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第六話


 次の日は、仕事だった。

 忍たちのねぐらとも言える新宿アンダーザグラウンドは二階建ての巨大劇場で(名前ののくせに地下階はなかった)、一階が売店と、若手のための小規模な舞台、そして二階が大御所や人気芸人のための大型ホールになっている。アールオーシーの出番があるのは一階だ。客層の九割は若い女性で、イケメン芸人の顔ファンも多い。紘も一階層の住人だったが、彼にも顔ファンが付いていた。甘いマスクとまではいかないものの、人好きのする笑顔が人気だったらしい。

 六輔に『DEATH』の話をされてからずっと、胸の内に不安が渦巻いて仕方なかった。あの後結局、口先では『能力による大量殺人』の可能性を否定したものの、実際のところは半々の気持ちで六輔の言葉に怯えている。

 もし彼の言っていたことが本当だとしたら……近いうちに、この街は大変なことになる。スマホの数から簡単な推測をすれば、実に二十二人の超能力者がこの辺りにはびこっていることになるのだ。そのうちどれくらいが『戦車』の少女のように邪悪な心を持っているのだろう……。

 日本の法律では、再現不可能な方法での殺人では罪を立証できなかったはずだ。だとしたら、彼らは罪を犯し放題。……この前の六輔の殺人のように。

 忍は、怖かった。殺人鬼の渦に放り込まれることも、自分がその仲間入りをすることも。六輔から渡された靴下を手放せずにいたが、あれ以来自分の靴下を見るのに嫌気がさして、冬だというのにサンダルを履いている始末。周囲の芸人仲間からは笑われたが、構うものか。お前らが履いているその間抜けな靴下は殺人道具なんだぞ。よっぽどそう言ってやりたかったが、頭がおかしいと思われるのがオチなのでぐっとこらえた。

「ねえねえ忍」

「……ん? なんだよ」

 舞台袖でそんな考え事にふけっていると、不意にそらが声をかけてきた。不安が雲散霧消し、少し楽な気分になる。

 そらはにぱぁっと笑って、いいこと思いついた、と言うと忍の耳元で囁いた。

「今日もし滑ったらさぁ、『運命』の力で時間巻き戻して、違うネタやろーよ」

「アホか」

 忍は半分本気でそらの頭をこづく。

 ちょっとは魅力的なアイデアだが、そんなしょぼいことに能力を使うのは非常に気が引ける。殺人のために与えられた力なのだ。拳銃でプチプチマットに穴を開けるようなものだ。

「なんだよー。だってさー、能力を試すいい機会にもなるじゃん」とそらはうそぶく。

 そうなのだ。

 忍はまだ、自分の能力を試していなかった。 

 DEATHの話をされた後、忍はなかば逃げ出すように『幽玄の暁』の部室を飛び出した。まだ説明することがある、と言う六輔の制止も聞かずに。きっとそのうちには、能力の使い方についての講釈も含まれていたのだろう。だが、忍はそれを聞かなかった。怖かったから。

 時間を戻す。その力にはどんな可能性が秘められているのだろう。殺し合いを推奨するゲームだ、すべての能力に致命的なレベルのポテンシャルがあると考えても不自然じゃない。そらの言うとおりに身近な失敗をやり直すことも、人一人を殺すことに能力を行使することも、重さは同じ。そう考えると身が震えた。

 と、そうこうしているうちに二人の出番が来た。お気に入りの出囃子が鳴り響き、舞台上にスポットライトが明滅する。

「……行くか」

 そう、ぽつりと呟いて、一歩踏み出し駆け出した。

 胸の内に暗雲を抱えたままで。

「はいどーもー、アールオーシーですー」

 まばらな拍手に迎えられ、二人は舞台へ走り出た。相変わらず客入りが少ない。虫食いのように席に穴が空いている。いや、逆か。まっ平らな客席の海にぽつんぽつんと人が浮いている、そんな印象。平日の昼間だということを抜きにしても、この少なさはあんまりだ。他の芸人目当てで来たらしい暇そうな女たちがあくびをし、アールオーシーのファンである二、三人の女子高生がきゃあきゃあと黄色い歓声を上げる。

(命があと二週間しかないって言うのに、仕事はいつもと変わらないんだな……)

