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第九話


 忍たちがK大へ地獄のドライブを敢行しようとしていたのと同じころ、ひとつの戦いが勃発していた。

 そこはK大でも劇場でもない。そう遠く離れているわけではないが、幽玄の暁が設置しているレーダーの圏内からは外れている。

 (不思議なことに)人気のまったく無い駅前広場で、悪魔に見込まれた不幸な二人の能力者が今対峙し、激しく火花を散らしていた。

「よーお、6番さんお元気そうで。武器も持たずに戦いに来るとは女のくせにいい度胸してんなぁ」

「そういうあなたも丸腰に見えるけど? 人のこと探る前に自分の頭の心配したら?」

 先手を打った男は黒縁眼鏡をかけた背の高い若者で、一見すると無個性だ。インテリには見えないが、間抜けというわけでもない。スポーツマン的な雰囲気もかもし出してはおらず、その身の内に何を秘めているのかまったく分からない。そんな彼の名前は加賀美優生、二十七歳の新米料理人だが……戦いの中では肩書きなどに意味はない。今の彼は一人の人殺しだ。

 対して『6番』呼ばわりされた方は青くひらひらしたドレスを着た小柄な女性で、盛った巻き髪といい、派手なメイクといい、どこからどう見ても仕事を抜け出してきたキャバ嬢だ。甲高い声は聞く者の心を苛つかせ、頭の悪そうなへらへらとした口元も嗜虐心をそそる。まるでカナリアだ、この女、花村いろはは。

 彼らは悪魔のスマートフォンでコンタクトを取り、こうして戦うことになった。メールを出してきたのはいろはの方で、その文面もかなり挑発的なものだった。『今時の若者』気質の優生はそれに敏感に反応し、こうしてのこのこ現れた、というわけだ。もっとも、自分の能力をきっちり見極め、勝算があってのことだろうが。

「んじゃ、始めますか」

 屈伸をしながら優生は言う。

「そんな下品な言い方ってないと思わない?」

「下品なのはお前の思考回路だと思うがな」

 舌戦はとどまるところを知らない。どうやら二人とも好戦的な性格のようだ。

 優生はポケットから何かの種子をいくつも取り出した。軽やかなアンダースローでそれを地面やいろはの眼前にばらまくと、呪文を唱える。

「わが魂は主を崇め、わが霊は救い主なる神を讃える。祈りよ、我に力を」

 途端、奇跡が起こる。

 小指の爪ほどの大きさにも満たなかった豆粒が、ぎゅぎゅぎゅと音を立てて弾け、眼にもとまらぬスピードで蔦を伸ばした。緑色の長い長い蔦には無数の棘が生えていて、ところどころに赤いバラの花を咲かせている。

「綺麗な花には棘がある。あんたみたいにな……あはは」

 地面の蔦はいろはの足を狙って這い、宙を舞う蔦は胴体を拘束しようと飛び交う。とっさに後ろに跳んでかわすが、優生はまたポケットから種を取り出した。小さな武器だ、ストックには事欠かないようだ。

「心にもないことを……」

 いろはは女っ気を捨てた舌打ちをし、鋭く優生を睨み付けた。それを受けて優生は満足そうに笑う。

 それは優越感からの嘲笑だった。

「スマホの番号から分かってるとは思うが、俺の能力は『世界』。物の成長や風化のスピードを速めるんだよ。だからこうやって」

 手のひらに残ったままの数粒の種子を、ぎゅっと握りしめた。小声で呪文を唱える。すると、灰が零れた。優生の指の隙間から、ぽろぽろ、ぽろぽろと。

「枯らすこともできる」

 不敵な笑みを浮かべる。それを見たいろはは嫌悪感に満ちた表情だ。生ごみを入れたごみ袋を見るような目。この平凡な男の何がそんなに不満なのだろう。あるいは、もともと男を馬鹿にするために生まれてきた女なのかもしれない。

 そんな視線など気にせずに優生は、誇らし気に告げる。

「俺に触られないようせいぜい注意するんだな。そのご自慢の美貌も、あっという間に婆さんの顔になっちまうぜ」

「自己紹介ありがとう。改めて思ったんだけど、自慢げに手の内をさらすなんて、やっぱりあなた馬鹿ね」

 くすり、といろはは嘲笑を浮かべた。優生は目に見えて嫌な顔をする。

 寒々とした空気が二人の間にある溝を、より一層深くしているように思えた。広場中央の噴水から噴出される水しぶきが、いろはのドレスを濡らした。白い肌が透ける。妖艶だ。この魔性の魅力で何人の男をたぶらかしてきたのだろう。

