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恐怖の契約

作者: 田村輝

 一九七二年のことであった。メリー・リー・シュワンダーはミシガン州グランド・ラピッズの大学に入ることになった。初めての一人暮らしに彼女は不安を覚えたが、なんとかなると自分に言い聞かせながらアパートを探した。いくつかの不動産屋を当たったが彼女が希望する安い家賃と居住性を兼ね備えた物件は見つからなかった。メリーは最後の不動産屋から紹介された、やや古風ながらも静かな場所にある学生寮に入ることに決めた。居間とダイニングは共通であるものの、個人の部屋は広くて朝夕の食事付きだった。何よりも家賃が安いことが魅力だった。


 引越しの日、メリーは自分にあてがわれた二階の部屋を簡単に片付けたあと、寮の離れに住むオーナーに挨拶に行った。オーナーの名はワード・ポールといい、年は四十代だった。彼は数年前に館を購入し学生寮に改造したそうだ。

「シュワンダーさん、待っていましたよ。これからよろしくお願いしますよ」

「こちらこそよろしくお願いします」

「あのですね……」

 ワードは言いにくそうに言葉を切った。メリーは何を言われるのかと身構えた。

「不動産屋から聞いていると思うけど二年契約だからね。必ず、必ず二年は住んでもらうよ」

 なんだ、そんなことかと思い、メリーは答えた。

「それなら大丈夫です。大学卒業までいるので四年間、お世話になります」

「そうか、それは良かったよ」

 ワードは心底安心したようだった。メリーはなんだかおかしな人だなと思った。

「寮の住人を紹介しておくよ。ついて来て」

「はい」

 ワードは歩き出した。メリーもついていく。

 メリーの右隣の部屋に着くと、ワードはドアを叩いた。

「スミスさんいるかい?」

 ドアが開いて若い男が出てきた。

「なんだい?」

「新しい住人を紹介しに来た。今年、大学生になるシュワンダーさんだ」

「メリー・リー・シュワンダーです。よろしくお願いします」

「よろしく。俺はリック・スミスだ。呼び方はリックでいいよ。今年から美大に通うことになっている。将来は絵描きを目指しているんだ。」

「じゃあ、私と同じ年なんですね。私も呼び方はメリーでいいですよ」

 すぐそばでニャーと鳴く声が聞こえた。メリーは声のした方を見ると子猫がいた。

「ああ、猫を飼っているのさ。ここは動物オーケーなんで、それで選んだんだ」

 メリーは子猫が可愛くて気になり、動きを追っていた。すると子猫は立ち止まり、ドアの上の方を睨みつけた。なんだろうとメリーも視線を追ったが何もいなかった。さらに子猫は天井の何かの動きに合わせるかのように、頭をぐるりと回し始めた。それを見たメリーは寒気を感じたが、動物の行動の意味はないだろうと思い、忘れることにした。

「なあ、なにか感じないか?」

 リックがメリーのそばに来て、ワードに聞こえないように小声で囁いた。

「うん? ちょっと寒気がしたけど、気のせいね」

「そうか……。ならいいや……」

 リックはなにか考え込んでいるようだった。

 リックの部屋を後にして、ワードはリックの右隣の部屋を叩く。

「チャック・シェーンネクトいるか」

 二十代半ばぐらいの男が出てきた。学生にしては年齢が高すぎるなとメリーは思った。

「いますよ。ただ今、研究で忙しいので、手短にお願いします」

「新しい住人のシュワンダーさんだ」

「メリー・リー・シュワンダーです。よろしくお願いします」

「よろしく。チャック・シェーンネクトです。ちょっと野暮用でこの部屋に住まわせてもらっています」

 ドッタと、チャックの後ろから音が聞こえた。メリーは気になって部屋の中を覗いてみた。部屋には床に乱雑に積み上げられた難しい本や何に使うかわからない道具が散乱していて、何が起こったかよくわからなかったが、どうやらゴミ箱が倒れたらしい。チャックはゴミ箱の方を見て顔をしかめた。

