喪失遊戯 漆
「奪わせません。そして、消滅するのは貴女ですから」
二柱の神を宿した早苗は一時的とは言え、通常の神格者を遥かに超越している。その動きは神話の武神と同等かそれ以上の力強さと速さ、そして隙の無さを有していた。
身体には諏訪子が呼び出す水流から練り上げた超自然的な鎧を纏っていた。透明だがその強度は神格者による攻撃をも弾き返す鉄壁の壁である。
そして右手には縮小化され、更に水流を纏った御柱を構えている。左手には諏訪子が投擲武器として使用する鉄輪を持っていた。攻撃にも防御にも使用可能な万能武器だ。
「全てを失う覚悟をもって挑むのね。悲しいわね、とっても」
「……」
「その神格者特有の無表情……気に入らないわね。壊してから記憶を奪いましょう」
虚像の腕が早苗に打ち下ろされる。だが、彼女はその場から一歩も動かず御柱でその攻撃を受け止める。そして二枚の鉄輪を直接総海に向かって投擲する。
空気を切り裂く音と共に総海に殺到した鉄輪は、回転と共に水を吹き出す。諏訪子の加護を最大限に利用した二重の攻撃である。たとえ鉄輪が防がれても、吹き出した水が即座に凍結し針となって相手に襲い掛かるのだ。
回転飛行中に地面に落ちた水もその場で罠として機能するのだ。すべての水が、今や早苗の支配下にある。
「小癪な真似を」
総海は帯びている刀を引き抜く。銘はかの有名な菊一文字則宗だ。かつて沖田総司が使い、池田屋事件にて破損した名刀である。
これを持つ沖田総海は恐らく沖田総司の子孫なのだろう。高い志を持っていた先祖と違って、彼女は享楽的に略奪する事しか考えていない暴虐の徒となっている。
草葉の陰で泣いているのだろう。そしてこの刀は今、邪悪なる暴虐によって振るわれようとしている。
刀で鉄輪を弾き返した総海は水を被るが、殆ど気にした様子はなかった。だが、それこそ早苗の狙いである。覚悟を決めた早苗は、家族を守るために一切の甘えと躊躇を捨てていた。手を汚すことさえ厭わぬ程に。
水が全て凍結、氷の刃として次々に総海の体に食い込み始めたのだ。凶獣の牙のように噛みついた氷はそのまま総海の肉を千切らんと更に深く潜っていく。
憑依した本体が傷ついたことで、神格の攻撃も鈍っていた。力は減衰し、御柱の一振りで腕が浄化、消滅したのだ。
一時的な消失とはいえ、修復にはそれなりの時間が掛かる。前回総海が霊夢と戦った時に神格の殆どを破壊されたことで非常に時間が掛かったのだ。
「遅いですよ」
「ちっ……!」
腕を振り払った早苗が急接近し、御柱の一撃を見舞う。それを刀で受け止めた総海は空いている左腕の腕を伸ばし、早苗の体を鷲掴みにして宙に吊り上げる。
そうまでされても一切表情を変えない早苗だが、何とか脱出しようと僅かに動いていた。だが、強烈な握力を持つ神格腕が離す訳もなく彼女の体はどんどん締上げられていく。
直後、水流の鎧の内側から突如極熱の焔が吹き出し左腕の指を焼きつくし灰とした。
彼女の胸元には鏡がある。首にネックレスのように巻きつける糸があり、鏡に繋がっている。これは神奈子の所有物だ。
この中には足が三本の神話の鳥、八咫烏が封じられており、その熱は地獄の業火よりも熱いと言われている。
その力さえ制御し、早苗は神格の腕を両腕とも破壊し肩をも灰として達磨同然にしてしまった。
着地した早苗は再び御柱を振るい、神格の修復を諦め、刀を持っての剣戟に切り替えた総海に向かっていく。
最初の一手は唐竹。最上段から強烈な一撃を見舞い、防御した総海の腕を衝撃によって鈍らせる。
そのまま剣術の基本攻撃そのままに連撃を繰り返し、未熟ながらも神格による身体能力の上昇により互角に切り結んでいく早苗。
だが、そこは刀を持つものとして総海も負けていなかった。
享楽と怒りを内包した彼女の刀は鋭さを増し、御柱による攻撃を受ける度に御柱自身への反撃を行い徐々に破損させていく。
いかに神力が優れていようと、壊れてしまえばその力は大きく減衰していく。神や、神の力が宿る物は大事に扱わなければ本来の効果を発揮できないのだ。
御柱の損傷を認めた早苗はあっさりと神具としての役割を終えさえ、残った力を全て吸収し空の器となった棒を境内に打ち捨てた。
「……申し訳ありません神奈子様」
そう言って早苗は右手の中に練り上げた水流と解放された熱を組み合わせ、矛盾する反応を持つ一本の細槍を作り出した。不気味な鋼色だが、その性能は推して測るべきだろう。
物体への攻撃で水と焔が同時に吹き出し、二つの性質のダメージを与えるという神にしか作りえない神器であった。