「じゃあ、次はこちらかしら」

「ふん。せいぜい頑張れよ」

 言って優生は余裕の表情だ。前屈の体勢をとって地面の石畳に手をつき、おもむろに呪文を唱える。

「――祈りよ、我に、力を!」

「また種かしら? それとも、新手? 今度は教えてくれないのね」

 動き出す風をにおわせておきながら動かないいろは。だが彼女の挙動を待つ優生ではない。能力を、行使する。

 優生が手をついた部分から、石畳が粉砕され、粉になる。風化範囲は深く、広くなり、猛スピードでいろはの立つ方へと向かって行った。巨大な亀裂。それが優生の生み出したものだった。

「足場を……崩す!」

 噴水広場にクレバスが完成。落ちればひとたまりもないだろう。しかも優生はこの石畳を修復することもできるのだ。挟まれれば、圧死する。

「あらあら、なかなかやるわ……ねっ!」

 さすがにいろはも本気を出してくる。ヒールの高い靴でよくここまで跳躍できるものだ。大きく背後へ跳ね、亀裂から身をかわす。

 細長いクレバスを挟んで優生といろはの間に距離ができた。十メートルといったところか。ぱらぱらと音を立てて石ころの破片が落下していく。着地音は聞こえない。

「……まだかしら」

 いろはは腕時計をちらちら見ながら何かを気にしている。

「何がだ?」

「こっちの話」

 つん、とそっぽを向いて、ドレスの胸元から短刀を取り出す。鞘から出すと、ぎらりと光る刀身が太陽の光を反射する。

「ははっ。そんなもので何ができるんだよ。自害か?」

「そうね……時間稼ぎ、かしら」

 意味深である。優生はそんないろはの曖昧な態度に苛立ちを覚え、また種を取り出した。ワンパターンな行動にいろははにやっと笑ったが、もう優生は気にしなかった。

 茨の鞭が幾重にも、いろはに襲い掛かる。今度は丸腰ではない彼女は、致命的な攻撃だけ短刀で砕いていった。

「ちょっと、あたしの肌に傷、つけないでよ!」

「あっそう。そんだけで売り物にならなくなる安い身体なんだな」

 せせら笑う優生。実際いろはは絶世の美女というわけではなかった。化粧と衣装でようやく美貌を保っている、そんな様子。コンプレックスを指摘されたいろはは眉間にしわを寄せ、狼のような目つきで対戦相手を威嚇した。

「あ、怒った? ごめんごめーん。謝ったから、これで許してちょ?」

「あんたは一番辛い方法で、殺してあ・げ・る!」

 口撃なら負けていない。だが、遠距離攻撃と短刀では圧倒的に分が悪い。勝負は見えているかのように思われた。


 しかしそのとき、状況が一変する。

 優生の背後――建物の影から、銃の発するような轟音が響いた。勿論音だけではない。攻撃力を伴っている、立派な発砲だった。

「遅いわよ、ゆーくん」

 いろはが不機嫌そうに言い放つ。影に立っていたのは、一人の警官だ。体格は良く、格闘家のように頑健に見えるが、非常にブルーな顔つきをしている。自殺志願者の、それだ。

 走ってきたのだろう。ぜえはあと荒い息をつきながら、警官は叫ぶ。

「……俺を、殺せっ!」

「ダメダメゆーくん、あなたはあたしの大事な人よ」

 まったくかみ合っていない、奇妙な会話。いろはは警官に色目を送るが、彼の憂鬱な表情は変わる気配がない。それどころか、いろはが口を開けば開くほど、絶望の質が強くなっていくように思える。

 優生は頭をぽりぽり掻いて、テキトーな口調で尋ねる。

「あのー。ご歓談のところ悪いんだけど、その人誰?」

「紹介するわ。あたしの大事な人、ゆーくんこと反町雄介ちゃん。可愛いのよ、夜なんておねだりの嵐なんだから」

「そんな事実あるかっ……!」

 恥ずかしそうな、怒っているような口調で雄介は叫ぶ。嗄れた声だ。疲労の色が見える。こんな身勝手で高慢ちきな女の相手は疲れるだろうが、殺せと懇願する異様な雰囲気、それだけが原因ではなさそうだ。

