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第三話


 葬式が終わって二時間後の夜。

 二人は今、忍のアパートに転がり込んでスマホとにらめっこをしていた。

 寿命アプリは刻々と、忍に残された僅かな時間を刻んでいく。

 忍はとうとう覚悟を決めた。この不気味な機械と正面対決する覚悟をだ。

 一通り調べたところ、まずグラシャラボラスの言った通りアドレス帳には二十一個の電話番号とメールアドレスが入っていた。それぞれには自分の10番を除いた0から(なぜ1からではないのだろう?)21までの番号が振られていたが、氏名など個人情報を特定できそうな情報は分からなかった。電話やメールなどして直接コンタクトを取るしかない、というわけか。

 他には受信メールボックスに一通だけ、殺し合いの概要を説明するグラシャラボラスからのメールが入っていた。動画で説明されていた内容とほとんど変わらず、あくまで詳細を忘れたときの確認用、といった感じだ。

 そして、どうしても避けては通れないものが残っている。

「……やっぱり、Dコードか」

 それはゲームのようなアプリとしてそこに内蔵されていた。Dの文字をアレンジしたアイコンがさんぜんと輝いているように見えて、まるであの悪魔から誘導されているような気がして、腹立たしかった。

 だが、これをどうにかしなければ、何も証明できない。殺し合いの真偽も、先輩の死についても、何も。

「……起動するぞ」

「うん」

 画面にくぎ付けになっていた二人は、顔を合わせともにうなずいた。

 忍はゆっくりと、人差し指をアイコンに伸ばす。

 日々のバイトで汚れた爪に覆われた指先が、目的の場所に触れた。

 そこには。

「うっ……!」

 表示されたのは、画面をいっぱいに埋め尽くすアルファベットの羅列だった。

「英語……かよっ!」

「ローマ字かもしれないよ?」

「分からねえ、そら、とりあえず俺のパソコンで翻訳サイト開いてくれ!」

 油断していた。

 相手が子供の格好をしていたせいだろうか、暗号といってもクロスワードパズルのようにもっと簡単なものをイメージしていた。取り越し苦労の可能性を秘めていたとはいえ、もっと万全な準備をしてから解読に挑むべきだったのに。

 画面の右上にはまたしてもカウントダウンの数字が点滅している。相変わらず秒刻みで、制限時間は三十分。教科書英語しか習っていない忍に、はたしてこの問題が解けるのであろうか。

「サイト開いたよ!」

 羅列と羅列の間にはスペースが空いている。姿を変えてはいるが、これらひとつひとつが単語ということなのかもしれない。アナグラムか、それとも換字か。暗号のいろはを多少かじっている人間であればそのような推測が頭に浮かんだだろうが、忍とそらにはそれがない。素手でライオンと戦うようなものだ。

「忍、どう?」

「うーん……、ところどころ、『a』とか『the』とかがあるから、英語っていうのは分かる。でもその他が無茶苦茶で、とてもじゃないが読めねえ」

 難解な暗号に忍は下唇を強く唇を噛み、頭を掻きむしった。ただでさえ苦手意識のある英文だ、それをぐしゃぐしゃにされれば到底読めるわけがない。

 それでも忍はDコードに食らいついた。何か、何かヒントは無いか、とっかかりは、一文だけでも読み解けはしないかと、必死に画面に目を走らせた。

 ……だが、努力は次々徒労に終わり、目を乾かして若干の痛みを覚えさせるだけだった。

 画面の下部にある入力フォームの横には『送信』ボタンが表示されている。暗号が解けたら、それをゲームマスターであるグラシャラボラスに送れ、ということなのだろう。しかしその欄が一文字でも埋まることはなく、いつまでもいつまでも、忍は画面を眺め呆然とすることしかできない。

