一.S市役所
ぴとり、ぴとりと滴っている。
充満する体液と油絵の具の臭い。
重いカーテンの引かれた室内で、ライトに照らされ、首を吊っているのは少女の躰。
悲鳴。
四人の女生徒達が悲鳴を上げ、共に居た女教師は息を吞む。
ふと、横奥の戸が軋む音がした。普段は開かれない戸が開いて軋む音。
次いで足音。女教師が咄嗟にその戸の方へ走り出す。
「誰っ!?」
その先、中に居た人物が振り返る。
その顔は、
水無月某日、S市E橋。夕暮れ手前。
「とぉちゃーく。」
カラン。
下駄を鳴らしてその橋下の混凝土に立つは、半洋袴にダレた肌着、その上に白茶の羽織を着た男。
あちこち跳ねた白髪頭と同じ色の目を三日月型に細めてニヤニヤと笑っているその男の少し後ろにもう一人、艶やかに円い黒髪頭が着いて来る。
「曲、ちょっと飛ばし過ぎ。予定より早く着いちゃってる。」
柳眉に切れ長の目元、瞳は赤と蘇芳の椿色。右半分は長ったらしい前髪に隠れているが、端正な顔立ちはそれでも目立つ。
曲と呼ばれた男に対し、運動靴に綾袴、襟の伸びていないT襯衣と、如何にも若者然とした格好だが、曲と同じ様に羽織を羽織っている。ただし此方の色は紺。そして背には彼の身の丈程の大きな函が背負われている。
「予定より早い分にはいーだろぅ?椿。」
「そうは言っても、だよ。夜間調査なのに夕暮れ前に到着は早過ぎるって。」
河川敷の道に上がりながら話す二人。
曲は楽しそうに下駄を鳴らしながら、椿は背負った函を庇う様に方々に気を向けて歩いている。
その足が向かうのは川のすぐ傍にあるS市役所だ。
正面玄関を堂々潜り、そのまま総合受付─までは行かずに階段方向へと曲がる。
その先、一階踊り場まで来ると、その傍らの扉を曲が開ける。
スルとそこへ滑り込んだ二人の後、閉じた扉には関係者以外立ち入り禁止の文字。
誰も彼等の異質さに気付かないまま、扉は暫く後、蜃気楼の様に薄れて消えた。
天鵞絨の絨毯が敷き詰められた床を、風呂敷を括り付けられたツチノコがえいえいと一生懸命跳ねて横切って行く。
通り過ぎ様にペコ、と頭を下げたツチノコに手を振りつつ、椿と曲は再び歩き始める。
木造の骨子に、漆喰の壁。床は前述の通り絨毯が敷かれており、床を這う者達にも優しい設計になっている。
並べられた長椅子も内装に合わせて黒茶で統一されており、そこに疎らに座っている者達の姿形に統一感は無い。
蛇女が書類を抱えて齷齪と行き来し、のんべんだらりと座っている一つ目の坊主はスマホを弄り、壁側の長椅子では、小物の一団が占領しているのに気付かず座ろうとした狸の尻を誰かが小突いたらしい。飛び上がった狸が床に落ちた。
雨蛙の子供は手足が生えたばかりか、尻尾を振って、興味深そうに背凭れ越し椿達を見てきたので手を振っておく。ともすれば恥ずかしがって隣の母親らしき蛙の着物に潜り込もうとして頭を叩かれていた。
先程まで二人の居た市役所の内装に比べ、古趣で奇怪なその場所を進み、受付の前まで移動する。
二人に気付いたサビ猫頭の受付嬢がペコリと頭を下げた。
「こんちゃー、風車支部から来ました、妖怪異譚調査部二班の曲と椿でぇーす。活動許可確認お願いしまぁっす。」
その言葉を受けて、受付嬢が場違いに真新しいパソコンをカタカチと弄り出した。
「……確かに、活動申請は出ておりますが……、夜間調査になっております。お時間まだ早いですが、承認して宜しいですか?」
「ほら曲、やっぱ早過ぎるんだって。」
「んぇー、でもこういうのは早め早めに動くのが大事だろぅ?俺に関してはまだ今回の調査内容ちゃんと知らないんだし、この後確認兼ねて、情報の補完なり調べ物なりしてたら夜なんてすぐだって。」
詰る椿に梨の礫と、曲は飄々とした態度のまま、怪訝そうな顔をする受付嬢に声を掛けた。
「てな訳で、調査自体は夜なんだけど、調べ物したりなんなりで時間は潰すから、承認はもうしちゃっていいですヨ。」
受付嬢が椿の方をチラと見た。
溜め息一つ。取り敢えず、頷いておく。
「……畏まりました。では承認致します。」
受付嬢がまたカタカチとパソコンを弄ると、程なくして近くの印刷機が紙を一枚吐き出し、紙はカウンターの上、椿の前へと一人でに飛んできた。
「では、此方承認証の写しになります。調査後、お帰りの際は、また此方にお立ち寄りください。」
「あーい、ありがとうございまし、た。」
「ありがとうございます。では行ってきます。」
写しを受け取った椿の言葉に受付嬢が頭を下げた。
「はい、今件、宜しくお願い致します。」
そのまま曲は手をひらと振り、椿はペコリと頭を下げた。




