第三十六話 収拾
国王が回復し、各国の使節が帰路につき、王宮は漸く落ち着きを取り戻した。
子爵とレナートの事件に関しての調査は遅々として進まなかったが、ぺネロぺの事件は現行犯で捕らえることが出来たため、犯人像がようやく浮かび上がった。レナートの暗殺に失敗して焦っていたのか、それともアーキルの妨害があったのか、仲介役を1人しか挟んでいなかったことが幸いした。
犯人は砂の皇国の重臣、サアドゥーンの付き人であった。
すぐさま兵士隊を編成して砂の皇国の使節を追った。付き人を捕らえ、使節団には今暫しの逗留を願い許された。アーキルが半ば強引に臣下を留めてくれたらしい。拷問の末に、サアドゥーンに命じられて王の毒殺を目論んだと自白した。子爵の暗殺とペネロペを傷物にしようとした件には関与していないが、家臣たちがそれを話しているのを聞いたと供述した。
砂の皇国は付き人の暴走である、と知らぬ存ぜぬを突き通したが、アーキルが臣下の暴走を詫びたことで事実であると認定された。他の家臣たちは掌を返し、すべての罪をサアドゥーンに擦り付けた。サアドゥーンは捕縛され、砂の皇国に送り返された。これは砂の皇国から抗議を受けることを恐れたため、また一刻も早く砂の皇国とのつながりを絶つ為であった。
これを受けて王国は締結したばかりの同盟を破棄することを決定した。再び国交を断絶し、交易も制限することが報じられた。
だが問題はここからであった。
サアドゥーンがフェデリカの血筋に言及したのである。
「この国の国王夫妻は近親婚をしている! 妃はシルハーン朝最後の皇女だ!」
この言葉が兵士たちから貴族へと広がった。貴族たちは初め笑い飛ばしたが、前王朝最後の皇帝の肖像画が広まるにつれて疑念が芽生え始めた。
フェデリカと最後の皇帝はよく似ていた。
貴族たちは王国法に抵触する疑いがあるとして、フェデリカに事の真偽を問うた。
「――お答え願えますでしょうか、妃殿下」
「ロレンツィ侯爵の疑問も尤もであろう。しかし私は己の父母を亡き子爵夫妻であると信じ育ってきた。此度の噂を聞き驚愕したのは私も同じこと」
嬉々として謁見室に乗り込んできたのは、現在王位継承権第一位のロレンツィ侯爵である。
「アンヌンツィアータ辺境伯に使いを出した。アンヌンツィアータ辺境伯は私の伯父であり養父、噂の真偽について知っているであろう」
「さて、辺境伯は真実を話すでしょうか。前王朝の血筋でありルドヴィカ王姉殿下の遺児を我が物としたことが分かれば厳罰に処されることは間違いないこと、事実を隠蔽するのではないでしょうか」
「では侯爵は誰に聞くべきであると考える? 子爵夫妻か。前王朝のシルハーン一族か。或いはルドヴィカ王姉の付き人か」
フェデリカが名を上げたのは全員故人である。正確にはルドヴィカ王姉の付き人は今に至るまで誰一人発見されていない、というのが正しいが。
「......子爵邸や辺境伯邸の者たちに調査を行うのが宜しいかと。つきましてはわたくしめに全権を――」
「ロレンツィ侯爵の言うことも道理である。ラ・ヴァッレ侯に此度の噂の真相を解明することを命じよう」
「っ、ご英断と存じます」
ラ・ヴァッレ侯爵は観察使であり、王都近郊で発生した事件や王国内の重大事件の審理、調査を担当している。ロレンツィ侯爵よりも適任と言えた。
子爵の話が事実であれば、フェデリカの身元を証明する者はいないし、邸宅の者に聞いても判然としないだろう。辺境伯には召喚命令を出したが、同時に噂を否定するようにと暗号も送った。
フェデリカの予想通り、調査を任されたラ・ヴァッレ侯爵は噂の裏付けは取れない、という報告を上げた。辺境伯家に当時から仕えていた者は、「お嬢様は戦災孤児を何人も拾ってきたからねえ」と言い、個々人のことまで覚えていないと首を振った。子爵家の使用人は「あの時はまだ仕事に慣れていなかったから、面倒みさせてもらえなかった。年の割に大きいな、とは思ったけど」と供述した。召喚に応じた辺境伯も、そのような事実はないと否定した。
ルドヴィカ王姉の一行が砂漠に消えた現状では、それが限界であろう。噂は根拠なし、ということで近親婚の疑いは否定された。容姿が似ているため、未だ懐疑的な眼差しはあるが、長くは残らないだろう。
