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第四話


「さて、これからどうするか……」

 楽屋を追い出された二人は途方に暮れていた。空はこのような夜明け前が一番暗く、道行く人も少ない。ポケットに突っ込まれたスマホにはおよそ二十三時間後まで用事はなく、事情を聞けそうな相手も思いつかない。八方ふさがりとはこのことだ。

「とりあえず……一旦帰る?」

 そらはそう言ったが忍は首を横に振った。

「俺にはあと二週間しかないかもしれないんだ。時間を無駄にしたくない」

「あっ……ごめん、そうだったね」

 しかし歩き出すあてもない。立ち止まったまま、結局時間は過ぎ去っていく。同じことだ。何をしても……。

「あのさ……ほんとに殺し合いって、起こってるのかな」

「……分かんねえ」

 忍は苛ついていた。冷たい先輩にも、頼りない相方にも、抽象的なことだけ言い残して去って行った死者にも、何も教えてくれない世界にも。一切合財森羅万象が自分の敵のような気がした。

 肩に背負った鞄が重たいように感じる。大したものは入っていないはずだ。なのに、ずっしりとうざったく思える。それは何が原因なのだろう、と考える必要はない。明らかにこのスマホのせいだ。解けなかったDコード。クールタイムの二十四時間という長い時間が重く重く、忍の心にのしかかる。

 もし今、悪魔の力を与えられた人間が自分に襲い掛かってきたらどうしよう。ふと、忍の脳裏にそんなことがよぎった。武器もない。力もない。自信もない。ないない尽くしでは簡単に捻り潰されるのがオチだ。二十四時間を、二週間を待つまでもなく、自分は死んでしまうだろう。いや、もしかしたら……。

 力を持て余した狂人が相手なら、隣にいるそらまで道連れにされるかもしれない。その可能性に思い至って忍は震えあがった。それだけは、嫌だ。

「そら」

「ん?」

「お前は、今日は帰れ」

 言って忍は一歩踏み出した。どこへ行くとも知れず。ただそらから離れたくて。だが、優しい相方はヒヨコのようについてくる。

「来んなよ」

「ヤダ」

「俺についてきたら、死ぬかもしれないぞ」

 脅しのつもりだった。実際、本心だったし、本当のことでもあった。だがそらは動じない。意味を理解していないだけかもしれない。

「僕たち、コンビでしょ? もしあと二週間しかないのかもしれないなら、離れちゃいけないと思うんだ」

「お前は……馬鹿か」

 そんなことを言っている場合ではないだろう。この瞬間にも人殺しがやって来るかもしれないというのに。綺麗ごとだけではこの世を渡っていくことはできない。そらにはそれが分からない。何故なら、二十五年間も生きてきたくせに世界の汚いところを見る技術を身につけてこなかったから。

 そらはとある大富豪の一人息子として何不自由なく育ってきた。望むものは与えられ、拒むものは遠ざけられた。家を継ぐことを反対し芸人になると言った時は猛反対の嵐に遭ったそうだが、彼が人生で経験した苦労といったらそれだけかもしれない。とにかく、良くも悪くも籠の中で育ち、完成されてしまったのだ、この男は。

「協力しようよ、なんとかなるよ」

 無責任。無計画。そして無自覚。忍は負の刺激を受けたことで、少しだけ三也の気持ちが分かった。そらの被害を受けた人間はことごとくこんな思いをしてきたのか。テレパシーの矛先が自分に向くことは何度もあったが、ポジティブシンキングな攻撃を受けた経験はあまりなかったので、特にナイーブになっている今、これはこたえた。

「お前なぁ……状況を分かってんのか?」

「……だって」

「だってじゃねえ。子供かよ。二人がかりで何もできなかったんだぞ。柳先輩にも嫌われたし。何かしたいなら一人でやってくれ、俺も一人で動く」

 巻き込みたくない。苛立ちのせいで、その一言が言えなかった。

 二人の間に亀裂が入らんとしていた丁度その時。

 聞き覚えのある旋律が二人の耳をつんざいた。

「え、グラシャラボラス?!」

「スマホが、鳴ってる……」

 『金平糖の踊り』は忍のポケットから鳴り響いていた。町中に響き渡りそうな不愉快かつ荘厳な音色で。本当は二人の耳にしか届かない程度の小さな音だったが、神経を尖らせている彼らの耳にはそれは何十倍も大きく聞こえた。

