第二部 第二章:再会の譜面
東京・下北沢の古いスタジオ「Sound Shelter」。
十年前、〈残響街〉が最後に音を合わせた小屋が、奇跡的にまだ残っていた。
看板のペンキはすっかり剥げているが、
「ここでしか鳴らない音がある」という噂だけは生き続けていた。
平幹夫が最初に入る。
続いて岸、そして大谷。
三人がスタジオに揃うだけで、空気の密度が増した。
「タカコは?」と岸が尋ねる。
「準備中。新しい子を連れてくるらしい。」と平が言う。
「新しい子?」と大谷が眉を上げた。
「ああ、若いシンガー。彼女曰く“残響街に歌の未来を見た”とか。」
その言葉に、岸が苦笑した。
「未来、ねぇ……俺たちは今をやっと掴んでる気がするのにな。」
ドアが開き、宮城タカコが入ってきた。
淡いブラウンのスーツ、髪を後ろでまとめ、
かつてとは違う品と落ち着きを纏っている。
その後ろには、緊張した面持ちの若い女性が立っていた。
「紹介するわ。
音大の研究生で、“凛音”ちゃん。
私がボーカルをやってた頃、ずっと客席にいてくれた子。」
凛音は深く頭を下げた。
「宮城さんの声に救われました。……だから、少しでも近づきたいんです。」
平が優しく笑う。
「いい目してるな。リズム、感じる顔だ。」
「試しに歌ってみる?」と宮城。
凛音がマイクの前に立ち、深呼吸をして歌い始めた。
声はまだ細いが、芯に油断のない強さがある。
幼さの中に、確かに“あの頃”の火の欠片があった。
大谷がギターを掻き鳴らした。
岸が低音を支える。
平がスネアを打つ。
宮城が凛音にアイコンタクトを渡す。
音が重なった瞬間——スタジオの壁が一瞬、震えた。
その場にいる全員が息を呑む。
仲タモツがドアの外で腕を組みながら呟く。
「……まるで若い頃の“再演”だな。でも、今回は繋がったまま終われそうだ。」
リハーサルの休憩中、
宮城はふと仲に尋ねた。
「芸屋ヒロシ、来ると思う?」
仲は煙草をくわえ、ため息混じりに笑う。
「来るさ。呼ばれた音があれば、あいつは必ず帰ってくる。」
その瞬間、スタジオの入口でドアベルの音が鳴った。
全員が振り向く。
光の逆光の中に、一人の男の影が立っていた。
黒いコートにギターケース。
その手には、見慣れた、傷だらけのストラトキャスター。
「……久しぶり。」
芸屋ヒロシの声は低く、どこか懐かしさを帯びていた。
凛音が息を呑む。
「ほんもの……!」
平が立ち上がり、スティックをひとつ投げた。
芸屋がキャッチして、少し笑う。
「相変わらず、投げ方が荒ぇよ。」
「受け止めるのはお前の役目だろ。」
沈黙のあと、再びチューニングの音が鳴る。
それは十年ぶりの“始まり”の音だった。
演奏が始まり、スタジオ中にあの特徴的な歪みが蘇る。
だが、今度は暴走ではなく、導き合うような響き。
芸屋と大谷、ふたりのギターが絡み、
宮城と凛音が掛け合うように歌う。
まるで、過去と未来が一曲の中で抱擁しているようだった。
演奏が終わった瞬間、誰よりも先に拍手したのは岸だった。
「やっぱり、俺たちは“街”そのものだな。音が途切れても、人がいれば鳴り続ける。」
芸屋がふと笑った。
「“残響街”……かつての名前、悪くないな。」
夜、スタジオを出ると雨が降っていた。
宮城は傘を差しながら空を見上げる。
「ねぇ、また始めよう。今度は、途切れないように。」
平が頷く。
「ああ。今度は誰も、音を置いていかねぇ。」
その言葉に凛音がそっと微笑んだ。
――その笑顔に、確かに“未来”があった。




