八.図書室二階-一
「本当は、我々が調べている事について、貴女に色々とお聞きしたいと考えておりましたが、今はそれより、」
椿が後ろを振り返る。
「彼女についてですね。」
床に座り込んだ、顔の無い女生徒が肩を震わせた。
「な、何よ……。ぃ言っとくけど、私何にも知らないからね!事件の事とか全く知らないからっ!」
口も無いのにそう喚く女生徒に「へぇ、事件があった事は知ってんだ。」と曲がボソッと呟けば、ギクリと身を固くした。
「曲。」
「へぃへぃ。」
椿に窘められて、そっぽを向く。
それを放って、椿が女生徒の前にしゃがみ込み、手を差し出した。
「な、何よ……」
「何って、そこに座りっぱなしでは身体を冷やしますよ。椅子、座りませんか?」
無い目が椿の顔と、手を数度行ったり来たりした後、のそのそと女生徒はその手を取った。眉間辺りは僅かに隆起していて、ブスッと顔を歪めているのが分かった。
椿はそんな女生徒を近くの椅子へと誘導し座らせ、自身もその対面に椅子を引っ張ってきて座る。
「椿ぃ、俺の椅子はぁ?」
「自分で取りな。」
「うぇーぃ……」
ダルダルと寄って来た曲を手で払う。
曲はそんな風に雑に扱われても、素直に椅子を持ってきて、椿の隣に座り込んだ。
その様子を居心地悪そうに女生徒は見ていた。
「さて、じゃあまずは自己紹介からしよっか。」
けれど、そんな女生徒の様子を尻目に、ポンと手を合わせた曲が話始める。
「俺は曲、こっちは椿。なんとなぁく分かってると思うけど、人間じゃあ無い。怪異って分類の存在だ。よろしくちゃん。」
墨壺の時同様、曲が自身と椿を紹介し、椿は頭を下げるだけの自己紹介に、女生徒が首を傾げる。
「怪異?」
「おっと、その説明は後でしてあげるよ。それより、君の名前は?」
女生徒の疑問を片手で制し、促す様に掌を差し向ければ、一瞬、グッと引いた女生徒は、渋々と言った体で「あずさ」と名乗った。
「東雲 梓。……二年一組、油絵専攻……。よろしく……です。」
「あい、よろしく。ンで、そっちは?」
曲の目線を追って、女生徒—梓が振り返れば、丁度梓の背後の本棚の隙間から、片目がヌラと覗いていた。
「『隙間の司書』、と申します。この学校の七不思議の一話に数えられている怪異です。普段はこの学校の本の管理を細々と手伝っておりますが、今は……」
目が梓を見た。
「今は、彼女の保護も行っております。」
「ふぅん、なるほど?」
曲は司書と梓の様子を見て目を細めた。
初めて会った、という訳では無い様だ。慌てるでも怯えるでもなく、梓は平然と隙間の司書を振り返って見ている。そんな様子からして、二人は随分と知った仲の様だ。しかし、
「怪異は知らない、ねぇ……。」
曲が溢した言葉に、梓がハッと振り返る。
「そう、それ!ねぇ、怪異って何?妖怪とかの仲間?私を追ってくるアレと同じなの?てか私、私今どうなってるの!?もしかして私もその怪異っていうのに」
「ちょいちょいちょい、待て待て待て。落ち着けぇ?質問は一つずつだよ、梓ちゃぁん。でないと理解出来る事も理解出来なくなる。」
どうどう、と両手を掲げて梓を制する。
荒ぶりかけていた梓が、浮かせてしまった腰を下ろすのを見て言葉を続ける。
「順を追って話すよ、そう」
曲が左の拳を椿の肩口に当てる。
「椿が!」
「そっちが!?」
「え、あ、僕なんだそこは。」
てっきり曲が話すのだとばかり思っていた梓と椿の両方からツッコミが入る。
「えぇ……」と困惑する梓を置いて、「まぁ、いいか。」と椿が話題を引き継ぐ。
「そうだね、じゃあ、まずは結論から行こうか。」
前傾姿勢になった椿が、梓を少し下から見上げるように目線を合わせて告げる。
「君は察しの通り、もう人間じゃないよ。」
「あ、うん。それは知ってる。」
ズコッと曲がコけた。
「まぁ、だよね。」
「うん。だって、気付いたら美術準備室に居たし、鏡見たら顔無いし、なんか学校から出らんないし。そこまで揃っちゃうともう人間じゃないのは流石に理解出来るっていうか……」
「じゃぁ、あんなに興奮する必要無くなぁい?さっき大分牛みたいだったよぉ?」
「ウ……っ!?」
