喪失遊戯 肆
悔し涙を流しながら、妖夢は縁側に横たえられている霊夢の体を揺する。先ほど気を失っていたようだが、彼女が揺すった事で気を確かに持ったようだ。
起きた霊夢は現在の状況をものの数秒で理解し、祓い棒とお札を手に外へと飛び出した。
一方、八雲藍は一時的に九本の尾で優勢に立ったものの神格者としての篝の速さと力に押され次第に術を唱える隙も無いほど防御に徹していた。
自慢の九本の尾は硬化した上で幾度も傷を付けられボロボロになっていた。それでも彼女は妖力を循環させ攻撃と防御両方に転用していた。
その戦闘に、霊夢が踊り出る。狂戦士の如く斬りつける篝の背後から突如亜空穴を潜って現れ、強烈な回し蹴りを脇に繰り出す。
その時、篝は確かに反応出来ていた。だが、後ろに刀を向ける前に脇へと霊夢の靴がめり込んでいた。
「起きなさいよ、馬鹿!」
そのまま霊夢は篝に向けて連続して回し蹴りを放つ。両足を使っている為安定性には乏しいが、暴れる彼女の前で手加減など出来る筈も無い。
そのまま二撃、三撃と直撃させ後退させていた。霊夢は自身の博麗の神格の力と、鋭すぎる第六感でのみ戦っていた。
四度目の蹴りが篝の腹に直撃。篝は口から胃液を吐き出しながら石段の下まで吹っ飛ばされていった。
石段上の鳥居の横では、紫と早苗が術詠唱の準備をしている。霊夢はそれに加わろうとしたが、紫の視線によって止められる。
「霊夢、彼女を大人しくさせて。私達でその後の処理をするから」
「分かったわ。……こころは?」
「私は神の呪いを抑える仮面を作ってる」
「分かったわ」
霊夢は石段の下で立ち上がった篝に向かって上から強襲する。
居合の構えを取り、霊夢を待ち受ける篝。お祓い棒を振り上げ、頭を叩いて目を覚まさせようとする霊夢。
そんな霊夢を一刀で切り捨てようとする篝。一瞬の交錯が決着を着ける事になるだろう。
篝は、刀を振り抜いた。霊夢に速度と力が伴った必殺の一撃が迫る。
霊夢はそれを見て避けようともせず重力に従い瞼を閉じて篝の頭の上に向かって落ちてくる。
刀が、霊夢の胴体を通り抜ける。その剣圧のみで周囲の空気に摩擦を生み林の樹や草が燃え上がり灰と化した。
だが、霊夢の体は健在であった。彼女の振るった一撃は確実に霊夢の胴体を捉え、斬り裂けばその余波だけで上下半身を藻屑よりも惨たらしい状態に変える筈だった。
しかし、現実には刀は霊夢の胴をすり抜けただけで彼女への害は一切無かった。
霊夢はそのまま篝の頭に霊力を込めた祓い棒を叩き付ける。振り抜いた隙で反応できなかった彼女はその直撃を受け、目を回しながら地面に仰向けで倒れて伸びてしまった。
「……霊夢さんって、修行不足じゃ無かったんですか?」
剣を杖代わりにして妖夢が足を引き摺りながら石段を降りてきた。その顔は泣き疲れた所為かやつれている。
その他、残った者達も伸びる篝に集まる様に石段の下に降りてきた。藍は霊夢が戦っている内に紫の式神符に戻り傷を癒しているだろう。
「霊夢も、妖夢も藍もよく頑張ったわ。何とか術式が完成したわ」
「私も仮面が出来上がった」
「まずは、永遠亭に運びましょう」
紫がスキマを開き、その場の全員を永遠亭の前へと転移させる。
鬱蒼な竹林の中にひっそりと建つ和風屋敷。中は月の技術力の結晶と呼べるものが無数にある永遠亭だ。
紫が門を叩き、中から兎耳を装着しブレザーを着た桃色の髪の少女が現れる。少女は最初訝しげに紫達を見ていたが、怪我人が多数と知ると大急ぎで奥へ駆けて行った。
紫を始め、外の者達は紫に続き永遠亭に入って行く。篝の体は霊夢が抱えて行った。
やがて桃色の髪の少女……名を鈴仙・優曇華院・イナバと言う……が、この永遠亭のリーダーである薬剤師八意永琳を連れて現れる。
怪我人を抱える紫達を見て部下の兎達にも指示を飛ばし、すぐに病室代わりの座室へと運び込まれていく篝。妖夢もまた安心感から膝の力が抜けて床へと倒れそうなところを兎の集団に運ばれていった。
青い顔をしている早苗は優曇華院に連れられ別の病室へと歩いていく。
こうして永遠亭は大忙しに動き回る事になってしまった。
「紫、あなた何をしたの? 神社の方で酷く懐かしい気配を感じたのだけど」
「神降ろしをしたのよ。何らかの介入によって高天原じゃなくて黄泉から別の神が来てあの娘に宿ったけど」
「結界を張っていたんじゃないの?」
「原因の究明はこれからするわ。藍も大怪我しちゃったし……」
「……医者としては、暫く活動を控える事をお勧めするわ」
「忠告ありがとう。彼女の治療、お願いね」
永琳は篝の運ばれた病室へと入って行った。紫の顔は未だ険しく、やることが山積みなのが見て取れる。
霊夢も若干疲れた表情で紫の横に立っていた。伊邪那美命の恐怖を目の当たりにし、一度は精神が壊れかけたのだ。
こころは無表情のまま、永琳の後に続いて病室に入って行った。仮面は出来上がったのだろうか?