「またですか」

「また? どういうことですか?」

 メリーは疑問に思い、チャックに確かめようとしたがワードが慌てて遮った。

「シュワンダーさんなんでもないから」

「なんでもないって、シェーンネクトさんはまたって言っていましたよ?」

 バン。再び音がしたのでメリーはそちらを見ると、壁にかけてあった変な文様が描かれた絵が床に落ちていた。

 メリーが何か発する前に、ワードは慌てて声を出した。

「チャック、お前は忙しいって言っていたよな。俺たちはここで失礼する。行こうシュワンダーさん」

 ワードはメリーの腕をつかんで強引に歩き出した。

「ちょっとポールさん、やめてください! どうしたんですか、態度がおかしいですよ!」

 メリーは怒ってワードに抗議した。

「いや、おかしくない。忙しいやつの邪魔をしたら悪いだろ。それじゃ、俺は離れに戻るぞ」

 ワードはメリーの手を放すと、逃げるように駆け足で玄関から出て行ってしまった。

「なんなのあの人」

 彼とこれから一緒に暮らしていかなければならないのかと思うと、メリーは頭を抱えた。


 メリーは夕食の後、疲れが出たため自分の部屋に戻って横になることにした。ベッドに入りうとうとし始めた。

「なんなんだよ、これは!」

 リックの大声が聞こえた。メリーはベッドから出て、廊下に出るとリックが騒いでいた。

「おう。メリー、聞いてくれ。俺が絵を描いていると背中を叩かれた。驚いて後ろを振り返るとT定規だけが空中に浮かんでいたんだ。そうかと思うと、今度は後ろから絵具をひっかけられた。びっくりして飛び出してきたんだ」

「まさか」

 メリーはリックの言葉が現実離れしていて信じられなかった。

「証拠はこれさ」

 リックは後ろを向き、青い絵の具でぬれた背中を見せた。確かに背中が絵具で真っ青になっている。

「自分で転んで、被っちゃったとかじゃなくて」

「いや、本当だよ。人間じゃない何かがやったんだ」

「リックさん……」

 メリーはかける声が見つからなかった。

 リックは階段に向かって走り出した。

「ポールに事情を話してくる! 何か知っていたら聞き出してくる!」

 メリーはさすがにそこまでする程のことではないとリックを止めようとしたが、間に合わなかった。

しばらく待っていると、リック憤慨しながら戻ってきた。

「ポールのやつ、何も知らないと言いやがった! そんなこと聞いたことがないと! 問い詰めようとしたら離れにこもって出てこね! あれは絶対怪しい。明日の朝、もう一度問い詰めてやる!」

 リックはバタンとドアを閉め、自分の部屋に入って行ってしまった。

 メリーはおろおろした。リックは嘘をついているようには見えなかったものの、本当のことを言っているとも思えなかった。


 メリーはもう夜遅いので、リックのことは明日考えようと思い、自分の部屋に戻り、再びベッドに潜り込んだ。閉め忘れていたドアがバタンとしまった音がした。メリーは変だなと思ったが、睡魔には勝てず眠りに入った。

 しばらくして、タンスからコツコツと音が聞こえてきた。メリーはその音で目を覚ました。メリーは鼠でもいたら嫌だなとビクビクしながらタンスを開けてみたが、何もいなかった。メリーは安心してタンスを閉めて、ベッドに潜り込んだ。するとまたタンスからコツコツという音が聞こえてきた。メリーは再びタンスを開けてみた。しかし、同じ結果だった。メリーは昼のリックの言葉を思い出して寒気がした。タンスを閉めた後、見張っていることにした。

 どのくらい時間が経っただろうか。タンスを見つめるメリーに、階段を誰かが昇ってくる音が聞こえた。メリーは胸がバクバクしだしたが、寮の住人が昇ってきているだけだろうと無理やり自分を落ち着けた。音はだんだん大きくなり、メリーの部屋の前で止まった。メリーは机の中にあったペーパーナイフを掴むと、切っ先をドアに向け叫んだ。

「誰かいるの!? いるのなら返事をして!」

 返事はなかった。あたりはしーんと静まりかえっている。メリーは再び同じことを叫んだが、結果は変わらなかった。

 時間がゆっくり流れて行く。メリーはこみ上げてくる不安に勝てず、ゆっくりとドアの方に向かい、ノブに手を掛けた。ドアを少しずつ開いていく。おそるおそる廊下を見たがそこには誰も居なかった。