「あいつからの通信?」

「いや、これは……電話だ」

 相変わらず、このスマホには忍の神経が通っているかのようだ。画面を見ずとも何が起こっているかが分かる。誰がかけてきた、などの細部までは知りえないが。

「でも、このスマホの番号、誰が知ってるの……?」

「忘れたのか、あのアドレス帳」

「あ」

 本当に悪魔のスマホが二十二台あるのなら、それらすべてには忍のスマホの番号とメアドが登録されているはず。連絡を取るのは容易だ。だが、このタイミングで誰かがコンタクトを取ってくるとは予想していなかった。

 しばらく体が動かず電話を取ることが出来なかったが、耳障りな音楽は鳴り続ける。――相手は電話を切る気はないようだ。

「……出るぞ」

 そらの返事を待たず、忍はポケットに手を伸ばしスマホを手に取って、画面を素早く操作し通話モードに切り替えた。

「もしもし、10番、運命を割り振られた方ですね?」

 物静かに落ち着いた、凛としている声が届いてくる。

 忍は返事をしなかった。相手は構わず続ける。

「夜分遅くすみません。僕は14番、節制を割り振られた人間、鹿野六輔です」

 ――名を名乗ってきた。本名だろうか? いや、それより運命とは、節制とはどういうことか。次は何の暗号だ。忍は混乱し、またも言葉を返すことができなかった。

 しばし沈黙が流れた。そらも無言だ。電話の向こうの相手は忍の反応を待っているようだったが、応答がないことを確認したようで、若干残念そうな声色に変わる。

「やはり、駄目ですか……せめてお名前だけでもお聞かせ願えませんか? いくらこれが殺し合いでも、名前で人を殺すことはできない、そうでしょう?」

「……そういう能力の持ち主かもしれないだろ?」

 とっさに出てきた言葉がそれだった。自分でもびっくりした。いつの間に自分は疑念と敵意の塊になってしまったのか。自分の名前を口にすることすら忌まわしいとは。そして自分の心髄に、この悪魔のゲームが本当のことであるという意識が知らぬ間に根付いていたことにもまた驚いた。

 忍の明晰な反応に少々面食らっていた様子の相手――六輔だったが、数秒置いて言葉を返してきた。冷静さを取り戻した様子で。

「そうですね……失念していました。では、名前は結構です。ですが話だけでも聞いていただけませんか? ……あなたの寿命にも関係することです」

「……っ!」

 寿命の話をされて言葉に詰まった。それは今や、忍の最大の弱点になっていた。もしくは釣餌か。一応、電話を切るという考えはハナから頭になかったとはいえ、もうこれで忍は六輔の言葉の虜になってしまっていた。

「殺し合いなんて、一人きりでできることじゃない。だけど誰にも相談できない。悪魔だなんて、超能力だなんて、誰が信じる? そう思いますよね?」

「……ああ」

「でも僕は、『僕たち』はあなたの後ろ盾になれます――まだ信じてもらわなくても結構です。最後まで話を聞いていただければ、それで構いません」

 六輔が嘘をついているようには聞こえなかった。だが、今の忍は完全に疑心暗鬼に陥っている。簡単には論破できない。

 時計の針は四時を回っていた。スモッグの向こう側で光る星たちは沈みゆき、朝日がウォーミングアップを始める頃合いである。それでも忍の頭は覚醒しっぱなしで、眠気など毛頭感じられない。こんな状態が二週間も続くとしたら、きっとそんな自分の死因は過労と、脳を破壊するほどの睡眠不足だろう。

 渾身の誠意を払った声で、六輔は訴えかける。それは本能の叫びであり、正義の悪あがきだった。

「このゲームで与えられている力を使って悪事を働いている人がいます……僕たちはそれを止めたい。協力してもらえますか?」

 ――忍はあまり驚かなかった。

 もし超能力を手に入れたら、と紘に聞かれたとき、自分自身は『隠す』と答えたが、すべての人間がそうできるだなんてちっとも思っていない。疑り深い忍だから、力の悪用を説かれた時も『ああ、なるほどな』の感想で済んでしまった。

「確かにそんな人間はいそうだな。だが、俺がそいつを止めたところで何になる? 殺せば寿命はもらえるかもしれないが、それじゃ人殺し。悪用者と一緒だろ?」

 初めてまともに六輔とコミュニケーションをとった気がしたが、それもやはり否定だった。だが正義の徒は揺るがず、むしろ歓びに震えたかのような声で早口に言葉を吐き出した。

