんの眷属共か……」


彼女の頭の中には一人の人物の名が容姿と共に浮かび上がっていることだろう。

レミリア・スカーレット。紅い悪魔の名の通り紅を好む闇夜の王たる吸血鬼だ。絶大な力を持ちこの幻想郷の力の平衡の一角を担う一大勢力をその屋敷と共に所持する者。

一度は幻想郷を霧で包む異変を起こし、霊夢に弾幕で散々に叩きのめされてから大人しくなり、永夜異変の時は従者十六夜咲夜と共に異変解決に赴いた事もある。

加えて、異変の後にひっそりと行われた第二次月面戦争にも参加しているが敗退して地球に帰ってきている。

最近ではモケーレごっこをしたりと子供っぽさが露骨に出てきているが止める者は誰もいない。


「証言からして、昨日この辺りにいたのが吸血鬼と従者なのは明らかね。特徴的な魔力痕も見つけたし」


遺棄された遺体の横の道に小さく奇妙な紅い塊があった。それは所謂夜の力の残滓とも言えるモノで、一定以上の実力を持つ吸血鬼が発する特性魔力が凝縮した痕である。

吸血鬼は一定の線を越え夜になると無限に魔力を創出し様々な用途へと転換出来るようになる。飛行であったり攻撃であったりする。


「吸血鬼の魔力痕を間近で見るのは初めてです」


そう言って阿求は持ってきた紙筆で書留を始める。取材に赴いた彼女はこうやって筆で事象を記録し家に帰った後幻想郷縁起に書き込むのだ。

具体的な事を書きこむ為には実地に赴く事が必要である。彼女にはその病弱な体をものともせずにする行動力がある。


「そもそも吸血鬼自体幻想郷に少ないからね。英吉利っていう国にはまだ結構いるみたいだけど」


「ドラキュラ伯爵が滅びてから大分経ちますからね。その眷属がいたとしても当時並の力を振るう事は出来ないでしょう」


「今更復活されても困るんだけどね」


一通り見終わった彼女は阿求から離れて周辺の探索を始める。血の匂いに他の妖怪が寄ってきている可能性があるからだ。

人間の血肉が好きな妖怪がいるように、妖怪の血肉を好んで食べる妖怪もいる。ついでで襲われては一溜りもない。

理性と知性があれば対話と取引で解決できるが、そういう妖怪はそうは多くない。大多数は飢える獣ばかりだ。

飢える妖怪の中にも強靭さは千差万別。力の弱いものが殆どだが稀に生存競争を生き残った屈強な個体が現れる。そうなると普通の人間には手におえない。博麗の巫女やそのほか退治の専門家に依頼し狩りだしてもらうしかなくなる。


獣道から外れ鬱蒼とした雑木林の中に入った彼女は微かな音を耳に掴んでいた。

何かをかみ砕くような音、毟るような音、咀嚼音……。何者かが雑木林の中でご飯を食べているようだ。

そのご飯が家畜の肉か、人間の肉か、妖怪の肉かは定かではないが肉食である事は確かだった。

彼女はそれに気取られぬよう、気配を殺し忍び足で音のする方向へと近づいていく。

葉っぱに埋もれて殆ど埋まった地面には微かに引き摺った血の痕が残っている。捕食者は遺体をわざわざ見つかりづらい場所まで持って行きひっそりと食べているようだ。


「っ……」


大きな葉っぱの下からそっと顔を覗かせる彼女。その視線の先は林の中でも若干空けた場所になっている。

その中央で、何らかの妖怪の死骸を貪る人型の存在があった。

性別は女性。服、靴はしっかり着用している。犬歯があるようで、一部鋭い歯がある。両目ではなく、片目だけ紅色だ。妖怪の死骸を手で千切り口へと持って行っている。

吸血鬼に似たこの種族は屍喰鬼。欧米的に言うならばグールと呼ばれる肉専門の妖怪だ。

生き死に関わらず肉しか食べる事が出来ない。肉から栄養を取り、エネルギー源としている。


「誰っ!?」


屍喰鬼の女性は彼女の視線に気づいたのか、食べるのを止め周囲を見渡している。

そして、鼻で大気に混じる匂いを吸い始める。屍喰鬼の感覚は人間の5倍から8倍。探知能力は遥かに高い。おまけに鬼に分類されているためか、筋力は本場の鬼並にある。

しかし、飛行能力もろもろは通常の妖怪と同程度だ。スピードはそこまで無い。

そして最大の特徴。それは再生能力である。たとえ体の半分を吹き飛ばされようが肉を体内に取り込めば一時間せずとも完全な体に修復されるほどだ。


「……人の食事を覗き見ようとする奴がいる。人間が……二人か」


そう言って女は彼女のいる方を睨みつけた。瞬間、彼女のいた場所に向かって不可視の衝撃波が叩き付けられる。

それを寸前で見切った彼女は慌てる様子も無く大太刀の腹で衝撃波を受け止める。表面に霊力を張り巡らせた簡易的な結界である。

場所が割れた彼女は気配を殺すのを止め、素早く立ち上がり刀を構えた。青眼の構えだ。

女も、目撃されたとあっては口封じをしないわけにも行かずコマンドサンボめいた構えを取っていた。


「……」


「来ないのですか? こちらから行きましょうか?」


相手を軽んじる口調で女は出雲を挑発し、二歩近づいていく。紅く染まった爪は強烈な鋭利さを示すように、陽の光の下赤黒く輝いていた。

出雲は無表情のまま構えを崩さず静止していた。得物が大きい以上素早い相手に対しては一太刀で決めなければならないのだろう。その隙を窺っているのだ。

だが、隙を窺うと同時に出雲は女の顔をじっと見ている。過去に会った人間の中で該当する人物がいないか探っているようだ。


「あ、貴女は……」


「はい……? あっ!」


「……もしかしてアンタって雪ちゃんのお母さん? 顔付きがそことなく似ている気がするけど」


「……まさか、雪の通っている道場の師範さんでしょうか?」


「雪ちゃんのお母さんだったか……この事は秘匿しておきますね」


「……ありがとうございます」


いざ殺し合いが始まろうと言う所で、彼女は正面に立つ女性の正体に気付いたようだった。しかも、既知の子の母親だった。

彼女が口にした雪と呼ばれる少女は、出雲が開いている剣術道場に通っている歳10の娘である。種族は人間であることが確認されている。

そして母親が屍喰鬼だ。里の重役の耳に入れば母子共々追放されるか駆逐されてしまうだろう。表面上の平和を保つ為にも出雲は幾つもの秘密を抱えているが、また一つ増えてしまっていた。


「そう言えば貴女の名前を聞いてなかったわね。聞かせてちょうだい」


「……紅音。紅音、よ」


「私は出雲。……道場の名前がそもそも出雲だったから知っているとは思うが」


「えぇ。娘がいつも世話になっています」


二人はそこで会話を切った。次に行くべきところが出来たのだ。

紅音は林の奥……更に森へと入って行った。実地検分を終えた出雲は林から出て獣道へと出て行った。

阿求と小鈴は護衛の退魔士と共に待っていた。彼女は退魔士にでっち上げの報告をした後、三人と共に里へと帰って行った。

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