二人だけになって廊下に立ち尽くしていた彼女らは、永遠亭を後にしようと玄関に足を向ける。
「霊夢、あなた夢想天生を使ったわね?」
「えぇ。先代からあまり使うなって言われたけど、あそこまで強いとは思わなかったんだもの」
「あの力は神をも越えた禁忌へと至る力の片鱗。何度も使えば何が起こるか分からないわよ」
「分かってるわよ……」
夢想天生とは、霊夢が生まれ持った能力である空を飛ぶ程度の能力の特性を突き詰めた力である。
空を飛ぶと言うのは、ただ浮力を発し宙を舞うだけでは無い。あらゆる事象から浮き、何者にも縛られなくなると言う恐ろしい力だ。
あらゆる事象から限定的に解き放たれた彼女に対しての攻撃は全てすり抜けてしまう。物質空間からも浮いている為、攻撃が当たらないのだ。
だが、使用には瞑想と極度の集中が必要だ。そして先程篝の居合をすり抜けたのは夢想天生によるものなのだ。
彼女は、自分が死ぬかもしれないと言う極限状態の心理を利用し即座に瞑想と集中を両立させほんの一瞬だけ夢想天生を行使したのだ。
「とりあえず、貴女は神社に帰りなさい。私は……藍の傷が癒えたら原因を調査するわ」
「……後は任せたわ。里の方は……慧音が何とかするでしょう」
「じゃあ、ね」
そう言って紫はスキマに入り姿を消した。一人残された霊夢も、博麗神社の方角を向いて飛んで行ってしまった。
その姿を、竹林の中で覗く者がいる事に誰も気づきはしなかった。
「篝さん、また入院なされたんですか?」
「あぁ。あの後紫達が頑張っていたそうなのだが、大分大きな怪我をしたらしくてな」
「道場はずっと閉鎖中ですね」
「永遠に、閉鎖中になりますよ?」
茶屋の縁側で話していた阿求と慧音の前に、一人の少女が現れた。
赤錆のような髪と見開かれた不気味な紅い眼の少女、沖田総海。禍津日神を身に宿し他者の記憶を奪う喪失遊戯を行っている危険な剣客。
そんな彼女が、阿求と慧音の前に突如として出現したのだ。
総海は気味の悪い笑顔を浮かべながら阿求の隣に座り、買った団子を頬張り始めた。幸せそうな表情で美味しそうに食べるが、その目は不気味に見開かれたままである。
傍目から見れば、十分に危ない雰囲気を醸し出しているのを感じ取れるだろう。
「貴女は何を言っているんですか?」
「え? だって出雲の篝さんはぁ、そう遠くない内に死にますもん!」
「……君が、殺すのか?」
「いいえ? 私は、殺しません。記憶を取っちゃうだけです。でも、今の篝さんには記憶がりません。とっても困ってます」
「記憶を……取る?」
「はぁい! 記憶を取るのって、凄く楽しいですよ! その人の内面がすっごく鮮明に分かりますもん!」
嬉々として語る総海の前に、二人は驚愕の表情を浮かべていた。そして直感的に悟ったのだろう。この少女に倫理観や道徳、善悪を説いた所で何の意味も無いだろうと。
彼女は、そう言った人間の秩序を守る為の観点が完璧に欠落しているのだろう。だから、思い付きで他者を平然と害し、自分の意思を何よりも優先する子供のままこの年齢まで育ってしまったのだろう。
そして、そのまま神格者となってしまったのだ。こうなれば非常に質が悪い。
「ねぇ、稗田阿求さん。今、篝さんがどんなことになってるか、聞きたいですか?」
団子を食べ終わった総海は突然阿求の方に身を寄せ、吐息の音さえ聞こえるほどの距離まで顔を近づけ、脅迫するように囁いた。
阿求は驚き離れようとするが、いつの間にか総海の両手に万力のように肩を掴まれ逃げられないようにされていた。
阿求の引き攣った顔を見て、総海はお菓子を買ってもらう事を信じている子供のような様子で答えを待っている。その間にも見開かれた両目は変わらないので一層不気味さが増している。
