30話 侵入
「ふわあ……」
六花は可愛らしくあくびをする。ここ最近は特に大きな出来事もないため、熟睡できているのだ。
布団から出ると、パジャマ姿のままで自室を出て、一階にある洗面所へ向かう。
若干寝ぼけながら歯を磨く。シャカシャカと歯ブラシを動かす手にもあまり力が入っていない。
顔を洗ったところでようやく目が覚め、六花は寝癖を直す。栗色の長い髪は母親譲りで、本人も気に入っている。
再び自室に戻り、服を着替える。まだ零と石井は目を覚ましていない。六花が二人より早く起きたのは朝食を作るためだ。
キッチンに向かい、材料を用意する。食パンとベーコン、卵、レタス、トマトを用意すると、六花は調理に取りかかる。
昨晩作っておいた茹で玉子の殻を剥き、みじん切りにする。それをボウルに移すと、マヨネーズと塩コショウで味付けをした。
レタスは食パンと同じくらいのサイズに手でちぎり、それをいくつか作る。
トマトは薄くスライスしておいた。
パンの耳を包丁で切って、耳はよけておく。あとは具を挟めば完成だ。
パンに先程作った茹で玉子をマヨネーズと混ぜたものを入れ、タマゴサンドを作る。ベーコンとレタスとトマトをパンに挟み、ボリュームのあるBLTサンドにした。
お皿に並べ、サンドイッチの出来栄えに六花は満足する。
しばらくして、二人が起きてきた。石井はサンドイッチを見るや、少しでも早く食べようと席に着く。
「「「いただきます」」」
三人が手を合わせて言う。石井が我先にと手を伸ばし、タマゴサンドを手にとる。それを口に運び、幸せそうに口元を緩めた。
「なんて旨いんだ! これで今日も頑張れそうだ」
石井は腕を上げて、大袈裟に元気を表す。その様子が可笑しかったのか、六花はクスクスと笑った。
「旨いな」
BLTサンドを食べながら、零が呟く。手軽に、なおかつ腹持ちが良いため、弁当にも向いているだろう。
六花は二人の反応を確認して、満足げに微笑む。そして、自分もサンドイッチに手を伸ばした。
食事を終え、二人を送り出す。六花は特にやることもなかったので散歩に出掛けることにした。
ドアを開けると、冷たい夜の空気が六花を包む。魔族が現れてからは、常に世界は夜になっている。
外は暗く、街灯の灯りが頼りだ。北区は特に複雑な地形にはなっていないため、よほどの方向音痴でなければ迷うことはないだろう。
考えてみれば、いつも商店街にしか行っていなかったため、他の道はほとんど通ったことはなかった。初めて歩く道は新鮮で、六花はキョロキョロと辺りを見回しながら歩く。
臨時都市は避難するための場所であり、これといった面白い建造物はない。あるとすれば、唯一の高層ビルである中央だけだ。
しばらく歩き、ようやく中央が見えてきた。久々に見る高層ビルに、六花は安堵する。いつかは昔のような世界に戻る、そんな安心を六花は感じた。
中に入ることは出来なかったが、六花には眺めるだけでも楽しめた。そろそろ帰ろう、そう考えて歩き出すと同時に、何かとぶつかって尻餅をついてしまう。
「だ、大丈夫かい?」
ぶつかった相手は男性だった。身長は百八十くらいだろうか、体は細めだが、活発そうな見た目をしていた。年齢は二十代後半といったところだろう。
男はいきなり少女とぶつかったことに少し狼狽えつつ、尻餅をついている六花に手を差し伸べた。
「ありがとうございます」
六花は手を掴み、起き上がらせてもらう。男は「怪我はない?」と心配そうな表情でこちらに尋ねてきたので、悪い人ではないだろうと六花は思った。
「いや、すまないね。ちょっとぼうっとしちゃってさ」
「いえ、私も注意不足でした」
男は六花の礼儀の良さに感心する。
「君も避難してきたんだよね? その歳で大変だったろう」
「私は大丈夫です。少し辛いけれどみんなもいるし……」
「そうか、いい仲間がいるんだね」
「はい!」
六花は嬉しそうに答える。それから他愛の無い雑談をして、互いの話を聞いた。ある程度時間が経った辺りで、六花が思い出す。
「そういえば、自己紹介してなかったですね。私は天川六花っていいます」
「天川六花……六花ちゃんだね」
天川六花という名前を聞いたとき、なぜか男の表情に陰りが見えた。辺りが暗いために六花は気づかなかったが、その表情の理由は本人にしかわからない。
「僕のことは松崎って呼んでくれればいいよ」
「じゃあ、松崎さんですね。よろしくお願いします!」
六花はペコリという擬音が似合いそうなお辞儀をする。それを見て松崎は微笑むが、その表情は暗かった。