推し活から自己活へ
私は長いあいだ、「推し活」をしていた。
配信を追い、言葉に一喜一憂し、気持ちとお金を注ぎ込む。
誰かを応援しているつもりで、
実は自分の存在価値を、相手の反応で測っていたのだと思う。
推しが笑えば嬉しくて、
不機嫌になれば胸がざわつく。
「今日はコメントを拾ってもらえるだろうか」
「私のことは、まだ必要だろうか」
そんなことばかり考えていた。
振り返れば、それは応援というより、
承認を買いに行く行為に近かった。
決定的だったのは、
配信で投げつけられた
「今、金にならない古参はいらない。消えろ」
という言葉だった。
頭では分かっていた。
配信はビジネスで、スパチャは商品だ。
でも心は、想像以上に深く傷ついた。
それは、
「役に立たなくなった私には価値がない」
と言われたように感じたからだ。
その瞬間、
私はようやく気づいた。
――これは、割に合わない。
そこから、少しずつ距離を取り始めた。
配信を見ない日が増え、
コメントもしなくなった。
代わりに始めたのは、
文章を書くこと、歌うこと、考えること。
誰にも評価されなくてもいい時間を、
自分のために使うことだった。
不思議なことに、
誰かを追わなくなった分だけ、
自分の輪郭がはっきりしてきた。
私は何が好きで、
何が苦手で、
どこまでなら無理をせずに生きられるのか。
それを知る時間は、
推しの配信を何時間見ているよりも、
ずっと豊かだった。
推し活をやめたわけではない。
ただ、立ち位置を変えただけだ。
「救われたい側」から、
「自分を扱う側」へ。
誰かの物語に入り込むのではなく、
自分の物語を生きること。
私はそれを、
自己活と呼ぶことにした。
推し活は、孤独を一時的に忘れさせてくれる。
でも自己活は、
孤独と一緒に立つ力をくれる。
今はまだ、不器用で、
成果も小さいけれど、
それでも確かに、私は前より自由だ。
もう、
誰かに必要とされるために生きなくていい。
私は、
私の人生を応援する側に、戻ってきたのだから。