 忍はぼんやりとそんなことを考えながら、呼吸をするかのように漫才の台詞を紡ぎだす。要所要所で笑いが起き、ああ、今日のネタ選びは成功だったと安心する。時間を戻す必要はなさそうだ。

「――だから僕、ヒーローになりたいんだよねぇ」

「それさっきも言ったよ! 今までの感じから言って無理だろ!――」

 そらがボケ、忍がツッコミ。それがアールオーシーのスタイルだ。基本的な漫才を得意としているが、これといった個性がないのが悩みだ。模索中、といったところだろうか。

 舞台の上に立つと人間は結構汗をかく。緊張は勿論だし、照明の熱も意外と熱い。しかし忍がだらりと背中にかいている汗はそのどちらのせいでもなかった。

 頭の片隅を閉めているのは、ゲームのことだ。いや、ほとんどと言ってもいい。今の忍は本能だけで、暗記した台詞を吐き出している状態だ。そんな適当な漫才でも笑いが取れるのは、ひとえにそらがいつも通りにボケてくれているおかげだろう。

 プロ失格かもしれない。だが、人間としては正常な反応だ。

 こんなことをしている場合じゃないだろう? 自分の寿命を延ばすため、街にはびこる殺人鬼を探すため、もしかしたらこの戦いに巻き込まれて死んだのかもしれない紘の仇を取るため、何か動き出すべきなんじゃないだろうか? 無意識下で沸騰する感情が蒸気を吹き出し、表層意識にまで影響を及ぼす。

 そして、漫才も中盤に差し掛かった頃。

 突然……ポケットの中、ずしり、と重い感覚が走った。

(……は?)

 明らかにこのプレッシャーを伴った重みは、あのスマホのものだ。

 これは大事なものだと念を押して、マネージャーに預けてきたはずだ。なのに、どうして。

 始めに受け取ったときと同じように、ワープしてきたということか。なぜ。どうやって。

 舞台上で他の参加者から電話がかかってきたら、どうする。言い訳は効かないぞ。その時こそ時間を巻き戻すか? いやいや、そんな問題じゃない。今度は焦りが脳内を支配し、漫才どころじゃなくなる。

「忍……どうしたの?」

 客に聞こえない程度の小声で、そらが囁いた。忍の様子が豹変したのに気付いたのだ。

「……なんでもない」

「大丈夫?」

「漫才、続けるぞ」

 そらの言葉でなんとか意思を繋ぎ止め、勇気を振り絞って漫才に戻る。幸い客にはやり取りは聞こえていなかったらしく、怪しまれることはなかった。もっとも、二人のネタなんて大して聞かれていなかった、ということなのかもしれないが。

 そらがボケる。忍が突っ込む。漫才は、続く。こんな悲壮な状況でも、二人は精一杯ネタを披露し続けた。それはある意味滑稽で、きっとどこかで観ているはずのグラシャラボラスを愉しませたであろう。

「――いいかげんにしろ!」

「どうも、ありがとうございましたー!」

 そうして波乱に満ちた漫才は終わる。スマホが音を立てることはなかった。忍は肩の荷が降りてどっと疲労を感じ、いつもより重い足取りで舞台をはけた。出てきたときと同じく、まばらな拍手に送られて。

「終わった……」

 危機が去り脱力状態の忍。そらはトイレに行ってしまったので、今は楽屋へと向かう廊下を一人だ。とぼとぼ歩き、これからどうしたものかと思い悩む。

 情報は、ほしい。だが『幽玄の暁』には戻りたくない。……六輔と連絡を取るくらいならいいかもしれない。そう思って、恐る恐るスマホに手を伸ばしたとき、聞きなれたメロディーが先手を打ってきた。

「……電話か?」

 一体、誰から。着信画面を見ると15番と表示されていたので、どうやら六輔ではないらしい。もしや、他の参加者からの決闘申込みか。そう推測すると怖気が走った。まだ何の準備もできていない。

