表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

愛よりも遅く

子供が大学入学と同時に家を出た。

妻と二人きりの生活が再び始まるのは、なんだか不思議な気持ちだった。


子供はいわゆる「育てにくい子」だった。妻は子供にかかりっきりになった。俺自身も、子供の相手に四苦八苦した時があった。まだ大学生だが、やっと独り立ちして感無量だ。


子供が赤ん坊の時は、父親は仕事、母親は育児だと決めつけてしまっていた。

「母親なんだから、子供の面倒は妻の役目だ」と押し付けながら、俺の相手をしないことに不満だった。


仕事をしていると、周りの女性は身綺麗だ。

何で妻は、あんな格好なんだ。そして、綺麗にするのも不満だった。母親のくせに化粧なんて必要ないだろう、と。


あの時の俺は不満を妻にぶつけて、仕事で出会った女性を見つめていた。


何年かして彼女と別れ、子供も話せるようになり、相手をするのが楽しくなっていった。


その時は、ただ家族で仲良く暮らしていると思っていた。

妻も子供も俺を愛してくれている。だから、俺も仕事を頑張っていた。


子供が巣立ち、妻に一人の時間が出来るようになって数ヶ月。

早く家に帰っても、18時なのに妻がいない時があった。最初は、夕方の散歩か買い物でもしてるのかと思っていた。


ふとカレンダーに「演奏会」「読書会」「映画鑑賞会」と書いてあるのに気付いた。今日の日付には「読書会」と書いてあった。


何だこれ?出掛けていたのか?

なんで俺に言わないんだ。秘密を持っていた妻に、少し憤りを感じた。


ピンポーンとインターホンの音がして、妻が帰ってきた。

不機嫌を隠して「おかえり」と声をかけた。


「ただいま」

妻はそれだけ言って部屋へ入ろうとする。

何でどこへ行ったか話さない?


「ーーー最近、よく出掛けるね」

俺は妻が説明するのを待った。


「本好きが集まるサークルに入ったの」

「……」


それだけ?他にもいろいろあるはずなのに、妻は何も言わない。

コーヒーを淹れながら妻が話すのを待っていたら、スタスタと歩いて自分の部屋に入っていった。


何も話さないで終わらせた?

追いかけて聞くか迷ったが、サークルに入ったと言っていた。

なら、まあいいか。


ずっと子育てで子供に付きっきりだったんだ。

自由に外出できるのが嬉しいんだろう。

そう結論付けて、自分の部屋に戻った。


俺の生活は何も変わっていないのに、

妻は何かを取り戻すかのように、活き活きと生活していた。

特に読書にハマっているようだった。


昔はよく子供と図書館へ行き、沢山の本を借りてきていた。でも、読む時間がないと言って、そのまま返すこともよくあった。

「読めないなら借りなきゃいいのに」と思っていたものだ。


楽しそうに本を読む妻。

何だか綺麗になった気もする。


それは、子育てが終わったからなのか、サークルが楽しいからなのか、わからなかった。

ただ、何も変わっていない自分に焦りを感じた。


なんで妻だけが。


好きなものを手にして、キラキラと目を輝かせている姿が羨ましかった。



ある日、早く家に帰れた俺は、妻がスマホで何かを検索しているのを、ヒョイと覗き込んでみた。


「映画鑑賞会?」

「そう。映画好きな人たちと映画館で映画を観るの」

妻は何でもないように言った。


何で、俺を誘わずに他人と行こうとするんだ?

いつも妻は、自分が何をするか俺に話さない。


「なんだよ。俺と観ればいいじゃないか」

「え?」

妻は困惑した表情だった。


「でも、あなたが楽しめる映画じゃないわよ。ほらこれ」

そう言ってスマホを見せてきた。

魔法の杖を掲げている魔法使いが映っていた。


「…じゃあ、他のにすれば良いじゃないか。他は何をやっている?」

そう提案したら、妻は思い切り嫌そうな顔をした。


「だから、私はこれが観たいの。なぜ違う映画に変えなくちゃいけないの?」

「2人で楽しめる映画にしようよ」

そう言うと妻はため息をついた。


「ねえ。もう子供はいないの。やっと自由に生活できるようになったの。なのに、今度はあなたに全て合わせなくちゃいけないの?」

「そんな言い方ないだろ」

「観たい映画を我慢させられて、何を楽しむの?」


妻と俺は趣味が合わない。

俺はアウトドア派で体力に自信がある。妻はインドア派で、よく身体を壊していた。

妻に合わせると、やりたいことができなかった。


「俺だって合わせてやっていたのに。お互い様だろ」

「だから、お互いもう無理せず暮らしましょうって言っているの」

妻は自分の部屋に入っていった。

妻のテリトリーに俺は入れない。拒絶されたような感じがした。



仲の良かった仕事仲間が突然亡くなった。

お通夜に急いで向かうと、奥さんや息子が気丈に立っていた。

二人とも面識があった。息子は父親の仕事を手伝っていて、4人で食事をしたこともあった。


「ああ、椎名さん、来てくださってありがとうございます…」

顔色の悪い奥さんが頭を下げる。


帰り際、2人で少し話せる時間があった。

「あの人と…もっと話せば良かった…」

ポツリと聞こえた言葉に、胸が痛くなった。


俺が死んだら、妻は悲しむのだろうか。

忘れないでいてくれるだろうか。

そんな気持ちが溢れた。


その後数日は、妻に忘れられないようにと思いながら、優しく振る舞った。何度も顔を見せに行った。


始めは怪訝な顔をしていた妻だったが、少しずつ冷ややかになっていった。


「ねえ…何故自分が先に逝くと思っているの?」

「え?」

「体力がない私の方が先に逝くかもって、何で思わないの?

今ごろ、自分が先に逝ったらなんて思っているの?

私は、出産した時から毎日思っていたよ。

今逝けば、誰にも気付かれず、子供も道連れになっちゃうんだろうなって」


今よりずっと若くて、赤ん坊に笑いかけて、何度も喧嘩していた時、妻は毎日そんなことを考えていたのかと衝撃を受けた。


こんな気持ちをずっと持っていたのか。


「言ってくれれば良かったじゃないか」

そう自分が言った時の妻の顔は、今は思い出せない。

でも、確かに聞こえた。


「だってあなたは、私に興味なかったでしょう?」


ーーー妻は知っていたのだ。

俺が何をしていたのか。


妻は自分の部屋に入っていった。

その日は、出てくることがなかった。


そんな事があっても、日常は続く。

会話が無い生活は面倒で、少しずつ話し出す。

笑いあうこともある。

それでも、心から寄り添う素振りはなく、妻の心からの笑顔を見ることはなかった。


いつから見れなくなっていたのだろう。

いつから…見限られていたのだろう。


それでも、生活は続く。


スマホに妻からメッセージが入った。

ー来週の土曜日は、サークル仲間と映画行ってくるー

決定事項の報告。俺達は趣味が違うから、きっと俺の観たくないジャンルなんだろう。


ーわかりましたー


返事を送った後、スマホをスルリとポケットに仕舞う。



妻は俺を求めない。


俺はもう、妻を求める資格などなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