第五話
「それじゃ……なんだよ。悪魔の力を持った殺人鬼が野放しになってるって言うのか」
六輔の言葉に戦慄が走る。脳裏に、黒い翼を生やした禍々しい雰囲気の男が次々と人を切り裂いていく、そんなチープなイメージが浮かんだ。頭をぶんぶんと振り、なんとかネガティブな気持ちを打ち払おうとする。無駄だったが。
忍の問いに六輔はこくりとうなずき、垂れ下げた拳を悔しそうに握りしめ、声を絞り出した。
「僕たちにはこの殺し合いを……いかれたゲームをどうにかする義務があるんです。理由はまだ言えませんが」
「理由か……それは、いつ言える?」
「あなたが僕を信用してくれたころには」
忍は緊張のため、乾ききった唇を軽く舐めて潤す。六輔は何故だかこちらに絶対の信頼を置いているようだったが、忍にはそれが怖かった。もしかしたら、その信頼は信頼ではなくて優越かもしれないからだ。自分は彼にとって、いつでも捻り潰せる相手。掌の上で転がしている駒を恐れる者はいない。
「だから僕たちは戦わないといけない。責任が、ありますから」
「どうしてそれに俺が巻き込まれないといけないんだ」
不満そうに漏らす忍。
「巻き込んだのはグラシャラボラスです……と言っても言い訳ですよね。すみません。確かに殺人鬼探しを手伝ってもらうのは完全に僕たちのエゴですが、対価は利子を付けてお返しするつもりです」
勿論お金じゃないですけど、と付け加えて、六輔はスマホを操作し始めた。すっすっと指を滑らせ目的の画面を表示させ、それを忍たちに見せつけてくる。
彼が提示したのはアドレス帳だった。十番台が中心に表示されている。
「その殺人鬼が持っていると思われるスマホは13番。『死』です」
表記されているシリアルナンバーは13-03。メールアドレスにはなるほど「death」の五文字が含まれている。
「……前から気になってたんだが、その死とか運命とかいうのは何なんだ? Dコードと関係あるのか?」
ずっと気になっていた疑問を口にする忍。それを聞いて六輔はああ、とひとりごちてうなずいた。
「普通の人はちょっとぴんとこないですよね。丁度いいので、そういうことの説明も兼ねて僕たちのサークルにご案内したいんですが」
「……『幽玄の暁』か」
「ええ」
忍はごくりと唾を飲み込んだ。今のところ友好的ではあるが、いつ裏返るか分からない地雷原に飛び込むような嫌な気分。しかもこちらには武器がなく、そのことも相手に筒抜けになっているのだ。こんな最悪な状況があるだろうか。
「僕も行っていい?」
ぴょこんと飛び出してきたそらが尋ねる。相変わらず警戒心が無い。
「どうぞ。歓迎しますよ」
六輔はにっこりと微笑み、そらに手を差し伸べた。真っ白で綺麗な手で、切り傷ひとつない。血で血を洗う戦いの最中にいると言うのに、この優雅さはなんなのか。
死体がひとつ転がっている広場の真ん中で交渉をする三人。ふとこのシュールで異常な光景に気付いた忍が、おっかなびっくり少女の死体を指差す。
「なあ、これ……」
「ん?」
「死体。どうにかした方がいいんじゃないのか?」
ああ……とうんざりしたような声を出すと、六輔は首を横に振った。
「超能力による殺人は立証できなくても、死体遺棄は別問題ですから。不本意ですが、このまま置いていくしかありません」
「そんな……」
予想外に飛び出した非情な言葉に忍は息を詰まらせた。この青年は美しい見かけによらず、残酷だ。うつぶせになったままの死体が恨み節を上げているような気がする。
「さあ、急ぎましょう。悪魔の人払いも永遠じゃない。この光景が誰かに見つかる前に、安全圏へ行った方がいい」
「あ、ああ」
くるりと背を向けて早足で歩きだす六輔の後を慌てて追う。そらも続いた。