 不機嫌そうに口を尖らせて、いろはは言う。

「えー、だっていつも言うじゃない。俺を殺せ、殺せ、殺してくれって」

「それは……」

 雄介は顔を曇らせる。あくびをする優生。二対一になったところで、自分の勝利は変わらないと高をくくっているようだ。

 で、話は変わるけど、と前置きして優生は、

「どうでもいいけど、訓練が足りなかったんだろうな。確かに痛いけど、これじゃかすり傷だぜ、せいぜい」

 と雄介を馬鹿にする。

 きししと笑う優生の言うとおり、銃弾は肩の服あたりをかすめただけだった。これではいくら人殺しの武器である拳銃を使っても、弾の無駄使い、宝の持ち腐れだ。

 だがいろはは余裕の表情。華麗にウィンクし、甘い声で優生に呼びかけた。

「じゃあ、痛い目見てみる?」

「……なんのことだ?」

 いろはは指をぱちんと鳴らし、呪文を紡ぐ。

「ぐるり地球を一回り! ゆーくん、お願い!」

 すると今度は雄介が呪文を口にする。だが、それは誰かに――恐らく、いろはに――操られているかのような奇妙な声色だ。

「これ、か、らは……一人ぼっちで、いられるように、し、よう」

 途切れ途切れの言葉。優生はそれを嘲笑ったが、次の瞬間そんなことをしていられなくなった。

 銃弾がかすった右肩に、強烈な痛みが走ったのだ。

「ぐ……ぐあああああ!」

 かすり傷のはずだ。

 それなのに。

 焼けるように痛い。傷口に直接、熱した鉄の棒を押し当てられているかのような激痛。

「てめえ……何をした……」

 息も絶え絶えに優生はそう言って、目の前の女を睨み付ける。

「痛・覚・操・作」

 語尾に星マークが付きそうなぶりっこ口調で、いろはは言った。

「ゆーくんの能力はねぇ、痛みのすべてを操作するものなの。痛いのを我慢するのも、指先を切ったのを拷問みたいな地獄に変えることも、余裕、余裕なの!」

「くそっ……」

 最後の言葉は雄介のものだった。いろはのために能力を使うことが、苦痛で仕方がないような声。

 優生は倒れ込み、激痛にのた打ち回る。そんな彼のもとへいろはが一歩一歩近づいて、心底幸せそうな笑みを浮かべた。

「でねー、あたしの能力が、異性……だから、男の人を操る能力なの。ちょっと手順がいるけどね。あなたのこと操ってもいいんだけど、タイプじゃないから殺しちゃうわ」

「待て、待てっ……やめ、ろ……」

「だーめ。あたしの寿命、あと三日しかないの。切羽詰ってるのよ、分かるでしょ?」

 短刀がきらきらと煌めいている。この凶器がもうすぐ、優生を殺すのだ。それを理解した彼は初めて、怯えの感情を抱いた。


 死ぬ。

 死んでしまう。


 言ってしまえば当たり前のことだが、優生はこの戦いに巻き込まれてから二か月間、無敗記録を誇っていた。もっと殺傷能力の高い能力にも勝った。もっと身体能力の高い相手も殺した。それなのに、こんな『雑魚』に、最期を奪われるなんて……。

「ぐ……あ……やめ……ゆるし……」

「死ね」

 低い声でそう告げると、いろはは優生の眼鏡を振り払い左の眼球に短刀を突き立てた。実はこのコースが、脳に直結しているのだ。

 それっきり、優生は生意気な口をきかなくなった。いろはは非常に気分がいい。口笛でも吹きたい心地だ。歯を見せてにいっと笑い、優生の死体を足蹴にする。

 一方の雄介は、かがみこんで顔に両手を当てている。また人を殺してしまった。間接的にとはいえ、自分のせいでまた一人死んだのだ。こんなはずではなかったのに。


 いろはと雄介の出会いは、場末のキャバクラだった。値段を見て、雄介はいろはを指名した。それが終わりの始まりとも知らずに。

 アフターがいけなかったのだ。唇を重ね合い、体液を交換することでいろはは男を支配下に置く。キャバ嬢という職業は、いろはの能力にとってうってつけの天職だった。

 雄介の絶望もどこ吹く風で、いろははスマホを取り出した。画面の端には6というシリアルナンバーが表示されている。勿論雄介が12番だ。幽玄の暁のレーダーに引っかかった二人というのは、彼女らのことだ。

 そんなことはつゆ知らず、二人は獲物を漁り続ける。一人は命のために。もう一人は命令に逆らえず。

「次はゆーくんに殺させてあげるからね。まだ寿命残ってたよね?」

「……言いたくない」

「言いなさい」

 有無を言わせぬ強い口調。雄介は逆らえない。

「……一週間」

「よろしいよろしい。素直な子はいろは大好きよ! たっぷり寿命が残ってる人、探しましょうねー」

 雄介はぼろぼろと涙をこぼしていた。もう、嫌だ。自分の意思に反して人を殺すのは、こりごりだ。自分は人を救うために警官になったのではなかったのか。この拳銃は人を守るためのものだ。何もかもが間違っている。

 だが、その悲痛な叫びはいろはの耳には届かない。

「ふー……二人分の寿命を確保するってのも大変ね。次は誰にしようかしら」

 溜息混じりにそう言っていろははスマホを操作する。画面に表示されているのはアドレス帳だ。慣れた手つきでリストをスライドさせ、次なる獲物を探す。

「弱そうな奴、いないかなぁ……」

 冷たい風が吹いていた。凍える雪も降りだした。冬は本格的に新宿の街を染め、凍てつく空気で人々の心までも凍りつかせようとしている。

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