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第七話

 対峙する忍、そら、謎の青年。忍は駄目でもともとのがけっぷち交渉を持ちかける。

「……悪いが、ここで死ぬつもりはない。帰ってくれないか」

「やっぱり、そうだよな……じゃあ」

 帰ります、と続くわけがない。青年は右手に持っていた鞄から出刃包丁を取り出すと、全速力で忍に突進してきた。

 ――後ろには、そらが立っている。

 避けられない忍は左腕を体の前に構えて心臓を守った。とっさの反応で自分ではなく相方を守る、というのはなかなかにできるものではない。とにかく忍はそらが大切なのだ。自分の居場所を守ってくれる、いや、居場所そのものとも言える相方、そらが。

「つうっ!」

「忍!」

 激痛に叫び声をあげる。だが誰も助けには来てくれない。劇場の中にいるはずの芸人仲間が駆けつけることもなく、いつもなら絶えることのない通行人も顔を見せない。『偶然』だ。グラシャラボラスはこのゲームに、徹底した狂信を注いでいるらしい。

「……ごめん」

「だから来るなって言ったろうが」

 強い口調で吐き捨てる。忍は本気で怒っていた。そらの危機感の無さにも、自分の油断にも。人一人を守りながら戦うということがこんなにも大変などと、想像もしていなかった。そういえば六輔はあのとき、『戦車』の少女と戦ったときには、忍とそらの二人を同時にかばいながら戦ったのだ。どんな戦闘センスをしているのだろう。

「……大人しく殺されてくんねえかな。これ以上痛くしねえから」

「ふざけるな、誰が」

 近接していた青年に蹴りを入れる。腕の傷の痛みのせいで本気は出せないが、距離は取れた。気を付けていれば、もう包丁は届かない。だが青年はまだ焦った顔をしていなかった。

「……勝利を公平に分けぬ神よ、姑息な手段で我に勝利を」

 彼がそうぼそりと呟くと、忍の足元の影が動き出す。ぐにゃあっと捻じれたかと思うと、地面から離れて持ち上がる。手に当たる部分が忍の足首をがっしりと掴み、動きを封じた。

「しまった! ……影使いか」

 自分の影、分身に裏切られる。そんな屈辱が物理的な攻撃とともに忍を襲う。蹴飛ばそうとしても足は動かないし、かがんで影の手を叩きつけてみても、実体のない影はすり抜けてしまう。

「忍、光!」

「そら?!」

 忍の声を聞かず、そらは一目散に劇場の中へと駆け出して行った。逃げたのか。いや、違う。そらは『光』と言っていた。何か考えがあるのだろう。

「……これで一対一だな」

「俺の相方なめんなよ。あいつはできる」

 戦いに来るな、と言っておきながら、結局頼っている現状。……不本意だが、支えがあるとないでは大きな違いがあるのは事実。忍は足を影に囚われ仁王立ちを強いられながら、そらの助けを待った。

「……ま、俺はさっきの奴を待つ義理はないけどね」

 青年はぼそぼそと呪文を詠唱し始めた。また影か、と対策を考えていた忍だったが、今度は予想だにしない攻撃が飛んできた。

 離れて立つ二人の間に浮かんだのは、炎。

「……は?」

 影と炎。まったく関係性は感じられない。こいつの能力はなんなんだ。頭の中を疑問符が駆け巡る。

「焼け死ね!」

 青年が腕を振ると、不定型な炎は火の玉となり、忍めがけまっすぐ飛んできた。

「……避けられないっ!」

 野球ボール程度の大きさがある火球が忍を襲う。『戦車』の少女のスピードとまではいかないが、動きを封じられた忍にはかわすことは不可能だ。それは忍の右胸に勢いよく衝突した。

「ぐああっ!」

 猛烈な熱と痛みが右胸を中心として走る。これが心臓の位置に当たっていたらどうなっていたことか。立っているのさえつらいほどの苦痛だが、幸か不幸か足を押さえられているせいで倒れることはできない。

