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残響(連載版)  作者: yashiki2005
13/20

スピンオフ短編:岸「沈黙のリズム」

朝の光がうっすら射し込む狭いスタジオ。

岸はベースの弦を一本ずつ磨いていた。

ステージに立たない日は、こうして指先の感触を整える。

磨くたびに、かつての“音”が脳裏に蘇る気がした。

手を止め、静かに弦の上を指で滑らせる。

——まだ鳴らしていない音が、指の中で脈打っていた。

音楽仲間からは、“無口な基礎職人”と呼ばれている。

派手なソロも、ステージで目立つポーズもない。

だが〈残響街〉のレコーディングでは、彼の一音が全員の呼吸を決めた。

平がいつか言っていた。

「岸がズレねぇから、俺は思いっきり叩けるんだ。」

それが誇りでもあり、呪いでもあった。


昼、後輩のバンドが練習に来ていた。

岸は仕込みのように隅でコーヒーをすすりながら、彼らの演奏を聴く。

完璧なテンポ、きれいに揃ったハーモニー。

でも、何かが引っかかった。

音が“怖がってる”。

攻めない低音、守るコード進行。

譜面上は正解でも、魂が鳴っていない。

岸はぼそっと言った。

「間違ってもいいから、もっと外して弾け。」

若いベーシストが驚いたように振り向く。

「そんなこと、教わったことないです。」

岸は短く笑った。

「俺も、あいつらに会うまでは知らなかった。」

夜、誰もいなくなったスタジオで、岸はベースを構えた。

アンプの電源を入れずに弦を弾くと、空気の震えだけが指先に返ってくる。

その微かな響きが、心の奥に真っすぐ届いた。

「あいつらの音、まだ響いてるんだな。」

窓の外には街の灯り。

タクシーのライトが流れ、遠くから店のシャッターが閉まる音が聞こえた。

その何気ない雑踏さえも、今はリズムに聞こえる。

岸はゆっくりとドラムパターンを思い描き、そこに自分の低音を重ねた。

無音の中に広がる、静かなセッション。

その音は誰の耳にも届かない——

だが、確かにこの街に残っている。

彼はふと笑った。

「……沈黙も、リズムの一部だ。」

翌朝、若いバンドのベーシストからメッセージが届いた。

〈昨日言われたこと、やっと分かりました。音が呼吸してる気がします。〉

岸はスマートフォンを閉じ、楽器ケースを肩にかける。

そして独り言のように呟いた。

「それでいい。あいつらの残響が、ちゃんと残ってる。」

彼の歩く後ろで、自動ドアが閉まるとき、小さな低音が鳴った。

短いけれど、確かな残響だった。


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