「……素晴らしい。あなたはやはり僕たちが見込んだ通りの人だ」

「……どういう意味だ?」

 こいつは忍の何かを知っている。確かに忍は、知名度は低いといえども芸能人だ。お笑いマニアなら存在を知っていてもおかしくはない。だが、それが悪魔のゲームに巻き込まれているなど誰が知るものか。ましてやこのスマホを受け取ったのは僅か十数時間前のことなのだ。いぶかしさがつのり、たちまち六輔という人物が信用できなくなる。

 それを知ってか知らずか、六輔は語りかけてくる。

「見返りはあります。寿命をかけたこの戦い、あなたの戦闘を全面的にバックアップします。先ほども言った通り。その条件で、僕たち『幽玄の暁』と手を組んでは頂けないでしょうか」

 幽玄の暁――とりあえず無学な忍には、当てはめる漢字が浮かばなかった。だがなんとなく怪しいということだけはよく分かった。なんだか秘密結社のような響きだ。

 だが、怪しいのは今に始まった話ではない。悪魔のゲーム、Dコード、見通されている現状、何もかもが未知である。ならば、毒には毒を持って臨むべきだろう。

 力のない忍は――賭けに出た。

「会ってもいい」

 震えそうな声を必死で押さえる。恐れていると、相手に悟られてはいけない。

「ありがとうございます」

 幸い、六輔の声からは、忍を嘲笑うような音は感じられなかった。見透かした上での反応だとしたらもうどうしようもないが、これ以上は抗えないし、残されたすべは持っている武器だけ、虚勢で戦うことだけだ。

「ただし、場所と時間はこちらが指定する。構わないな?」

 極限まで慎重になっている忍。あくまで自分がリードを握っていることを相手に分からせなければ、ハッタリをかますことすらできない。何よりも、能力のないこの現状を相手に少しでも推理されたら危ないのだ。

「構いません。ですが、なるべく早い方が助かります」

「実を言うと、こちらもだ。明日……ってももう今日だが、昼の十時。新宿のオープンカフェ『バンビ』でどうだ?」

「そこなら僕も知っています。丁度店員さんが友人なので。先に来て、一番奥の席で赤い鞄を机の上に置いて目印にしておきます。それでどうですか?」

 悪くない条件だ。公衆の面前ならいくら超能力者でも安易に人殺しはできない。

「成立、だな。こちらの目印は……紫色の腕時計だ。着いたら見せる」

「了解しました。お待ちしています」

 そして忍は電話を切った。通話時間を見たら、三十分となっていた。長いような短いような。つまりは適度な時間ということ。

「ねえねえ、どうなったの?」

 そらが首をつっこんできてうるさいので、忍はうんざりした口調で六輔との交渉を説明してやった。ゆっくりと、歩き出しながら。二人で一緒に。


***


 新宿アンダーザワールドから徒歩三十分ほどの地点にあるカフェ・バンビ。

 平日、一般人は働いているか学校にいる時間。店内にも表の席にも人影はほぼ無く、レジ前に立つ店員は暇そうにあくびをかましていた。

 結局家には帰らず近くのネットカフェで時間を潰した二人は、約束の時間より一時間も早くカフェにやってきた。だが中には入らず、路地裏に潜んで入り口を見張り、赤い鞄を持った男がやってこないか、今か今かと待ちわびていた。

「ねえ忍……こんなのよくないよ」

「あ? なんでだよ」

 恐らくだが……お互い顔も知らない相手だ。変装は無意味なので帽子もマスクもしていない。一応、目印に指定した腕時計だけは鞄の中に隠している。

「っていうか、こんな風に立ち止まって隠れてたら、逆に怪しくない?」

 もっともな指摘だったが、肯定するのも気に食わない。

「じゃあどうするんだよ」

「いっそのこと、お店に入ってお客さんのふりをしとくとか」

「コーヒー代だけでも高いだろうが、あそこ。待ちぼうけになって払う羽目になったらどうするんだよ」

 不機嫌そうに忍は答えた。実際、バンビのコーヒーは一番安くても八百円はするのだ。貧乏芸人が無意味に支払うには手痛い出費だ。

「じゃあ違う場所を待ち合わせ場所にすればよかったのに……」

「う、うっかりしてたんだよ! 急いでたから!」

 ミスをつくろう顔が赤らんでいる。そらの言うことがさっきからいちいち図星過ぎて、そのうちまたテレパシーでも食らうのではないかと心労ものだ。

 鞄の中の時計は確実に時を刻んでいく。それはまた、忍の寿命を数えてもいるのだ。それを思うと気が気でなくて、早く六輔に来て欲しい気もしたが、同時に彼に会うのが怖いのだった。