「……大人しく死んでくれよ」

「まだ……まだだ」

 こんなところで死ぬわけにはいかない。まだ、やり残したことはたくさんある。幽玄の暁が何を考えているかも知りたい。殺人鬼を野放しにするのも気が引ける。紘の死因だって追わなくてはいけない。そして、そら。互いを大切に思いあっている自分たちコンビは、二人で一つだ。勝手に欠けるわけにはいかないのだ。

 と、そのとき。劇場のドアが勢いよく開き、中からそらが飛び出してきた。

「持ってきたよ!」

 そらが手に持っていたのは、コントの小道具として使われることのある大型の懐中電灯だ。素早く忍に駆け寄って、足元を照らす。途端影は消え失せ、拘束は解けた。

「さんきゅ」

 げほげほと咳をしながら忍は言った。そして二度と影の攻撃を受けないように、もっと大きな影……建物の影に隠れる。

「役目は終わったんだから、引っ込んでろよ」

 背後に立つそらにそう言うが、そらは首を横に振る。

「また助けが必要になるかもしれないでしょ?」

「……お喋り、終わった? つーかどっちがスマホの持ち主かよく分かんねー」

 青年の言葉に肝が冷えた。……そらが狙われる。確かに考えてみれば、自分はまだ相手の前で能力を発揮していない。これでは非能力者だと疑われても当たり前、立場はそらと変わらない。

 そして奇妙だと思ったのは青年の豹変ぶりだ。出会った時は顔面蒼白、今にも死に絶えそうな風貌だったのに、今では余裕綽々の肉食獣面だ。ターゲットが雑魚だと分かって安心したのだろう。

「まあ、いいか。どっちも殺すつもりでかかる、ってのも手だしな」

「……そうはさせるかよ!」

 忍は即席ブラックジャックを入れたズボンのポケットに手を入れる。そして、大きな影になっている箇所を選んで走り、青年に接近した。相手は遠距離攻撃を持っている上、こちらの武器は硬貨入り靴下だけ。無謀でも近づくしかない。

「あ、こっち来んの?」

 面倒そうに青年は言うとファイティングポーズを取る。ボクサーか何かのつもりか。忍はそのふざけた態度に苛ついて、こいつを絶対にぶちのめしてやろうと心に決めた。

 だが、そうはならなかった。

「……勝利を」

 呪文の最後の一節だけ聞こえた。また能力を使ってくるらしい。近距離からの炎弾か。いや、違う。青年はただ拳を突き出してくるだけ。

 それだけなのに。

「ぐふぉえっ!」 

 ぶち当たったパンチ一撃が猛烈に重い。次に繰り出されたキックは鉄パイプを叩きつけるような衝撃だ。今度は青年の怪力が忍を追いつめる。明らかに常人のそれではない。プロのボクシング選手ですらこんなパワーのある攻撃は繰り出せないだろう。ポケットに入れていた手はいつの間にか無意味に宙を掻き、ブラックジャックに詰めていた小銭はばらばらと道路に飛び散った。

 敗北だ。

 青年はゆっくりと歩き出し、忍の頭の横に立って、その無様な顔を見下ろす。悔しさに覆われた忍の脳が、あの疑問を反芻した。

「おかしいだろ……能力は一人一個までじゃないのかよ!」

 そう言うと、青年はああ、と思い出したようにぼんやりと呟き、無表情に言った。

「教えてやる義理、ほんとは無いんだけどさ……俺の能力は0番、まっさらな愚者の、コピーなんだよ」

「は……?」

「ま、そのためには一回その攻撃を喰らわなきゃいけないんだけどな。きつかったよ、火の玉も、パンチも、影の攻撃も」

 卑怯だ、と思った。自分の能力よりあまりに殺傷能力が高いではないか。いくら『攻撃を喰らう』というリスクがあるとはいえ、その条件さえ満たしてしまえばどんな能力でも使い放題。これでは到底勝てるわけがない。