『幽玄の暁』ではいったい何が二人を待ち構えているのか。答えを知るには進むしかないし、人殺しを見てしまった以上最早後ろに道は残されていない。
***
K大キャンパス。時間は昼食時で、カフェテリアに向かう学生で廊下や中庭は溢れていた。
六輔に案内された『幽玄の暁』の部室は予想していたより狭くて小汚かった。
部屋の中央に置かれた丸いローテーブルの上には、怪しげな本やお札が散乱している。指さしてこれは何かと尋ねると、その辺に座っていた知らない部員から、分かる人にしか分からない物だという意味深な答えが飛んできた。彼は、優越感に浸ったような顔でにやにや笑っていた。自分の身の上――彼らが研究し、また部員の一人が巻き込まれている殺し合いのゲームに参加している、いわばライバルの一人だという情報は伝わっているのだろうか。歓迎されているのか馬鹿にされているのか分からなかった。
部員には男も女もいたが、誰も彼も陰気で不吉そうな顔をしていた。学校の教室での居場所は隅っこの角っこ……そんなイメージの奴らばかりだ。――忍は、学生時代の自分みたいだと思った。あんなネガティブな自分を変えたいからこそ芸人になってみたのだ。残念ながらあまり性格は変わらなかったが、そらとの出会いがあっただけでも十分な収穫だった。
部屋に窓は見えなかった。大量のロッカーや棚があったので、そのせいで隠されているのかもしれない。床の上も物置として有効活用されているようで、机の上と同じく本や雑貨が散らばっていた。
さて、周囲の人間に親近感を覚えたのはいいものの、相変わらず安心はできない。似た者同士だからとは言っても心根まで一緒とは限らないからだ。
「ここが、僕が属しているオカルト研究サークル『幽玄の暁』の研究室です」
そう、六輔は説明してくれる。
ありふれた部屋の中で異質なムードを放っているのが、部屋の一番奥に置かれた巨大なコンピューターだった。モニターが青白い光を放っていて、時折ぴぃぴぃと小鳥が鳴くような音を立てる。随分高級品のようだ。興味を抱いたそらが近づこうとすると、六輔に手で制された。
「すみません、これは、ちょっと」
「例のレーダーか?」と忍。
「ええ、他にもまあ、色々」
少し言いづらそうに六輔は答えた。
散らかった部屋の一角を適当に片付け、床に車座になる。三人のことを他の部員がパンダを初めて見る子供のような目つきでじろじろ眺めていたものだから、忍は警戒して落ち着かなかった。視線をあちこちへやり、目があった部員は睨み付け、そいつが逃げていくと思わせぶりに舌打ちを響かせる。そんなことをやっていると六輔が、
「そう緊張しないでください、菊池さん。誰も噛みついたりしませんから」
と困惑気味に言った。眉はへの字である。
「俺にとってまだ、ここは敵地なんだ。そう簡単に安心したりできるか」
「はぁ……困りましたね」
六輔は悲しそうに溜息をつくと、自分に与えられた悪魔のスマホを取り出して言った。
「今からシリアルナンバーの意味を説明します。菊池さん、スマホを」
忍はいぶかしげな眼をして自分のスマホを鞄から出し、手に取った。蛍光灯に銀色が反射して鋭い光を放っている。
「指紋認証システムが付いてるから……ええと、いいですか菊池さん。僕の画面を見て、僕と同じ通りにスマホを操作してください」
そう言うと六輔は、いつもよりゆっくりと指を動かしてスマホを操った。忍もそれに続く。
「ちょっとした、意味のない裏ワザなんですが」
そこからは早かった。寿命アプリのアイコンを軽く三回タッチ。起動して砂時計が現れるやいなや画面右上のバツを押して解除する。一瞬自分の残り時間が見えたが気にしてはいけない。ちなみに六輔の寿命は忍より長そうだった。