 相手はこちらの情報を掴んでいる。

 こちらは相手のことを何も知らない。

 いや、六輔が電話口で言っていたことが本当なら、彼は徒党を組んでいるのだ。それがより一層恐怖を増す。まさかバンビの店員までグルなのでは? だとしたら店内で殺しに及んでも誰も止めてくれない――。

「忍」

 そらに声をかけられはっとする。マイナスな思考の渦から解放されて、涼しい空気を吸い込むことができた。

「来たよ、赤い鞄の人」

 気が付けば約束の時間の十分前だった。カフェの入り口を見ると、確かに真っ赤な鞄を持った青年が、背筋を伸ばして堂々とした振る舞いでカフェのドアを開けて中に入っていくのがはっきりと見えた。

「あれが……鹿野か?」

「男の人であんなに目立つ鞄持ってる人、そうそういないよ」

「……間違いないな」

 窓が大きいので青年が店内を進んでいくのが遠くからでも見える。奥まった席にたどり着くと青年は椅子に座り、赤い鞄をテーブルの上、店外からでも分かる角度に置いた。そしてきょろきょろと辺りを見渡す。忍の到着が待ちきれないのかもしれない。

「どうする、行く?」

「……ちょっと時間を置きたいな」

「待たせちゃ悪いよ」

 この期に及んでお人よしな相方に、忍は深いため息を吐いた。

「……相手は敵かもしれないんだぞ? 気を使ってどうする」

「うーん……でも、そうだとしたらさ。時間をあげちゃったら、何かの準備をしちゃうんじゃないの?」

 平和ボケしたそらから飛び出した意外な推理に、忍は舌を巻いた。確かに言うとおりだ。隠れるメリットもそれなりにあるような気がしたが、良く考えたらこちらは丸腰だ。どうせ何の支度もできない。待ち伏せしたはいいものの、それも相手の出方をうかがっただけ。ついでにコーヒー代を節約したくらいだ。

 しかし……今から踏み出すこの一歩には、二人の命がかかっているかもしれない。尻尾を巻いたところでまた電話をかけられるかもしれないが、居場所を掴むことはできないだろう。幽玄の暁とやらに、接触するのは本当に賢明な判断なのか? 忍の迷いは尽きない。

「もう、ぐずぐずしてるなら僕だけでも行くよ」

 痺れを切らしたそらは忍の鞄に手を突っ込むと、的確に腕時計を取り出した。そしてカフェへ向け走り出そうとする。慌ててその腕を掴む。

「わ、分かった。行くから、お前は引っ込んでろ!」

「……付いては行くからね」

 心配してくれているのが肌で分かった。嬉しいやら、気恥ずかしいやらで複雑な心境だ。

 握りしめていたそらの右手から腕時計を引きはがすと、鞄に放り込んだ。そして勇気を出して、路地裏を出る。

 カフェまでの短い道のりが、永遠にも感じられた――などという陳腐な言い回しは似合わない。むしろ気が急いて、気が付いたら店内に入っていた、というのが正しい表現だ。

 ぼんくらな顔をした店員がぼんくらな調子で尋ねてくる。

「いらっしゃいませ。二名様ですか?」

「いえ、待ち合わせです」

 手早く答えると返事も待たず、ずんずんと店の奥に向けて歩いていく。目指すは赤い鞄、そして六輔、幽玄の暁だ。

 鞄を携えた青年はいつの間にかコーヒーを注文していて、忍たちの接近には気づいていないようだった。優雅にカップを傾け、余裕の表情。さっきまできょろきょろしていたのは、忍がすでに店内にいると想定しての演技だったのだろうか。

 近づいていくと徐々に分かったが、彼は整った顔立ちをしていた。耳を隠すほどの長さの明るい茶髪で、くりっとした大きい目が特徴的だ。若干童顔っぽい。赤い鞄は確かに目立っていたが、服装はいたって普通。雰囲気もそこら辺の大学生と大して変わらない。年齢も多分そんな程度だろう。