 メリーは怖くなってベッドに駆け込み、布団を頭まで被って震えていた。

 震えが治まった頃、メリーは顔を上げてあたりを見回した。何かが起こっている様子はなかった。メリーは安堵から大きく息を吐いた。

 その時、ゴンゴンと屋根裏から大きな音が鳴り、部屋中の机やテーブル、ベッドが揺れ始めた。音と揺れはどんどん大きくなった。

 メリーは逃げようとベッドから這い出そうとしたがうまくいかなかった。何者かがメリーの足の親指を強い力で引っ張ったのだ。

「ギャー!」

 メリーは声にならない悲鳴をあげると、ベッドの上で暴れた。どんなに頑張ってもベッドから抜け出すことはできなかった。

 揺れと音がおさまり、足を引っ張っていた力が抜けるとメリーは外に飛び出し、リックの部屋のドアを叩いた。

「リックさん。起きている! 今、大きな揺れがあったでしょ!」

 何度も叩いていると、ドアが開いた。

「メリー、揺れてなんかなかったぞ。夢でも見たんじゃないか」

「本当なのよ!」

 メリーはリックに自分が体験した一部始終を話した。それを聞いてリックは真剣な顔をした。

「実は引っ越して来たときから、何かがいる気配がしていたんだ。ただ昨日までは何かされることは無かった。だから様子を見ていた。今日の昼のことと、メリーの話で確信した。明日、ポールがやってきたら今度こそ訳を吐かせてやる」

 メリーも昼のワードの態度を思い出して、何か隠していることがあると結論づけた。

「そうね。ポールさんなら絶対何か知っているはず」


 二人は結局、朝まで廊下で過ごした。メリーは自分の部屋に戻りたくなかったので、リックにそのことを打ち明けて、それにリックも付きあってくれた。

 朝になって、ワードは朝食の支度をするためにやってきた。二人はワードに詰め寄った。

「ポールさん。話があります」

「ポール、寮で変な現象がいろいろ起きるんだ! いったいどういうことなんだ!」

「二人ともいい加減にしないか! 私は知らないよ。朝食の準備がある。どいてくれ」

 ワードは声を荒げて言うと、二人の横をすり抜けるようにキッチンに入ってしまった。

 二人は仕方なくダイニングテーブルで待つことにした。待っているとチャックが階段を下りてきて座った。

 ワードの準備が終わり、四人で朝食となった。二人は改めて昨日、起きたことを話した。ワードは朝食のサラダをまずそうに食べながら二人の話を聞いていた。

 ワードがしぶしぶ返答をしようとした時だった。二階からドタンドタンという重い足音、バンバンとなにかを叩きつけるような音、床の上の家具を引き摺るような耳ざわりな音が聞こえてきた。メリーとリックは思わず二階を見上げた。次に、二階から耳をつんざくような爆発音が聞こえてきたのだ。二人は食事中であることも忘れて、二階に駆け上がった。その後にワードとチャックが続く。二階の部屋を開けて回ったが、どの部屋も乱れた様子や壊れた様子は無かった。最後の部屋を見終わって階段に向かって歩いていく途中、メリーはリックに問いかけた。

「どういうことかな? 音は確かに聞こえたよね?」

「ああ、確かに聞いたよ」

「ポール、今のはあなたにも聞こえたはずだ。シェーンネクト、あなたもそうでしょう」

 リックはワードとチャックを順々に見た。ワードは目をそらし、チャックは苦笑いを顔に浮かべるだけだった。

 四人は階段まで戻ってきた。

「なにあれ?」

 最初に気付いたのはメリーだった。一階からぼんやりとした影が二階へ上っていく。メリーとリックが息をのんで影を見つめていると、すぐ目の前までやってきて二人の手前でスーと消えていった。

 四人はしばらく影の消えた場所を凝視していたが、初めにリックが叫んだ。

「もう限界だ! これでも何にもないと言えるのかよ! ポール、知っている事を全部話してもらうぞ!」

「ポールさん、私も話が聞きたいです!」

 ワードは二人に見つめられ、かなり怯んでいたが、またもや無言を貫き通した。それを見ていたチャックがにやにやしながら口を開いた。

「ポールさん。もう隠しておくことは無理だよ。ここはひとつ真相を二人に話して、可能なら協力してもらった方がいいんじゃないでしょうかね」

「わかった。食事を片づけたら話そう」

 ワードは不服そうな顔をしながらも承諾した。

 