自分のスマホの情報が表示される『プロフィール』画面を表示してブランクの顔アイコンを人差し指で弾いた。ぱちん、という音で弾けてアプリのアイコンが並んだメインメニューに戻る。それを素早く三回右にスライド。
アイコンが、すべて消えた。すると待ち受け画面の全貌が明らかになる。
見えたのは10という数字。車輪のような円環。そして下部には文字。
The Wheel of Fortune。
六輔のスマホを覗き込むと、水瓶を持った天使の下にTemperanceとの文字が書かれている。
「これは、もしかして……」
忍は絵を見ることでようやく思い至った。スマホに割り振られた0から21という数字の意味に。
「タロット、か?」
「はい、そうだと考えられます」
言われてみれば納得した。というか、どうして今まで気が付かなかったのだろう。確かに占いなどには興味がないが、何を求められるか分からないTV業界に身を投じようとしている芸人の一人であるならば、四方八方にアンテナを伸ばしてしかるべきだ。まだまだ修行不足ということなのだろう。
「占いかー、なんだか神秘的でかっこいいね!」
「そうですね、雪柴さん。だからこそあの子供っぽい悪魔がモチーフに選んだのかもしれませんし、僕らもまた研究テーマとして扱いやすい」
六輔がそらに見せる笑顔は屈託がなく、優しい。本当は忍にもそういう顔をしているのかもしれないが、どうしても忍はその『裏側』を見ようとしてしまって、素直に彼の好意を好意と受け取れない。それは不幸なのか、それとも生き抜くための知恵なのか。
「僕に与えられている『節制』には、カードですと『浄化』の意味があります。そのためか、僕の操る水には毒や汚染をなくす効果があるようです。菊池さんの割り振りは『運命』。キーワードはサイクルやチャンス……ですから、能力もこれらを鑑みたものになっている可能性が高い」
「だが……Dコードが解けなきゃ意味がないんだが」
悔しそうに言葉を漏らす忍。頼もしげに六輔が笑みを返した。
「そこもバックアップのうちです」
彼は床に散らばった沢山の紙切れのうちから的確に狙いの一枚をつまみあげると、忍に差し出す。
「この文章、ご存知ですか?」
目を通す。一瞬、Dコードを見た時と同類の困惑が頭を走ったが、すぐに六輔の意図が理解できた。
『この ぶうしょんは にげんんの あまたが ぶせつんの さしょいと さごいの もさじえ あれていっば ぶんょしうを にしきん でいるときう ことを しいうすめょる ために かれかた もでのす』
「この文章は人間の頭が文節の最初と最後の文字さえ合っていれば文章を認識できるということを証明するために書かれたものです」
忍は音読した。その『暗号』の答えを。
「どうですか? 最初は混乱されたと思いますが、読めないこともないでしょう?」
「ああ……つまり、あの暗号もこういうルールで書かれてた、ってことか?」
「あなたのDコードと僕のものが同じなら」
言って六輔はスマホを操作すると、解読済みの自分のDコードを表示して忍たちに見せてみた。確かに忍のものと同様に、意味不明なアルファベットが間隔を開けて並んでいる。
「なるほどな……少し納得がいった。『a』とか『the』とかが並べ替えられずにいた理由が分かったよ。さっきのルールに従うならば、並べ替えようがないからな、三文字までの単語は。他の三文字以下の単語もそうなってるのか? 例えば……『in』とか『at』とか」
忍は苦手な分野の知識を精一杯振り絞って推理を披露した。六輔は力強くうなずいてそれに応える。そらはぽかんと口を開け、何が何だか分からないといった様子。
「そこまでは分かるんだが……長い単語になったらお手上げだし、そもそも並べ替えができてたとしても、英文は読めないぞ、俺」
恥ずかしい気持ちを振り切って暴露。
「まかせてください。僕が読みます。英語には自信があるんです」