 そうこうしているうちに二人は店の最奥に到着する。覆いかぶさる影に気付くと青年は忍たちを見上げ、首を傾げた。

「あなたたちは……」

 忍はきょとんとする青年の前で、ものものしい仕草を取って鞄の中から紫の腕時計を取り出し、目の前でゆらゆらと振ってみせる。

 青年はにこっと微笑んで、得心したように二、三度うなずいた。

「……なるほど。賢明な判断です」

「あんたに審議される覚えはない」

 少しいらっとして忍は座っている相手を見下ろし睨み付けた。

「これは失礼。僕が先ほど電話した者、14番のスマホを持つ鹿野六輔です。お見知りおきを」

 青年、いや六輔は立ち上がって一礼し、椅子を引いて二人に座るよう促した。そらはすぐ応じたが忍は立ったままだ。

「……俺が10番のスマホを持っている。菊池だ」

 秘密主義では話が進まないと覚悟した忍は、ひとまず本名を名乗った。まずは第一歩だ。

「よろしくお願いします」

「ああ」

「よろしくねー」

 場の空気をぶち壊すほど、呑気なそら。仏頂面の忍とは対照的なほがらかな笑顔で、六輔に友好的な接触を試みる。

「……こちらの方はどなたですか?」

 そんな彼に多少困惑したような様子で、六輔がそらを手で指し、忍に問う。

「……相方だ。一応、芸人なんでな。どうせ知らないとは思うが」

「すみません、勉強不足で。もしよかったらコンビ名を聞かせていただけますか?」

 慇懃なほど丁寧な口調で質問されたが、忍は回答を拒んだ。代わりに冷たいまなざしで六輔の目を、そしてその向こうの真意を覗き込もうとする。

「その前に『幽玄の暁』だ」

 忍の言葉に、六輔がびくっと肩を震わせた。

「売れてない芸人の素性なんてこの際どうでもいいだろう? たった二人しかいないんだからな。ところがどっこい、あんたの方は『僕たち』ときた。相当な人数がいると見たが、まずは自己紹介の方をお願いできますかね」

 とにかく、ハッタリを崩してはいけなかった。まるで自分が超強力な能力を持っているかのようにふるまわなくてはいけない。本来ならひれ伏すべきは、弱い自分の方なのだ。

 その気になればお前なんて簡単に捻り潰せる……そんな雰囲気を保たねばいけない。

「そうですね……何から説明しましょう」

「悩むようならこちらから質問しようか。まず、『幽玄の暁』ってのはなんだ。変な名前だが、秘密結社か何かか?」

 からかうような口調で尋ねる。変な名前、と言われてほんの少し顔を赤らめた六輔だったが、毅然とした口ぶりで返答してきた。

「『幽玄の暁』はK大学のオカルトサークルです。今まではおのおの好き勝手に星座だの、幽霊だのを研究していたんですが、この殺し合いゲームが始まってからは一致団結してスマホと悪魔の調査をしています」

「なるほどね。それはとりあえず信じるとして、あんた以外に直接ゲームに参加してる奴はいるのか? つまりはスマホを手渡された奴、ってことだが」

 ゲームの存在を肯定した状態で話を進めていく。それはすなわち、自分が悪魔の力をすでに与えられたとほのめかしているのに他ならない。忍は意図的にそうしていた。

「いえ、僕一人です」

 六輔は忍の目をきっと見つめて、実に誠実な口調でそう答えた。そらはうなずいていたが、忍にはまだ疑わしい。

「罠……じゃないだろうな」

「信じて頂けないのも当然ですよね。承知してます」

 目を瞑り残念そうに首を振る。

「確かに『幽玄の暁』には僕以外にもメンバーが……およそ二十人います。ですが、この場所に来ているのは僕一人。保証できる材料は何もないですが、信じていただく他ない」

「ま、こちらはせいぜい警戒させてもらうさ」

「……分かりました」

 その時、『金平糖の踊り』が唐突に奏でられた。電話だ。だが忍の鞄からではない。開けっ放しのそれから聞こえてくる音より、もっとくぐもっている。すると六輔は冷静に赤い鞄に手をかけると、チャックを開け中に手を突っ込みスマホを取り出した。

「すみません、ちょっと失礼します」

 六輔は耳にスマホを、口元に左手を当ててぼそぼそ声で電話し始める。

「もしもし……ああ、7番の方ですね……今他の方とお話を……え、待てない? ええ、ええ、分かりました……」

 電話の向こうから、女性のものらしいキンキン声がかすかに漏れ出てくる。どこか怒っているようにも聞こえた。

「はい、そうですね……では、約束通り、今すぐ向かいます。原宿のスケートボード練習場ですね。人払いはできましたか?……へえ、グラシャラボラスに頼んで。そんな方法が……あ、いえ、失礼。すぐ行きます」

