表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

閉鎖感

 現代日本の心情、特に学生のことである、を考えるにあたってまず思いついたのは閉鎖感である。クラス、世間を優先し自我をとにかく潜めようとする心情のことである。これは恋愛にまでおよんで昔々にあった童貞はゴミであるという精神を逆転させた。少年少女は自分が他人からどう見られるかを過度に気にして、積極的に自分を表現できないのである。

 されどこれは昨今、SNSの普及で少し変わった。SNSという匿名の場所ではむしろ自由に表現される。もっといえばペンネームである。同人活動もまた匿名のようなものである。つまり自分の社会が関わらなければ人は表現できるのである。

 

 といいたいところだが、ここにリベラルが入るとまた複雑になる。リベラルと言う名前とは真逆に規制のことである。個人の自由を優先するあまり、社会は表現の幅を狭められてしまい、反って閉鎖的になっているのである。これは差別だ、これは悪意がある、それが都合よく側基準で審査される。思想がリベラルでなければ社会から排他されるのである。企業、政府、教育、マスメディアがリベラリズムをしまくっているので、それを普通としてマジョリティといわれたマイノリティを排除するのである。

 もう一つはSNSである。これはリベラルに限らない。最近の右翼の台頭によって、今までピンク色が幅を利かせていた場所は一変し、保守的な方向性でなければスパイといって排除しやすくなった。ただし、今までリベラルがテレビでやってきたこととなんら変わりない。むしろテレビを使う方がクソである。ネットはデマばかりなので。


 文句はこの辺にしておく。私見であるが、社会の心情を見つめるにはまず経済だろう。もちろん先ほどの要素も絡んでは来るが、とにかくそういったものを置いておいて、現代日本を象徴する閉鎖感はつまり経済停滞に起因する。もっといえば経済の活性をしようとせず、増税ばかりする社会思想に及ぶ。日本を成長させるための投資が強調されないこれは、親から見捨てられた子のようである。無論、経済的な立ち回りはあるが、それにしたってグローバリズムばかりしてしまえば、子の愛国心も冷めるものだ。大事なのは成功よりも期待であり、活性である。チャレンジ精神と少年ジャンプが訴えても、政府が出資しなければどうしようもない、もとより経済が答える予想が無いというなら一層最悪なので、渋谷に穴が開く事態である。


 少年少女の心情とは将来への不安である。現代日本の精神は貧相である。他者に依存し、従い、躱していく。そこには何一つ運命を変えようとする精神はない。最も結果が伴うとは言わないが。

 経済の停滞はもちろん学歴社会の偶像を過熱させている。高学歴であらねばならない、金が無ければならない。ではどうするのか、子供をできるだけ良い塾に通わせる、あるいは拘束して無理やり勉強させる。勉強、勉強。問題はそこではなく、その手前にある。日本はどうしてそこまで学歴に拘る、なぜ金を必要とする、あるいはなぜ他者より優れようとする。

 貧相とは蹴落とすことである。自分の友人が睨まれたら同じく睨み、抹消することである。それは純粋な悪ではない。悪意ではない。自己防衛の作用である。経済停滞が招いた危惧である。

 日本の福利厚生は世界図一である。アメリカのようにすぐにクビにはできないし、中国のように路上で死ぬこともない。もちろん発展途上国のように病気で死ぬこともない。日本で人目にして死ぬことは難解なのだ。高い税金と、政府のドルの賜物だろうか。となると金に死ぬほどこだわる必要がない。となれば優生的な視点だろうか。あるいは逆か。

 逆とは経済ではなく、精神が経済に起因するということである。無い。あるとすれば政府の教育が悪いということだろう、否めない。漢文はどう足掻いても不要であるし、塾が幅を利かせている時点で学校は勉強を放棄しているし、学問にしたって中高大にしてもその本質にまで触れることは叶わない。受験のための学問であるのが惨状であるし、政争の為の科学であるのもそうである。ならば家庭関係、人間関係か。もちろんない。説明するまでもなく学校はいじめ天国である。教師含め。


 経済停滞はもちろん少子高齢化も関係しているだろう。医療費が死に体に行っては、医者が一人儲けする環境は、若者には手痛い。オヤジギャグではなく、経済を最も動かせるのは若者であるのは必然であるが、その若者が勉強及び残業で疲弊してはどうしようもない。若者は経済のエンジンであり、彼らが活性化しなければ社会は明るくならない。老人が長生きしようがすぐに死のうが、迫り迫った閉鎖感の際では、恐らく変わらんのだ。若者が老人を切り捨てるか、処分する日も遠くない。自然は生者の味方である。ボケて役割を勘違いしている老人は死者当然として自然の摂理で、残酷な運命を辿るのは遠くない。それほどに若者が困窮すれば。老人だけ地球に残って寿命が去って人類おさらばはそれこそ人間の本能が許さないであろう。


