39話 英断
六花が救出されてから三日ほど経ち、普段通りの日々に戻っていた。
六花が誘拐されたことは特に騒ぎにはなっていなかった。水野が最低限の人間にのみ情報を回したため、臨時都市の住人の九割はこの事を知らないだろう。その理由は至って簡単で、臨時都市内での混乱を防ぐためだった。
今回の件をまとめ終えると、水野は志宮に書類を渡した。
「なんにせよ、臨時都市内での被害は無い。とりあえずは良しとしようかな」
「被害が出なかったのは幸いですが、警備システムに問題があるかと思います」
志宮の厳しい指摘に水野は苦笑いする。
「まあ、今頃は東條君が頑張っているはずだよ。数日とかからずに改善されるだろうね」
水野はそう断定する。その様子からは東條に対する信頼の強さが感じ取れた。
「それと……」
志宮が書類を片付け終えると、水野は再び口を開いた。
「結原君の言っていたウォーライクの位置は正しかったようだ。今朝、偵察隊が帰ってきた」
水野は結原からその話を聞いてからすぐに偵察隊を派遣した。もしウォーライクが臨時都市に近いならば、尚更放っておける話ではなかった。そして、人間の足で三日で往復できる距離にある、というのはかなり近いということを表していた。
「しかし、臨時都市の近辺に大きな建造物は無かった筈ですが……?」
志宮が疑問符を浮かべながら首をかしげる。その質問に、水野は苦笑しながら答える。
「大規模な地下施設があってね、そこで研究をしているらしいんだ。偵察隊も地下から上ってくる人間を何人も目撃したらしい」
「そうでしたか」
「恐らく、単純な戦力ではあちらが上だろうね。ただ、あちらに魔物の生産システムがあるとして、それを破壊するくらいなら不可能じゃない」
水野の言葉は、裏返せばそれしか出来ないということだった。
ウォーライクは軍事会社だ。武器生産から戦略、人員まで全てが揃っている言わば戦争のスペシャリストだ。それに対し、臨時都市はただの民間人の集まりだ。技術のある者や戦える者が集まっているとはいえ、ウォーライクには明らかに劣っている。
零曰く、自分たちのように魔道具を上手く扱える者はウォーライク側に三人いるらしい。試作型魔道具を与えられた人数は七名。その内三人が臨時都市に、三人がウォーライクに、一人は行方を眩ましている。
問題は、ウォーライク側には量産された魔道具があることだ。結原の屋敷で回収されたウォーライクの戦闘部隊の死体は魔導銃を持っていた。零の魔導銃とは違い身体能力の強化はされないが、そのために量産が可能となっている。
その点を考えれば、ウォーライクの人間は全員が魔道具を持っていると考えられる。それだけで臨時都市との戦力差は明らかなものとなる。
「最悪の場合、ウォーライクはこちらに攻め込んでくるだろう。今はまだいいが、いずれ必ず戦争になるだろう」
「では、どうしますか?」
「勿論、戦争を仕掛ける。奇襲を仕掛ければ十二分に戦えるだろう。問題は、臨時都市に敵が攻め込んでくることだ」
臨時都市の防衛システムはまだ完成されてはいない。三百人ほどの歩兵と固定砲台がいくつかあるくらいで、ウォーライクに攻め込まれれば、殲滅されてしまうのは時間の問題だ。
「捨て身の奇襲、ですか」
「そうだ。住人の命を危険に晒すことは気が引けるが、それしかないだろうね」
「それで住人たちが納得するでしょうか?」
志宮は問う。水野が本気ならば、要するに、住人に犠牲を出してでも魔物の発生を食い止めるということだ。
零たちが上手くやればウォーライクを潰すことだって可能かもしれない。しかし、可能性は極めて低い。そのために住人の命を危険に晒す価値があるのか、志宮は問う。
「これが最善の策じゃないことは解っている。捨て身の奇襲を仕掛けるか、長く生きることを選ぶか」
水野自身、いまだに悩んでいた。本当にこれが正しい選択なのかを。だからこそ、自分に言い聞かせるように水野は言う。
「だからこそ、だ。自分にとってどちらが良いかじゃない。客観的に見てどちらがマシか、それで選ぶんだ」
どちらの選択肢も悪いものだ。水野はそれを踏まえた上で決断を下す。
「臨時都市以外にも生き残りが集まっている場所があるかもしれない。ならば、そのために未来を切り開いて死ねたならば、それは本望だ」
水野は志宮に言うと同時に自分に言い聞かせる。これは大きな決断であり、間違いは許されない。
水野は深呼吸をして、口を開く。
「ウォーライクに戦争を仕掛ける。急いで零君たちを召集してくれ」
「わかりました」
志宮が部屋を出ていくのを見送り、水野は大きく息を吐いた。そして、窓から臨時都市の景色を眺める。
「この決断が英断であれ」
水野はそう祈った。
次回から新章に入ります。