楽しい人になりたくて
「由紀ちゃんと一緒にいるよりなめこの方が楽しいんだよね。ごめん。」
大学生になって、生まれて初めてできた彼氏に振られた。
よくわからないものに負けたらしい。なんだよ、なめこって。
浮気相手の名前…?いや、まさか。
ただの口実?
どっちにしろ、私は一緒にいて楽しくない女らしい。
振られたんだから泣きたいところなんだけど、悔しい思いの方が強くて泣けなかった。
今日渡すつもりだったバレンタインの高級チョコレートを一気に食べた。
贅沢な気分でちょっと落ち着いた。
そもそも彼と付き合いだしたのは、彼の猛烈なアプローチがあったからだ。
同じ大学の同じ学部の同じ学科の山下雅人とは、入学直後の学科の親睦会で初めて話した。
同じ学科の人は50人ほどしかいないので、みんなで割とよく集まって、仲も良かった。
夏休み前、初めての試験期間が終わり、みんなで打ち上げしていた時に突然告白された。
「由紀ちゃんのこと好きなんだ。付き合ってくれない?」
「えっと…。何で?山下君とそんなに話したことなくない?」
学科みんなで仲良かったけど、彼と特別親しかったわけじゃない。
「これから話せばいいよ。とりあえず二人で遊び行こうよ。ね?」
なんとなく流され、連絡先を交換した。
それから怒涛の攻撃が始まった。
『おはよう』のメールから始まり、1時間に1回はメールが来た。返信していなくても。
返信したらすごいスピードで返事が返ってきた。
『返信早いね、ヒマなの?』なんて嫌味なメールをつい送ってしまったけど、違う解釈をされていた。
『ヒマだよ!由紀ちゃんもヒマなの?電話するね!』
というメールを見た瞬間に電話かかってきた。
電話口で数人の声が聞こえる。サークル仲間が家に遊びに来ているらしい。
それってヒマ…なの?
夜は毎晩電話がかかってきた。
始めの頃は、5分も会話せずに終わっていたけど、少しずつ長くなっていった。
突然の告白から2週間後、初めて一緒に食事した。
学食で。
たまたま大学に行く用事があって、前日の電話で話したら、俺も行くからランチしようと誘われた。
一緒にランチをしただけでものすごく喜ばれたので、このくらいでこんなに喜んでもらえるなら食事くらいまた一緒しようかな、と思った。奢ってくれたし。
学食の日替わりランチ。
それから何度か食事に行った後、花火大会に誘われたので、覚悟を決めて行ってみた。
自然と手を繋いで歩き、花火を見て、帰り道でもう一度告白されたので、今度はオッケーしてみた。
正直、恋愛対象として好きかと言うとまだ微妙だったけど、すごく好かれている状態が居心地が良かったし、一緒にいて楽しかったから。
ここにきて初めて、私のどこが好きになったのかを聞いてみたら、顔だと言われた。
顔!?
自分で言うのもなんだけど、私の顔は一目ぼれされるような顔じゃない。されたこともない。
普通の顔だ。
鏡の前で上手いこと角度つけて笑えば、結構可愛いんじゃない?と自分で思うこともあるけど、近所のおばちゃんにはキレイになったね、なんて言ってもらえたこともあるけど、実際には普通の顔だった。
でもそんな私の顔は、彼のストライクゾーンど真ん中だったらしい。
ちょっと複雑。
残りの夏休みはたくさんデートして、人生初めての彼氏を堪能した。
夏休み明け、同じ学科の人たちにはすぐに付き合ってることがバレた。
夏休み前はほとんど接点のなかった私たちが、休み時間にイチャイチャしたり、一緒に帰ったりしてたから当たり前なんだけど。
そうして学科公認のカップルになり、一緒にいるうちに本気で彼のことを好きになって、クリスマスを一緒に過ごしたりして、幸せだな~なんて思ってたら、彼のメールや電話が減りだした。
最初は面倒だとさえ思っていたメールや電話も、半年も続けば慣れるもので、少なくなってきたメールに私はイライラしていた。
何でメールしてくれないの?電話は?前は毎日声が聞きたいとか言ってたのに!