 朝食後、ワードはこの館は購入した時から奇怪な現象に悩まされていることを話した。メリーやリックが経験した出来事は以前の住人からも同様の話を聞いていた。

「ポール。なぜそういうことがあると不動産屋に伝えなかったんだ!」

「そうです。言わなければいけないことなんじゃないんですか!」

 ワードは不機嫌そうに、ぼそりと呟いた。

「特に聞かれなかったからだ。私は聞かれないことは話さないことにしている」

「ふざけるな! こんな現象が発生する所にはいられない。俺は出て行くぞ」

「私も出て行きます。これ以上、我慢できません!」

「二人とも出て行ってもいいが、二年分の家賃を払え。二年住むという契約なんだから、それが当然だろ」

 メリーとリックは怒りのあまり、立ち上がった。

「無茶苦茶です!」

「横暴だ!」

 ワードも立ち上がって反論した。

「無茶だろうが、横暴だろうがそれが契約というものだ。きっちり守ってもらおうじゃないか。黙って出て行ってもダメだぞ。お前らの大学まで取りたてに押しかけるからな」

「ポールさん。そこまでにしておいたらどうか。新住人をこれ以上、怒らせる必要はないでしょう」

 今まで黙っていたチャックが落ちついた声で、事態の収拾に乗り出した。チャックは三人に座るように促した。全員が座り直すと彼は自信たっぷりに話し始めた。

「ここで私が何のためにいるか説明しましょう。私は超常現象を研究、対策を生業にしています。この世界ではちょっとは名の知れたものでしてね。いずれは合衆国一になるために日々努力をしております。今回はポールさんに頼まれて、ここで起こる現象の原因を調べて止めるためにやってきました。二人ともどうか安心してください」

 チャックは言い終わると胸を張った。その姿を見てワードは不機嫌な顔になった。

「何が合衆国一になるだ。お前ときたら一年近くここにいるのに、まだ何も解明できていないじゃないか。この無能め!」

「ポールさん。無能とは失礼ですね。この私に向かって。この現象が前の館の持ち主、ジョン・F・バールソン博士の研究に由来しているという大発見をしたのは私ですよ」

 ワードとチャックの舌戦は続いたが、メリーは聞く気が失せた。今起きている現象をこの二人が解決できるとは思えなかった。


 その夜、メリーは自分の部屋に返らず居間で寝ることにした。リックもそんなメリーを心配して、少し離れた所で寝ることにした。

 夜が更けてくると、トントンと人の足音が聞こえてメリーは目を覚ました。やはり来たかとメリーは震える体を抱きしめた。トントン、トントン。足音の数が増えていき、メリーを囲んで回りだした。とうとう、我慢できなくなったのでリックに助けを求めようと体を動かそうとしたが、できなかった。正体不明なものに押さえられているのだ。メリーは力を限界まで振り絞り、どけようと頑張った。でも体はぴくりとも動かなかった。メリーは何もできないまま足音だけを聞いているしかなかった。

 どのくらい時間がたったか。気がつくと足音は消えていた。メリーの体も動くようになった。

 ズーズー。

 メリーはホッとするまもなく奇怪な音を聞いた。今度はすぐそばだった。そちらの方に顔を向けてみると老婆が寝ていた。寝息の音だったのだ。その老婆の顔は紙のように白く、しわだらけでひどく苦痛に歪んでいた。メリーは飛び起きると、逃げ出してリックの下に向かった。

「リックさん。老婆の幽霊がそこに!」

 リックは目を覚ますと、メリーが指差す方向を見た。

「メリー。何か出たのか?」

 メリーは自分のいた場所を指さして、誰もいないことに気づいた。

「もうこんな思いは嫌!」

「俺も嫌だよ。なんとかならないものか」

「これから、どうすればいいの」

 メリーは今にも泣きそうだった。

 その時、二人の前にスーと茶色のツイードのスーツを着て、片方のわきの下にステッキを挟んだ老人の幽霊が現れた。

「もう、やめてよ!」

 メリーの涙声で訴えた。すぐにリックの後ろに隠れる。リックは震えながらも老人の幽霊を睨み返した。

「もう出てくるなよ!」 

 老人の幽霊は一瞬、すまなそうな顔をしたが、直ぐに優しそうな顔つきになって二人を見た。二人が戸惑っていると、幽霊はペコリと頭を下げてきた。メリーは今までの幽霊とは何か違うと思った。

「ここの住人さん。私の話をどうか聞いてくれないだろうか」

 メリーとリックは顔を見合わせた。果たして、この幽霊の話を聞いて大丈夫だろか。聞いたことによって、今の状況を改善できるのか、あるいは更に悪化してしまうのか、二人には判断できなかった。

 老人の幽霊は二人の沈黙を肯定と受け取ったのか、ゆっくりと語り始めた。

「私は以前、この館に住んでいたジョン・F・バールソンと言う。この館がこのような悪霊たちが出現する場所になってしまったのは私のせいなのだ」

 幽霊は後悔するように顔を伏せた。

「私の末娘は難病を患っていた。私はなんとか娘を助けてやりたいと必死で努力した。多くの医者に観せたが駄目だった。医者には治せない病気だった。どんどん衰弱していく娘を見て私は焦った。そして、私は禁忌に手を出した。悪魔と取引することに決めたのだ。悪魔を呼び出す方法を探して試行錯誤の連続だった。だが呼び出せたのは低級の悪霊ばかりだった。結局、悪魔との契約方法を見つけたときは、娘がすでに息を引き取った後だった。私の行為は無駄だったのだ。あとに残ったものはこの館にはびこる悪霊たちだけだった」