「さて、まずはあんたから……」

 青年は両手を目の前に掲げ、巨大な火の玉を生成する。……これを直接忍にぶつけるつもりなのだろう。立ち上がる力もないので這いずって後ずさるが、無駄なあがきだ。

「俺の寿命のために、死んでくれっ!」

「忍っ!」

 忍はとっさに目を瞑る。自分は死ぬのだ、と悟った瞬間だった。走馬灯は浮かばなかった。大した思い出もない一生だったのかもしれない。

 だが……運命はまたも忍を裏切った。

 爆発音が、響き渡る。

 熱さがない。痛みもない。

 ゆっくりと、目を開ける。

 そして、そこには。

「あ……」

 腹に大穴を空けた、大好きな相方が立っていた。

「しの……ぶ……」

 途切れ途切れの声。それは彼の命がもう永くないことを暗示している。

 飛び散った内蔵の欠片と血液が忍の顔面に降り注いでいた。鉄臭い。人間は所詮血を詰めた肉の袋に過ぎないという誰かが言った言葉を思い出させる。

 事態を理解するのに、そう時間はかからなかった。かけていられないのだ。

「そら……そらぁ!」

 痛む身体に鞭を打って跳ね立ち上がり、倒れかかったそらを抱きかかえる。最期を迎えようとしている彼は、微笑んでいた。悲しい色を湛えた笑み。

「しな、ないで、ね……ばい、ばい」

 そらはゆっくりと瞳を閉じて、静かになった。手を取ってみると、無情なことに既に冷たい。脈動は……当然、感じられない。

 壮大な喪失感が忍に降りかかる。


 死んだ。死んだ。死んだ。

 そらが死んでしまった。


「あれ……寿命増えない。こいつは持ち主じゃなかったのか」

 一方の青年は呑気にスマホを確認しながら、舌打ちをしている。

「だま……れ……」

 忍は静かにそらの死体を横たえながら、憎悪に満ちた声で青年に言った。

「は?」

「それ以上喋るなっつってんだよ」

 修羅のような充血した瞳で睨み付けて、右胸から血をだらだら流しながらも臆することなく言葉を絞り出す。忍は本気でキレていた。

「俺は悪くない。こんな……こんな危ないところにのこのこ出てくる一般人の方が悪いんじゃないか、お前だってそれは分かるだろ……?!」

 忍の覇気に当てられた青年は少し怯えた様子でそう言ったが、忍の怒りは収まらない。

「……うるさい」

 二本の足は震えていた。恐怖ではない、この情動は。

「この、人殺しが!」

「人殺し、って……これ、そういうもんだろうが」

 青年の唇が素早く動いたかと思うと、また火の玉が飛んできた。今度はみぞおちにヒット。ぎりぎりの矜持で立っていられるが、その隙に接近してきて右ストレートを食らうと今度は我慢できずに倒れ伏してしまう。

「ぐはっ……!」

「馬鹿が相手でよかったよ」

 またも無様に転がった忍を能力の入っていない素の力で蹴飛ばし、青年は言う。

「ゲームに参加させられた時点でそうなっちまったんだから、仕方ないだろ? 適応できないお前は死んじまえよ!」

 もとから動かない伸びきった四肢を影で縛られて、どうにも身動きが取れなくなる。完全に詰みだ。それなのに諦めきれなくてぼそぼそと恨みの言葉を口の端から漏らしているが、何の役にも立たない。