そんなことを彼に言ってしまうようになり、ますます彼が遠ざかって行った。
私が本気で好きになった途端に、彼の方は冷めてしまったようだ。
そしてあのセリフ。
「由紀ちゃんと一緒にいるよりなめこの方が楽しいんだよね。ごめん。」
私は決意した。
面白くて楽しい女になってやろうと。
一緒にいて楽しくない人なんて、友達もできないじゃないか。
まずは自己啓発本を数冊買った。
・相手を飽きさせない話術
・私がNo1営業マンになった理由
・いい女の話し方 ~話し方で女は変わる~
男の子はスポーツが好きだよね、ということで野球とサッカーの勉強をした。
特に海外組が好きらしいので、その辺の選手やチームを調べて暗記した。試験勉強より真面目にしたと思う。
あと、歴史や株、ゲーム、パソコン関連の話も好きらしい。
ちょっと難しいけど…頑張ろう。
試しに流行ってるっぽいRPGに手を出してみたら思った以上にハマった。
勉強時間が減ってしまう。いや、これも勉強の一環だ!
女の子対策として、ファッション雑誌と少し大人な女性誌も欠かせない。
そして、サークルに入ってなかった私は、とても心惹かれるサークルを見つけた。
『お笑い研究会』
今は1年も終わりの春休み。今更入っていいものかと悩んだけれど、意外にも大歓迎を受けた。
お笑い研究会は、その名の通り、お笑い好きが集まっていた。
メンバーは全部で30名ほどいるけど、よく集まるのは半数ほどらしい。
お笑いDVDを持ち寄ってみんなで鑑賞したり、たまにお笑いライブにも行く。
コンビ組んで漫才してる先輩もいた。でもネタはあまり面白くなかった。
ボケやツッコミを学びたい、と言ったらサークルのみんなが無茶ぶりしてくれるようになった。
おかげでボケツッコミスキルが上がった気がする。
2年に上がり、私たちが別れたことが、またすぐに広まって最初は居心地が悪かったけど、サークルが毎日楽しすぎて気にならなくなった。
サークルに入って半年、サークル唯一のお笑いコンビに勧誘された。
「ユッキー!お笑いトリオになって俺たちと一緒に芸人目指そう!」
ちなみにユッキーは私のサークル内での愛称だ。
「えー?私が入ったら先輩たちの影が薄くなっちゃいますよ?」
ふざけて返事しながらも、実はとても嬉しかった。
冗談だとしても誘ってくれるということは、私が面白いってことかもしれない。
しかも彼はこのお笑い研究会の会長だったりする。
「芸人を目指すかは別にして、今度の学祭一緒に出ない?」
「学祭?ステージに出るんですか?」
「と言っても15分くらいだけどね。でも今年はメインステージだよ!」
この大学の学祭では、ステージが3か所に設置される。
部活やサークルがステージ使用申請を出して、どこのステージかはくじ引きで決まる仕組みだ。
演劇部や吹奏楽部、アカペラサークルに軽音、マンドリン部、ジャグリング同好会などなど、普段の練習の成果を発表する場である。
メインステージは正門から1番近いところにあるのでお客さんが入りやすく、客席数も1番多いところだ。
そんなところに立てるなんて。
「私が入っちゃってもいいんですか?」
「ユッキーのお笑いスキルは今やサークル内でナンバー3だよ!」
「ちなみに1位と2位は?」
「俺と大輔に決まってるでしょ。」
「このサークルレベル低…」
最後までいう前に頭にチョップが入った。
『俺』はもちろん、このお笑い研究会会長の村上譲先輩。
『大輔』は副会長の結城大輔先輩。
この二人こそ、ネタがあまり面白くない、サークル唯一のお笑いコンビだった。
譲先輩は、キレイで優しげな顔をしていて、一見とにかく漫才が似合わない。
優し気な容姿の割には、人をからかって遊んでいることも多いが、実際にとても優しくて周囲に気を配る人だ。途中参加した私を早く馴染めるように誘導してくれたのは譲先輩だった。今も1番よく話すのは彼だったりする。
そして大輔先輩は、お洒落でちょっとチャラい感じの明るくてムードメーカー的な人だ。
