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第一話

 葬式は冗長だ。親しい人間の葬儀に参列していてさえ、菊池忍はそういう風に考えていた。だだっ広い畳の部屋で、自分と同じ参列者に紛れ、眠たくなりそうな読経の声を聞きながら、負の感情を噛み殺している。確かに弔うことは大切だ。だが、やっていることが斜視がかっているのじゃないかと、もっと死者のためにできることがあるのではないかと、そんな疑問が脳内を渦巻いて仕方ないのだ。

 そう、この場合たとえば――目の前の黒縁の中でにっこりと微笑んでいる当人、藤原紘の本当の死因について調べる、とか。

 敵を作らない穏やかな性格、その一方でどこか不可思議なムードを漂わせている人だった。その雰囲気は遺影にも表れていて、写真に写る彼の表情はとてもほがらかだ。

 目撃者のいないひき逃げによる頭部強打、及び全身打撲……その衝撃によるショック死。それが紘先輩の死因だと聞く。だがそんなものは嘘、いや、悲しい誤認だ。すべてを知るとは言わないが、真実の欠片を持っている忍はそう確信していた。

 先輩は話してくれた――なのに自分は耳を傾けなかった。

 もしかしたら、もっと自分が先輩の言葉を大切に受け取っていれば、こんなことにはならなかったんじゃないのか。

 後悔は必ず間に合わなくて、そのせいで人間はいつもむごい思いを抱える羽目になる。


***


「なあ、忍」

 あの日紘はいつもの穏やかな笑みを浮かべ、楽屋でくつろぐ忍に語りかけてきた。

「なんすか」

「ちょっと質問なんだけど」

「いつもの、ですか?」

 やれやれといった様子で忍は溜息をつき、突っ伏していた机から離れてパイプ椅子の向きを変え、座り直す。一方の紘は数歩離れたポイントに立ったままだ。忍は売れないお笑い芸人。紘も似たようなものだ。そして先輩芸人がやってきたら、まず席を譲るのが普通。その常識を無視できるのも、先輩のお願いに対し堂々と溜息をつけるのも、二人の仲の良さがなせる業だった。

「お前、今日から超能力が使える、っていきなり言われたらどうする?」

 変わらぬ微笑み。無邪気なさまはまるで子供のようで三十五を優に超える成人男性にしては似合わないものだが、いつものことなので忍は困惑しない。現に、さまになっている。

「疑いますね」

「へぇ、実際に使えることが分かっても?」

「はい。夢か勘違いじゃないかってまず思うでしょう」

 そう言って忍もにやりと笑い、目を細めた。二人の白昼夢のような会話のキャッチボールはいつもこの笑みの交し合いを含んでいる。

「超能力なんて馬鹿げてますよ、ユリ・ゲラーだって法廷で自分の能力を証明できなかった」

「そうだね。あの話は僕も好きだよ。だけど、さ。それはそれ。もしもの話。スプーン曲げとか透視能力とかステレオタイプのものじゃなくって……たとえば、漫画に出てくるようなさ。炎を出すとか、物を凍らせるとか、そういうことができたとしたら、菊池はどうする? 使う?


「先輩、食らいつきますねぇ」

 忍はくつくつと喉の奥を鳴らし、上目づかいで紘の目の中を覗きこむ。相変わらず深い茶色が美しい目だ。だからこんな途方もない益体もないどうしようもない空論ができるんだろう。

「そこまで言うなら検討しましょう、使ってみましょう。たとえば先輩は僕に、どんな超能力をくれますか?」

「そうだなぁ……じゃ、シンプルに。炎を出す、というのは?」

 紘はいつの間にか手の中に隠し持っていたライターを、手品師のような早業で取り出すと、カチリ、火をつけた。行き場をなくしたオレンジ色の火が、百円ライターの貧弱なオイルを燃やしてゆらゆら揺れる。

「規模は」

「人を殺せるくらいの」

 さらりと言ってのける。

「また物騒な」

 今度はポケットから煙草を取り出して、ライターにかざす。火のついたそれを口にくわえたまま一本薦めてきたが、忍は断った。

「で、どうする? 使う、使わない?」

 紫煙を吐き出しながら、またにこりと笑って、紘は聞いてくる。あくまで答えを求めているようだ。それも執拗に。

 紘にはこうやって、仲の良い人間を捕まえては手当たり次第に空論をぶつける悪い癖があった。もっとも、そのターゲットとなるのは、逃げ足の遅い忍が大半であったが。ついでに忍がそれを嫌っていないのも遠因だった。

「そうだなぁ……まず、隠しますね」

「ほほう。そのこころは?」

 楽しそうに問いてくる紘。

「あなたの近くにいる人が、人をいつでも殺せる凶器を……超能力という何の法律にも縛られない形で持っていたとしたら、怖いでしょう? 避けるでしょう? 僕は人づきあいが苦手です、これ以上煙たがられるのはごめんだ」