「し、知りたい……です……」
「そうですか! ではお話しますね! 篝さんは今体に伊邪那美命って言うすごーく強い神様をやどしているんです! それでですね、神社で沢山暴れて冥界の庭師と賢者の式神をやっつけちゃったんです! それから博麗の巫女に止められて、今は入院中です!」
「あとですね、伊邪那美命が憑依した時記憶と言葉と感情を失っちゃいました! もう貴女の事なんて覚えてませんよ!」
「なっ……!?」
一気に捲し立てられた阿求は固まってしまった。慧音も非常に険しい顔をしている。
総海は言った後も変わらず笑顔を崩さなかった。そう言ってみて、反応を楽しんでいるのが目に見えて分かるようだ。
知りたくない事を教え、反応を見て嘲るように笑う。それが彼女の趣味であり楽しみなのだろう。
篝の友達である阿求にわざわざそれを告げると言う事は、確信犯なのだ。そうして、心を折ろうとして来ているのだ。
しかし、これは事実だ。嘘偽りの無い、信じたくなくとも信じざるを得ない真実なのだ。
「いいですねぇ、その顔! はぁ……大好きな篝さんのその顔が見たいですねぇ」
「貴女は……貴女は一体何なんですか!?」
「私? 沖田総海ですが? あとこの性格は元々なので、死ぬまで治りません!」
そう言って阿求から離れた総海は楽しそうにくるくる回りながら赤黒い穢れを纏い何処かへと姿を消した。
突然現れ、突然捲し立て、突然去っていく。神出鬼没で厄介な少女だ。
彼女が去った事で、慧音と阿求は安堵の息を漏らす。特に阿求は友人の近況を伝えられるも、顔は青いままだった。
慧音は何か声を掛けようとするが、躊躇って何も言わなかった。掛ける言葉が無かったのだろう。
「阿求……」
「……帰ります。今日はありがとうございました」
暗い声でそう言った阿求は団子の串を律儀に塵箱に捨て、屋敷の方へと歩いて行った。
その背中を見送った慧音の顔は悲しげだ。そして、そんな彼女の横に新たな人物が座る。
白い髪で、赤いモンペを身に付けた妙に目立ちそうな少女だ。彼女は慧音を心配して声を掛けた。
「慧音、何があったか知らないが子供たちの為にも元気出せよな」
「妹紅か……。永遠亭の事を考えるとな……」
彼女の名は藤原妹紅。蓬莱の薬と呼ばれる不老不死の禁薬を飲み、千年以上前から生きている人間だ。長年の鍛錬と妖怪退治の経験もあってその力は神格者の域に達しようとしている。
長寿な慧音とは友人で、よく悩みの相談に乗ったり乗られたりしている関係だ。
「あー、道場の師範だったあいつ?」
「あぁ。私達の目の前で……な」
「……そうか。永遠亭にいるなら、医者が何とかするだろう。私達は復帰祝いの準備でもして待つしかないよ?」
「そうだな……」
妹紅は既に慧音の落ち込み具合がいつもよりも酷い事を見抜いていた。そして、道場の主が返ってくることを信じるように諭している。希望と成り得るか、絶望となるかは不明だ。
だが、少なくとも慧音は立ち直る必要がある。友の変貌を見てしまったとは言え、その鬱屈を子供達にぶつけたり見せたりするわけにはいかないのだ。
慧音は瞼を閉じ、しばし周囲の音から隔絶され物思いに耽る。これからの事、これまでの事を整理し、先に進む為の道を見つけるために。
妹紅は、何時までも待っている。時間は掃いて捨てるほどあるのだ。数千年の中から切り取った一瞬でしかない。
妖怪にとっては永くとも、人にとっては短い。篝は人から神となった。そうして、人とは違う感覚に悩むことになるのだろう。
願わくば、彼女が何時もの調子を取り戻すよう願うしかないだろう。
彼女を待つ、全ての者達の為に。
彼女を待ち受ける、あらゆる敵を屠る為に。