 メリーは老人の幽霊が目に涙を浮かべているように見えた。

「今の住人たちにはすまないと思っている。この館を元に戻す方法をお伝えする。地下室にある悪霊を呼び込んでいる魔法陣を壊して欲しい。そうすれば悪霊どもは消え、この館は平穏を取り戻す」

 老人の幽霊はステッキで暖炉の近くの床を指した。

「ここに地下室の入口がある。地下室に降りたらまず、私の研究机の中にハンマーと鉄杭があるからそれで魔法陣を壊してくれ。あと机には魔除けの聖水があるから、万が一のために持って行ってくれ。よろしく頼むよ」

 そう言うと老人の幽霊はスーと消えていった。メリーとリックは見つめ合い、思いがけないところから、絶望的な状況を打破する策が見つかったことに安堵した。

 

 翌朝、朝食の時間にメリーとリックはチャックとワードに昨夜の老人の幽霊が語ったことを話した。真っ先に反応したのはチャックだった。

「話のとおりだとするとバールソン博士が君たちの前に現れたというのか! しかもこの寮を元に戻す方法を君たちに語っただって!」

 チャックは少し考えた後、納得いかない表情で呟いた。

「なんで研究者である私を差し置いて、バールソン博士はこいつらの前に現れたんだ。本来なら私に話せばすぐすむことなのに。おかしいではないか」

 一方、ワードは渋い顔をした。

「その話は信用できるのか? バールソン博士の幽霊と言うのも本物かどうかわからんし」

 反応が鈍いワードになんとかメリーは信じてもらおうと、説得を試みた。

「信用できる話だと思います。内容は本人じゃなきゃ知らないことでしたし、筋が通っていると思います。嘘だとは思えませんでした」

「俺も本物だと思う。それに今のところ、これ以外にこの現象を止める方法はないわけだ。話に乗ってみるべきだ」

 ワードはため息をついた。

「とにかく、その地下室の中に入ってみないといけないということだな。やれやれ、骨が折れるな」

 メリーはここまで来て、全く当事者意識のないワードに呆れ果てた。

 暖炉のそばの絨毯をめくり、床を調べると、四角く切り取られた不自然な石が見つかった。石には穴が穿ってあり、そこに取手が収納してあった。取手を持って石を上にあげると階段が現れた。

「私が一番に降りさせてもらいますよ。バールソン博士の研究室を見られるなんてワクワクしますね」

 チャックは先陣をきって降りていった。次にリック、メリー、最後にワードが続いた。階段をしばらく降りると地下の広い部屋に出た。部屋は全て石造りで、中央にはほのかに白い光を放つ記号を組み合わせた複雑な文様があった。おそらく魔法陣だろう。それは床石を削って作られていた。部屋の奥を見ると一つの机が置いてあった。