その槍を振るい、彼女は果敢に総海へと切りかかった。踊るように刀を振るう総海の動きは常軌を逸しており、どの剣術にも当て嵌らない狂気的なものだ。
しかし、身体能力的にからさまに差がありすぎる所為か、次第に総海が防戦一方になっていく。それでもなお狂気の剣舞を止めぬと言うのは単に、彼女の剣客としての最後の意地なのだろう。
剣客としての誇りも、栄誉も、強さも捨て全てを神格に依存した彼女の最後の矜持なのだろう。
槍の基本的な動作、突き、払い、斬りを駆使し、巧みに追い詰める早苗。防戦一方で、長さの差を押し付けられ攻撃に転じられない総海。
一見すれば早苗が優勢にも見えるが、これは一時的なモノなのだ。いくら現人神とは言え強力な神格を二つも同時に宿したとあれば体と魂に強烈な負担が圧し掛かる。
彼女と、二柱の神が最後に立っている為に用意した最終手段を躊躇なく使ったその心胆は賞賛に値するだろう。しかし、神格を馴染ませ魂を深く合致させた神格者は非常に強力な再生能力を持つ。即死以外はどんな傷でも修復してしまう程に。
それ故、短期決戦が必要なのだ。この状態でいられる時間は短く、終われば長時間無防備を晒すことになるのだ。真に追い詰められているのは早苗の方だったのだ。
「確かに強烈……。しかし、時間制限があるようだな、守矢の巫よ」
「答える義務はありません」
「その反応で察した。私のする事は時間稼ぎのみだ」
そう言って再び神格の再構成を済ませ自身の体に纏うように召喚する。今度は攻撃ではなく、鎧のように着込む防御の型だ。
攻撃時は、防御に回す穢れと霊力が圧倒的に不足しており簡単に破られてしまった。ならば逆に、防衛に回せばその頑強さは随一のモノとなる。どちらかにしか偏れないが、状況で使い分ければ良いのだ。
今、総海は時間制限付ではあるものの神を越えた力を持つ早苗に一方的に攻められている。故に、時間切れを狙い防御する事で無防備になったところを捕食する腹積もりなのだ。
もっとも、そうなる前に彼女の肉体が破壊されれば元も子もない。そうなった場合完全敗北が決定し総海がこの世から消え去るだけだ。
「巫よ、その状態はあとどれくらい保てる? 一分か? 十分か? はたまた、一時間か?」
「……」
「答えないか、当然だな。だが、その神力放出量に比例する動きの変化を観察すれば分かる事だな」
「……精々、持って三分か? その間にこの鎧を破り、私の首を狩らなければ敗北するぞ!」
わざと、挑発し怒りを誘うが早苗は黙々と水流術と、鉄輪、槍のスタイルを崩さずに攻撃を続けている。
防御に全てを回した成果か、神格鎧は槍の直撃を受けても外装甲が剥げるだけで中までは達していなかった。しかし、着実に削り取られているのは確かである。
再生能力も万能では無く、一度に大量に元に戻せばその後は勢いが下がってしまう。過剰にやればその分負担がかかるのはどんな事でもそうだ。
「水よ……」
早苗が呟いた瞬間、彼女の纏う超自然水流鎧が前方……即ち、総海の方に向かって弾け飛ぶ。
爆流のように押し寄せる水の前に、鎧で包まれた事もあって全面を濡らされ一瞬早苗の姿を見失う総海。そして影のように音も無く背後に回り込む早苗。
当然、同じ神格者として鋭敏な感知能力で早苗が背後にいる事を知る総海だが、その時既に遅かった。
僅か一瞬、コンマ0.1秒以下の時間で鋼色の槍が彼女の後頭部から左目を貫くように生えていた。この僅かな時間で早苗は的確に視力を潰しに来たのだ。鎧が正面と比べ、比較的薄い背面から。
血が槍を伝って流れる前に、早苗は勢いよく槍を引き抜いた。水流と焔を圧縮した槍は刺し貫いた瞬間体内にも影響を及ぼす。二重苦を味わわせ、ボロボロにしてしまうのだ。
「あははは、ハハハハハハハ……!」
「これは……予想外だ……本当に……ふふふふふ、はははははは!」
貫かれた左目を左手で押さえながら哄笑し、早苗から距離を取る総海。本来血が流れるべき場所からは赤黒い穢れが混じった血を噴き出していた。
禍津日神と魂が深く合一化した結果、どうやら身体機能まで穢れに蝕まれ禍津神へと置き換えられていたようだ。
それこそ、穢れによる転移なども全てそうなった恩恵のようだ。
手を血で塗らし、刀にその穢れを這わせる総海。今更強化を図ったところで、大ダメージを負った状態では焼け石に水だろう。
五感の内の視覚の半分を潰された今となっては、剣客としての能力も大幅に減衰しているだろう。
「だが……ここまでだ。お前はもう、その姿ではいられまい……!」