六輔は誇らしげに言い放った。その態度は実に晴れ晴れとしていて、思わず忍も心を開いて信頼の握手を求めたくなるくらいだった。表層意識がそれを拒んだが、徐々に徐々に、六輔の熱意が忍に届き始めている。
「暗号解読には失敗してるみたいですね。クールタイム終了まであと何時間ですか?」
「……入力したのが夜中の二時。今が昼の五時だから、九時間か」
「了解です。では、それまではこの部室で待機していただければ」
言われて忍は反射的に警戒した。敵候補だらけのこの部屋で九時間も突っ立っていろと? とてもじゃないが緊張で一杯になりそうで、気疲れしてしまう。それに三也との会談と六輔との待ち合わせのせいで、丸一日寝ていないのだ。そらと交代で睡眠をとることを考えたが、それでもやはり危険な気がした。
「お前らを本当に信用していいのか? ……まあ、そんなこと聞いてもYESとしか答えないんだろうが」
「……こればっかりは。ですが、外に出るのはそれはそれで危険ですよ。9番の『隠者』には探究という意味があります。これはサーチ能力の可能性を暗示している」
「天然のレーダーがいるかもしれない、ってわけか」
忍は溜息を吐いた。四方八方、油断のならない罠だらけ。
「察しがいいですね。その通りです」
「ねえ、忍……」
恐る恐るそらが口を開いた。
「ん? なんだ」
「僕さぁ……この人たち、六輔さんたちのことだけど、信用してもいいと思うよ」
そう言ってそらはじっと忍の目を見つめた。自分の言葉に説得力を与え、より一層強く訴えかけるように。
「……本気で言ってるんだな」
そらは嘘を吐かない。そして忍は彼の直感を信頼している。心が、揺らぎ始めた。
六輔も忍をすがるように見、お願いしますと誠意を見せようと努力している。あとは忍だけだ。立っている足場を少しずつ削られているような感じ。もうつま先あたりははみ出しているかもしれない。
「……分かった」
「忍?」
「菊池さん?」
忍は自分の大きな鞄を、どさっと音を立ててごみ山の上に落とした。ポテチの袋が跳ね、どこかへ飛んで行った。
「俺たちは疲れてる。ちょっとここで休憩させてくれないか」
それは勇気まみれの一言だった。ここは今、敵地から安寧の場へと変わったのだ。そらは破顔し、六輔もほっとした顔をした。周りの部員たちも心なしか嬉しそうだ。
「勿論、喜んで。この部屋は散らかっていますが、奥にもう一部屋あって、そこにはソファがあります。生憎一つしかないので、交代で寝てもらえますか?」
「もともとそのつもりだったし、そこはいい。そら、先に寝ろ」
「いいの?」
そらは嬉しそうな声でそう言うと、返事を待たずに入り口とは反対方向にある小さなドアへと駆け出して行った。
「やれやれ、相変わらず自由な奴だな」
いつものことながら、そらの天真爛漫、自由奔放さには呆れてしまう。だが、忍はそこに惚れ込んで彼とコンビを組んだのだった。
「菊池さんはどうされます?」
「そうだな……あいつが起きるまでに、もう少しこの殺し合いのことについて聞きたいんだが」
「分かりました。僕らの分かる範囲で答えます」
六輔はにっこりと笑った。その時ようやく忍は、彼の笑顔をまっすぐ受け止めることができるようになったのであった。
***
「良く寝た」
三時間程度の睡眠だったが、充実感があった。ソファは想像していたよりふかふかで、寝心地は最高だった。小部屋を出るとそらと六輔がコンピューターの前で待っていて、画面にはレーダーではなく高性能な翻訳ソフトが表示されている。
「これに頼るのか。得意なんじゃなかったのか?」
からかうような気持ちで六輔を笑う。
「万が一ということがありますから。また二十四時間待つのは嫌でしょう?」
だが、崩れることのない笑顔で切り返してくるのであなどれない。