 チャックは我先にと、走って机に辿り着き調べ始めた。

「すごいですね。悪魔の関連の資料がいっぱいです。どうやらお二人の話は本当でしたな。博士の研究日誌がありますね」

 チャックは日誌を熱心に読み始めた。

「おお、これは……悪魔召喚方法……」

 メリーたちが追いついても、チャックは何かにとりつかれたように日誌を読みふけっていた。メリーこんな時に何をしているのだろうと呆れた。

「シェーンネクトさん。今は博士の研究を見に来た訳ではないでしょう。魔法陣の破壊をしないといけないでしょう」

 後ろからの声にチャックは驚いた。チャックは慌てて、見ていた日誌のページを残りの三人に見えないように隠すと、平静を装った。

「いやですね。専門家として自分にできることをやろうとしたのですよ。私は魔法陣の詳しい破壊方法を調べていたのですよ」

「博士には魔法陣を壊せとだけ言われたのですが……」

 メリーに釘を刺すようにチャックは言った。

「そこが素人の浅はかさなのですよ。ただ単純に魔法陣を傷つけたのでは破壊にはならないのですよ。博士の日誌を読んで破壊方法を探していたのですよ」

こう言われるとメリーはなんだか自分が重要なことを聞かなかったミスを犯した気になり、後悔した。メリーが黙ってしまうと、見かねたようにリックが声をかけて来た。

「シェーンネクト、それで破壊方法は見つかったのかい?」

「もちろんだよ。ではさっさとやってしまいましょうか」

チャックは机を開き、魔除けの聖水が入ったガラス瓶とハンマー、鉄杭を取り出してひとりひとりに渡した。

 四人は魔法陣のそばにやってきた。

「それではさっさと魔法陣を壊してしましょう。皆さん、私の言うとおり魔法陣に鉄杭で傷をつけてください」

 チャックは博士の日誌を見ながら、指示を飛ばした。三人はチャックがこんなに積極的なのは珍しいと驚いたが、専門家故のものだろうと指示に従って鉄杭を打ち続けた。

「メリーさん。もっとそこは深く削ってください」

 男二人に比べて力が弱いメリーは作業に苦戦していた。

なんとかメリーが削り終わると、魔法陣の光が白から青に変わった。メリーは疑問に思った。

「シェーンネクトさん。光の色が変わったんですが、おかしくないですか。本当に壊れたんですか?」

 メリーはチャックに尋ねた。

「大丈夫ですよ。もうちょっとで破壊できます。後は少々危険だから私一人でやります。皆さんは後ろに下がっていてくれませんか」

 チャックはメリーたちと全く目を合わせなかった。メリーは更に不安になった。

三人は階段の近くまで移動した。チャックを見つめる。チャックは何やら呟いているようだが、よく聞こえなかった。

「本当に大丈夫なのか、あいつは?」

「わからない。任せるしかないだろう」

 ワードとリックの話をメリーはただ聞きながら、これで全てが終わることを祈っていた。

だんだんと魔法陣の輝きが増した。どうやら作業は最終段階に入ったようだ。バキ、バキ。魔法陣の上で雷光のようなものが跳ねた。チャックの声はいつの間にか大きくなり、こちらまで響いてきた。

「汝、我の呼びかけに答えよ。今ここに召喚する……」

 それを聞いてメリーは叫んだ。

「シェーンネクトさん。何をやっているんですか! それ、絶対に魔法陣を破壊してないですよね!」

 チャックは薄気味悪い笑い声を発した。

「ハハハッ。メリーさん。これはバールソン博士の日誌にあった悪魔召喚法ですよ。もうすぐですよ! 私は悪魔と契約するんです! 悪魔を従え、それによって私が優れた能力者であることを世間に示さねばならないのですよ。本当なら今頃、私はとっくに合衆国一の優れた研究者として認められていたはずなんですよ。でも、そうはならなかった。何故だかわかりますか! 皆が私を邪魔したからですよ。私に依頼してきた人は、ほとんどが私を無能者とレッテルを張り活躍の場を奪ったのです。そこのポールさんのようにね。私はそいつらに自分が優れていると見せつける必要があるのです」

 バキン、バキンと大きな音がする。魔法陣は更に光を増していた。

「ああ、今日はなんて素晴らしい日なのでしょう! 神は私を見捨てなかった。このような機会を与えてくれるなんて!」

「シェーンネクトさん。あなたおかしいです。いいかげんにしてください! 魔法陣を今すぐ止めてください!」

「もう無理ですよ。ほら、見ていてください。悪魔が召喚されますよ!」

 チャックはにやりと笑った。

 メリーは魔法陣を見た。金色に輝く若い男性の頭のようなものが出てきていた。頭が出てくると今度は黒い体毛に覆われた胴体が出てくる。やがて、その悪魔は全体を表した。それは蝙蝠の体に金色の人の頭を乗っけた奇怪な姿だった。

「さあ、私と契約しましょう」

 チャックは満面の笑みを浮かべ悪魔に近づいていった。 悪魔はチャックを見下ろすと、鉤爪の生えた足で蹴り上げた。バキッと鈍い音がした。悪魔の足がチャックの体を直撃し、体が紙のように飛んだのだ。チャックの体は天井にぶつかり、メリーたちの前に落ちてきた。首がありえない方に曲がっており、腹に大きな穴が開き血を噴き出していた。

「ギャー」

 メリーはあまりの光景に立っていられなくなり、その場に倒れこんだ。意識が遠くなってゆく。

 リックはメリーを助け起こしながら聞いた。

「大丈夫か!」

「……」

 メリーは何もしゃべれなかった。

「とにかく逃げるぞ」

 リックは階段の方を見上げた。ワードが駆け上っていくのが見えた。メリーはなんとかうなずいた。

バサバサと後ろで悪魔の羽ばたく音が聞こえた。メリーがおそるおそる振り返ると、悪魔は天井から蝙蝠のようにぶら下がり、こちらに羽ばたこうとしていた。その逆さまの金色の顔とメリーは目を合わせてしまった。悪魔の口がにやりと開いたように見えた。