早苗が光に包まれ、膝を付く。その両脇には二柱の神もいる。三者とも極度の疲労を感じているようであった。
制御可能以上の力を使えば暴走の危険性があるのが常だ。早苗は相性の関係もあって制御に成功しこの数十分間は凄まじい戦闘能力を発揮していた。
しかし、普段慣れないことをやれば上手くいかないのもまた常だ。命の危険に瀕し、精神力が極限まで高められたからこそ出来た二重憑依及び、神力制御。当然、強大な力の制御になれていない彼女には大きな負担となって襲い掛かる。
そして今、限界時間を超え憑依が解ける。その後のフィードバックダメージは相当なものだろう。
「さて、簒奪の時間だ」
そう言い、総海は三人へと近づいて行った。
九天の滝へと突入した篝は、白狼天狗の包囲攻撃に晒されていた。
滝の流れは強大。彼女は滝から出ている岩の出っ張りを那須与一の八艘跳びの如く飛び移りどんどん滝の上へと上がっていく。
そうしている間にも、天狗達は手に持つ大刀で接近しては切り掛かり、反撃を受ける前に離脱していく。その攻撃がかれこれ十数人は行っている。
だが、稀に離脱が遅れ腕の一本を切り落とされ里に帰っていくものの姿も散見される。
相手が殺す気ならば、彼女も殺す気になる。だが、本格的に命を奪うようなことはしない。戦闘能力を奪うだけに止めていた。
仲間が何人も戦闘力を奪われ、一向に登る勢いが衰えないというのに彼女らは戦うことを止めなかった。
「そこの人間、名を名乗れ!」
「猪口才な天狗にわらわとこやつの名など誰が教えるか大うつけ!」
「ならば私が先に名乗ろう! 我が名は犬走椛! 白狼天狗哨戒隊の隊長だ!」
「お主らに名乗る名前など持ち合わせおらぬわと言うておるだろうが!」
伊邪那美命の幻影と椛と名乗った白狼天狗が彼女の上がる速さに合わせて口論を繰り広げている。名乗る、名乗らないなど今の彼女にとっては無駄。時間の無駄である。
俊足の運びを前に、椛はどんどん距離を離されていく。重装備を背負う彼女ら白狼天狗は鴉天狗などと比べ、素早く飛ぶのが難しのだ。それでも、他種の妖怪よりは遥かに素早く動く事が出来るのだが。
そうこうしている内に長かった九天の滝も終わりとなる。上流まで来た彼女は眼前に広がる光景に目を丸くした。感情が枯れているにも関わらず、驚いたのだろう。
「……久しいな、人間がここまで来るとは」
「あやややや……ここまで踏み込まれるとは白狼天狗は何をしているのやら」
「あれは鴉天狗と鞍馬天狗……。なるほど、奴らの縄張りか。この紅葉舞い散る山の頂近くは」
滝を登り切った先には、秋でもないのに紅葉の葉を付けた木が無数にあった。妖力によるものとは思われるが、篝をその美しさで魅了するのには十分だったようだ。
内側にいて、篝の目を通して現世を見ている伊邪那美命も驚きを隠せないでいるようだ。
その中に二人の天狗がいる。一人は気が軽そうな、黒い翼を持つ鴉天狗。手には天狗団扇と撮影機を持っている。
もう片方は寡黙で、顔を鼻が高い黒い天狗面で隠している鞍馬天狗。黒と濃い赤を基調とした山伏服だ。腰には双刀を帯びている。
二人を前に篝は躊躇することなく刀を構える。刀身に舞い散る紅葉の色が映る。
鴉天狗の方は空中を自由に飛行しながら風を起こそうと団扇に念じている。鞍馬天狗の方はわざわざ篝と同じ地上に立ち、二刀を抜き放ち人間の剣術とよく似た構えを取った。
二人とも天狗の中では熟練の使い手のようだ。神格者と言え、油断ならない相手と言えるだろう。
「あの白狼に倣って名乗っておきましょう! 私は射命丸文! 新聞記者をやっております、鴉天狗です!」
「……鞍馬天狗の鬼眼だ」
「名乗れぬこやつの代わりにわらわが名乗ろう。こやつは出雲篝。そしてわらわは伊邪那美命ぞ。畏れよ、道を開けよ!」
「あやややや……まさか伊邪那美命の神格者とは……最悪死にかねませんね」
「成程……道理で普通の人間ではないわけだ」
睨み合い。互いに一部の隙も無く、迂闊に手を出せば手痛い反撃を貰う事になるだろう。
鴉天狗は速いだけが取り柄のようなものだ。天狗の中でも力はそこまで強くは無い。だが、鞍馬天狗は元々人から成った者が多く、その中でも武芸全般に秀でている者が大半だ。
故に、神格を得ていようと好んで戦う者は少数。余程の物好きか、鬼くらいしか相手にしない天狗の戦闘隊長なのだ。
何時の時代かは、魔王と呼ばれた事もあった存在だ。
「お主、突破する用意は出来たかの?」
篝は力強く頷いた。




