スピンオフ短編:宮城タカコ「声の棲む場所」
深夜一時。
レコーディングを終えた宮城タカコは、誰もいないスタジオに残っていた。
マイクスタンドの前に立ち、声を出さずに深呼吸をする。
静寂に包まれた空間の中、空気の震えだけが耳に届いた。
ガラス越しの調整室には、もう誰もいない。
だが、タカコには聞こえる——かつての音。
平のスネア、岸のベース、大谷と芸屋のギター。
あの「残響街」の音が、まだこの部屋のどこかに息づいている気がした。
「ねえ……まだ、聴こえるよね。」
呟きながら、彼女は小さくハミングを始める。
メロディは新曲の断片。
ところが途中で、別のフレーズが自然に混ざる。
——十年前、芸屋が作った“未完成のサビ”だった。
思わず笑ってしまう。
「勝手に混ざるなんて、ずるいな。」
彼女はマイクボタンを押した。
録音を開始して、部屋の灯りをひとつ落とす。
ピアノのリズムを軽く打ち込み、そこへ自分の声を重ねていく。
夜の静けさの中で、誰にも聞こえない小さなセッションが始まった。
歌い終えると、モニターの波形が穏やかに揺れていた。
タカコはしばらくそれを見つめ、ヘッドホンを外す。
口元に静かな笑みが浮かぶ。
「……思い出じゃなくて、今を歌えた。」
モニターの隅に残った赤い録音マークが消える。
その瞬間、窓の外から夜の風が入り、譜面の端をめくった。
その紙の上には、手書きの文字があった。
〈Zankyogai - Refrain〉
彼女はそっとペンで一行書き足す。
——“声は、まだここに棲んでいる。”