フェデリカは安堵した。王国側がフェデリカの血筋を認めてしまえば、砂の皇国の皇帝はフェデリカを狙うだろう。しかし、ルドヴィカ王姉の血を引いているフェデリカは王家の一員という扱いになり、王国と砂の皇国の全面戦争になりかねない。そんな事態は避けるに限る。
これらの対処が終わった日、フェデリカは休養として丸一日何もしないでいい時間を与えられた。書を読んだり計算をして穏やかに過ごし、翌日にはジュリアマリアを呼んだ。
「妃殿下に拝謁いたします」
「顔を上げなさい」
ジュリアマリアは見たところ普段通りだった。しかし情に厚い彼女のことだ、幼い時からそばにいた父の死を悲しんでいないはずがない。
フェデリカは深く頭を下げた。
「ごめんなさい」
「へ? え、何が? なんで?」
「今回の子爵の死を招いたのは私よ」
フェデリカは唇を噛み締めた。己の至らなさが思い出されてならなかった。
「はい???」
「砂の皇国とのことは知っているでしょう?」
「……あの、妃殿下ってほんとうにお姫様じゃないんですよね?」
「私は陛下の妃であり、子爵家の娘よ」
言い切れば、ジュリアマリアは安堵した様子で息を吐いた。いや、そうではないのだが。
「......砂の皇国はあの噂を信じ、私の縁者だからという理由で子爵を殺害したという。警告を受けていたのに子爵を守れなかったのは私の落ち度よ」
「え、それ妃殿下なんも悪くなくない?」
フェデリカは思わず目を見開いた。顔を上げると、ジュリアマリアは心底意味がわからないという表情を浮かべている。
「妃殿下だって襲撃にあったんでしょ? 変な噂信じて襲って、悪いのどう考えても砂の皇国一択でしょ。なんで謝るの?」
「……私と関係があるから、子爵は狙われたのよ」
「前からお父様気をつけてたよ。あたしも王妃さまの妹ということで何かと狙われるかもしれないから注意しなさい、って言われてブルーノに護衛増やしてもらったし」
「……でも」
「そりゃあ辛いし寂しいけどさ。天国で母さんと会えたかなって思ったら少しは楽になった」
「あなたは、強いわね」
「そんなことない! ブルーノがいなかったら、今頃あたし引きこもってたと思う」
ジュリアマリアはきゅっと唇を引き結び、頭を下げた。
「ていうか、むしろあたしこそ怒鳴り込んでごめんなさい。あとでブルーノに言われたの。陛下が倒れて、なのに使節の対応は全部しないといけなくて、お父様も……亡くなって。あたしまで責めたら妃殿下は誰にも頼れないって」
「あなたが謝ることじゃないわ。死に目にも立ち会わなかったもの。怒っても、無理のないことよ」
「ううん。妃殿下が陛下を優先するのも分かるんだ。だってお父様は妃殿下に優しくなかったし」
心臓が跳ねた。しかしジュリアマリアは気づいた様子もなく続ける。
「お父様はずっとあたしと母さんのそばにいてくれたけど、裏を返せば……言い方悪いけど、妃殿下を放置してたってことでしょ? 姉がいるって聞いた時は耳疑ったもん」
「……そう」
異母妹が来ると聞いた時、フェデリカは何も思わなかった。実際に邸に来てから、ああそういえばそんな話を聞いたな、と思った程度である。
「人の心を捨てなきゃいけないの、なんて言ってごめんなさい。妃殿下もいっぱいいっぱいだったよね」
「そう、ね」
「妃殿下も、これ以上気にしないで。このままじゃいつまでも謝り合いになっちゃう」
フェデリカは小さく頷いた。きっと忘れはしない。それでも、少しだけ心が軽くなったような気がした。
「あの、さ。困った時は少しは頼ってね。頼りないかもしれないけど、ちょっとなら手助けできるかもしれないし」
「……ありがとう。ジュリアマリア」
ジュリアマリアは目を見開いた。フェデリカが名前を呼ぶのは、初めてのことだった。
「……うん、お姉様」
ペネロペからの文が届いたのは、ジュリアマリアが帰ってすぐのことだった。ひとりで読むのが少し怖かったので、レナートがいる執務室に戻ってから封を開けた。
ご機嫌よう、フェデリカ妃殿下。随分とお妃様が板についてきたようね。そろそろその自意識過剰に歯止めをかけたら如何かしら?