時刻は二時十五分。クールタイムはとっくに過ぎている。準備は整った。
「さあ、Dコードを」
手を差し伸べてくる六輔。忍は生唾を飲み込み、緊張感を嚥下した。これを逃せばまた二十四時間丸腰だ。せめて悪魔の力の片鱗だけでも掴みたい。
「……頼んだぞ」
スマホには指紋によるロックがかけられていて、忍以外の人間には操作できないと待ち時間に聞いた。なので忍は六輔に見えるようにスマホを操作し、Dコードアプリのアイコンをタップした。
ブウン、と鈍い電子音を立て、英字暗号文が再び表示される。
「スライドお願いします」
「あ、ああ」
人が変わったように真剣味を増した六輔。それに圧倒され、思わずどもってしまう忍であった。震える指をゆっくり動かして、画面をずらす。
「もっと早くても大丈夫です。とりあえず全体を見て、細部を後から確認します」
六輔はぶつぶつ何かを呟きながら、時折手元にメモを取りつつ暗号の解読を進めていった。忍、そら、部員一同は皆無言でその様子を見守っている。合図があったときにだけ、忍が指を動かして画面をスライドさせるくらいだ。
「ユリウス・カエサル……紀元前49年の出来事……ルビコン川……同義の名言……」
ずっと呟いていた六輔は最後に力強くうなずき、忍の手にスマホを託した。
「入力してください、『賽は投げられた』!
「それが答えなのか?」
「はい!」
自信満々の六輔に忍は応えた。緊張で痙攣しそうな指で、解答欄に言われた通りの答えを入力したのだ。残り時間は十分ほど残っていた。英語が得意というのは伊達ではなかったようだ。
ピー……という電子音が部屋に響く。しばし沈黙が走る。
「どうなんだ……?」
知らずのうちに呟いていた。不安が胸一杯に広がる。わざと間違えた答えを教えられたのではないかという疑心暗鬼まで浮かんできた。必死に振り払い、六輔を信用しようとやっきになる。
そして、運命の刻が訪れた。
画面が暗転。そして。
『ALL CORRECT YOU GOT POWER』
金色の縁取りがされた絢爛豪華な白い文字で、そう告げられた。
「……やっ、た、のか」
肩の荷が降りた感じがした。なんだか今まで抱えていた疲労がどっと解放されたような、そんな気分。自分はようやく力を手に入れたのだ。人の手を借りたとはいえ、もう無力ではない。
自分にどんな力が与えられるか、まだ分からないが、ひたすら根拠のない安心感を覚える。六輔と同じように、戦うことができるんだ。自分の身を、隣に立つそらの身を守ることも出来る。そう思うと胸の高鳴りが止まらない。忍は興奮していた。
と、その時忍はスマホから違和感を感じた。電話やメールが届くときにいつも感じる、あの不思議な同調感覚だ。
「これは……グラシャラボラスからか?」
「そうだと思います。僕がDコードを解き終わった時も、すぐにあいつから動画メールが来ましたから」
「じゃあ……出なきゃ、だね」
か細い声でそらが言う。なんだか自信がないようだ。大切な相方のことだからか、すべてをまるで自身に降りかかった火の粉のように感じているふしがある。
忍は無言でスマホを操作する。六輔の言うとおりグラシャラボラスからのメールだった。タップして起動。
ジジ……という耳障りな音と一瞬の砂嵐。そして現れる白い部屋。立っているのは赤と黒の服を着た少年。スマホを手に入れたばかりの時のことを嫌でも思い出す。背景には懲りずに、『金平糖の踊り』が流れている。
『うーん、ずるしちゃ駄目だよね、忍さん!』
悪魔の第一声はそれだった。
『そしてずるに加担するのも駄目だよ、六輔さん。そんなに自分の頭のいいトコ見せびらかしたかった?』
「監視されてましたか……」
悔しそうに六輔が爪を噛む。
『そんなことして、忍さんにその力で殺されちゃったらどうするの。ホントは、頭悪い?』
