第十八話 急変
「――あら、まあ」
王弟からの手紙を読んだフェデリカは目を瞬いた。
7月下旬、夜明け前である。
北の帝国の使節が帰ったこと、婚約を迫られ、跳ねのけるために婚約者を愛していると言ったことが記されていたためだ。自由恋愛は望まない、とも書かれていたが、文面に僅かばかりそっけなさを感じたのは気のせいだろうか。
「上手く、演じられるかしら」
この3年間、王弟と愛し合っている演技をしなければならないらしい。そんな器用なことができるだろうか。
「ハンカチでも贈れば良かった」
王弟の誕生日は間もなくだ。色々と騒動が続いた後なので、宴は催さないらしい。フェデリカは王都に帰らずに済んで狂喜乱舞したが、礼儀として贈り物を届けさせた。丁寧に、しかし出来るだけ早くという無茶な要求をしたが、果たして届いただろうか。
王弟の気が少しでも晴れてほしいと思った選んだ贈り物だが、相思相愛という噂を補強するためには、自ら刺繍したハンカチやリボン、クラバットなどが相応しかったかもしれない。改めて贈り直そうか。いや、それは面倒くさいし、刺繍は苦手だ。
フェデリカはひとつ溜息を吐いて窓の外を見上げた。西の空は、まだ暗い。
***
「これは......?」
「アンヌンツィアータ令嬢からの誕生日の贈り物だそうです」
侍従は困惑した様子で、部屋に溢れんばかりの花を眺めている。
それはすべて薔薇であった。しかし今は7月で、薔薇の季節ではない。その上その薔薇というのが赤や白、ピンクだけでなく、青や緑、紫と色とりどりであった。運ぶ途中で何度も二度見されました、と侍従は呟いているが、その反応も当然だろう。こんな色の薔薇を見たことがない。
「......彼女は奇術師か?」
「学士ではないのですか......? あと、こちらお手紙です」
差し出された手紙の封を切り、レナートは咳き込んだ。
「殿下!?」
「い、いや、なんでもない。大丈夫だ」
愛しの婚約者様へ
手紙の書き出しがこれである。以後は普段通りの淡々とした文面が続くせいで、一層宛名の異質さが際立っていた。
「......白い薔薇に色水を吸わせて色とりどりにしたらしい」
「色水、ですか。すごいですね......大学ではそのようなことも学ぶのでしょうか」
生物学専攻の知人と一緒に温室栽培の薔薇を大量に使って怒られました、と書いてある。生真面目な彼女が怒られているのを想像して、レナートは笑みを零した。
***
9月中旬である。
フェデリカは二通の手紙を眺めて溜息を吐いた。
一通は養父からのもの、もう一通は情報屋からのものだった。
養父からの手紙には、1年したらそなたの疑念に答える、その時はデアンジェリス家の当主の口から伝えさせる、とあった。養父と実父が打ち合わせ済みなら娘にも教えてほしいと思うのは我儘であろうか。
情報屋からの手紙は、ベルトランを海の王国に連れて行った男の足取りを掴めなかったという報せだった。
エスピノサ領主の家人の話によれば、ベルトランは20年ほど前に白い肌の男に連れられてきたそうだ。年齢を鑑みるとこの証言の信憑性は高いが、ではその男はどこの国の人間か、という疑問が浮上する。砂の皇国には白い肌の人間がほぼいないそうだから。砂の皇国にいた我が国や北の帝国の人間だろうか。砂の皇国よりも更に東となれば、もはやフェデリカの手が及ばぬ範囲だ。フェデリカはもう一度溜息を吐き、気分転換をしようと演奏室に向かった。
演奏室に近づくと、ケマンチェの音色が聞こえてきた。曲が終わったところで戸を開けると、穏やかな笑みを浮かべたアーキルがこちらを向いた。
「こんにちは、皇子」
「こんにちは、令嬢」
フェデリカとアーキルは1か月後に迫った演奏会の為、合奏練習をする約束をした。砂の皇国には苗字がなく、自分、父、祖父の名前をつなげたものを名乗るので、肩書きで呼び合うようになった。
「そういえば、花が無事に届いたと連絡がありました。温室のことを教えてくださってありがとうございます」
「いえ。僕の方こそ、実験できて楽しかったです」
カルミネに助言され花束を贈ろうとしたはいいが、この季節に咲く花はそう多くない。どうしようかと悩んでいた時、演奏会で会ったアーキルが温室のことを教えてくれたのだ。ただ花束を贈るだけではつまらないので、アーキルに手伝ってもらって色水に染めたものを贈った。嬉しい贈り物、と書かれていたので大満足である。すぐに枯らしてしまった、と落ち込んだ様子の文も届いたので、ドライフラワーにした青い花を贈ると更に喜ばれた。
「――こちらでは誕生日は盛大に祝うと聞いていたのですが、あなたの婚約者はパーティーを開かないのですか?」
「騒動が立て続けに起きたので、控えるそうです。砂の皇国では、誕生日を祝わないのですか?」
「家族だけで祝います。神殿に行って神に祈りを捧げ、その後家で豪勢な食事を食べる程度ですが。年ごとに贈り物は決まっていて、その1年でどれだけ善行を積んだかで数が異なります」
「興味深いですね。善行というのはどのように決めるのですか?」
「どれだけ人を助けたか、人に感謝されたか、が基準です。皇族は大体、そんな基準は無視して大量に贈り物をもらっているようですが」
アーキルは時折、己と皇族を切り離したような発言をした。特に皇帝のことに関しては一度も口に出さなかった。何かしらの確執があるのだろう。
「令嬢の誕生日はいつですか?」
「3月です。皇子は?」
「10月の初めです」
「もうすぐですね。当日は皇国に帰られるのですか?」
「いえ、こちらで過ごそうと思っています。十三番目ともなると、宴も開かれないことが多いので」
なんとも返答がしづらい。
「ところで令嬢、何かこちらの国でおすすめの贈り物はありませんか? 僕の妹の誕生日も10月で、折角ならこちらの国のものを贈ろうかと思いまして」
「妹さんはいくつになるのですか?」
「12です。本を読むのが好きで、ケマンチェを弾くと喜ぶんです」
困った。何がいいのかてんで分からない。物理学の本をもらって狂喜乱舞するのは自分だけだろうという自覚はある。
「......貝殻を使ったアクセサリーなど如何でしょう」
「皇国ではとても高価ですが、こちらでは比較的安価なのですか?」
「ええ、そこまで高いという印象はありません」
「よかった。ありがとうございます」
妹のことを語るアーキルは微笑みを浮かべていて、妹を大切にしていることが伝わってきた。ほんの少しだけ、それが羨ましい。
もう一度合奏しようと竪琴を構えた瞬間である。
「――アンヌンツィアータ!」
「ラ・ヴァッレ。どうしたの」
汗だくで駆け込んできたのはカルミネであった。息が荒く、顔色も悪い。
「皇子、すみませんがアンヌンツィアータを借ります」
「ちょ、」
事情を聞く暇もなく、腕を引っ張られ外に連れ出される。
「――いいか、落ち着いて聞けよ。くれぐれも気絶するなよ。私にはお前を抱えて医務室に連れていくだけの体力はないからな」
「まずあなたが落ち着きなさいな」
「陛下が倒れた」
フェデリカは目を見開き、固まった。