「ねえ、僕にも見せて」

 そらはそう言うとスマホを横からかっさらい、画面に指を走らせた。だが。

「あれ、あれれ」

「どうした?」

「操作できない!」

 忍が覗いてみると、確かにそらがいくら指を滑らせても、画面はスクロールしない。解答欄をタップしても一緒だ。最初の指紋認証が効いているのだろう。

「と、とにかく忍! 僕も読んでみたいから、忍が画面動かして!」

「でもお前も英語駄目だろう?」

「いいから!」

 そらはむきになっているような様子で忍をせかした。忍は仕方なくゆっくりと画面を上下させ、そらにも読めるように全貌を見せてやる。

「うーん……」

「……満足か?」

「ちょ、ちょっと待って」

 だが忍はため息交じりにそらからスマホを取り上げ、そのまま床に突っ伏すとがしがしと頭を掻いた。

「どうすりゃいいんだ……」

 分からない。分からない。分からない。

 疑問符ばかりが頭に浮かび、解法のひとつも思いつきやしない。一体どうすればこの英文もどきを読み解くことができるのか。

 ――自分には、無理なのか?

 このまま運命を受け入れ、二週間で死ぬ……もしくは、どこの誰とも分からない異能者に襲われもっと早く死ぬのかもしれない。

 いや……そもそもこのスマホが悪魔のものだと信じる義理なんてどこにもない。だったらこんな暗号、無視してしまえばいいじゃないか。どうせただの手の込んだ悪戯だ。心配するだけ、損だ。先輩の死は悲しい事故、こんなでたらめと組み合わせて考えてる方が馬鹿げてる。

 そうやって理由をつけて、スマホを投げ出そうとしたその瞬間だった。


 諦めちゃ駄目だ。


 先輩の言葉がふっと頭をよぎる。


「紘……先輩?」

 耳元で声をかけられたような気さえした。

 どうしても立ち向かわなきゃいけない、強い奴。徹底的に負ける瞬間まで抗うことはできる。カラクリ仕掛け……。

 もしかしてそれは、人間相手じゃなくても言えることなんじゃないか?

 暗号のような動きさえしない無機物相手だって、こちらに立ちはだかってくることがあるということを忍は知った。ならばこちらも力を振るって立ち上がれる。遠慮することはない。

「先輩……言いたいこと、分かったよ」

 そう、心を奮い立たせた直後のことだった。

「忍!」

「……えっ」


 Time Over。

 画面に表示された無情な文字が、忍の心をへし折った。

 突然与えられた難問を解くのに、三十分という時間は思ったより短すぎたらしい。

「そんな……」

 無情に画面は暗転し、白っぽく光る文字で、

【Cool Time 24hours】

 と表示された。

 頭に血が上った忍は何度も画面をタッチしたが、反応がない。

 つまり――次に暗号を解けるチャンスが来るのは二十四時間後。

 それまで忍は丸腰で、超能力を持っているかもしれない外敵から身を守らねばならない。グラシャラボラスの話を信じれば、のことではあるが。

 だが、この件で一つ確信できることがあった。

 Dコードは存在した。

 グラシャラボラスの言うとおり、それを解けば悪魔の力を得られるかどうかはまだ分からないが、暗号が与えられているという事実は厳然として立ちはだかっている。これがただの手の込んだ悪戯でない限り、この暗号には何かがある。

「なあ、そら」

「……ん、どうしたの」

 忍はスマホを持ったまますっくと立ち上がり、玄関へ向けて歩き出した。

「柳さんに会いに行こう」


***


「なんだよ、こんな夜中に呼び出して。ネタ作りで起きてなかったらぶっとばしてるぞ」


 紘の相方、三也を二人が呼び出したのは、新宿にそびえる巨大な劇場、新宿アンダーザワールドの楽屋だった。それも一番奥まったところにある人気の少ない部屋で、話を他人に聞かれる心配は僅かでいい。

 ちくたく掛け時計の針が鳴るのが聞こえる。楽屋には他の芸人が置きっぱなしにしていった小道具や鞄、呑みかけのジュースが散らばっていて、壁には無数のステッカーと落書きが張り付いている。そんな乱雑の真ん中に三人は立っていた。