 取るか、無視するか。

 忍は前へ進むことを選んだ。

 通話をタップ。素早くスマホを耳に当てる。

 はじめに聞こえてきたのは、甲高い笑い声だ。

『びっくりした?』

「てめえ……!」

 電話の相手はグラシャラボラスだった。

「さっきのはお前の仕業か!」

 忍は激情にかられて叫んだ。当然、怒りの内容は、ポケットにスマホを入れられた、冗談では済まない悪戯のことについてだ。

 だが悪魔は澄ました音で口笛を吹き、悪びれず言った。

『だって忍さん、ゲームに参加する気がないみたいなんだもん』

「なんだと……?」

 図星、というほどではなかったが、忍の態度を観察していればそうとられても仕方がない。暗号を解くのも人任せで、戦いを前にしてもがたがた震えているだけ。チャンスを前にしても、動けない。これではせっかちな子供に急きたてられても当たり前だ。

「当たり前だ。人殺しなんてさせられてたまるか」

『そのせいで、二週間後に死ぬことになっても?』

「……それが運命なんだろ? お前はそう言った。なら、受け入れるしか……ない……」

 歯切れの悪い最後だった。それがかっこ悪い気がして、そのまま電話を切れなかった。だから悪魔はけらけらと笑い殊勝な青年を馬鹿にする。

『あ、もしかして今の『運命』のアルカナを割り振られたことにかけてる? かーっこいーい』

「黙れ!」

 隣を通り過ぎていく他の芸人が怪訝そうな顔をして、怒鳴る忍を眺め、やがて遠ざかる。そんな些細なことを気にしていられない忍は、電話の向こうにいるグラシャラボラスに怒りをぶつけ続けた。

「お前のせいで、何人の人間が死んでると思ってるんだ」

『だから本当の原因は神様が決めた寿命だって』

 うんざりしたような口調。恐らく何度も同じことを参加者に言われたのだろう。

「違う! お前が俺たちを弄んでるんだ!」

『もういいよ。うるさいな』

 少し機嫌を損ねたようにそう言うと、グラシャラボラスは地獄の底から響くようなおぞましい声で忍に脅しをかけた。

『あのさ……今日みたいなことはもうしないけど、忍さんは絶対に僕から逃げられないから。そこ、覚えといて』

「おま、え……」

 ぞくり、背筋に氷を押し当てられたような。それはそんな感覚だった。

 15番――DEVILの番号からかかってきていることが示すように、こいつは紛れもない悪魔なのだ。たった一言で人一人を恐怖のどん底に突き落とすことぐらい、赤子の手をひねるように簡単だ。いくら外見と精神が子供レベルとはいえ。

 また小馬鹿にした笑い声を立てて、グラシャラボラスは言った。

『そんなこと言ってるうちにさぁ。表に出てごらん。他の参加者さんがお待ちかねだよ』

「他の参加者? ……どうして、俺の居場所がそいつに分かるんだ? どうせブラフだろう」

 弱虫のくせに、精一杯の虚勢を張って悪魔に立ち向かう。勝敗は、とっくに見えている。

『その人、困ってるみたいだから、教えてあげたんだ』

 ゲームを円滑に回すためにね、と吐く悪魔。

『僕はゲームに介入しないとは一言も言ってないよ。ゲームを面白くするためなら、何だってするさ。その代り、フェアにはする予定。だから忍さんにもこうして参加者の接近を教えてあげたし、そもそもこの人に忍さんの居場所を教えたのも、ランダムに候補者を選んでのこと。ピンポイントに意地悪したわけじゃないよ』

 忍さんもこのサービスを利用したいならどうぞ、と悪魔は続けた。

 そのとき、忍の心に一つの疑問が浮かんだ。それは最初は小さな傷のようなものだったが、違和感を感じたがために急速に傷口は広がり、流れる赤い液体が好奇心という器を満たす。