あはは、と馬鹿にするような声で笑って、グラシャラボラスは続ける。
『でもえーと、ルールはルールだからね。暗号の答えを送ってきた忍さんには、僕から悪魔の力をプレゼントしたいと思います』
じゃじゃーん、と口に出して言って、まさぐったポケットから取り出したのは金色の懐中時計。蓋を開いてカメラに向けてみせるが、その針は普通とは逆向きに回っていた。
「これは……」
『忍さんに与えられる悪魔の力は、『時間を戻す』ことです!』
なるほど、と忍は思った。運命のカードにはチャンスの意味があると六輔は言った。時間を戻せるならば、掴み損ねたチャンスを何度だってやり直せるだろう。
そんなことを考えていた忍に、画面の向こうにいるグラシャラボラスが指を振って忠告する。
『でもどこまでも戻せるわけじゃないよ。えーとね、忍さんが自分の力で暗号を解けば、丸一日戻せるはずだったんだけど、今回は六輔さんの力を借りたので、二十四分の一! 一時間しか戻せません。でも、いいよね? 普通の人は三秒だって戻せないんだから、それを考えたら一時間って凄く大きいよ』
確かにグラシャラボラスの言うとおりなのだが、こうふざけた口調で説かれると釈然としない。一時間か。例えば戦いが長引かなければ、一通り相手の行動パターンを覚えてから始めからそれをやり直すことができるだろう。なかなか有用な能力のようだ。
『能力を使う時はこのDコードの答え、『賽は投げられた』と一言言ってください。叫んでも、呟いてもいいよ。そうしたら、望む時間だけ巻き戻せるから』
そう言うと、何故だかグラシャラボラスはくすくすと笑いだした。あたかも忍を馬鹿にしているかのように。
『……残念だったね。直接人を殺せる能力じゃなくて、さ。これで忍さんは、普通の人間と同じみたいに包丁やゴルフクラブなんかを使って相手と戦わなくちゃいけないよ。警察に見つからないよう手伝ってはあげるけど、ポカしたら時間巻き戻さなくちゃ逮捕されちゃうね。あはは』
「こいつ……なめやがって」
「忍、落ち着いてよ」
震える忍の肩をそらが優しく抑える。
『ま、せいぜい頑張ってね』
グラシャラボラスがそう言うと、唐突に動画は切れた。忍の胸の内では高揚と憤怒が渦を巻いていた。戦うための力を手にしたということはすなわち、グラシャラボラスを主と認めて駒となり踊らなければならないということ。……殺しに、手を染めないといけないということ。複雑に絡まり合う二つの感情が、彼を悩ませる。
「あれ……鹿野は?」
そういえば動画を見ている間に、いつの間にか隣からいなくなっていた六輔。ふと部屋の隅に目をやると、ロッカーを何やらがさごそ漁っていた。
「あ、ありました」
無感情にそう言って、忍とそらの元へ歩み寄ってくる。その手には片方だけの靴下が握られていた。黒字に赤色のノルディック模様が編み込まれた、おしゃれな靴下だ。グラシャラボラスの服装と同じカラーリングで嫌気がさしたが。
「なんだよ、その靴下」
「鈍器です。それも即席の。これなら銃刀法違反に引っかからないで持ち運べる」
一瞬自分の耳を疑った。こんなもの、ただの日用品ではないか。思わず笑い出しそうになる。ふざけているのか? からかおうとして? だが、六輔の目は真剣だった。
「この中に砂や石ころを大量に入れて口を縛ると、人を殴り殺せるくらいの硬度が得られます。丁度いいですよ?」
言葉が耳から脳へ通っていかない。この男が言っていることを受け止めたくない。
「バットや鉄パイプもいいんですけど……血を洗い流す手間を考えると、マイナス面が目立つ。殺傷力では劣るかもしれませんが、僕はこの即席ブラックジャックをお勧めしますね」
靴下をふらふら振り回しながら言う六輔の目を見られない忍は、力なくうつむいてぼそりと囁いた。