 六輔はいそいそと電話を切った。未だ立ったままの忍は六輔を見下ろし、高圧的な態度で電話の内容を尋ねる。

「そのスマホにかかってきたってことは、ゲーム関係の話か」

「ええ、そうです」

 忍の言い方に不満を感じる風でもなく、てきぱきと荷物を片付けだす六輔。

「申し訳ありません。お聞きの通り、急用ができました。ですが、これはあなたにも関係のあることです。よかったら付いて来てもらえますか」

「……もしかして」

「殺し合いです」

 柔和だった六輔の表情は今、鋼のように凍り付いていた。


***


「あんたが鹿野ね」

 待ち合わせ場所に待っていたのは、まだ幼さの残る顔をしたごく普通の女子高生だった。近所の高校の制服を着ているのでそれが分かった。腰に両手を当て、いかにも長いこと待っていましたとばかりに不機嫌そうな顔をして六輔を睨み付けてくる。

「ええ。7番の方ですか? よければお名前を」

「そんな必要ないわ。どうせあんたは死ぬんだから」

「……最後のチャンスです。悔い改め、殺人をやめるつもりはありませんか? 僕たちに協力して、13番を止めてはくれませんか」

 少女は一瞬面食らった顔をした。六輔の言葉が理解できなかったようだ。そしてしばらくすると、ぎゃははと下品な笑いを上げた。

「このゲームに正義を求めるなんて、馬鹿な奴。力があるんだから利用しなきゃ損じゃないの」

「やはり……あなたには生きる価値がありませんね」

「はあ? あんた何言ってんの」

 六輔の言葉に女は分かりやすく機嫌を損ない、顔を真っ赤にして激昂した。一方の六輔は涼やかなものである。もっとも、隣に立つ忍には、彼が内に秘めているどす黒い色をした正義の渦が見えていたが。


 生きる価値がない。六輔はそう言った。

 人をそうやって簡単に切り捨てることは、誰にでもできることではない。

 だから忍には、彼の正義は、どこか歪んでいるように思えた。

「菊池さん。寿命は――必要ですか?」

 振り向かず、少女を見つめたまま六輔は聞いてくる。

「……今のところは余裕がある」

 またもハッタリをかます。二週間は長いとは言えないが、『幽玄の暁』とやらが協力してくれるというのが真実であるならば、この言葉も真実になるかもしれない。

「そうですか。では、いただきます」

「何をごちゃごちゃ話してんのよ。そもそも三対一だなんて聞いてないわよ、卑怯者」

「心配せずとも、こちらの方々は戦いません」

 その時、六輔の首の角度が少しだけ変わり、彼が唇の端を吊り上げたのが見えた。

 はっきりと。

「……戦う力がありませんからね」

「なっ……!」

 不意を突かれた忍は思わず声を上げた。

 知っている、知っている!

 今すぐ逃げ出したい気持ちに駆られたが、足がすくんで動けない。

 この男は、いや、『幽玄の暁』は、自分のことをどこまで知っているのか?

 忍は頭を必死にフル回転させるが、ただただ畏れがつのるばかりだ。

 少女は学生鞄からかなり刃渡りのあるサバイバルナイフを取り出した。これで首でも切り裂かれればひとたまりもないだろう。腕に突き立てられる場面を想像するだけでも嫌になる。

 一方六輔がバックポケットから手に取ったのは、玩具屋で売っていそうな安価な水鉄砲だった。グミみたいなオレンジ色をしているのが馬鹿馬鹿しくて、脅しにもならない。

「……ははっ。何それ。いかにも自信ありげな電話してきたと思ったけど、得物がそれ? ふざけてんじゃないの」

 少女は指をさし、六輔を嘲笑った。

「お好きに推測して下さい」

「……ムカつく」


 次の瞬間。


 三人の目の前から、少女の姿が消えていた。

「消えた……?」

「伏せて!」

 六輔の叫びに身体が反応して、忍とそらはとっさに身をかがめる。本人は『何かが見えている』ように大きく飛びのいて二人から距離を取った。

「逝ねっ!」

 可憐でも愛くるしくもない、無知な獣のような雄叫びを上げながら少女が姿を現す。さっきまで立っていた場所とは数メートルも離れている地点だった。消えてから数秒も経っていないのに。ナイフを思い切り振りかぶり、六輔に切りかかる。

「確かに……早いですね。報告通りです」

 六輔はそう言って、一歩だけ身を引く。

 刃は空を切った。

「ちっ!」

「さて、もう忠告は終わりましたから」

 六輔は冷たく微笑むと、水鉄砲を掲げる。だが引き金に指を掛ける前に少女はまたも消えてしまう。馬鹿にはしたものの、一応警戒はしているようだ。

 また素早く数歩移動する六輔。さっきまで彼が後姿を見せていた場所で、少女のナイフが振り下ろされた。水鉄砲を向ける。少女が消える。その繰り返し。

 少女は何度も消え、何度も現れた。そのたびに彼女は狂ったようにナイフを振り回したが、六輔にはかすりもしない。

 忍とそらは心底怯えながら戦いを見ていた。これは――本物の殺し合いだ。それも片方は明らかに異形の力を振りかざしている。六輔が少女を挑発したおかげで、二人に火の粉は降りかからないものの、怖い物は怖い。