譲先輩の方が顔の作り自体はいいと思うけど、モテるのは大輔先輩の方だった。
大輔先輩はお笑い芸人にいてもそんなに違和感ないかもしれない。アイドルと合コンとかしてそう。
譲先輩は私を可愛がってくれてるから分かるけど、大輔先輩はいいのかな?と心配してたらそれが伝わったらしい。
「ユッキー入れようって言い出したの大輔だから。日々ボケとツッコミの修行をしているユッキーに、そんなにお笑いが好きだなんて!って感動してたよ。」
面白い人になりたかっただけなんだけど、とか今更言えない。
学祭に向けてコントも仕上げにかかってきた頃、元カレがまた話しかけてくるようになった。
もしかして私が面白くなったことに気づいて寄ってきたのだろうか。
学祭のステージに出ることは学科のみんなにはすでにバレているし。
面白くなった私にはもうお前は必要ない!とか言ってみたい。
「ねぇ由紀ちゃん。今日最終講義まで出るよね、ごはん食べて帰らない?」
「今日用事あるんだ。」
同じセリフで3度断った。
ただお前と行きたくないんだと気づいてくれるかと思ったけどそうでもなかった。
「じゃあ今度の土日は?」
「用事あるから。」
「毎日忙しいんだね。」
「うん!」
意識して、私の1番の笑顔で全力で肯定してみた。
予想外に彼はとても嬉しそうな顔をした。
「今の顔、すごく可愛い。」
しまった、この人、嫌味が通じない上に、私の顔がどストライクだった。
とりあえず無視して逃げた。
学祭初日、私たちの出番の1時間ほど前、本番用の服に着替えて準備万端。
私たちの前にステージに立っている軽音部の演奏を遠くから見ていた。
思ったよりも人が多かった。
面白い女を目指している私はチャンスとばかりに意気揚々と舞台に立つことを選んだわけだけど。
緊張して気持ち悪い…
そういえば、大勢の前で話すのって苦手だったのに。
「ユッキー大丈夫?」
譲先輩が心配そうに顔を覗いてくるけど、大丈夫じゃない顔して、大丈夫です、とか答えてみる。
大輔先輩も、困った顔をして私たちのやり取りを見ていた。
先輩たちに迷惑をかけたくないのに。
おもむろに左手を胸の前に持ち上げて手のひらを見た。
こういう時はあれだ。
手のひらに『人』って書いて、飲み込んでみた。
よし、あと2回。
3回目を飲み込もうとしたら、大輔先輩の、笑いをこらえようとしたけど出来なかったというような笑い声が聞こえた。
「ユッキーやっぱり面白いね。」
今は面白いことなんてしてないはずなんだけど。
手のひらに人、のこと言ってるのかな。
「これは本当に効くんですよ。心を落ち着かせる手のひらのツボが刺激できるんです。」
「そうなの?じゃあツボだけ押せばよくない?」
「それは…気分です!決まった儀式があった方がよく効きそうですし。」
儀式って…と言いながら、また先輩が笑い出した。
「本当に効いたみたいだな。」
実は声を殺して笑っていた譲先輩が、やっと笑いをおさめていい笑顔で私の頭にポンポンっと手を置きながら言った。
乙女の憧れ、頭ポンポンです!これをされると、顔がふにゃ~ってなるんです。※ただし、相手による。
「だから効くんですっ…て…。」
と言いながらステージの方を見ると、明らかにさっきより増えているお客さんと、盛り上がっているステージが見えた。
一旦は効いたけど、やっぱりダメかも。
結局緊張をほぐすことができなくて引きつった顔のままステージに立ってしまった私を見かねた譲先輩が、最初の挨拶の前に私の方を向いて、さっきみたいに頭ポンポンをしてくれた。しかも今度は優しい顔でちっちゃな音声付き。
「大丈夫、俺に任せとけばいいから。」
譲先輩、惚れました。
ステージ上で恋に落ちてしまった私は、たくさんのお客さんの前にいるという緊張を忘れることができて、普段通りの感じで話せた。それなりに笑いも取れて、最後には大きな拍手ももらえて、私たちとしては大成功だった。
「ありがとうございました!」