 突然夜中の三時に召集を受けた三也は不機嫌そうな顔をしていた。肌は荒れ、目の下にはクマ。紘が死んでからまともに睡眠をとれていないらしい。スケジュール的にも、精神的にも。

「……藤原さん死んだのに、次のネタ作ってたんですか」

 忍は驚きの念を込めてそう言った。

 自分だったら、もし今そらが死んでしまえば、呆然とするだけで何も手につかないだろう。それを目の前にいるこの男は、ショックにも負けず猛然と次の道へ歩み始めている。畏怖とか、疑念とか、そういうプラスともマイナスとも取りづらい感情が胸に浮かんだ。

「……まあ、な」

 目を逸らし、どことなく恥ずかしそうに、三也は答える。

「どうしてそんなことができるんですか」

「だって、サブマインド終わらせたらいけないだろ」

 焦るような早口、反射的ともいえる素早さで三也はそう言った。だがそれは不思議と言い訳には聞こえなくて、心の底から発せられた言葉のように思われた。

 サブマインドとは紘と三也が組んでいたコンビの名前だ。主にコントを演じていて、少なくともアールオーシーよりはずっと人気があった。

「終わる? だって藤原さんはもう……」

「いないってんだろ。分かってるよそんなこと。だけどな、俺はまだ『いる』」

 言って三也は親指でとんとんと心臓の位置を叩いた。

「だったら、続ける。残す。当然だろ? 芸人としても、人間としてもさ」

「そうっすか? 俺にはよく……」

「分からなくていい」

 少し強い口調で忍の言葉を断ち切る。そらがびくっと肩を震わせた。

「サブマインドは続ける。たとえもう二人でコントはできないとしても、名前は残す。そしてあいつの想いもな。俺はサブマインドの柳として、これからも芸人人生を貫き通す」

 意外だった。

 嫌われキャラの三也が、心のうちにこんな思いを秘めていただなんて、忍は想像もしていなかった。

 彼の目は輝いてこそいなかったが、強い意志を感じられる鋭さを秘めていて、見ている方が惚れ惚れするくらいだった。崩れ落ちずしっかり立っている相方の姿を見て、天国に行ってしまった紘は何を思うだろう。

「それで? 俺にそんなこと聞くために来たわけじゃないだろ。……何か知りたいことがあるのか? あまりほじくられたくねえんだが」

 恥ずかしいところを見られてさらに不機嫌になった三也は投げやりな口調で言った。これ以上ご機嫌を損ねさせる前に忍は慌てて質問する。

「あ、その、実は……亡くなる前の藤原さんのことについて知りたくて」

「死ぬ前の?」

 それを聞いてぴくっと眉を動かした三也だったが、ああ、ああ……と一人納得したような風に何度もため息をつき始めた。

「なるほどな……嗅ぎまわってんのはお前らだったか」

「へ? ……柳さんが最初ですけど、藤原さんについて尋ねたの。なんですか、嗅ぎまわってるって」

「ん? ああ……違うのか。まあ、気にすんな」

 見当違いが悔しくて舌打ちをする三也。忍は『嗅ぎまわる』輩についてちょっと興味が湧いていたが、探索の枝葉は不必要に伸ばすものではない。まずは紘の死についてだ。

「教えてください。藤原さんに変わった様子や行動はありませんでしたか? 恨まれるような覚えは」

「恨み? そんなもん、ねえよ。俺ならともかく、あいつが……」

 三也は忍をぎろりと睨み付ける。

「す、すみません」

 慌てて謝るが、よくよく考えたら三也へ事情を聴きに行こうと最初に言い出したのはそらではないか。そいつは今自分の隣にちょこんと立って話を聞いているだけだ。なんだか不公平な気がして忍は心の中で口を尖らせた。

「まあ、いい……あいつさ、死ぬ三日前くらいからいつにも増して様子がおかしかったんだよ」

「そうだったんですか?」

「ああ、なんだかな……どこまで言っていいもんだか、お前らに」

 歯ぎしりの音が聞こえる。相方が突然掻き消えた悔しさへの余韻か、それとも無遠慮な後輩たちへの苛立ちか。原因は不明だが、とにかく三也は不機嫌だった。だが、今のところ、情報提供には比較的協力的なようだ。