 少女は上空に現れナイフごと落下してくる。やけくそな攻撃は大振りすぎて当たるわけがない。六輔の動きはまるでコーヒーカップを傾ける時と同じく、優雅だ。

「何で、何で当たらないのよ!」

 悲痛な叫びが広場に響く。悪魔の人払いとやらの影響で、それは忍たちを除いて、誰の耳にも届かない。

「そろそろ終わりにしますか。時間をかけても仕方ないですからね」

 少女がまた消える。玩具をあちこちに向けていた六輔が、広場の中央に視線をやり、まとう空気を変える。

 すうっと両手を挙げ、宙に狙いを定めた。

「――貫け」

 子供の玩具が、白いしぶきを上げ物凄い勢いで何かを発射する。同時に轟音が鳴り響く。

 それは――ダイヤをも切り裂く高圧水流だ。

 何もない虚空に撃った……少なくとも忍にはそう見えた。

 だが、水流がある一点に到達したその時、何もないように見えた場所に少女が現れ、胸から血を吹き出し、アッパーを食らったように中空へ打ち上げられた。

 制服の白地は点々と染まっていく。

「う……そ……」

 少女は胸に風穴を開けられてしまった。もう……助からない。

「報いを」

 冷徹な響き。先ほどまでの礼儀正しい青年と同一人物とは思えないくらいだ。

 少女はばったりとその場に倒れ込むと、それっきり動かなくなった。体はどんどん冷えていき、固くなるのであろう。

 六輔は悪魔のスマホではなく自前のものらしき赤いスマホ――赤色が好きなのだろう――を取り出すと、電話をかけ出した。小声の早口で何やら連絡している。もしかしたら相手は、『幽玄の暁』のメンバーかもしれないと忍は思った。

 すぐに電話を切ると、少女の死体を見下して感情のこもっていない声で言い渡した。

「――節制の力は、水を操るもの。玩具だと思って、甘く見ましたね」

 忍は息をのんで六輔を見据えた。

 強い。

 勝負は一瞬で決まった。音速で動く少女の連撃は六輔をかすることさえなく、一方の六輔の射撃は一発で少女の心の臓を貫いた。

 そしてこれは――他人事ではない。自分も彼や少女と同じ、殺し合いゲームの参加者なのだ。六輔が気を変えれば、その銃口は自分へ向く。

 どうすれば、いい。

 六輔がくるりと忍を振り向き微笑んだので、忍は何か言わなければいけなかった。

「……ははっ。おあつらえ向き、って感じだな。俺に殺し合いと超能力を信じさせるためには、さ。演技じゃないのか?」

 精一杯の強がりだったが、もうハッタリは通用しなかった。それにこの言葉では、自分に悪魔の力がないことを、暗に伝えてしまっている。そんなことにも気が付かないほど、今の忍は動揺していた。