 少子高齢化はつまり増税である。人材不足となれば移民であるが、日本は鎖国をしまくるほどに外国人に厳しい。というか日本人間ですら厳しい。それさらに若者より外国人を信頼する政府を若者が信頼する論理はどこにも無い。それを馬鹿と罵っても、馬鹿が生きられなければ死ぬだけなのだ。自然の摂理である。

 増税とは、ここにおよんでの納税とは搾取に等しい。学生の心情は過労によって搾取されることである。それを恐れ学歴を望む、金を望む。されど金が金を呼ぶばかりである。金のあるものが優秀な塾に入り、学歴を取り、金を産む。それが世代渡って続くだけである。才能があればもちろんその外にあるが、才能がなくとも有利であるのは事実である。圧倒的に有利である。これは大きな問題ではない、全体としてあるこの納税思想は厳しい。私は、社会が、この思想が政府が上にあるものと認識している。人の下に政府があるのではなく上にある。民主主義であれば人は政府の上にあるはずであるが、増税すると選挙カーで叫んで増税した議員はいるのか。経済無知ゆえに人は委ね、それは結果として飼われている。


 少し過激になった。夢の話をする。リベラルは必ず夢で未来を望む。人に可能性があると流布する。その結果として大勢の犠牲者が出ているのは置いておいて、この軟弱かつ妄想的な夢の思想はどうであろうか。一昔前ならばアメリカンドリームを信じた世界も、今は不法移民まみれである。夢は死んだのだ。夢とは妄想であり、実現可能性が低い事柄だ。極めて難易度が高い。そして労働に適さない。理想が優先されるので実利が疎かになる。個人主義においては相性がいいが、社会性においてはクソである。さらにいえば金に依存する夢は日本ではクソであり、これは増税思想がある気もしたが、よって個人としても困窮しがちなのだ。金があった方が幸福なのは間違いないのだ。もちろん金に依存し過ぎるのは別として。


 不安とはつねに無知に起因する。少年少女は政府の結果を伴っていない教育を信奉し、そこで夢を見て、困窮する。その間で老人は屯し、若者は疲弊する。それが過ぎ去れば外国人が雪崩れ込み、グローバリズムの完成である。これが平和である。

 話が逸れた。これは完全な個人の右翼思想である。あんまり関係ない。私がリベラルを批判するのは単に立憲がゴミカスだからというのはあるが、右でも左でもない一般人から見ても平和を唱えるくせにめちゃくちゃなことばかりしたポリコレや、結局戦争している情勢あたりは、リベラル思想が唱えた平和主義がどれほど心細いものかと実感したはずである。

 ともかく少年少女の不安は経済停滞、学校への不信、政府への不信、行き過ぎたリベラル思想による圧迫(というか、どんな思想でも同様の現象が起こり得る)、それとまだ残る学歴信仰。だと思っている。


 問題はではこれが現代だけの話かというと。違うだろう。戦前、戦中、経済期もバブルもその後もおおよそ日本の凝り固まった価値観はあったろう。大なり小なり閉鎖感はあったろう。もとより社会が個人にとって居心地の良いものになると期待するのは間違っているのかもしれない。

 されど騙し騙しあいは横行する。特に現代は過激になっている。左も右もそうである。テレビもネットもそうである。社会としての閉鎖感はたしかに無くならないかもしれないが、そういった個人の精神、心理的な側面が、そういった情報社会に翻弄されすぎるところはありうる。今までは情報が少なく、真偽を納得しやすかったが、今はそうではない。何が正しいかにおいて絶対的な信頼を置くことはできず、置いてしまえば騙しているのと同様とさえ映るようになる。

 となるとより人は人を信用しにくくなり、閉鎖感も強まる。広告の薄っぺらい恰好良さを信じたり、整形したり、実利の無い自己啓発に犯されたり、ふつうに詐欺もしやすいされやすい。周りはそうだと煽り、閉鎖感から来る孤独を刺激し、金を出させる。個人主義がそこまでいったのに、結局は周りを気にするあまり自我を優先できないのは、異様なものだ。


 こう書いていて落ち着いたところは実のところ、真理は酷く脆い。真理が言葉を話すのではなく、人がそれを話す。されど人が信頼できなければ真理は虚偽に見える。それが教育、学問、政治、マスコミ、ネット、そしてAI。現代が最も知らなければならないのは数多の情報やその真偽よりもどう人を見分けるかであろうか。あるいは自分をどれほど信じられるのか。ただ歴史を見渡して、本当に人類が真理を見つめ続けてきたかといえばもちろんそうではないし、大半はそうではない。実のところ人は真理より周りで生きており、社会とはその集団であり、ほとんどが嘘でありうる。となると人が抱える不安とは真理を追究しようとするからこそ起こるものなのかもしれず、いや、単に不満の兆候であるだけかもしれない。

 そのどちらにしても真理が期待するほどでもないとわかれば、不安も不満もあるはずないのだが。


 社会の常識というものがどれほど少年少女の夢を叶えてきたのかは気になるところである。誰しもが専門家でもなければ、誰しもが正直者ではない。社会の嘘が、その臭いが人を不安にさせるところは私の感覚とはよく合う。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