「もともとおかしな奴だったが……それは菊池、お前なら知ってるだろ? まあいいが。とにかく、実家に手紙書いたりな、大事にしてたもん後輩に配ったりして、身辺整理そのものだったよ。まるで自分の死を予期してたような……今思えば、あいつなりのサインだったのかもな……」

「でも、先輩は自殺したわけじゃない」

「ああ、んなこた分かってる」

 三也はうんざりしたような声色で忍の言葉を肯定した。眉間にしわを寄せ、つま先を細かく震わせ床を鳴らす。忍は言葉をより一層慎重に選ばなくてはならなくなった。

「とにかく……藤原先輩は自分に何が起こるか予期してるみたいだったんですね」

「ああ」

「心当たりは……ありますか?」

 一瞬、逡巡したような目つきをしたが、すぐに首を横に振った。それを見て忍は溜息をもらすが、そらの目の色は違っていた。

 そらがすう、と息を吸った時、忍は嫌な予感がした。たった数年の付き合いだが、専用の勘は発達している。だが、少しばかり遅すぎた。

 純粋な青年は、臆せず尋ねる。

「ねえ、先輩……何を隠してるの?」

「……そらっ!」

 ――踏み込むのはやめろと警告しておくべきだった。途端に三也は顔色を真っ青にし、わなわなと震えだした。

「てめぇ……デリカシーってもんはねえのか?」

 その声は怒りに満ちていた。積もり積もった苛立ちが爆発寸前、いや、もう、止めることはできない様子。

「す、すみません、こいつ……」

 必死に言い訳を考えるも、通用しない。

「出てけ」

 手の届く範囲に立っていた忍の肩を突き飛ばす。バランスを崩して後ろに倒れる忍をそらがとっさに支えた。

「やっぱり、『嗅ぎまわってる』じゃねえか」

「ちが……」

「仕事以外で、二度と俺の前に姿を現すな」

 三也はそらにもたれかかったままの忍をぐいぐいと押し、二人を出口までお連れする。踏ん張ろうと足に力を入れたら、尖った靴先で蹴飛ばされた。

「先輩! 話、聞いて! 聞かせて!」

 そらは押し出されながらも諦めない。それが火に油を注ぐ結果になるとも知らずに、ただただ叫び続ける。

 三也が目つきを険しくしそらを睨み付けた。何にでも噛みつく獣。それが彼の本来の姿だと忘れていたから、二人はほいほいと彼を呼び出すことができたのに。

「紘の死を汚すな。――失せろ」

 チャンスは失われた。

 もみくちゃになった二人の前で扉は無慈悲に閉められ、それっきり開けられることはなかった。そらはドアノブに手をかけようとするが、その手をそっと忍が押しとどめる。

「今日は、もうやめよう」

「だって……」

「……お前の言うとおり、先輩が何か隠してたとしても、今はそれを尋ねる時じゃない」

 そらの直感は諸刃の剣で、特に三也のような相手には負の面ばかり発揮してしまう癖がある。聞かれたくない、探られたくないところまですいすいとたどり着いてしまって、蜂の一刺しのようにピンポイントにそこを突いてしまうのだ。

「お前を責めたりはしないよ――俺も聞きたいことは山ほどあるからな。まあ、でも……なんというか」

「……ん?」

 首を傾げるそら。忍はもう一度溜息をついた。

「不毛だな。なんとなく」

 せめて、紘が見慣れないスマホを持っていたかどうかさえ聞けていればよかったのに。もうこれで何度目になるか分からない後悔をするが、仕方ない。

「忍……」

「他のアプローチを探すぞ」

 ぐずぐずしているそらを置き去りにして、ゆっくりと忍はその場を立ち去る。その背中に悲しみと諦めを背負いながら。


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