出だしがこれである。謝罪文に対するこの反応に、フェデリカは面食らった。
あなたのせいであたくしが襲撃され、しかし未然に防がれたと。ご報告をどうもありがとう。それでどうしてあなたが謝るのかしら? まさか、あなたはあたくしがその程度のことであなたを責めると思っていたの? 随分な思い上がりね? あたくしがそれほど柔な女だと思っていたということの方が腹立たしいわ。
さっさと大学に行ってらっしゃい。あたくしの機嫌が治るまで、会ってあげないから。馬鹿フェデリカ。
「......ふふ」
嫌味ったらしい文章から心配と発破を読み取ることは造作もない。フェデリカの口元に思わず笑みが浮かんだ。
「――よかった。ようやく笑った」
「ぇ」
顔を上げると、レナートが穏やかな表情でこちらを見ていた。
「君が笑っていないと、私も苦しい」
「……ご心配をおかけして、申し訳ありません」
レナートは首を横に振った。立ち上がり、こちらに歩み寄る。抱き締められると、爽やかな香りが鼻腔を擽った。穏やかな温もりに包まれ、フェデリカは目を閉じた。
***
複数の島々からなる海洋国家、海の王国。島々の領主は十年に一度一堂に会し、王を選ぶ。王国といっても血筋による世襲は行われない、独特の国だ。
海の王国の北西部。大陸に最も近く大きな島の名を、エスピノサといった。領主の館は中央よりやや西寄りに位置しており、歓楽街や商業施設などが周辺を取り巻き街を成している。その街からやや外れたところに、犯罪者を捕らえておく牢があった。
【お前たちには学習能力がないのか?】
ベルトランはにこやかに微笑みながら、壁に吊るした暗殺者たちを眺めた。他の牢から聞こえてくる拷問の音とも相まって、微笑みは寧ろ脅迫として作用している。
【陸では国王夫妻に手を出し、海では俺の命を狙うか。全く、砂の現王朝の皇帝とやらは小心者だなぁ。前王朝の血筋だからとて、今は全く関係ない地位を名乗る二人を狙うなんて。そう思うだろう?】
切っ先を首元に突きつければ、暗殺者たちは分かりやすく怯んだ。自害用の薬は解毒され、もはや彼らには殺されるか情報を吐くかしか残されていない。
【別に俺の命を狙うのはいいけどなぁ? まさか俺の乳母子まで狙うとは思わなかったぜ。お前らの主はいい性格してんな、あん?】
ベルトランが少し力を込めると、首の皮が切れて血が垂れる。
【ふざけんてんじゃねえぞ】
殺気だった声に、暗殺者たちの背筋が粟立った。ただ声と顔でベルトランは暗殺者たちを脅していた。それを見て取り、ルカスは今しがた傷をつけた男の縄を解いた。
【お前は解放してやろう。あの老いぼれに伝えるといい。俺もあの娘も、貴様の命なんぞ興味はない、とっととくたばれ老害が、とな】
【あ......】
【なんだ行かないのか? なら今すぐ俺が殺してやろう】
血濡れた剣を翳すと、暗殺者は怯えた様子で退く。その姿が見えなくなるのを確認し、ルカスは伸びをした。少し離れたところで待機していた乳母子に声を掛ける。
【待たせたな。親父殿から呼び出しか?】
【はい、あと20分で来いと】
【は? もう時間ねえな】
ベルトランは眉を顰めた。血がつながらないながらも自由に育ててくれた養父は、怒らせるととても怖いのだ。馬を走らせ館に急ぐ。
【親父殿、今帰った】
【服も変えずに来るとは、このアホ息子が】
【わりいわりい。あんま時間なくてさ。で、何の用?】
【何の用、じゃないわい。そろそろお前の誕生日だろうが】
【あーそうだった、忘れてたわ】
【全く。嫁も来ることだし、少しは落ち着かんか】
【はいはい】
ベルトランはぽりぽりと頭を掻いた。
ベルトランは己が生まれた日を正確に知らない。養子に引き取られた日をその日と定めており、実の双子の妹であるフェデリカとは表向き生まれ年も日も異なる。
【あーそうだ親父殿、一個頼みがあんだけど】
【なんだ】
【揉み消し、手伝ってくれ】
【......お前、まさか】
【ああ。暗殺者を送り込んだ。いい加減、俺は我慢ならん。親父殿は隠せたと思っていたようだがな、俺の留守中に毒を盛られたこと、知ってんだぞ】
養父は深々と溜息を吐いた。
【誰を送り込んだ】
ベルトランはエスピノサ家が抱える随一の暗殺者の名を口にする。
【なら確実だな......はあ、全く。お前も暗殺だの尋問だの、物騒だな。わざわざ大学に放り込んでやったというに】
【天文学はそこそこ面白かったぜ? 妹とも語れたしな】
【ほう。確かお前の妹は、随分研究に熱中しているようだったな】
【ああ。王妃なんて柄じゃねえと思ったけどな】
【まあ、仲睦まじいらしいしいいじゃろ。お前も妹を見習ってペネロペ令嬢と仲良くするように。わしゃあ孫を見んことには死んでも死に切れん】
【矍鑠とした爺さんが良く言うよ】
【うるさいぞベルトラン】




