崩れる世界
ラズは支度を済ませ、レストランに向かっていた。
枯葉の季節となり硬い風に揺れる木々はカサカサと音を立ていた。
ラズは、少しかじかむ手に、両手に息を吹きかけながら
「ふぅ、早くお店を温めなきゃ」
と少し歩を速めた。
すると、落ち葉がそっと肩に寄り添ってきた。まるで語り掛けるように。
「ふふっ、君も私の肩がお気に入りかしら?」
その時、強い風が吹き、生気を失ったその季節の欠片は、一瞬でラズの肩を離れ、天へと舞い上がっていった。
目で追おうとしたが、その姿は瞬く間に青の世界へと消えていった。
―オープン1時間前
ピンと張ったテーブルクロスの上に、一輪挿しを添えていく。
本当は、この準備はレイが行うはずだった。
(レイは何をしているのかしら…、金物屋はそう遠くなかったはずなのに…)
歩いて行ったから、時間がかかっているのかもしれない。
必要なものが揃わなくて、別の店に行ったのかもしれない。
そんなことを考えながらも、しきりに時計を気にしていた。
少し不安になる気持ちを、声に出して払っていった。
「いよいよ、今日からだもの。きっと緊張してるのね。大丈夫、大丈夫」
そう言いながらも、胸の奥に少し重いものを感じていた。
ふと、さっきの落ち葉の行方が気になった。
店の電話が鳴った。
――プルルルル。
その音は、怯えるように震えていた。
何かを躊躇うように、ラズは受話器を取った。
「レイさんのお知り合いのかたでしょうか?こちら…こちら警察のものです」
さっき振り払ったはずの不安は、耳鳴りのような音とともに再びラズに襲い掛かってきた。
「レイさんが交通事故に巻き込まれました。……残念ですが。」
受話器の重さが現実を訴え、気を失いそうなほど視界が真っ白に染まっていく。
店を飛び出したラズは、自分でもどうやって病院にたどり着いたかもわからなかった。
いつの間にか擦りむいている膝、そして激しい息のまま、案内された先には――、冷たくなったレイの姿。
ラズは足元から崩れ落ちた。
「レイ……? ねえ、冗談でしょ……? ねえ……レイ……?」
悲しみなどという感情ではなく、ただ驚きと目の前の事への拒絶がラズを支配していった。
二人の警官がゆっくりと近づく
「ラズさんですね?」
「レイさんの服に、これがありました。
手には白い箱、そして……紙袋を抱えていたようです。」
レイの服には、手紙があった。そして、少し破れた紙袋には、小さな文字が刻まれたプレートが――。
まるで行き場所を失ったかのように、ただ、静かに寄り添っていた。
希望の光を放っていたであろうその封筒には「ラズへ」と書かれていた。
すでに感覚のない指先で、折り重なったメッセージを、ゆっくりと、元の姿に戻していった。
手紙には、レイの想い、ラズへの愛が言葉となって息づいていた。
―――
ラズへ
僕とラズの夢、そしてシャルルな恋人たちのためのレストラン。この秘密の暗号を閉じ込めた二人の愛の形をやっと作ることが出来たね。
クレアとラポーレを詰め込んだこのレストランで、新たな恋人たちが君の料理で愛の言葉を紡いでいくことを想像してごらん。
出会った時の僕らのように、きっと深く結ばれて、ラポーレを、未来へ受け継いでくれると思うんだ。
そんな光景を二人でずっと見届けようよ。
ラズ、僕のラズ。この愛に溢れる二人の空間を、二人の世界を、今日から一緒に歩いて欲しい。
ファン、シャルル クレア ラズ。永遠の幸せを約束する。このリングに誓って。
レイより
―――
手に取った白い箱には、ラズへの永遠の誓いが、レイの想いとなって輝き、収められていた。
「レイ…?」
声にならない声を、かすかに響かせながら、拒絶が、悲劇に飲み込まれそうになるのを必死に耐えていた。
震えが止まらない中、もうひとつの、レイがラズに委ねたものがあった。
文字の刻まれたプレート。
地面と擦れ、引っ掻いたような傷がついていた。
しかし文字は、はっきりと刻まれていた。
[Les deux premiers clients : Ray et Raz] (レ・ドゥー・プルミエ・クリアン レイ・エ・ラズ)
(最初の二人のお客様 レイとラズ)
そのプレートには、固定するための二つの小さな穴が少し離れて空いていた。
そして、裏にはこう書き記されていた。
”全ての シャルル ラポーレの 恋人たちのための席”
レイは二人の新しい愛の形と訪れる恋人たちへの思いを、ラズへのクレア(=愛)を、あの特別な席に閉じ込める魔法をかけようとしていた。
永遠に最初の二人。
全てを悟ったラズは、レイが遺した温もりを胸に抱えた。
レイとの日々が頭の中で回想する。
何気ない日常、愛し合う二人、キスの温もり…
「レイ…、レイ…」
いつもの寝顔のような、安らかなその表情は、今にも「ラズ?泣いているの?」と話しかけてきそうだった。
ラズは頬を指で這うようにレイのわずかな温もりを探し求めた。
「いや…レイ…置いてかないでよ…」
強く体をゆすっても、レイの体はいつものように目覚めてはくれなかった。
ラズ溢れる涙は、レイの頬に落ち、静かに滲んでいった。
「いやぁぁー!置いてかないでぇぇー!」
レイには届かない悲鳴は空しく、ラズの心は音を立てて崩れていった。
伝えることができなかった後悔が押し寄せる中、震えた左手が、ラズの中のもう一つの命の鼓動にすがっていた。
やがてラズは、暗闇に落ちていく。
希望という光が手から零れ落ちるように。