起き上がって椅子に肘を掛けた曲の言葉に梓が硬直する。
「曲、女性にそれは失礼だよ。それにどれかと言うと鶏みたいなけたたましさじゃないかなぁ。」
「ニ……っ!?」
再び硬直。「えぇ?そっかなぁ」と曲は何事も無かった様に椅子に座り直す。
「御二方とも失礼ですよ。女性を家畜家禽に例えないでください。」
「はぁい」
「あ、すみません……」
半目の司書に窘められて曲は適当に、椿は申し訳無さそうに頭を下げた。
「で、本題に戻るのですが……、大丈夫ですか?」
椿の言葉に、呆けていた梓がハッと居住まいを正した。
「だ、大丈夫ですっ!……あの、それで、結局今の私の状況って何なんですか?なんでその、怪異?というものになっちゃったんですか?」
首を傾げる梓に、椿が一つ頷く。
「では次に貴女がなってしまったものについて。……まぁ、此方も先程から言っているので分かっているとは思いますが、貴女がなったのは『怪異』と呼ばれるものです。我々も、そこに居る司書さんも同様の存在です。」
梓が視線を巡らせる。全員、誰も否定しない。
「妖怪、とは違うんですか?」
視線をおずおずと戻しながら問う。
「違いますね。妖怪は部類としてはまだ人間などの生き物に近い存在です。一方で、怪異には、彼らとは一線を画す要素があります。」
空中に一本、線を引く真似をしてみせる。
「一線を画す、要素……」
「そう。そもそも我々には肉体が在りません。我々は魂魄のみで存在を確立するもの。存在としての親を持たず、時には由来さえ持たない。不明瞭で曖昧で、けれど確かにそこに存在するもの。それが怪異です。……実際貴女はもう死んでいるでしょう?それも何となく、気付いてらっしゃると思いますが。」
沈黙。
押し黙る梓の行動を肯定と捉え続ける。
「通常、生き物は死んだらあの世へその魂が流れていくものです。ですが、例外も存在します。例えば今の貴女の様に、怪異に変質する場合とか。その場合、貴女は人間として、あるいは生物としてはもう勘定されません。貴女は怪異として、新たに世に生み直されたんです。そうですね、一応、『おめでとうございます』。」
梓が椅子を飛ばして立ち上がる。
「何がおめでたいのっ!?私はこんなになる事なんて望んでないっ!!」
「望もうが望まなかろうが、事実は変わりません。そこは生き物と同じですね。当者の望むらくに依らず世に生を受ける。至って普通の目出度い事でしょう?」
「っンの!」
梓が椿の胸倉を掴もうとするも、その両手はあっさりと曲の片手に捕まった。
「離してっ!」
「やだよ。お前、離したら椿の事殴るかもだし。」
「下から蹴り上げるわよっ!?」
「え、ちょ、それはやめてぇ……」
ブンと足を思い切り振り上げられて、曲は精一杯腕を伸ばし、椿も慌てて退避する。
「っちょ、逃げてんじゃないわよ意気地無しっ!!」
「逃げる逃げるってぇ……っ。それは流石に逃げるってぇっ!」
ギャアギャアと離せばいいのに梓の手を掴んだままの曲が、そのままでの精一杯の距離を梓から取ろうと藻掻き、梓は逆に距離を詰めようと迫る、そんな可笑しな鬼ごっこから一人脱した椿は、本棚を背に座り込んで一息吐いた。
「随分と、嫌な言い回しをなさいますね。それが其方の規則なのですか?」
声の方へ顔を向ければ、隙間から頭を半分出した隙間の司書が、呆れた様に椿を見下ろしていた。
「いいえ、これは僕のやり方です。……好くない事は分かっているんです。でも、」
目線を戻した先、まだ曲に捕まれたままの梓を見遣る。
「生誕おめでとうって、誰かが、言い出さないと、そのままズルズル、誰にも言って貰えないままになり易いから。それは僕達みたいな曖昧なモノには、結構致命的だったりするんですよ。だから早い目に、と、そう思うとつい……」
そんな事を訥々と溢す椿を見て、隙間の司書は溜め息を吐いた。
「であるならば、次からは瞬間をもう少し意識した方がよろしいですね。流石に今のは配慮に欠けますよ。」
「あはは……、よく言われます……。」
膝を抱え込んで苦笑した椿の一方、梓の蹴りをとうとう喰らった曲が「オゥッ」と鳴いて床に沈んだ。