ステージを降りてすぐ、私は二人に向かって頭を下げた。
「私、人前苦手だし、こんなステージに立つのも苦手だったし。でも、今日すごい嬉しかったんです。私の言葉にお客さんが笑ってくれて、拍手ももらえて。先輩たちと一緒じゃなかったら絶対できませんでした。本当にありがとうございます。」
下げている私の頭を、大輔先輩がちょっと強めにガシガシとなでる。
「俺たちも、ユッキーのおかげで去年よりいっぱい笑いも取れたし。」
頭を上げると、今度は譲先輩がまた頭をポンポンっとしてくれる。でも今回はニヤっとした笑顔だ。
「そうそう。それに緊張し過ぎなユッキーのおかげで今年は緊張しないですんだし。」
「去年は譲も緊張してたよな。ユッキーほどじゃないけど。」
「あの時は、人って言う字を手のひらに書いて…っていうのは思いつかなかったな。」
「じゃあ譲先輩も今度から緊張したら使ってもいいですよ。」
「いや、今日のユッキー思い出すだけで緊張はほぐれるから大丈夫。」
なんてことを3人で話ながら部室に戻る途中で、由紀ちゃん、と声をかけられた。
「山下くん…。」
「ちょっと時間ある?」
いつもだったら忙しいと言って断るところだけど、忙しくないのは先輩たちにはバレてるわけで。
仕方ないので、先輩たちには部室に先に戻ってもらうように言って、山下くんと向き合った。
「ステージ、面白かったよ。さすが由紀ちゃんだね。」
さすがって何だよ、私のこと楽しくないって言ったのお前だろー!と言いたい。
「この後一緒に学祭回らない?」
「嫌だ。」
あ、つい咄嗟に拒否してしまって、オブラートに包むの忘れた。
何が悲しくて振られた元カレと回らないといけないんだ。
「もしかして他に好きな人ができた?さっきの同じサークルの人?」
「山下くんに関係ないでしょ。」
「関係あるよ、由紀ちゃんのこと好きなんだ。」
「私はもう好きじゃないから。」
「もしかしてなめこにハマってたことまだ怒ってる?でもなめこにはもうとっくに飽きたから。」
もう1度付き合おう、と自分勝手なことを言いながら私の手を繋いできたので、慌てて振り払おうとしたら、最近1番聞きなれている声で、ユッキーと呼ばれて彼に繋がれた方とは反対側の腕を引かれたので、自然と山下くんの手は離れた。距離も離れた。よし。
「譲先輩。」
ヒーローのような現れ方だ。これは惚れる。もう惚れてたけど。
「さっき不安そうな顔してたし、心配だったから来ちゃった。余計なことした?」
小さな声で私の様子をうかがう先輩に、首を振って、助かりました、と笑う。
惚れ直していたら、呆気にとられていた山下くんの意識が戻ってきた。
「由紀ちゃんの好きな人って、その人?」
いや、本人の前で言わせるなよ。というわけで無言を貫こうと思ったら、次の衝撃的な一言で声が出てしまった。
「由紀ちゃんも男を顔で選ぶの?」
「え。」
譲先輩は確かにキレイな顔をしている。山下くんよりよっぽどカッコイイと思う。でも。
顔で私を選んだお前が言うなとか、性格だってお前よりいいんだとか、だからなめこってなんだよ、とか言いたいことはたくさんあったけど。
山下くんに背中を向けて、先輩の方を振り向いた。でも山下くんにも聞こえるように少し大きめの声で。
「譲先輩はもちろんカッコイイんですけど、何より一緒にいてすごく楽しいんです。何もしなくても一緒にいるだけで楽しいんです。」
そして、声は出さずに口の動きだけで先輩に訴えた。
「(振るのは後でお願いします)」
そんな私をみた先輩は、ははっと小さく笑って、得意の頭ポンポンをしてくれた。
「俺も。」
頭ポンポンでふにゃっとなった私の手を繋いだ先輩は、悪いな、じゃ、と反対の手を山下くんに向かってあげてから歩き出した。
頭ポンポン+恋人繋ぎな手のおかげで、振られた彼のことはすっかり頭から飛び、この後先輩から告白の返事を聞かなければいけない緊張感だけで頭がいっぱいになった。
人って言う字を書いて飲み込もうと思ったら、左手がふさがっていた。