 今忍は身も心もぼろぼろになって、地面に転がっている。アスファルトが妙に生暖かいのは、自分の身体から流れている血のせいだろう。

「そーいや、そだな。お前の能力まだ見てねーわ。俺のものにしたいし、一発当ててみろよ、な?」

 馬鹿にしきった口調で忍をあざけり、顔を覗き込んでくる。だが、その挑発が忍の頭に最後のチャンスを思い出させた。


 まだだ。

 俺には『能力』が残っている。

 やり直せ。


 これこそがカラクリ仕掛けだと、先輩の声が聞こえてきたような気がした。苦しんでいるんだからきっと幻聴だ。

 身体が動かせないままで忍は頭を回転させ、最善の選択を今のうちに練る。時間は無限にあるのかもしれないが、そのたびにそらが死んでしまうのでは遣る瀬無い。

 だんだんと身体から血液が減っていく。くらんだ頭でようやく答えに辿り着いたため、忍は能力を使う覚悟を決める。

「……使ってやるよ」

「お、何々? せいぜい逆転してみろよ」

 忍はこの戦いの中ではじめて笑った。にやりと、唇の端を吊り上げて。その不敵な笑みに青年は気付かない。ただ慢心するだけ。

「賽は、投げられた」

 途端、視界がぐるりと回転する。

 そこからはあまり覚えていない。これが『時間を戻す』という感覚なのだろう。不思議なことだ。


***


 ふっ、と飛ばされてきたように劇場廊下に立っている。

 酔いや眩暈のような不快感はない。痛みも残っていない。ただ時間だけが戻って、あの忌まわしい記憶を継続している。

 そらが死んだ。二度と繰り返してはいけないあやまち。

 この道をもう一度通らないためには、なりふり構っていられない。

 今、時間軸的には、グラシャラボラスから例の電話がかかってきた直後かと思われる。

 その証拠に……グラシャラボラスからの着信履歴が残っている。

 ――リダイヤル。

『……はーい、ゲームマスターです。忍さん、どうしたの?』

「……人払いを頼む」

 そんなことをわざわざ頼まなくても、誰も戦いを見に来ないことは『経験上』分かっていた。それでも、忍は自分が今からすることを誰の目にも触れさせたくなかった。

『……ようやく乗り気になってくれたんだ』

 嬉しそうな声でグラシャラボラスは囁いた。忍は届かないと知っていながら首を横に振った。違う、違うのだ。自分は、ただ。

「誰も寄せ付けず、誰にも見られないようにしてくれ」

 否定の言葉を口にできない。ただ、戦いの用意をするだけ。

『かしこまりました、ご言いつけ通りにー』

 電話を一方的に切る。『前回』通りにそらがトイレから戻ってくるが、無視。楽屋に飛び込み、転がっていた誰かの金属バット、靴下なんかよりもっと殺意のこもった武器を拾い上げ、走り出した。目指すは0番。

 善意だけでは、守れないものがある。

 それが分かったことだけなら、一度そらを殺したあの青年に感謝してもいいかもしれない。だが、感謝、するだけだ。それ以上のプラスはない。


 奴を殺さなければ、すべての未来は閉ざされる。


***


 劇場を出る。目の前には見覚えのある光景。憎むべき男。

 殺す。

「お前……ごめん……死んでくれる? 俺、もう……」

「うおおおおお!」

 時間を戻す前と同じ台詞。それを言い終わる前に忍は青年に走り寄り、殴りかかった。

「ちょ、ま、待て」

「死ね!」

 バットを大きく振りかぶる。ひゅん、と風を切る音がして、勢いの激しさを物語る。

 そして。

 ごす、ごす、ぐしゃっ!

 何度も何度も執拗に、バットは青年の頭部に叩きつけられた。

 能力を使う暇もない。きっと青年は何が起こっているのか理解できないまま暴行されていたのだろう。毛髪が切れ、血が飛び散った。モノが壊れる音。それはひどく耳障りで、嫌気がさす音だった。

 それが何十分続いただろうか。

 忍が我に返ったときには……青年は息をしていなかった。いや、それどころではない。

 バットが折れているのは強すぎた衝撃の現れか。頭蓋骨が割れて脳みその欠片が飛び出している。鼻は潰れ、歯も無残に折れて呼吸なんてできるはずがない。バットの破片が飛んで突き刺さったのか、右の眼球がいかれていた。

 青年の頭部は完全にぐしゃぐしゃになっていた。大して端正ではなかった顔が、さらに見るも無残なことに。

「俺が……人殺しに……?」

 理解できない。自分のやってしまったことを。自分が最も嫌悪していたことに、とうとう手を染めてしまった。しかもそれは己が己の頭で計画してやったことなのだ。意識がもうろうとしていたときのこととはいえ。それは一介の芸人に過ぎない忍にとってはあまりに重すぎる十字架で。

「ううう……うああああああっ!」

 忍は自分がやったことの罪悪感に押しつぶされて、狂気の絶叫を上げた。それはいつまでもいつまでも続いたが、グラシャラボラスのおかげで誰かがそれを聞きつけることはなかった。

 ただ一人、忍の力で救われたそらだけが、悲しそうな目をして叫ぶ忍の後姿を、劇場の出口からじっと見つめている。


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