二十.美術棟
入り込んだ美術棟内は、随分と冷え込んでいた。
冷房がかけられてる訳でも無い様だが、外との温度差が明白にある。
何が居る、と言う訳でも無さそうだが、どうにも落ち着かない場所だった。
「件の油絵教室はアレ、ね。」
一目でよく分かった。
警察が残したのか、それとも学校側の配慮なのか、入り口にはテープが貼られている。
「剥がしてもいいけど、元通りには貼れる気しないや。」
「いや、隣の彫刻室から油絵教室に入れる扉がある。そっちから入ろう。」
「あぁ、例の足音の通ったろう扉?そっちにもテープ貼られてるんじゃない?」
「どうだろね。でも、表の側に比べたら人が見る場所でも無いだろうから、剥がして直してもバレないんじゃない?そんなに気になるなら、曲げてくれてもいいんだよ?」
彫刻室前に立った椿が振り返る。
「いーけどさ、テープ曲げてもあんま面白くないしなぁ……。」
「別に僕はどっちでもいーよ。開けてくれるのは曲な訳だし。」
戸を開けた曲に「どうも」と言いつつ入る。
中は木や石、その他道具に溢れていた。
戸は入って右の壁の先、棚で見えづらくなっていたが、その端にあった。
気になっていたテープは曲の予想通り貼られていた。
「あーあ。ホントに貼られてら。徹底してんね。これされて生徒ら困ったりしないのかなぁ?」
「さぁ、そればっかりは僕にも分からないかな。じゃあ曲、お願いね。」
「んぇー、結局やる感じなのぉ?」
もー、と悪態を吐きながらも、曲はテープへと手を伸ばす。
テープがぐにゃんと曲がった。
けれどどれも剥がれてはいない。端は壁に付いたまま、扉の前を閉ざしていた部分だけがぐにゃりと曲がって戸の前を空けていた。
「あ、全部上の方にやれば良かった。」
失敗したなぁと頭の後ろを掻きつつ、ドアノブに手をかけ開く。
「椿、開けたよ。」
「ありがと、じゃあお邪魔します。」
戸を潜った先、漸く踏み入った現場を見る。
「椿どう?どんな感じ?」
後から入って来た曲が問うて来る。
「んー、ちょっと待ってね。電気、点けるから。」
「おーん」
数歩分の足音の後、カチン、と室内が明るくなった。
途端、曲の目にも見える様になったのは、美術室然とした絵の具類に汚れ、物に溢れた室内だった。
但し、その中心には不自然に空けられた空間があり、床には色濃く染みが残っていた。
「分かり易いね。吊るされてたのはそこな訳。」
答え合わせにと天井を見上げれば、真上に確かにフックがある。
そこから伸びるロープを辿れば、窓側の柱に昇降用らしき機器が取り付けられていた。
「でもこっちは大分色々物が残ってンね。てっきり他みたいに撤去されてる口かと……」
「流石に物が多過ぎたんでしょ。この量を押収するにしても移動するにしても、手間だろうしね。関係ありそうな物だけ持っていって、って感じだったんじゃない?学校側も、今はまだ、下手に此処をどうこう出来ないだろうしね。」
電気のスイッチのある扉の方から戻って来た椿が言う。
「じゃ、調査開始だね。」
自然二手に分かれた。
椿は真っ直ぐ染みの方へ、曲は適当に全体を一周する様に壁伝いに歩き出す。
部屋の中は捜査含めて、確実に事件当時の状態では無い。当時をなぞるにしても、状況を再構築出来なくては意味が無い。
椿は床に目を走らせた。
絵の具の染みに、椅子やら机やら、何某かを引き摺ったらしい黒い跡、僅かな埃は何重にも重なった足跡を残している。
そのまま壁へ、窓際には他の教室には無い水道が備えられていて、その上には筆が乱雑に刺された瓶や、バケツ、その他薬剤のボトルの様な何かがあった。
それが気になった。
近寄って手に取る。
「ストリッパー……、剥離剤。」
剥離、という事は絵の具やら何やら剥がす為の手入れ用の品だろうか。
水道にあったという事は、薄めて使うのか?などと思いつつ、裏の成分表を見る。
「塩化メチレン。随分と強い薬品だな、こんなのそこらに置いてていいのか?」
元の場所に戻しつ他へと目を走らせる。
他は様々な大きさの画布に、絵の具類、それから、凶器に使われたパレットナイフがまとめて刺されている瓶がある。
次は其方へ足を向けた。
一本抜き取って触ってみる。
金属らしく確かに硬質だが、力を込めればビヨンと曲がる。
これで人を刺すには、柔らかい所を狙わないとならないだろう。腹部周りか、或いは首か。肉があるとはいえ足は骨が太いし、肋周りは余程の腕か運が無ければ途中で支える。
椿は頭の中で資料の内容を思い起こす。
─確か、千夏さんが刺されていたのは、前と後ろ、どちらにせよ腹部のみ。って事は、単純に刺し易い場所を刺されたって感じか。なら、これでも充分な訳、か……。
ナイフを元の場所へストンと戻す。
あとは……、と更に視線を巡らせようとした所で「椿」と声が掛かった。
「?どしたの、曲。」
「いや、ちょっとコレ見て欲しいんだ。」
寄ってきた曲が「ほい」と見せてきたのは随分と小さな金具だった。
「何コレ……フックと留め具……、あ、もしかしてネックレスに使うやつ?」
「そ、御名答。」
そう言ってもう片手で見せてきたのは、箱小屋で見つけたネックレス、その留め具部分だ。
「既製品なら被る事はまぁあるのは分かってるんだけど、此処だけ残ってるって不自然だよねぇ。なんでだと思う?」
「揉み合って飛んだ……とか?考え過ぎ、って言いたいけど、可能性は確かにあるね。問題はその金具の本体は何処?って所だけど。そのネックレスの留め具が付け替えられたとかは無いかなぁ。」
トントンとネックレスの金具部分を指し示せば、「あるかもねぇ」と緩い返事。
「でも、全く同じ種類のを、態々付けるってのも難しくないかな?直すにしても、ネックレスとして機能すればイイんだし、そこらの安いの買って付けそうじゃない?」
確かに。
「それもそうだね。じゃあこれは別のヤツの金具の可能性が高い訳か……。曲、ざっと見て何処かにネックレスとかあった?」
「いんや、無かった。椿の方は?」
「こっちもそれっぽいのは目に入らなかった。……となると、無いかもねぇ。」
回収されたか、と僅かに肩が下がる。
何かしらの手がかりになったかもと思う分、若干の落胆があるが、それはそれだ。
「取り敢えず、持っといてよ曲。」
「あいあい。」
「で、あと見てないとことか無いかな。」
「んー、俺は特にもう気になるとことかは無いかなぁ。」
互いに教室内を見回して頷き合う。
「じゃ、戻ろうか。」
「分かった。あ、椿電気消し忘れないでね。」
「はいはい。先出てて、消しちゃうと見えないでしょ。」
「うん。」
話しながら、パチンと電気を消した。