 メリーはとにかく早く逃げなければと、震える足を無理やり動かし、リックと共に階段を上って行った。しばらく上ると階段の先に明かりが見える。とにかく出口まで走り抜けなければならない。こんな地下にいるよりはましだと思った。ところが、バタンという音がして出口の光が突然消えた。メリーの顔は蒼白になった。顔や背中から嫌な汗が流れた。

「ポールの野郎! 俺たちを置いて蓋を閉めやがった!」

 リックの叫びが地下にこだまする。

 二人はさらに急いで駆け上がり、石の蓋を下から押し上げようとした。

「だめだ! 開かない。ポールが上に何かものを置いたのか!」

「あの人、私たちがいることを知っていて、蓋を閉めてしまった!」

 メリーはワードのあまりにも酷い仕打ちに呆然となり、力つきて階段に座り込んだ。ワードは自分勝手な人間だと思っていたがここまでとは思わなかった。これではよっぽどワードの方が悪魔ではないか。

「グォーン」

 二人は雄叫びを聞いて振り返った。悪魔が二人の近くまで飛んできているのだ。

 リックは手に持っていた聖水を悪魔に振りかけた。悪魔は怯んだようで、急ターンして空中に止まった。羽をはばたかせ、悪魔は少し離れたところでこちらの様子をうかがっていたが、また近づいてきた。リックは再度、聖水をかけた。悪魔は同じように離れる。

「メリー、聖水が効くみたいだ! とりあえず聖水があるうちはなんとかなる」

「リックさん。それって聖水がなくなったらどうなるの?」

「……」

 メリーは泣きながら叫んだ。

「あ――もうお終いよ! 私の人生はここで終わるんだ。なんでこんなことになってしまったの! ただ、大学に行くためにこの町に引っ越してきただけじゃないの!」

「メリー、落ち着いて考えよう! 何か良い手があるはずだ。あきらめるな!」

「手なんかないのよ! だいたい、ポールさんとシェーンネクトさんが全て悪いのよ! ポールさんは自分のことしか考えないし、シェーンネクトさんは私たちを騙して悪魔を召喚しちゃうし!」

 悪魔はまた二人に向かってくる。リックはそれを追い返す。

「そういえば、シェーンネクトがいなければ俺たちは魔法陣を破壊できていたのかな?」

「え? 何言っているのよ?」

 メリーはリックが何を言いたいのかわからなかった。

「俺たちはバールソン博士に魔法陣を壊せと頼まれただけだよな。ということは本来なら素人でも簡単にできることなんじゃないのか? 例えば、魔法陣のいくつかの記号に傷をつけることで、魔法陣の意味が変わってしまって機能しなくなるとか?」

「そんなのわかんないわよ! 博士が壊し方を教えるのを忘れただけかもしれないじゃない」

「そうかも知れない。でもこうなった以上、それにかけるしかない!」

「そうだとしてもどうやって魔方陣のところまでいくの?」

 リックはこれ以上ないくらい真剣な顔になった。

「俺が地下室まで降りて、悪魔を引き付ける。その隙メリーが魔法陣を壊してくれ」

「本気なの?」

「助かる方法はそれしかない」

 リックは静かに、強く言い切った。

 メリーは考えた。確かにこのまま何もしなければ二人とも殺さる。そうならないためには、リックの提案にのる以外にない。でも、そんな重大なことが自分にできるのだろうか?

考えている間にも悪魔は襲ってくる。

「お願いだ! このままだと聖水が無くてってしまう!」

 メリーは悪魔を見た。金色に輝くその顔は笑っているようだった。その顔にワードとチャックの顔が重なって見えた。身勝手な彼らのせいでに自分たちは殺されそうになっている。そう思ったとき、メリーの中に強烈な怒りが湧き上がってきた。メリーは怒りに身を任せて、立ち上がった。

「リックさん。私やる。ここから絶対生きて出ましょう!」

「わかった!」

 リックは悪魔に聖水をかけながら、隙を見て階段を下り始めた。リックが前進すると、悪魔は後退する。メリーもついていく。何回かその作業を繰り返して、地下室までたどり着いた。

 リックは「ウォー」と悪魔を引き付けるため、雄叫びを上げた。悪魔がリックに気を取られている間にメリーは地下室の中央へ向かう。メリーは落ちていたハンマーと鉄杭を拾い上げ、魔法陣を傷つけ始めた。