「あの、さ……」
「何ですか?」
六輔の優しい声。
「他の方法って……ない、のか」
「と、言いますと」
「例えば……殺すんじゃなくて、負けを認めさせるとか、スマホを壊すとか……そういう方法で、戦闘不能にさせる、っていうんじゃ、このゲームの勝ち、にはならない……よな、ははっ」
今更何を言っているのか。ここに来た時点で、いや、六輔の殺人を目の当たりにしたその時にもう、このゲームに参加すること――殺人に手を染めることが決定づけられてしまったというのに、忍はそれを認めようとしない。周囲の部員は呆れた様子で忍を眺めているが、六輔は冷静な目で、じっと忍を見つめ静かに言い放つ。
「菊池さん……あなたは殊勝な方だ。だからこそ、あなたは生き延びなくてはいけない。他のクズどもを犠牲にする価値があなたにはある」
「クズ……?」
上品な六輔の口から飛び出た予想外の汚い言葉に意表を突かれ、忍は面食らった。そういえばあの少女を殺したときにも六輔はこんな色の目をした。その隙をついて六輔は畳みかける。
「いいですか菊池さん。このスマホを貰った人は必ずしも善人ばかりとは限りません。勿論死ぬのが怖くて仕方なく戦っている人もいますが、中には殺人を愉しみ、どうやって相手を残酷に殺そうかと考えている輩もいる。さらに突き詰めれば、この戦いと何の関係もない人を巻き込んで殺している人もいるんです。そういう参加者を殺すことは、本当に悪ですか?」
「そんなこと、言われたって……」
正論で切り返され、言葉に詰まる。確かに力を与えられたあの少女は、気に入らない人間を殺していた、と聞いた。そういう人間が、他にいると言われてもおかしくはない。だが……それは所詮、六輔の口から聞いたのに過ぎない。彼が嘘を吐いていないとも限らない。だが、だが……。考えが頭の中でねちゃねちゃ未練がましく回転する。
「突然には信じられない」
水際での地団太。確実に、六輔の説得は届いている。今の忍はただ、人を殺すのが怖いだけなのだ。
「それでは……ちょっとこれを見てください」
六輔が差し出してきたのは折り曲げられた一枚の新聞紙だ。三面記事に赤丸が付けられている。
「なん……だよ……」
「ここです」
子供にさとして教えるように、赤丸を指さす六輔。
『変死? スクランブル交差点21人謎の中毒死』
記事によれば、解放空間であるはずの渋谷スクランブル交差点で突如毒ガスが発生、その後その場に立っていた若者たちが次々倒れ、うち二十一人が帰らぬ人となったという。発生源はまったくもって不明で、犯人の目途も立っていない。
「どうです。これでも力の悪用者を、許すことができますか?」
「……こんなのただのテロリストだろ。俺たちの知らない毒物を使ってさ……」
「いいえ、これが13番――DEATHの力です」
***
場所は地下鉄車内。
「これで……いいのよね……」
ぽつり独り、佇む女。両手で押さえている小さなポーチ以外、怪しいものは何も持っていない。年のころは三十代前半といったところか。
彼女の周囲には、いや四両編成の車内にいたすべての人間は、意識を失い所狭しと床にへばっている。その中にはすでに虫の息になっている者も多い。毒を吸ったのだ。だが、同じ空間にいたはずの女だけは、何事もなかったかのように立ちつくしている。
何も知らない運転手が平然と駅に止まり、ドアを開く。そこから彼女はゆっくりと出ていき、涙を流しながらこう呟いた。
「あの子たちのためなの……ごめんなさい、ごめんなさい……」
また、新しいニュースがワイドショーと新聞をにぎわす。証拠は見つからない。無能な警察が悪魔の隠蔽工作にかなうものか。
14番が歯噛みしているのも知らずに、13番は着々とその魔の手を伸ばし続ける。