第一章:運命の不協和音
平幹夫は、狭いリハーサルスタジオの壁に貼られた「メンバー募集」のチラシを一枚ずつ剥がしていた。どれも似たような内容——「本気でやりたい人」「売れたい人歓迎」。だが彼の目にはそんな文字より、紙に染みついた諦めの臭いが鼻についた。
「どうせ、途中で逃げるんだよな。」
ぼやきながらスティックケースを肩に掛け、平は駅へ向かう。彼の頭には、ある一人のギタリストの音が鳴っていた。半年前、知人のライブで見かけた男——大谷烈のプレイだった。指さばきは粗雑で、アドリブは破綻寸前。しかしその音には、聴く者を黙らせる「叫び」があった。
その日、平は思い切って連絡を入れた。
「今度の土曜、スタジオ取ってる。叩かせてくれないか。」
電話越しの大谷は気怠そうに笑い、「ドラムと俺だけ? 面白そうだな」と短く答えた。
当日。
スタジオの外でタバコを吸っていた平の前に、ひとりの男が現れた。背は高く、ベースケースを背負っている。
「岸です。……あなたが平さん?」
「おお、来てくれたか!」
予想外の来訪に平は驚いた。共通の知人が「ベースを探してるなら岸を紹介する」と言っていたのを思い出す。どうせ断られると思っていたが、彼は無言でスタジオへ入っていった。
大谷がチューニングを続けている。軽く目が合うが、挨拶の代わりに軽く弦を鳴らした。
「試しに何か合わせようか。」
平の言葉に、大谷はにやりと笑う。岸は黙ってベースのボリュームを上げた。
ドラムがリズムを刻み出す。そこへギターが鋭く切り込み、ベースが低く唸る。最初の数小節は完璧だった。しかし、すぐに音がぶつかり合い始める。大谷が勝手にテンポを上げると、岸の眉がぴくりと動き、低音で牽制するようにリズムを食う。平が軌道修正しようとするたび、二人の音はさらに暴れ、空間は熱を帯びていった。
演奏が止んだ瞬間、スタジオは妙な静けさに包まれた。
「……お前、勝手に走りすぎだよ。」岸の低い声が響く。
「お前のベースが遅いんだろ。」大谷が吐き捨てる。
空気が火花を散らす。その中で、平は少し笑った。
「いいじゃねぇか。喧嘩できるくらいの奴らの方が、バンド続くんだよ。」
二人は顔を見合わせ、そっぽを向いた。
だがその日、確かに「何か」が始まった。決して調和ではなく、不協和。その響きこそ、平幹夫が求めていた「まだ誰も聴いたことのない音」だった。