「人一人を騙すためだけに死んでくれる人なんて、いませんよ。この人は僕がついさっき、電話で呼び出したんです。あなたと同じように」

 ごくり、と生唾を飲み込む。冷徹、柔和、無感情ところころ入れ替わる六輔の瞳の色に、忍は完全に圧倒されていた。自分の敗北を認めるしかない。

「……最初に攻撃を避けたのは?」

「空気中の水分がセンサーになってます。早すぎて見えなくとも、触っているかのように動きは分かります」

「……凄い」

 ぽつりと呟いたのはそらだった。

 一陣の風が吹き、横たわる少女の髪の毛とスカートをぱたぱたとはためかせた。枯葉は舞い、冷たい空気は三人に突き刺さる。

「……俺に能力がないってこと、知ってたんだな」

「はい」

 即答だった。この男は、忍のことを殺そうと思えばいつだって殺せたのだ。その可能性を考えると忍は六輔が恐ろしくなってたまらなかった。

「何故俺のことは殺そうとしなかったのに、こいつはおれを信じさせる生贄にしたんだ? どこにその差異があった?」

 恐怖を覆い隠すために、質問を重ねる。六輔の声は徐々に優しくなり、怯える忍を落ち着かせるようなものに変わっていった。

「……調査の結果、ですかね」

 調査。その言葉を聞いて忍は反射的に、紘の死を『嗅ぎまわっている』のは六輔ではないかと考えた。

 そんなことも知らず、六輔は説明をし続ける。

「僕たちはこのスマホを配られた人々を探し、声をかける前に少々予備調査をしています。彼女は『戦車』の力を使って気に入らない人間を殺していた」

 戦車。また謎のキーワードだ。

「なので、今回は犠牲になってもらいました。寿命を奪い取るのは不本意ですが、僕が死んでしまっては幽玄の暁の活動は成り立ちませんので、仕方ありません」

「……ふうん」

 言い訳がましい男だと感じた。だが勿論そのことは口にせずに、六輔から情報を聞き出し続ける。

「しかし、俺がこのスマホを受け取ったのはつい昨日のことだぞ? どうやって俺のことを追いかけることができたんだ?」

「……奴は、グラシャラボラスは、スマホにGPSは付けていないと言いましたよね?」

「ああ、プライバシーがなんとかって……まさか」

 こっくりとうなずく六輔。

「はい。僕たちはスマホの位置を把握するレーダーの開発に成功しました。まだ試作段階ですが、現在七つのスマホの位置を特定しています。……残念ながら、標的としている13番のスマホの在り処はまだ分かっていませんが」

「どうやってそんなことを」

「僕は技術班ではないので分かりません。ですが、このスマホは霊的なオーラを常に発信しているようなのです。スマホがレーダーの索敵範囲に一度でも入り、それを感知できれば、スマホの番号と位置を追いかけることができるらしいです」

 信じがたい話だった。悪魔から押し付けられたものを拒むのではなく、柔軟に受け入れあまつさえ正面から、脇道からと手を変え品を変え器用に立ち向かっている。こんなこと、自分にはとてもできるわけがない。知識や同志がないことを抜きにしても、だ。

「それで俺はまんまとそのレーダーに引っかかったってわけか」

 悔しそうに歯ぎしりをする忍。ゴキブリホイホイにはまった害虫のような気分だった。

「運が良かったと思いますよ」

 六輔は真顔で言い放った。

「どうだか」

 吐き捨てる。

「まだ、いいです。今にきっと分かりますよ。仲間がいることの安心、素晴らしさを」

 忍は唾を吐きたい気持ちになった。六輔にではなく、弱くて情けない自分にだ。

「それで? 俺のスマホの場所が分かってから、どうやって俺のことを『見込んだ』んだ?」

「え?」

「とぼけるな。電話で言ってたろう。『僕たちが見込んだ通りの人だ』って。レーダーじゃ人格は分からない。二十四時間と経たずに俺という持ち主まで調べたのか?」

 六輔は口をつぐみ、気まずそうに視線を逸らした。

「教えてよ」

 そらが言葉を挟む。彼の純粋な口調には弱いらしく、渋々六輔は口を割った。

「……アールオーシーの菊池忍さんと、雪柴そらさん、ですよね。人海戦術だけが取り柄なんですよ」

「けっ。認めたか」

「勝手に素性を洗ったのは謝ります。ですが、これも互いのために……」

「口では何とでも言える」

 次第に反抗性を取り戻している自分に気付く。もうハッタリはないのに、どうしてこんな強気な発言ができるのか? 投げやりになっているのかもしれない。どうせどんなにあがいても、この男にはかなわないだろうと。だったら、口撃ぐらい好きにさせてくれ、とでもいわんばかりの態度だった。カラクリ仕掛けを説く先輩の言葉は頭から消えていた。

「しかも、最初に会った時から俺に能力がないのも気づいてたってことか」

「……電話をかけた時から、です」

「……そのレーダーを開発したのがあんたらでよかったぜ。これがもし根っからのシリアルキラーの手に渡ってたら、と思うと肝が冷える」

 忍の言葉を受け、六輔の顔が真っ青になる。何か悪い夢でも思い出したかのように。

「……そのシリアルキラーが、まだ見つかっていないんです」

 場が凍りついた。蚊帳の外のそらさえも、奥歯をかちかちと鳴らしている。

「なんだと?」

「いや、その人がレーダーを持っているわけじゃない、と思うんですが……。はじめに言いましたよね。能力を悪用している人がいると。それはさっきの女性だけじゃない。いや、彼女はまだマシな方です」

 六輔は力なくうつむき、大きな溜息を吐いた。自分の力が及ばないことがこの世に存在するのが悔しいかのように。

 そして言葉を紡ぐ。想像されうる限り最悪な単語を含んだ、不吉な言葉を。

「恐らく……傾向を見るに、無差別殺人かと」




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