 メリーは必死で叩いた。床石は固く、傷を付けるのが難しい。ちょっと力のかけ方を間違えると手に響くだけで、石は欠けなかった。

 悪魔の羽音とリックの雄叫びが聞こえている。まだ悪魔は消えていない。メリーは焦りでどうにかなりそうだった。

 パリーンとガラスが割る音がした。メリーは音のなる方へ顔を向けた。リックの聖水の瓶が割れて床に転がっていた。悪魔はその鋭い鉤爪でリックを掴もうとしていた。

 リックは体をひねって避けたが、完全に避けきれず鉤爪が腕を切り裂いた。

「ウワッ!」

 リックは苦しそうにうめき声を上げた。

 悪魔は再びリックに狙いを定め、鉤爪を振り下ろした。

 ガンと音がした。メリーはおもわず目を瞑ってしまった。

 たが、リックの悲鳴は聞こえてこなかった。

 おそるおそるリックと悪魔の方を見ると床に暖炉に使う火かき棒が転がっていた。それにあたり悪魔の攻撃がそれたのだ。

「悪魔め! 俺の寮をこれ以上好きにさせてたまるか!」

 声は階段の上から聞こえてきた。メリーはそちらに顔を向けた。ワードがもう一本の火かき棒を持って階段を駆け下りていた。

「ワー!」

 ワードは大声を上げると火かき棒を悪魔に振り下ろした。だが、悪魔の鉤爪にあたったそれは簡単に弾き飛ばされてしまった。

「ポール、こっちに来て聖水を渡してくれ! こいつにはそれが効く!」

「わかった」 

ワードはリックの隣に並ぶと聖水の瓶をリックに渡した。リックはそれで再び悪魔を牽制する。

 メリーは再び視線を手元に戻して、ひたすら魔法陣を打ち続けた。いくつかの記号を傷つけたが、魔法陣の光に変化はない。手がしびれて、鉄杭を打つ力が鈍ってくる。本当にこの方法で大丈夫なのか。魔方陣を破壊する正式な手続きがあるのではないかと不安がよぎる。

 メリーは大きく首を振って頭から余計な考えを追い出した。力を振り絞り、ひたすら記号に傷をつけていった。

 魔方陣中央近くの記号を傷つけた時だった。魔方陣が突然真っ白に輝きだした。光は部屋中を埋め尽くし、ついには目を開けていられなくなった。

 光が完全に消えたとき、悪魔の気配は消えていた。メリーはリックとワードの方を見ると、二人は呆然と立ち尽くしていた。疲れているようだが、命に別状は無いようだった。そこでメリーの意識は途絶えた。


 メリーは居間のソファーの上で目を覚ました。リックとワードがメリーの顔を心配そうに覗き込んでいた。

「体は大丈夫か?」

 リックが尋ねた。

「少し体のあちこちが痛いけど、大丈夫みたい。リックさんは」

「俺も腕に怪我をしたが、それほど深くはないようだ」

「よかった」

 メリーは安心して、ワードの方を見た。

「ポールさんは?」

「私も大丈夫だ。かすり傷程度だ」

 ワードは口を開いたあと、少し下を向いてから、顔を上げて二人をみた。

「お二人さん。いろいろすまなかった。謝って許されるとは思っていないが、このようなことになってしまったのは全て私の責任だ」

 ここに来てワードが非を認めたことにメリーとリックは驚いた。二人は目を合わせた。

「私には学生寮をやりたいという夢があって、ここを始めたんだ。ところがここは曰くつき物件だった。なんとかチャックのような奴を何人も雇って対処をしようとしてきたが、うまくいかなかった。学生たちは次々去って行き、私はすっかりやる気をなくしていた。いつの間にか、何もかもどうでも良くなっていたんだ。でも今回のことで考え直した。また一からやり直そうと思う。それから、二年間の契約は無しにする。いつでも好きなときに出て行ってくれていいよ」

 ワードはそこまで言って泣き出した。メリーはこれですべてが終わったと心から安堵した。

 

 二週間後、メリーとリックはこの学生寮を後にした。出るまで時間がかかってしまったのはチャックの不審死の捜査で、警察にいろいろ付き合わされたからだ。

 ワードは二人が出て行った後、この学生寮を閉めることにした。またいつかどこかで、学生寮を開くのが夢だそうだ。

 リックは猫が飼える小さなアパートを見つけることができた。そこで絵を描きながら、子猫とじゃれあっているのが日課だ。

 メリーも家賃の安いおんぼろアパートを見つけた。そこから大学に通っている。至って平凡で退屈な毎日だが、メリーにはそれに勝ることはないように思えた。


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― 新着の感想 ―
[一言]  テンポのいい物語の運びと後味のいいエンディングを兼ね揃えた作品ですね。読んでなんだかスッキリしました。今後の作品も楽しみにしてます。
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