「なるほどね」

 少し納得のいった様子の紘。だが、彼の追跡はまだまだ終わらない。

「隠したとして、さあ、どうする? どうやって隠すのさ。一生使わない? それともこっそり使う? 大事な人にだけ教える? 課題はたくさんあるよ」

「やれやれ、先輩の質問癖にはほとほと嫌気がさしますね」

 そうは言いながらも忍は楽しそうだった。舞台で滑った記憶で落ち込んでいるより、こうやって紘と他愛もない時間を過ごしている方がよっぽど有意義な気がしたからだ。

 こつこつと指で机を叩きながらしばし考えにふける。もし自分が人を殺せるほどの炎を出せたら……それを隠して生きるとするならば……。

「理由、がほしいですね」

「理由?」

「はい。隠すんだったら使わなければいい。実にシンプルな回答です。だけどどうしても超能力を使わないといけないとするならば、なぜ使わないといけないのか。何の理由もなしに強すぎる力を振り回すことは、僕にはできそうもありません」

 その言葉を受け、今度は紘が思考に入る。あくまでも嬉しそうに、遊戯を楽しむ子供のように。

「そっかぁ……理由かぁ……」

 そのあたりから適当な椅子を引きずってきて、どさっと座る。どうやら本格的に頭を動かす姿勢に入ったようだ。ニコニコ笑いを崩そうとはせず、それはまるで本心を覆い隠す仮面にも見える。うがった見方をすればだが。

「じゃあ……どうしても倒さなくちゃいけない相手がいる、とか」

「敵ですか?」

 予想していなかった方角からの回答に、忍は声を裏返す。まさかの少年漫画的展開。

「そう、敵。しかも向こうも凄い力を持っている」

「そいつはこっちに危害を加えてくるんですか?」

「かなり、ね」

「じゃあ戦いますよ……勿論、周囲に被害の出ないように心掛けながら、ですが」

 想像してみる。強い力を持った有害な存在が、自分に襲い掛かってくる。抗う術はわが手の中にしかない。死にたくない。それならば、戦う。まるで誘導尋問のようなストーリー。忍は紘に操られているような気がした。

 それがほんの少し腹立たしくて、忍は鋭い目で先輩をねめつけ、言い放った。

「ところで……妙にリアリティのある言い方ですね。それも間髪入れずに返してくるときた。もしかして、現実に則してます? 何かの相談ですか?」

 言いながら忍は乾いた笑い声を上げた。超能力の相談事など。どうせそうだったとしても、何かの比喩表現だろう。

 しかし紘は表情を曇らせた。

「――先輩?」

「忍。あの、さ」

 紘は随分短くなった煙草を灰皿に押し付けて、二本目に火をつけてから語りだした。

「笑わないで聞いてほしいんだけど」

 笑顔は消えていた。長い付き合いの中でもほとんど見たことのない、真剣な表情。大事な舞台の袖でさえ、こんな凛々しい顔をしていたことはないかもしれない。

 忍はごくりとつばを飲み込み、

「分かりました」

 その真摯さに応えた。

「ありがとう」

 一瞬だけ紘の口元が緩む。だがそれもすぐに消え失せ、その口は淡々と渾身の教授を紡ぎだす。

「人生ではさあ……どうしても、立ち向かわなきゃいけない、ってときがあると思うんだよ。たとえ相手がかなわないくらい強い奴でもさ……。でも、そんなときに諦めちゃ駄目なんだよね」

 この人は何を言っているんだ? とりとめもない空想の話をしていたのではなかったのか。忍は疑問を抱いたが、それを知らない紘は構わず続ける。

「結局、最後は強い奴が勝つんだよ。それは仕方ない。だけど、徹底的に負けるその瞬間まで抗うことはできる。そうしているうちに、もしかしたら力関係が逆転するかもしれない……何か、カラクリ仕掛けみたいなことが起きてね。だから、諦めちゃいけないんだ。分かる?


「……先輩、相変わらず禅問答」

「ははは。言ってくれるなぁ」

 一度だけ笑った紘は困ったように頭を片手で押さえ、まばたきを二回するとまた真顔に戻った。

「あとね、忍。仲間は大切にしなきゃ駄目だ。そうそう、お前の相方だってそうだよ。長いこと探して、ようやく組んでくれたんだろ? そういう風に人とのつながりっていうのは、簡単に切れる割になかなか結ばれないものなんだよ。だから、一度つないだ手は放すな


 随分と説教くさい。忍の心に浮かんでいた感情はそれだった。どうしても紘の言葉が心に突き刺さってこず、なんだか他人事のような気がしていたのだ。

「……なぜ突然そんなことを僕に?」

「……さあてね。なんでだろう。俺にもよくわからない」

「はぐらかしてるんじゃないですか?」

 忍は追い込みをかけた。だが、気が付くと紘の顔にはまたいつもの微笑みが張り付いていて、これ以上の情報を聞き出すことはできそうになかった。

「それじゃ、そういうことで」

 紘は話の最後を苦笑いで濁らせた。部屋には彼が吹かした煙草の煙の臭いが漂っている。

 紘からの一通りの忠告を受けたその数秒後、忍はある違和感に気付く。

 ――先輩は煙草を吸う人だったか?

 尋ねるために顔を挙げたとき、紘は部屋を出ていくその瞬間で、背中に声を投げかけることが、なぜだろう、どうしてもできなかった。


 紘が「交通事故」で謎の死を遂げる三時間前のことだった。


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