 じゃあね、と言って電話を切ろうとするグラシャラボラスを慌てて引き止め、忍は訊いた。

「一つ、聞きたいことがあるんだが……」

『なあに? 内容によっては答えてあげる』

 きっと悪魔は電話の向こうでにこにこしているだろう。ようやくこの男もゲームに興味を持ってくれた。じきに適応していくに違いない。多分そんな感じだ。

 悪魔の目論見はほんの少しだけ外れる。忍の疑問というのはこうだった。

「都合が良過ぎるだろ……この街にばっかり、ゲームに参加資格のある、寿命の短い若者が集まってる、だなんて」

『ふむふむ』

「とぼけるな。やっぱりお前が仕組んでんじゃねえのか? 寿命を」

 なるほどねー、とつまらなそうにあしらおうと悪魔だが、それ以上喋ろうとしない忍に本気の迫力を感じたのか、真面目な返答をこしらえる。

『とんでもない誤解だよ、忍さん』

 一拍置いて、ふっ、と笑い声を立てた。

『僕は……導いているだけさ。運命に抗うだけの資格を持っている人物をね』

「……どういう意味だ」

『忍さんがもう少し生き残れたら、教えてあげるよ。ほらほら、外で人を待たせてるんだから、これ以上の無駄話はなし。続きはまた今度ね。ばいばーい』

 今度こそ電話は切れた。無情な電子音を立てるスマホを握りしめたまま、忍は棒立ちだった。他の参加者……能力を試してもいない状況で戦って、勝てるものなのだろうか。武器なんてポケットに入っている鹿野から貰った靴下だけである。このまま裏口からばっくれるか、楽屋に閉じこもっていたかった。

 と、そのときそらが忍の元に駆け寄ってくる。

「忍、ただいま。……どうしたの? ぼんやりして」

「……グラシャラボラスから電話があった」

「ええっ!」

 口に手を当てて、女のような仕草で驚くそら。もうそんなものに突っ込んでいられない忍は、静かな怒りを胸に秘めたまま、続ける。

「外で対戦相手が待ってるんだと。引きこもった方がいいかな」

「駄目だよ、忍」

 怒ったような声。

「どうして。俺は弱いんだぞ」

「……もしその人が鹿野さんの言ってた、大量殺人鬼だったら、どうするの」

 そらの言葉に、はっ! と頭が覚めた。その可能性は考えていなかった。もしそうだとしたら……大勢の人で賑わう劇場前通りで毒ガスを散布されたりしたら、大惨事になる。半分は、戦いを恐れ逃げ出した忍のせいで。

 もう追い詰められているのだ。選択肢なんて、はじめから存在しない。戦うしかないのだと気付いたときには、忍の目は靴下に詰める何か固いものを探していた。

 劇場の出口近くに設置された、募金箱が見つかった。硬貨も一応金属だ。そして周囲には幸か不幸か誰もいない。……我に返ったときには、靴下一杯に十円玉や百円玉がぎっしりと詰まっていた。

「……行くんだね」

「お前が言ったんだろ」

 その言葉を捨て台詞に劇場から出ていこうとする忍に、そらが駆け寄る。驚いた忍は振り返る。そらは言った。

「――僕もついていくよ!」

 忍は目を丸くする。危機感がない人間だとは承知していたが、ここまでとは。

「駄目だ、危ない!」

「僕の知らないところで、忍が死んじゃうかもしれないなんて、ヤダ!」

 子供の駄々っ子。誰が聞いてもそうとしか思えないだろう。だが、そらの優しさにすがってこの業界で生き抜いてきた忍は、そらのわがままに弱かった。

「……今回だけだぞ」

「そんなことない」

「ある。せいぜい戦いの怖いところを見て、二度と来たくないと思わせてやる」

 自分で戦ったこともないくせに、忍はそんなことを言ってみせた。あまりに説得力のない台詞に、そらはくすりと笑ってしまう。馬鹿にされたような気分になって赤面した忍は、恥ずかしい気持ちを振り切るようにしてドアを開けた。

 劇場前の道路は意外や意外人通りはゼロで、ただ一人、鞄を持った青年が立っているだけだった。人がいない理由はグラシャラボラスの魔手だろう。

 青年はうつろな瞳を忍に向けてくる。どう考えても客ではない。こいつが電話で言っていた『他の参加者』か。

 彼はぽつりと言った。幽霊が喋るなら、多分こんな弱々しさと不安げな色を持ち合わせているだろう。

「お前……ごめん……死んでくれる? 俺、もう時間がないんだ」

 そう語る青年の顔は蒼白で、追い詰められていた。本当に後がない人間というのは、ここまで墜ちてしまうものなのかと、忍は思う。

 どくんどくんと心臓が高鳴るのがはっきりと分かる。そして相手の目の色が激しい黒に変わるのも。

 とうとう殺し合いに足を踏み入れてしまったそのとき、忍は案外投げやりだった。

 ああ、もう、どうにでもなるさ、と。




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